そもそも銭湯の「鏡広告」のことを意識したことがなかった
私がたまに店番をしている大阪・此花区にあるミニコミ専門書店「シカク」。いつものように仕事をしていたら、店長のたけしげみゆきさんに「うちで今度『鏡広告』出すんですよー!いいでしょ!」と言われた。鏡広告……?何それ!
聞くところによると、シカクのすぐ近所にある銭湯・千鳥温泉が、古くなった浴場の鏡を取り換えようと業者さんを探していて、銭湯の鏡を専門に扱っている広告社を見つけた。鏡も取り換えてくれるし、希望すれば鏡広告も制作してくれるという。そこで、そんなことを面白がりそうなシカクに「広告出してみませんか?」と声をかけたそうなのだ。
鏡広告というものを、この時、私は初めて意識したかもしれない。もちろんこれまでの銭湯経験の中でそれを目にはしていたので、話を聞いたらすぐに「ああ、あれのことですか!」となったのだが、あそこに誰がどうやって広告を出しているのか、そしてどんな会社がそれを受注しているかなんて考えたこともない。
しばらくしてできあがったのがこちら。
いい感じだ。できあがりももちろんだけど、何がいいって、この広告が銭湯の鏡に出されたものだというところ。この広い世界のこの場所でしか見ることができない。しかもこれを見る人は体を洗ったりしながら裸で対峙するのだ。その不思議さもいい。
なんだかうらやましくなっていたところに、千鳥温泉が引き続き鏡広告を募集するという話を聞き、慌ててデイリーポータルZの広告を出稿させて欲しいとお願いした。そして、その広告が実際にどんな人によって制作されていくのか、その過程も取材させてもらえることになった。幸運だ。
銭湯の鏡広告を専門「近畿浴場広告社」にたどり着くまで
まず初めに、広告の原稿を作る必要がある。前述のシカクの広告原稿を参考例にしつつ、デイリーポータルZの古賀及子さんが用意してくれた原稿がこちら。
本来であればこの原稿を千鳥温泉に渡し、そこから先はお任せすることになるのだが、今回は、これを受け取った千鳥温泉が広告社に発注をかけ、さらにそこから職人さんの方に制作を依頼するところまで同行させてもらう。
まず紹介しておこう。この男性が千鳥温泉の店主・桂秀明さん。
桂さんが店主を務める千鳥温泉は、大家さんが銭湯の施設を貸し出し、借りた人がオーナーとなって経営するという形をとっている。2017年になって前のオーナーがやめることになり、借り手がいなくなりかけていたところに近所に住んでいた桂さんが手をあげた。桂さんはそれまで長くサラリーマンをしてきたが、その会社をやめ、まったく未経験の銭湯業界に突然飛び込んだのだ。すごい勇気だ。
ちなみに千鳥温泉はこんな雰囲気。
桂さんは、すっかり古くなって綺麗に映らない浴場の鏡を張り替えたいと考えていた。浴場にある鏡の一枚には、こんな風に「近畿浴場広告社」という広告社の広告が出ていた。
「ここに頼めば鏡を取り換えてもらえるのでは?」と思った桂さんは、書かれた電話番号に電話してみた、が、つながらない。かなり古い広告だし、「きっともう廃業してしまったんだろう」と思ったという。
それからしばらくして、銭湯関係者に毎年配布される「浴場組合」の最新の名簿を見ていたら、「近畿浴場広告社」の連絡先が載っているのを見つけた。
「え!まだやってるんだ!」と驚いたという。不通だった電話番号は古いものだったらしく、名簿の番号にかけてみると無事つながり、鏡の取り換えも、また、新たな広告の制作も受けてくれることがわかった。そうしてミニコミ書店「シカク」の広告が作られたのは前述した通りである。
と、そんな経緯で桂さんがたどり着いた「近畿浴場広告社」に実際に伺うことに。大阪府八尾市、住宅街の中の一軒が目的地だ。出迎えてくれたこちらの方が「近畿浴場広告社」を営む江田ツヤ子さんである。
