千葉県一周は時間がかかる
純粋に千葉を一周するだけなら、2日ほどでできてしまう気がする。
しかし、いままであまりにも近すぎて、知ってるようで本当はよく知らなかった千葉のことを、観光しながら回るとたぶん1週間あっても足りないのではないか。
千葉の奥深さよ。
「千葉県は島である」という。これは、千葉県の県境がすべて川の上にあり、隣の都県と地上で接している県境がないから……というのがそのわけだ。
地図で確かめると、なるほど千葉の県境はほとんど川の上にある。しかし、一部県境が川の上にないところもある。
千葉の県境は一体どうなっているのか。実際に、この目で確かめたい。というのは宿願でもあった。
県境ファン西村のピザ屋のバイクで千葉の県境をぐるっと一周記
【プロローグ】千葉の県境を一周して実物大のチーバくんをえがく
【第1回】ディズニーランドの目の前は境界未定地?
【第2回】運河と醤油と蒸気船、そして最北端
【第3回】千葉にある茨城と茨城にある千葉
県境マニアの間では千葉の県境のすごさについては、いつも話題になっていた。
千葉の県境がなぜすごいのか。それは「日本で唯一、乗り物を使って県境を一周できる県」というところにある。
ちょっと考えてみてほしい。日本に47ある都道府県のうち、その本体部分が島となっている北海道と沖縄をのぞいた、県境のある45都府県のうち、自転車、バイク、車などの乗り物を使って県境と海岸線をなぞるように一周できるのは千葉県しかない。
県境のある部分は、浦安から関宿までの江戸川の部分と、関宿から銚子までの利根川の部分であり、あとは九十九里から房総半島の先をグルっと回って、館山、木更津、千葉、船橋、浦安までは海岸線である。
山の上にある県境には、県境に沿った道がかならずあるわけでなく、あってもけわしい山道であり、車は乗り入れできない。素人がふざけて行くと、怒られが発生しかねない。
しかし、川の県境は、たいてい川に沿って道路がしかれており、とくに千葉は、堤防にそってりっぱな道路が整備されている部分がおおい。
先日、テレビ番組で、浦安から銚子まで江戸川と利根川をボートで航行し、千葉の県境を確かめるという趣旨の番組を放送していたが、そのまま銚子から浦安まで海岸線に沿うように行けばきれいに千葉を一周できたはずだ。
県境好きを自称するぼくにとってこの「千葉県一周」は、宿願でもあった。
昨年の夏、いよいよ千葉一周でもするか、と思ったタイミングで、くそデカ台風が二度も千葉をおそい、それどころではない状況となった。さらに、今年の春は疫病がはやり、なかなか出かけるチャンスをつかめないでいた。
まえおきが長くなってしまっているが、もうすこし続ける。
千葉県オフィシャルのキャラクターとして「チーバくん」というキャラがいる。
チーバくんは、さまざまな媒体で千葉をピーアールするために活躍しているが、その姿は、千葉県をかたちどったものであることは有名だろう。
お気づきの方もいるかもしれない。そう、GPSロガーを持って、GPSログをとりながら県境と海岸線に沿って千葉県を一周すれば、GPSで実物大のチーバくんを地図上にえがくことができるのではないか。
そんなことを思いついたので、実際にやってみたのがこちら。
ただ漫然と一周しただけではなく、口とベロ、鼻先、目、耳、腕の部分を、実際のイラストに近づけるようがんばった。GPSデータをGoogle Mapにインポートしたものもご覧頂きたい。
これを描ききる、つまり千葉県を一周するのに、5日かかった。
さて、千葉県をどうやって一周するか。
ぼくは原付免許しかもっていないので、その選択肢は徒歩か原付バイクのどちらかしかない。
千葉県は一周で、おおよそ500キロ〜600キロぐらいある。徒歩だと、ぼくの体力などを勘案し、多めに見積もって30日ぐらいかかる計算になる。
