消えゆくさだめです
道路工事のたびにレールは掘り返される。それは当たり前だ、残っていたところでじゃまに決まっているのだから。そのうちにレールは本当に一本もなくなるのだろう。
このまま長く残してほしい、と懐古趣味的なことをいうつもりはない。消えゆくものは当然に消えゆく。
でも中にはひっそりと残るものもあるだろう。もし今後それらを偶然に見つけることができたなら、少なくともぼくはちょっとうれしい。
東京で、巣鴨から上野まで電車で行くとしたらどうするか。
父に学生時代の話を訊いていて、逆にそう訊かれた。巣鴨から上野までなら、当然に山手線を使うだろう。でも、父の答えはちがった。都電で通っていたのだという。
かつては東京中を都電が走っていた。そういうことは知識としては知っているけれど、なんだか遠い昔話のようで実感がない。
たしかに都電が通っていたという証拠を、いまの東京でなんとか見つけられないか。そう思っていたところ、当時のレールが今でも地面に埋まっている場合があるという話を聞いた。
※2007年3月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
しらべてみると、当時の都電の遺産はいまでも本当にわずかに残っているらしい。
たとえば新橋駅前のこの電信柱は、当時の都電の電線を支えるためのものが残っているのだという。ただ、ぼく自身が当時を知らないこともあり、「この柱が……」といった感慨はあまり湧いてこない。
また、いまの都バスの路線は当時の都電をひきついだものも多いらしい。
たとえば昭和42年ごろに渋谷から新橋までを通っていた都電の6番という系統は、いまでもまったく同じ経路で都バスの「都06」という系統に引き継がれているようだ。
ただ、もうちょっとズバリな都電の遺産がないものか。東京の道路をかつて電車が走っていたという実感が欲しい。そう思って調べていたところ、かつての都電のレールが今でも地面の下に埋まっていることがあるらしいという話を聞いた。
都電廃止の際にレールを撤去せず、上から直接アスファルトを敷いたためだという。すり減ると、レールの形のくぼみが地面に表れることもあるとのこと。
本当にそんなことがあるのか。それを確かめるため、金属探知機を借りてじっさいに道路を調べてみることにした。レールは鉄のかたまりなのだから、地面の下にあれば反応があるはずだ。
果たして見つかるんだろうか。いや、ひょっとしてざくざく見つかったらどうしよう。
道路工事の際に掘り返された都電のレールは、工事をした企業の財産にしちゃう例もあるらしい。もし見つかったらニフティの編集部に一本寄贈することにしよう。
各種資料によると、上野駅前にはターミナルのように何本もの都電の路線が通っていたらしい。
それならレールの一本くらいあまってるのではないだろうか。さっそく行ってしらべてみた。
セオリーによると、アスファルトの地面に浮き出ているひび割れこそが、都電レール跡の重要参考人だという。
あやしいひび割れはないか、2本平行に走っている挙動不審な亀裂はないか。目を光らせる。
ほどなくしてそれらしいひび割れが見つかった。さっそく現場へ急行し、金属探知機による事情聴取を行う。
意気揚々と探知機を動かし、容疑者の自白を待つ。
……が、反応がない。
ひび割れにそって位置をずらして調べても、探知機はまったくうんともすんとも言わない。この探知機が地中の金属にちゃんと反応することは、事前に鉄筋コンクリートで確認済みである。この下には本当に何もないのかもしれない。
探していると、ひび割れのようなものはいくらでも見つかった。ただし、それらを調べてみるとことごとくシロなのだ。
上野駅前のような大きな道路は、改修工事も頻繁におこなわれているのだろう。その際にレールも撤去されているにちがいない。それならばともうちょっと細い道でしらべてみたが、これも結果はダメ。
こうまで反応がないと、この探知機の性能にそもそも問題があるんじゃないか、とも思えてくる。
しかし、たとえば歩道の縁石部分にくるとこの相棒は必ず反応する。おそらく中に鉄筋でも入っているのだろう。それ以外の場所での挙動をみても、こいつはひとまず信頼してよさそうだ。
他の場所はどうだろう。四谷、銀座、新橋などで手をかえ品をかえ調べてみた。
しかしまったくレールは見つからない。
たまに「ピピッ」と探知機が反応することはある。が、ちょっと場所をずらすと反応しなくってしまう。おそらくは道路上の小さな金属片なのだろう。レールならちょっと位置をずらしても必ず横切って反応するはずだ。
やみくもに探しても見つかるものではないのかもしれない。
道路の利用状況を管理する、東京都の建設局の方に電話で伺ってみた。そして教えていただいたのは次の3点。
・都電廃止直後はたしかにレールが埋まっていたが、その後の道路工事でことごとく掘り返され、いまではほとんど残っていない。
・以前は道路台帳にレールの場所が記載されていたが、現在はすでに管理していない。
・どうしても探したければ、芝浦か四谷に行ってみるといい。線路の跡が残っているはずだ。
というわけで、残念ながらレール跡はあちこちに見つかるというわけにはいかないようだ。意気消沈しながらも、教えていただいた芝浦に行ってみることにした。
やってきたのは芝浦の船路橋というところ。田町駅に近い大きなボーリング場のそばだ。
今は工事中だけど、この先には以前まで橋がかかっていて、都電の整備工場へつづくレールが残っていたらしい。もはやレールはほとんど露出していないが、地面を見てみると、たしかに跡が浮き出ているのが分かる。
いまあらためて原稿を書きながら、こんな地味な写真ばかり並んでいて大丈夫なのかという気分になってきた。全体的になんだか灰色なページだ。
でも、でも、これがロマンというやつなのです。いいですよね、ロマン。
しばらく行ったところで、この2本のレール跡はかすれてしまっていた。その先がどうなっているか、探知機でたどることにしよう。
レールの跡が直接にはわかりづらいところでも、ピッピッと音がしてレールの場所を知ることができる(赤くしめした)。場所によってはその音がピピッピピッと4回鳴ることもあった。
この先、このレールはどこまで続くのだろう。
そう思った矢先、探知機の反応は突然とぎれてしまった。
ここからアスファルトの色が違う。おそらく改修工事でこの先のレールはぜんぶ掘り返されてしまったのだろう。
船路橋に残っていたレールは約50mほどだった。
道路工事のたびにレールは掘り返される。それは当たり前だ、残っていたところでじゃまに決まっているのだから。そのうちにレールは本当に一本もなくなるのだろう。
このまま長く残してほしい、と懐古趣味的なことをいうつもりはない。消えゆくものは当然に消えゆく。
でも中にはひっそりと残るものもあるだろう。もし今後それらを偶然に見つけることができたなら、少なくともぼくはちょっとうれしい。
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