鏡広告の歴史について教えてもらう
原稿についてのやり取りの前に、まずは江田ツヤ子さんに銭湯の鏡広告についての話を伺う。江田さんは現在82歳になられるそうで、この道およそ50年。もともとは、夫である江田秀明さんが1960年頃に始めた銭湯専門の広告社を手伝っていたが、その江田秀明さんがガンを患って長い闘病生活に入り、徐々に一人で仕事をこなすようになっていった。
香川県の坂出市出身の江田ツヤ子さん、高校を出て東京に働きに出ていたところ、両親が仕事でお世話になっている人を通じて縁談を持ちかけられたという。東京でバリバリ仕事をこなし、「男の人なんかうっとうしいぐらいでした」と、結婚する気などさらさらなかったツヤ子さんだったが、親のメンツもあるし、「喫茶店かどこかで会うてコーヒーだけ飲んで帰ったらいいんやろ」と渋々お見合いをすることに。
お見合いの行われる大阪に普段着で向かったところ、「着物持ってへんの!?それはあかん!」と、そこにあった着物を無理矢理着せられてお見合いのお相手といざ対面。「着物が暑くて汗かいて、とにかく出されたお茶を飲んだんですわ。そしたら、その相手を紹介してくれた人に『よし、気に入ったんやな!』いわれて」と、私は知らなかったのだが、「お茶を飲んだら相手を気に入ったという合図」という符丁が昔のお見合いにはあったのだそうだ。結婚相手となる江田秀明さんもそんなことをまったく知らずにお茶を飲んでいたらしい。
とにかくそうやって「お互い気に入った」ということにされた二人。「あくる日、主人が難波に連れて行ってくれたんですけど、飲み屋ばっかり何軒も連れていかれますねん!呑み助でねえー!あんまり男前でもないし、ガニ股だし、うーんと思たんですけど、なんでか結婚することになりまして。3日会っただけで結婚して、みんなに驚かれました」とのこと。そしてツヤ子さんは東京の仕事を辞めて大阪に引っ越してくる。
それが1964年のこと。その頃、江田秀明さんはすでに「近畿浴場広告社」を立ち上げ、銭湯の鏡専門の広告社をせっせと切り盛りしていたという。当時は大阪府だけで銭湯がおよそ2,500軒もあったらしい(現在は380軒ほど)。近畿浴場広告社の主な取り扱いエリアだった東住吉、平野だけでもそれぞれ70~80軒近い銭湯があったそうで、その銭湯の一つ一つに十数枚の鏡があって、そこに出す広告が次々入れ替わるような状況だったからそれは忙しかった。当時、鏡広告を扱う会社は他にも10数社あったとのこと。
全盛期は会社に15人ほどの社員がおり、営業チームが銭湯や近隣にできた新しい病院などに「広告出しませんか」と営業をして歩き回り、注文を受ければ急いで広告を制作し、それを取り付けにいくという日々だったという。浴場の洗い場の中でも、入口から近い場所と隅の方とでは目立ち方が違う。いい場所の鏡は取り合いになり、「ここに広告を出したい!」「そこはうちが出す約束だ!」「じゃあうちは脱衣所の方の鏡だ!」と大繁盛だったそう。
しかし時代とともに銭湯離れが進み、広告は全盛期のようには売れなくなっていく。さらに、江田秀明さんがガンを患って入退院を繰り返すような状態になると、社員を雇うことができなくなり、当初はお手伝いとして会社をサポートしていたツヤ子さんがいつしか一人で作業をするようになっていた。
江田さんの仕事場を見せてもらう
夫の江田秀明さんが亡くなったのは今から7年前のこと。一人で働き続けてきたツヤ子さんもさすがにそのタイミングで廃業しようと考えた。しかし、長くお世話になった銭湯組合の部長さんや取引のある銭湯の店主から「江田さんが元気なうちはこっちも頑張るから続けて欲しい!」と応援の言葉をもらい、現在も仕事をしている。結婚した時は夫の仕事を「鏡を売る商売なのかな?」ぐらいにぼんやりとしか知らなかったツヤ子さん。「まさかこの歳になってもジャンピング持って歩くとは思いませんでしたわ」と笑う。
