入学も視野に入れる
いわゆる白物家電が少ない生活をしているけれど、慣れてしまえば、これと言って不便はなく生活できている。全ては慣れなのかもしれない。一人暮らしだからというのもあるかもしれない。
誰かが「女の子が家に来た時どうするの?」と言った。確かにソファもなく、オフィスチェアと折りたたみの椅子の二脚があるだけ。あまりいい雰囲気にはならないと思う。だから一人暮らしがもう二十年も続いているのかもしれない。またいろいろな家電等に入学したい気もしてきた。
家電というものがある。日常生活を円滑に楽にしてくれるものだ。冷蔵庫や炊飯器、電子レンジなどが家電と言われて思い浮かぶものではないだろうか。新しい生活をする時は必ず買う候補に挙がる。
しかし、そのようなものがなくても生活できるのではないだろうか。縄文時代の人々は家電を使っていなかった。たぶん家電という発想すらなかった。つまり生活できるのだ、家電がなくても。
家電量販店に行くと実に様々な家電が売られている。「家電」量販店だから当たり前と言えば当たり前。新生活が始まるシーズンには一人暮らしに必要と思われる家電がセットでも販売される。いわゆる白物家電のセットだ。
私は一人暮らしをしている。初めて一人暮らしを始めたのはもう二十年ほど前だろうか。母が心配して白物家電を揃えてくれた気がする。確かに実家には思いつくだけの家電は揃っていたので、同じようなものを買ってくれたのだ。ありがたい話だ。
しかし、家電には寿命がある。やがて壊れていく。普通はその度に買い直すことになるけれど、私はそれを「卒業」と呼び買い直すことをやめた。結果、テレビを卒業し、冷蔵庫を卒業し、炊飯器を卒業した。他にもいろいろ卒業した。
私は好んで家電を破棄したわけではない。壊れただけだ。だから全く家電がないわけではない。全然あると言ってもいいかもしれない。パソコンなどはその最たる例でお前は何を見るんだよ、くらいごちゃごちゃしている。
家電の少ない私の生活を記したいと思う。私の朝は一杯のお茶から始まる。温かいお茶だ。家電がないならお湯を沸かすのも大変かな、と思うかもしれない。そんなことはないのだ。あるのだ。
見ればわかるけれど、電気ケトルも使うし、急須ではなくティーバッグだ。家電がない生活をしていると誰かに話すと「丁寧な生活」的なことを言われる。それとは無縁だ。あるものは使うし、なんなら楽したいから丁寧とは真逆にある。
我が家には炊飯器もない。卒業してしまった。ただお米を食べたい時もある。そんな時はどうするかと言えば、お鍋の登場だ。お鍋でもお米を食べることができるのだ。しかも我が家にはIHコンロもあるのだ。
全然丁寧ではないのだ。パックご飯である。とても便利でそのまま15分ほど沸騰したお湯に入れておけば食べられてしまう。便利。とても便利。パックご飯の便利さに感動して、上記のパックご飯の会社ではないけれど、別のパックご飯の工場に見学に行ったほどだ。
電子レンジも今はない。だからパックご飯をお鍋で温めている。電子レンジなら二分で完成するのだけれど、お鍋では十五分もかかる。時間をかけているのだ。だから、ある意味では丁寧な生活なのかな、と思っている。
電子レンジがないと冷凍食品は困ると考えるかもしれない。ただ最近は自然解凍でいいもの多いのでそのような冷凍食品を買うことにしている。やはりこれも電子レンジよりずっと時間がかかるので、ある意味では丁寧な生活なのではないかと思ってはいる。ただ誰も同意はしてくれない。
上記の写真の私の指すところが冷蔵庫を置く場所になっている。しかし、私の家には当然冷蔵庫はない。もう十年以上冷蔵庫はないのではないだろうか。なので基本的にはその日食べるものをその日買いに行く、という生活をしている。
これはなかなかにオススメで、個人単位での食品ロスは起きにくい。その日必要な分だけを買うので無駄がないのだ。自分がどのくらい食べるのかわかっているので、その分だけを買えばいい。お財布にも環境にも優しいのだ。私はそういう人間なのだ、優しいのだ。
冷蔵庫がなくなってから、冷たいものを飲むという習慣はなくなった。ぬるいビールを夏場は飲んでいる。ただ冬場はキンキンだ。私の家の台所は日当たりが悪いので寒い。気温が一桁とかになるので、冬場は台所を冷蔵庫と呼んでいる。
ここまでに記したように私は若干の自然派である。自然解凍だし、常温のビールを飲むしね。だからこそこだわりたい部分もある。それはお風呂だ。毎日入るわけだけれど、お風呂ではもうダメなのだ。シャワーの水圧では足りないのだ。自然を感じたいのだ。
お風呂は海だ。シャワーは波だ。圧が違うから、水圧が。もう痛いほどなのだ。その痛さは水圧の問題だけではない。夏でない時期の海は冷たくて痛いのだ。震える。本当に震える。それは寒いから。自然を感じている。自然派なのだ。天然生活なのだ。丁寧な暮らしなのだ。
嘘です。シャワーとかは卒業していない。先にも書いたように家電が壊れたりして結果的に家電が少ない生活をしているだけで、文明の力なんてダメだ、みたいなタイプではないので家にある便利なものはなんでも使う。もし家にお風呂がなかったら、と思って海に来てみたのだ。
こういうことをするとよりわかる。文明の力って大切だな、って。お湯の素晴らしさを感じる。だって寒いんだもん。あと海水はベタつくんだもん。ベタつきとか気にならないくらい寒かったけどね。
家電があまりないんです、という話をすると「ミニマリストですか?」と返されることもある。全くそんなことはない。私の家はもので溢れている。どうしていいのかわからないほどだ。本と撮影機材が山のようにあるのだ。
家電が少ないだけなのだ。ベッドもソファもないけど。でもパンパンなのだ。パンパンと言えば、トースターも卒業していた。つまり食パンをトーストできないのだ、ということはなく、別にトースターがなくても食パンはトーストして食べている。
少しだけ手間がかかるけれど、家電がなくてもなんとかなることも多いわけだ。先も書いたけれど、私の家にはベッドもない。布団を毎日敷いて眠っている。ベッドは使わない時(日中)に場所を取るので卒業したのだ。
いわゆる白物家電が少ない生活をしているけれど、慣れてしまえば、これと言って不便はなく生活できている。全ては慣れなのかもしれない。一人暮らしだからというのもあるかもしれない。
誰かが「女の子が家に来た時どうするの?」と言った。確かにソファもなく、オフィスチェアと折りたたみの椅子の二脚があるだけ。あまりいい雰囲気にはならないと思う。だから一人暮らしがもう二十年も続いているのかもしれない。またいろいろな家電等に入学したい気もしてきた。
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