歩いて回るのもいいけれど、ぼくはかねてよりピザ屋のバイクを1週間ほど借りて旅行に使ってみたいと考えていた。
幸い、ピザ屋のバイクがレンタルできるということは、すでに当サイトでも記事になっている。
一週間の予定で予約し、ピザ屋のバイクを借りた。
ピザ屋のバイクは、むかし、巣鴨でピザの宅配のバイトをしていたころに使っていた。実に20数年ぶりに乗る。
このタイプのバイクのいいところは、収納力がめちゃくちゃあるうえに、屋根とワイパー付きなところだろう。ちょっとぐらいの雨ならまったく問題ない。
バイクは、雨が降るとたちまち乗る気が失せてしまうが、ピザ屋のバイクはそんな心配もいらない。なぜみんなこれに乗らないのか不思議なほどだ。
というわけで、スタート地点とぼくが勝手に決めた東京ディズニーランドの端っこにやってきた。
ディズニーランド、恥ずかしながら一度も行ったことがない。近くに来たのも10年ぶりぐらいかもしれない。
めちゃめちゃ風が強い日だったので、風と波、たまに行きかう車のエンジン音ぐらいしか聞こえないが、すべての音が「ゴー」だった。
建物や道路がやたらでかくて立派なわりに、ひとの気配がまったく感じられないので、ゴーストタウンのおもむきがつよい。ディズニーランド、外側はこんなものなのか?
堤防の向こう側を覗くと、日本海と見まがう灰色の空と海。カラスが所在なさげに佇む。景色が演歌だ。
とても夢の国がある地区とは思えないが、ここが千葉県一周のスタート地点である。
舞浜地区を抜けて、旧江戸川に沿って北上していく。
浦安は古くから漁撈をなりわいとしていたひとたちが住んでいたことをおもわせる町並みが、川沿いに続く。
浦安のまちをぬけ、さらに北上すると、こんどは行徳の古い町並みが続くエリアに代わる。そこをすぎると、江戸川と旧江戸川の分岐点に到着する。
現在、ぼくは千葉県側を県境のある川に沿って北上しているわけだが、ここでいちど県境がとぎれる。
東京都に、都県境が未定の場所は3箇所あるが、そのうちのひとつがここだ。
「河原番外地」と呼ばれるエリアには、野球場や国土交通省の河川事務所などが存在している。いちおう、上の写真に写っている野球場は市川市となっているが、どの部分が県境なのかは確定していない。
今回、千葉県を一周するにあたり、こういった千葉の県境に関するスポットを、浦安から関宿、銚子にかけていくつか巡ったのだが、これに関しては、『ピザ屋のバイクで行く千葉のふしぎな県境(仮)』として、稿を改め、記事化したい。
河原番外地に関しても、そちらで詳しく紹介することとして、先を急ぐ。
朝10時まえに自宅を出発してから、浦安、河原番外地とたった10数キロしか移動していないが、時刻はすでに昼過ぎ、13時ごろ。次の目的地、矢切の渡しについたときはすでに14時になっていた。
矢切の渡しは、東京側の葛飾区柴又と千葉側の松戸市矢切を結ぶ渡し船である。観光目的で乗る人が多いと思うが、柴又側から乗るひとがほとんどだろう。
ぼくも、柴又の帝釈天まで行ったことは何度かあったものの、矢切の渡しを使って県をまたいだ移動はしたことがなかった。
いつもは帝釈天裏の土手の上、寅さんで言うと、さくらがよもぎ摘みをしているあたりから、松戸を眺めるばかりで、そんなときの松戸の景色は、ヴァーラーナシーのガート(沐浴場)から眺めるガンジス川の対岸のように、なにもない。まさに「彼岸」といった雰囲気がある。
しかし、実際に松戸側へきてみたら、だだっ広い畑が広がっていた。
松戸がガンジス川の向こう側のように見えていた原因は、畑だった。
そして、矢切の渡しは、強風のため休航していた。