「ジャンピングって何ですか!」と聞くと、キリのような道具で、タイルにネジ穴をあける際に使うものだとのこと。最初に小さな穴を開け、それからドリルでネジ穴を作らないとタイルがひび割れしてしまうんだそうだ。
そういった道具が保管してあるという仕事場を見せてもらう。全盛期の近畿浴場広告社は今とは別の場所にあったが、そっちは閉めてしまい、今は江田さんの住まいの一部屋に一部の道具を持ってきてある。
過去に制作された鏡広告の原稿がたくさん保管されている。
今の鏡広告は鏡にプラスチック版を貼りつける形で作られているが、昔はガラスに直接ペンキで文字を書いていたという。ガラスの裏側から字を入れるのでこれを「裏書き」と呼んだそうだ。
書き終わると、このような一度に何枚もの鏡を乾かせる道具に立てかけて干す。
で、乾いたら文字の上から地の色を塗り重ねてできあがり。ツヤ子さんもかつては裏書きをしていたが、どうしても文字がデコボコしてしまい、江田秀明さんがそれを削り取って美しく修正してくれるのがいつものことだったそうだ。
今ではこのようなプラスチック板の上に広告を入れている。
さて、ようやくここで今回出稿したい広告の原稿をツヤ子さんにお渡しする。
ツヤ子さんに「せやけど、この広告、住所が無いですけど、ええの?」と聞かれた。「インターネットなので、住所がなくても検索してもらえたら大丈夫なんです!」と言うと「インターネットねぇ……孫は詳しいんですけど私はようわからん」と、確かに電話番号も住所もない銭湯の鏡広告なんて、変だよなーと思う。
広告のできあがりイメージをざっくり確認し、準備をして今度は広告部分を制作してくれる職人さんのもとへ。職人さんは88歳の方で、ツヤ子さんは「字書きさん」と呼んでいる。天王寺にあるという工房まで、ツヤ子さんの運転する車に乗って連れて行ってもらう。
字を入れてくれる職人さんのもとへ
車の中では、ツヤ子さんが近所の公園にたむろしている中学生たちに「もうそろそろ家に帰りー!」と注意して「うっさいわ!」と言い返されたけど、そんなことを繰り返しているうちにいつしか挨拶し合う仲になった話。趣味のゲートボールの話などを聞く。ツヤ子さんの元気の秘訣は「悪口を言うこと」だそうだ。
たどり着いた「松井工芸」は、近畿浴場広告社がずっと昔から取り引きしている職人さん。
松井さんは、近畿浴場広告社の江田秀明さんが独立する前にいた広告社の同僚だった。それが60年ほど前のことだというから、長い付き合いなんてもんじゃない。
広告ができる過程を見せてもらいに来たという図々しい私のお願いに対し、松井さんが独学で自分なりのやり方を作り上げたというスクリーン印刷の作業工程を説明してくれた。
まず、原稿がこのように完璧にできている場合。
この場合は、松井さんが工房にあるスキャナーで原稿を取り込み、パソコンを使ってそれをフィルムにプリントした上で、シルクスクリーンの版を作っていく。版にスクリーンコートという薬剤を2回重ねて塗り、扇風機で乾かした後、そこにフィルムを重ねる。
そして写真スタジオ用のものだという照明で上から照らし、版に原稿フィルムを焼きつける。
「この光のあて方が微妙やねん。要するに原稿の面積が広かったら、その分、高くから光をあてるから時間がかかるねん。15分ぐらい。原稿が小さかったら、光を近くであてればいいからすぐできんねん。時間が難しいねん。そいで焼けたら今度水洗いするわけや。そしたら光が通らんとこだけスクリーンコートが消えてまうねん」
と、こうしてシルクスクリーンの版ができ、あとは、素材にあわせインクを塗って転写していく。
