特集 2019年8月7日

北大東島の「燐鉱山遺跡」を見に行った

日本で唯一現存する、北大東島の「燐鉱山遺跡」を見てきました

今年の5月、沖縄本島の遥か東に浮かぶ絶海の孤島「南大東島」および「北大東島」に行ってきた。

そこではフェリーからクレーンで上陸する様子に興奮したり(前々回記事→「大東島では荷物も人もクレーンに吊るされ上陸する」)、南大東島の漁港に目を見張ったりしたのだが(前回記事→「南大東島の「岩盤掘込み式漁港」が凄い!」)、この旅行における私の主目的は北大東島の「燐(リン)鉱山遺跡」を見ることであった。

北大東島は鳥の糞が堆積してできたグアノ(燐を多く含む物質)が広く分布していたことから、化学肥料の原料となる燐鉱石の採掘によって栄えた歴史を持ち、数多くの燐鉱生産施設が廃墟として残っているのである。

1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:南大東島の「岩盤掘込み式漁港」が凄い!

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西港に聳える燐鉱石貯蔵庫と積荷桟橋

北大東島の開拓が始まったのは明治36年(1903年)のことであるが、燐鉱石の本格的な採掘が始まったのは大東島の経営権を東洋製糖株式会社が取得した大正8年(1919年)である。

その産出量は第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)にピークに達し、戦後も米軍によって採掘が続けられたものの、品質の低下と鉱床の枯渇によって昭和25年(1950年)に閉山した。

島の北西部に位置する西港(にしこう)の周辺には、燐鉱石の貯蔵庫をはじめ、積荷桟橋や船揚げ場など、燐鉱生産に関する施設が集中して残っており、そのうち状態の良いものは国の有形文化財に登録されていたりもする。

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西港に到着するフェリー上からもその一部が見える
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一番目立つのが「旧東洋製糖燐鉱石貯蔵庫」(国登録有形文化財)の石造壁体だ

石灰岩の石積と鉄筋コンクリートによって築かれているこの建物は、島内で採産出された燐鉱石を集中的に貯蔵しておくための施設である。約40メートルにも及ぶ石造壁体はとても長大かつ立派なもので、北大東島を象徴する存在だといえるだろう。

ただ、長年の風化に加えて近年の台風により一部が崩れてしまったらしく、修復の足場が組まれていて少々痛々しい感じだ。近いうちに本格的な工事に入るのかもしれない。

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案内板には往時の写真もあり、現存するのは一部にすぎないことが分かる

当時は石造壁体を覆うように二階建ての建物が存在しており、二階部分から燐鉱石を搬入して貯蔵。一階部分に設けられている四本のトロッコ軌道で積出港へと搬出していたようだ。

限られた土地を巧みに利用して築かれた、他に類を見ない独特な構造の建造物だったことだろう。

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よく見ると石灰岩の岩盤を取り込んで築かれており、非常にワイルドな建物である
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背面はコンクリートで補強されているが、かなり痛みが激しいようだ
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燐鉱石貯蔵庫を貫通していた四本のトロッコトンネルも残っている
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やはり風化が進んでいるが、これはこれで滅びの美学が感じられる
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トンネルの内部は思わぬ美しさで息を呑んだ

いやはや、実に素晴らしい廃墟っぷりである。コンクリート造のトンネルが四本並ぶという特異な構造に朽ち果て倒れた柱や瓦礫が相まって、不思議な非日常感を醸し出している。これはいきなり凄いモノを見せてもらったぞ。

また旧燐鉱石貯蔵庫の側には搬出した燐鉱石を船に積むための積出港が現存しており、こちらも「旧東洋製糖燐鉱石積荷桟橋」として国の有形文化財に登録されている。

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岩盤の上に鉄筋コンクリートで築かれている桟橋……というか、岸壁というか
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じょうご状のホースで荷役していたことから「象の鼻」とも呼ばれていたそうだ
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桟橋の上部には二本の溝が設けられており、トロッコ軌道を引き込む構造だ
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現在は道路の掘削で分断されているが、元は燐鉱石貯蔵庫と繋がっていたのだろう
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鉄製のレールや木製の基礎も一部が残っている

うーむ、この積荷桟橋もまたなかなかに良いものである。潮風と高波にさらされボロボロになりながらも、広大な海に面して屹立するその孤高っぷりには心打たれるものがあるではないか。北大東島の燐鉱山遺跡、これは期待を上回る凄さのようだぞ。

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船揚げ場の巻き上げ機とドライヤー建屋跡

積荷桟橋の北側にはスロープ状の船揚げ場が設けられている。このエリアもまた、なかなかに野性味あふれるダイナミックさで心を引き付けるものがあった。

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岩盤を削り、コンクリートで覆っている(が、下部は剥がれてしまってる)
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その上部に巻き上げ機が置かれたままになっているのだが――
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その錆具合が素晴らしすぎて、芸術作品のようだ
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常に潮風にさらされているとはいえ、ここまで錆びるものなのか
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錆の上に錆が堆積しており、ミルフィーユ状になっている
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ワイヤーも錆びに錆びて、ドラムと癒着してしまっているではないか!