時刻はすでに15時をすぎた。今夜、どこでどうするのかを考えなければいけない。今回の千葉一周に関して「無理をしない」と決めている。無理をして事故ったりしたら、チーバくんどころではない。最悪、野宿できるよう、テントなど一式はそろえてきたが、まず宿泊できる場所をスマホで探す。
流山おおたかの森駅前にちょうどよいビジネスホテルがあったので、初日はここに泊まることにした。
もしかしたら、千葉にわざわざ泊まるのは初めてかもしれない。東京からだと、千葉の観光地は日帰りで行くことが多く、今の今まで宿泊したことがなかった。
2日目の朝である。今日はチーバくんの鼻先部分を描くことになる。チーバくんの鼻先を、なるべく引き返さずにどうやってえがいたらよいか考えたところ、主に、千葉県野田市と関宿町をぐるりと周るコースを考えた。
チーバくんの鼻先、本来なら真っ黒に塗りつぶすべきというのはわかる。しかしそんなことは無理なので、千葉県の県道3号線を2回走ることで、鼻と体を分ける線をえがくという方法だ。
朝、流山市のホテルを立ち、旧流山橋と運河を見物しつつ、野田市に向かう。江戸川の県境を左手に土手を北上していくと、目の前に突如巨大な工場が出現し、住宅街に入り込んでしまう。さらに進むと、こんどは黒塀の立派なお屋敷が出てきた。明らかに他の宅地とは雰囲気が違う。これは「上花輪歴史館」という施設らしい。
実はこの施設、キッコーマン創業者の高梨氏の屋敷跡を歴史資料館に改造したものだった。さきほど土手の上から見えた巨大な工場は、キッコーマンの工場で、上花輪は、キッコーマン創業の地らしい。
中をじっくり見物したのだが、これも別稿で改めて紹介するとして、上花輪からは、茨城県と千葉県の県境となる芽吹大橋を目指す。
空模様があまりよくなく、雨がパラパラと降ったりやんだりの天気であったものの、屋根付きのピザ屋のバイクは雨なんかではビクともしない。ワイパーを意味もなく動かしたり動かさなかったりして、ピザ屋のバイクを満喫する。これは楽しい。
ただひとつ、エンジンの振動がすごく、お尻が麻痺してきた。適宜立って休憩しないとどうにかなってしまう。そのうち芽吹大橋に到着。
せっかくなので、橋上の県境を記念撮影しておく。
さてここからは、利根川の県境を右手に関宿町まで一気に北上する。
原付バイクのいいところは、走っているとき、気になるものを見つけても、すぐ引き返して写真を撮ることができるという点がある。
車だとなかなかこうはいかない。
そういった寄り道をしつつ、千葉県の北端、関宿町の関宿城博物館までやってきた。関宿は、利根川と江戸川の結節点になっており、古くから交通(主に水運)の要衝として栄えた。
こちらも、中の展示をじっくり鑑賞したのだがそれは別稿で取り上げることとする。
千葉県最北端の県境にタッチしたあとは、とにかく南下することになる。うっかり関宿の博物館でじっくり展示を鑑賞してしまったので、時刻はすでに16時。なるべく明るいうちにどこか宿泊できるところへ急がなければいけない。
スマホで宿をさがしたところ、柏のビジネスホテルが空いていたので、そこを予約。地図でみると手賀沼より南だという。
おそらく、チーバくんの絵としては目ではない部分に、余計な線が入る形になってしまうのは避けられない。しかし「無理はしない」という方針に従い、これはやむを得ないということにしたい。
過酷なルールを勝手に課して、自分が楽しくなくなってしまうのは、お金をかけてまで移動するのにもったいないことだ。
さて、そんなことをグダグダ考えているうちに現在の時刻は16時、これは急いでいかなければ、真っ暗になってしまう。ここから先は脇目もふらず、ただひたすら柏の宿を目指して南下する。そして宿に到着したのは20時を過ぎていた。
途中、異常に交通量が多い、真っ暗で真っ直ぐな農道をひたすら南下したのだが、走破したあとの達成感がすごい。ツーリングの楽しさとはこういうことなのだろうか。