「江田さん、長い付きあいになるけど知らんかったやろ?結構手間やねん!」「知らんかったわー!こんなしてやってんの?」「スクリーン印刷なら何色でも重ねられんねん!3色でも何色でも。もらえるお金たいして変わらんけどな!ワハハハ!」「そしたらやるだけ損やねー!アハハ」
二人のやり取りが最高である。
松井さんの手書きで文字を入れてもらえることに
このようにして、松井さんの工房では銭湯の鏡広告や注意書き看板などの印刷、企業から依頼されるノボリやタスキの制作などを行っている。原稿がカチッと決まっている場合はスキャンして、フィルムをプリントして、という行程になるのだが、例えば私が用意した原稿のような場合はどうするんだろうか。
「これは文字はゴシックでええの?フォントを指定してくれたら、それをパソコンで打ち込んでフィルムを作っていきますねん」
松井さんは娘さんにパソコンを教わり、すべてご自分で一通りのことはできるのだという。パソコンにインストールされているフォントであればどんなものでも対応できるというわけだ。なのだが、今回、私はできれば松井さんの手書き文字の入った広告にしたいと思っていた。ご面倒かと思いつつそう頼んでみると「手書きでええの?できますよ」とのこと。
今回はデイリーポータルZの広告以外にも、千鳥温泉さんに依頼のあった複数の鏡広告の制作を同時にお願いする予定で、そのほとんどを松井さんの手書きの文字でお願いしたいことを伝えると「そんなにみんな手書きがええの?」と言う。
千鳥温泉の桂さんが「手書きがいいんです!今、そういうのが流行ってるんです!」と言うと、「え!そういうのが流行ってんの!?えー!コンピューターの字じゃなくてか!?」と松井さん。
「ご面倒じゃないですか?」と念を押したが、松井さんは今も習字の先生をやっているほど字を書くのが上手で、手書きの字に味があると言われるのは「すごく嬉しいことや」と言う。それを聞いて安心した。
「パソコンの文字はな、たしかに垢抜けはしてんねん。でもな、味が無いねん」と松井さんが言う。桂さんが「松井さんもやっぱりそう思ってはったんですね?」と返すと、「実はな、そう思っとったんや(笑)」とのこと。
そこで改めて、たくさんの原稿の一つ一つについて「この文字は赤で、ここはお任せで」とイメージを伝えていく。
私の伝えたぼんやりしたイメージについても「Zの一文字だけ赤いうのがええな。その方が目立つわ。あとは黄色の字に黒、これが一番目立つねん」と、アドバイスをしてれる。頼もしい男、それが松井頼男さん。
松井さんは若い頃、梅田にあった看板屋さんで仕事をしていて、そこでは主に板に地の色を塗る作業をしていた。それが乾くと文字入れの職人さんがそこに字を書いていく、その職人さんの姿を見て憧れ、自分も「字書き」を志すようになったのだとか。
習字は子どもの頃から大好きで、学校で「書き方」の授業があると、前の夜は眠れないほど楽しみだったんだそうだ。松井さんが上手に字を書くと先生がいつも自分の席で立ち止まって「ふむ、綺麗に書けとる」と、その字を生徒みんなに見せる、それが心から嬉しかったんだという。
ちなみに、松井さんは看板屋さんに入る前は自衛隊にいたそうで、ラッパを吹く係をずっとやっていたという。「施設科」に属する隊員たちがスコップで迅速に地面に穴を掘る訓練をしているところ、松井さんはラッパ専門。そのラッパが上手で有名で、普段は就寝前に1回だけ吹く規則になっているのに、隊員たちがアンコールをするので松井さんだけ特別に2回吹いてよかった。隊員たちはみんな就寝前の松井さんのラッパを楽しみにしていたんだとか。
そんな話をたくさん聞き、工房を後にした。「江田さん、ありがとうな!僕もあと2、3年は頑張るわ!」「2、3年ならお付き合いしますわ」という二人のやり取りが心に残った。
そしてついに鏡広告が完成した!