いやはや、これには驚かされた。まるで錆によって固められているかのようで、鉄の化石というか、なんというか。

船揚げ場はスロープ状なので潮風が上がってくるのか、あるいは台風の高波にさらわれるのか、船揚げ場の上部は建物の風化がとりわけ激しく、荒涼とした雰囲気が漂っている。

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概ね瓦礫と化しており、まさに「遺跡」といった雰囲気だ
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ぽっきり折れたコンクリートの柱が、基礎ごともげて横倒しに
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これは洗面台かなにかだろうか、今はもう見る影もない
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あの煉瓦の塊は……かろうじて建物の体を成しているようだ
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燐鉱石を乾燥させる、ドライヤー建屋の跡らしい

煉瓦というと耐火性が必要な建物に用いられることが多いが、大型のドライヤーで燐鉱石を乾燥させていた施設とのことで、なるほど納得である。

かなり痛々しい状態ではあるものの、特に立ち入り禁止とかではないようなので、ちょっとだけ中を覗いてみることにした。

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アーチ天井の細い通路で、なんとなく軍事要塞っぽい雰囲気もある
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右に部屋があるようなので屈んで出てみると――
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崩れた円形の窓が開いており、幻想的な情緒を醸していた
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あの転がってる塔のようなものは、おそらくドライヤー建屋の煙突だろう

ちなみにこのドライヤー建屋は原型を保っている部分が少ないためか、有形文化財にはなっていない。保存措置はせずに、このまま時の流れに任せる方針なのだろう。朽ち行く建造物に思いを馳せつつ、瓦礫が散乱するドライヤー建屋を後にした。

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その近くにある、トイレだけはなぜか完全な状態で残っていた
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西港の周囲に残る石造の建造物群

燐鉱生産施設が密集する西港の近くには、燐鉱山の運営に関する建物が数多く残っている。いずれも石灰岩で築かれおり、なかなかにカッコ良いたたずまいなので紹介しておきたい。

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西港の周囲には古い石造の建物が数多く残る
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ひと際オシャレなこの建物は「旧東洋製糖北大東出張所」(国登録有形文化財)だ

このモダンな建物は事務所と売店が入っていたそうで、燐鉱事業の拠点であったという。かつては天井が抜け落ちた廃墟であったが、現在はキレイにリノベーションされており、「りんこう交流館」という施設として活用されている。中では居酒屋も営業していて、島民の憩いの場になっているそうだ。

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周囲には他にも石造りの廃墟が多く残る。これらは倉庫だったようだ
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こちらは現在も人が住んでいる住宅(国登録有形文化財)である

戦前に漁師の元締めをしていたというこのお宅。まるで城郭のような立派な石垣が特徴的だが、かつては住居としてのみならず、魚市場やマグロ節の加工工場としても利用されていたらしい。元締めともなると庭先で魚を売るものなのだ。

鉱山社宅にルーツを持つ、北大東島の集落

西港に面した高台には港集落が形成されているのだが、実はこれらの家々は燐鉱山を運営していた東洋製糖株式会社の社宅として築かれたものが多かったりする。

サトウキビ栽培が主要産業である南大東島では、島の内陸部にある製糖工場の周囲に中心集落が形成されていた。北大東島もまた現在の主要産業はサトウキビであり、こちらも内陸部にある製糖工場の周囲に集落が存在する。……のだが、北大東島ではかつて燐鉱業で栄えた歴史を物語るように、製糖工場の集落よりも鉱山社宅にルーツを持つ港集落の方が今もなお賑わいを見せている。

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鉱業時代当時の石垣が連なる港集落
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そこに建つ、一見すると長屋のようなこの建物は、医師の住宅だったそうだ
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現在、二六荘という民宿の受付になっているこの建物も、かつての社宅である
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二六荘の宿泊棟のひとつであるこの建物は社員倶楽部(娯楽兼宿泊施設)であった

北大東島には宿泊施設がふたつしかないのだが、そのうちのひとつがこの二六荘である。中でも水色に塗られたこの建物は昭和15年(1940年)に大阪から移築されたもので、国登録有形文化財である。

文化財に宿泊できるという下心もあって、私は二六荘のお世話になることにしたのだが、宿泊棟は他にもいくつかあるようで、残念ながら私の部屋はこの隣の建物であった。宿泊施設が少ないこともあって、工事関係者など宿泊客はかなり多く、宿は結構な混み具合であった。

集落内に残る、共同浴場の遺構が面白い

また港集落には社宅の他にも共同浴場の跡が二箇所に残されている。いずれも鉱山運営が始まった大正時代に築かれたもので、どちらもやはり国の有形文化財に登録されている。

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鉄筋コンクリート造の「旧東洋製糖社員浴場風呂場」
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いちおう文化財なワケだけど……内部はえらいことになっていた

うーむ、廃虚と化して久しからず、現在もなお手付かずのまま放置されているようである。文化財なのだから内部の片付けぐらい……と思ってしまわないこともないが、集落のかなり奥まったところにある浴場遺構ということもあって、私のような好き者でもない限りわざわざ見に来る人は少ないのだろう。