千葉県3日目となった。千葉県の中にこんなに長くいるのは生まれてはじめてだ。今日は、チーバくんの目を描くという、難易度の高い仕事がまっている。
宿を出発したのち、まず小堀(おおほり)という集落で県境を見る。
この集落は、茨城県と千葉県が地上で接する数少ない集落で、渡し船が運行されている集落だが、これは別稿で改めて触れるとして、チーバくんの目である。
チーバくんの目、どのへんにあるのだろうか。チーバくんを模写したものに地図を重ね合わせてみる。
印西市のあたりになるのだろうか。目。しかも、既存の道で一筆書きするにはかなり難しい形だ。
とりあえず、黒目と白目の部分を分けてぐるりと円をえがくように走ればなんとかなるのでは。ということで、こういうルートを考えた。
うーん、どう見ても目というよりも声帯に近いかたちをしている。とはいえ道路の建付けに制約があるので、ひとまずこれでえがくことにする。
利根川方向から印西市に向かうと、途中、うっそうとした雑木林がありそこを抜けると、同じような形の一戸建てがずらりとならぶニュータウンに入る。
とおもったら、のどかな田んぼになったりと、このあたりは景色の変化が目まぐるしい。
そして、丸をえがききり、利根川の土手へ向かって走った所、道を間違えてしまう。
したがって、ぼくのえがいたチーバくんの目の上にはへんな眉毛がついている。
反省点としては、目の大きさは、すこし小さかったかもしれない。もっとしっかり大きく回ればよかったが、いまさらどうにもならないので、これはこのままにしておきたい。
さて、この日はここまでですでに14時近く、できれば今日中に銚子まで行ってどこかの宿に泊まりたかったものの、ちょうどよい宿がなく、佐原のドミトリーの宿泊施設に泊まることとした。
3日目終了時点で、千葉県の香取市佐原である。めちゃくちゃ歩みの遅い旅だ。原付なのでしかたがないとはいえ、バイクを借りてからすでに4日たっているので、残り3日しかない。
やばい、最後の日は1日余裕をもたせて返したいので、佐原から、館山を経由して浦安まであと2日でいかなければいけない。今までの遅い進み方じゃ絶対間に合わない。さらに、耳と腕の部分もえがかねばならない。
4日目は移動である。とにかく移動するしかしない。早起きしてバイクに乗り込み、テキパキと移動する。佐原から館山まで移動しなければならないからだ。
まず、利根川を越えた先にある千葉県の飛び地ともいえる新島(しんしま)地区にわたり、県境をたどって銚子方面へ向かう。
その後、一路銚子を目指す。
そして犬吠埼をぐるりとまわり、九十九里に向かうのだけれど、途中でチーバくんの耳をつくらなければいけない。
トレースした地図を見ると、旭市からぐいっと多古町の方へ入り込んでいる。
良きところで、右折して、多古町までいってまた元きた道を戻る。
多古町に到着した瞬間、12時になったようで、異常な音量レベルでやけくそ気味の『エリーゼのために』が流れた。祝福とうけとめたい。
そして、来た道を引き返し、九十九里浜を南下する。
今度はチーバくんの腕を見てみる。
勝浦市と鴨川市の間ぐらいから大多喜町を経て茂原あたりまで戻っている。
上で「九十九里を南下する」と数文字で済ましているが、この数文字に4時間ぐらい時間がかかっている。
勝浦からまた茂原まで戻るのか。というのはさすがに気が遠くなったが、チーバくんの腕がそうなっているからやらないわけにはいかない。
大多喜街道と言われる道を通り、茂原を目指す。
そして、目的地にしていたセブンイレブンに到着。
Google Mapは、ふつうに目的地と現在地のルート検索を行うと、最短距離しかはじき出さないので、とても困った。