で、それから2週間ほど経って、千鳥温泉の桂さんから連絡がきた。「広告が完成したそうです!後日、江田さんが取り付けに来てくれるそうです」という。ワクワクしてその日、開店前の千鳥温泉にお邪魔した。
しばらくして江田さんが車でやってきて、今回依頼したたくさんの鏡広告を運び入れてくれる。
デイリーポータルZの鏡は……。
こちらが松井さんが作ってくれたフィルム。
手際よく作業をこなしていくツヤ子さん
ツヤ子さんは、引き続き今回制作が完了した鏡広告を次々と取り付けていく。
千鳥温泉のタイルは質の高いものを使っているからその分硬くて、穴を開けるのが大変だとツヤ子さんは言っていた。
ガラスに直接文字を入れていた「裏書き」の頃から時が流れてプラスチック板に広告を転写する時代に変わり、楽になった部分ももちろんあるのだが、プラスチック板にもそれ特有の手間があるという。
掃除をする際にタワシなどでこするとインキが削れてしまうので、上からフィルムでコーティングしなくてはならない。松井さんの工房でできあがった板に、ツヤ子さんが一枚一枚フィルムを貼っているそう。気泡が入らないよう細心の注意を払う必要があるという。
江田さんは昨日も鶴見区の銭湯で鏡をたくさん張り替えてきたという。鏡が相当古いものだったので、裏のコーティングがボロボロ剥がれてきて大変だったらしい。
そんな話を私が後ろに立って聞いているうちにも作業はどんどん進み、ついに今回依頼したすべての鏡の張り替えが完了した!
千鳥温泉の桂さんは「これでほとんどの鏡が綺麗になりました!」と喜んでいる。今回、たくさんの鏡広告が入ったが、それによって千鳥温泉は得することなく、マージンなしでほぼ全額を近畿浴場広告社さんにお支払いしたそうだ。
桂さんは「予想以上に好評で、途中でもう少し広告料を高くすればよかったなと思ったんですけど、もう今回の分でほとんど鏡が埋まってしまったんです(笑)」と言う。千鳥温泉では昨年から修繕費がかさんで、コインランドリーの洗濯機や洗濯機にお湯を送る給湯器が壊れ、乾燥機が壊れ、お風呂のお湯を綺麗にするための「ろ過機」が壊れ、と大変らしい。ちょっとでも維持費を稼いで欲しいところだが、そのためには足繁く千鳥温泉に通って風呂上がりに缶ビールを飲んだりするしかなさそうだ。
桂さんは言う。
「今回やってみてわかったんですけど、今、銭湯の鏡に広告を出したいという人はたくさんいると思うんです。大阪の銭湯でも広告のない無地の鏡を使っているところや、古い鏡がそのままになっているところは多いので、そういう銭湯が広告主を募集してみるといいんじゃないかと思います。その売り上げを銭湯の維持費に当てることもできます。それに、そうすれば近畿浴場広告社さんや松井工芸さんにもお仕事がまわって、良いことづくめなんじゃないかと。お二人があまり忙しくなり過ぎないようにしないといけないですけどね(笑)」
鏡の取り付けが完了し、ツヤ子さんが帰っていった後も私はずっとデイリーポータルZの広告をカメラで撮り続けていた。
こんな風にして、時間をかけ、色々な人を介してやっと銭湯に広告が出る。この遠回り感が面白いんじゃないかという気がする。千鳥温泉にふらっと入りに来た人が「ん?デイリーポータルZ……?」と思って、風呂上がりに検索してサイトにたどり着いてくれたらそれほど愉快なことはない。
残念ながら現在は千鳥温泉の男湯にしかデイリーポータルZの広告が出ていないのですが、もしよかったらひとっ風呂浴びがてら見に行ってみてください!
取材協力:
千鳥温泉
https://jitenshayu.jp/
住所:大阪府大阪市此花区梅香2-12-20
電話番号:06-6463-3888
営業時間:14:30~23:30
定休日:毎週火曜日
近畿浴場広告社
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