「りんこう交流館」のように活用できる見込みがないからこのような状態なのだろうが、まぁ、こういういかにもな廃虚の方が雰囲気あるし、これはこれで良いのかもしれませんな。

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こちらは集落の外れにある「旧東洋製糖下阪浴場風呂場」
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天井が抜けてしまっているが、そのおかげで平面構造がよく分かる
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注目すべきは浴場の背後にある水取場と貯水タンクだ

南大東島と同様、北大東島は珊瑚礁が隆起してできた島だ。島全体が石灰岩で覆われており、水はけが良すぎるので雨水はすべて地中に染み込んでしまう。海水を淡水化する技術が導入されるまでは、水の確保が極めて切実な問題であった。

この浴場では背後の斜面にモルタルを塗り、その下部に二基の貯水タンクを備えることで雨水を貯めて風呂の水を確保していたのである。水資源に乏しい離島ならではの工夫である。

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降った雨水はモルタルの斜面を伝い――
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この穴から貯水タンクへと流れ込む仕組みだ

二基ある貯水タンクのうち、ひとつは屋根が抜け落ちて底に草が生えてしまっているが、もうひとつは当時のまま屋根も残っている。ボイラー室側の取水口から内部を覗いてみると、そこにはちゃんと水が溜まっていた。大正時代に築かれた取水システムが、今もなお機能していることに感動を覚えた瞬間である。

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燐鉱石採掘場跡でプチ・アドベンチャー

最後は燐鉱石を採掘していたその跡地を見ておきたい。北大東島での採掘は地表を掘り込む露頭掘りであったのだが、その多くは埋め戻され現在はサトウキビ畑になっている。

しかしながら、港集落から少し南へ行ったところにある玉置平採掘場だけは埋め戻されておらず、現在も採掘の痕跡が確認できるようだ。

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サトウキビ畑の奥に見える、木々がこんもり茂った部分が採掘場跡である
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おぉ、確かに地面が深く掘り込まれているが……すっかりジャングルと化している

採掘場跡は単なる穴ではなく、細い谷が複雑に入り組んだ形状となっている。より品質の良い鉱床を求めて掘り進んだ結果、このような地形になったのだろう。資料によると、この採掘場のどこかにトロッコのトンネルがあるとのことで、ぜひともこの目で見てみたいものである。

しかしながら閉山から現在まで長らく放置されていただけに植物がびっしり生い茂っており、谷の上からでは谷底を見通すのは不可能だ。とりあえず、谷底へと降りられそうな場所を探すことにする。

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お、ここからなら下りられそうだぞ
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まさしく人工的に掘り込まれた感のある地形である
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さらに下りて行くと……ガジュマルの根により行く手を阻まれた!

人ひとりが通れるくらいの狭い通路を通せんぼするガジュマルの根。手でこじ開けようとしてもびくともせず、まるで鉄格子のようである。なんてこった。ここさえ抜けられれば広い空間に出られそうだというのに。

そのあまりに露骨な妨害っぷりは、アドベンチャーゲームなら何かアイテムを入手したり、イベントをこなしたりしたら通れるようになるタイプであろう。……が、残念ながら現実ではそうもいかないようだ。

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しょうがないのでガジュマルの隙間からカメラを出して先を撮ってみる

ほら、やっぱり谷底まであと少しのところであった。しかも谷筋はさらに奥へと続いており、右奥にはトンネルっぽい暗がりも見えるではないか。

回り道を探そうにも、今の私は細い谷間に閉じ込められている状態である。谷の上まで戻り、別の下りられる道を探すしかないのだが……実は帰りのフェリーの時間が迫っており、そろそろ戻らなくてはならないのだ。……ぐぬぬ、無念の撤退である。


唯一無二の北大東島燐鉱山遺跡

とまぁ、多少の心残りがないわけではないが、北大東島の「燐鉱山遺跡」を一通り見て周ることができ、個人的には大満足だ。

国内に唯一現存する燐鉱山遺跡ということもあってその一帯は国の史跡にも指定されており、北大東村によると史跡公園として整備する計画もあるようだ。将来的には散乱する瓦礫や崩れかけた建物の撤去により景観が変わったり、あるいは現在は自由に見学できる場所も立ち入り禁止になったりするのかもしれない。

……が、まずは台風や経年で損壊した部分の修復が先だろうし、島ののんびりとした気風を見る限り、まぁ、しばらくは現状のまま変わらないのかな。

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余談であるが、北大東島を散策中に見かけた光景
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あ、バンクシー! 北大東島にも来てたんだ(笑)

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来たる2019年8月12日(月)のコミックマーケット96に「閑古鳥旅行社」として参加します。配置は「西地区 "て" ブロック 21b」です。前回の冬コミに続き二回目の参加です。

新刊は私が2012年に歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のうち、フランスの「ル・ピュイの道」についての本です(ル・ピュイの道についてはこの記事をご覧ください→「フランスの田舎を歩いた一ヶ月(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼前編)」)。全ページフルカラー、写真もりもりの「眺めて楽しめる本」を目指して作りました。

また後日に通販も予定しております(→閑古鳥旅行社-BOOTH)。コミケに足を運べないという方は、通販をご利用頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
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