こちらは、最短距離でなくてもよいので、なるべく県境に沿ったルートを検索したいのだが、そんな機能はないので、細かく中継地を設定してやるしかない。中継地として重宝だったのが、コンビニだった。至るところにあって、人々の目印になっている。もはや現代の地蔵といってもさしつかえないのではないか。
茂原まで引き返し、さらにまた勝浦まで引き返す。チーバくんの腕をえがくのに、3時間はかかっている。
そのあいだ、かなりいろんなことを考えてしまった。
いちばん考えたのが「これって面白いのかな」というやつである。もうすでに半分以上、千葉をまわっているのに、まだこういう思いが頭をもたげるのだ。
おそらく、今、この記事を読んでいるひとが、GPSでかかれたチーバくんを見るのは1秒で終わるけれど、ぼくはえがくのにじつに5日かかっている。
勝浦まで戻ってきたら、すでに夕暮れだった。
ここで終わりではない。今日は館山の宿まで行かなければいけない。夜道をひたすら走る。しかし、ここでまた道を間違えるという失敗をしてしまう。
海岸線に沿って進むところを、うっかりまっすぐ進んでしまい、もう引き返すとなんか変な感じになるところまできてしまった。
気づいたときにはもう取り返しがつかない場所まできてしまっていたので、山道を越えて野島崎方面へ抜けた。そのため、チーバくんの足首がみょうにほそい。
館山に一泊し、翌朝。今日はすこし余裕がある。なぜならGoogle Mapの経路検索でしらべると、館山から浦安まで、ざっと3時間半ほどでいけるという。もはや、Google Mapの言いなりである。
そのため、以前より行きたかった館山城の博物館を訪れた。
実は昔、館山を治めていた里見氏は、徳川家に転封され、その転封先がぼくのふるさとの鳥取県倉吉市だった。そのため、里見氏にまつわる寺や墓が倉吉には多い。そんな縁もあり、一度、この博物館は訪れてみたかったのだ。これも、別記事で詳しくふれることにして、浦安へ向かうとする。
館山を出発し、渋滞に悩まされつつ、ついに千葉あたりまでやってきた。
ついに千葉まで戻ってきた。あと、もう少しではあるのだが、最後の難関が待ち受けている。
ベロと口もとである。
この部分、実は千葉市に入るあたりまですっかりわすれており、ベロだけかとおもい安心しきっていた。
しかしよく見ると、口元が、習志野と八千代あたりにまでくいこんでいてあせった。のんびり博物館なんか見ているヒマはなかったのではないか。
あわててルートを策定。
船橋あたりをぐるぐる回って口元の線を描く。
習志野から引き返し、ついに、いよいよ、舞浜のスタート地点を目指す。あいにく雨が降っていたものの、途中、ディズニーランドの花火が見えた。
最初にも書いたとおり、ぼくはディズニーランドに行ったことがないので、花火も噂ではかねがね伺っておりましたが、これが、あの……というきもちになった。ディズニーランド、本当に花火を打ち上げているんだ。
花火の鑑賞もそこそこに、スタート地点へと向かう。
スタート地点の交差点に到着し、ついに、5日かけての千葉県一周を達成した。
誰も聞いていないのに「今、千葉県一周を達成しました〜」なんてマジで声にだして言ってしまった。あとでビデオを見返してみるとこっ恥ずかしいのだが、それほど気持ちが高揚していたのはほんとうだ。
出発のとき、東京湾を見下ろした堤防からは、真っ黒な海に青白いゲートブリッジがかすかに見えた。
純粋に千葉を一周するだけなら、2日ほどでできてしまう気がする。
しかし、いままであまりにも近すぎて、知ってるようで本当はよく知らなかった千葉のことを、観光しながら回るとたぶん1週間あっても足りないのではないか。
千葉の奥深さよ。
県境ファン西村のピザ屋のバイクで千葉の県境をぐるっと一周記
【プロローグ】千葉の県境を一周して実物大のチーバくんをえがく
【第1回】ディズニーランドの目の前は境界未定地?
【第2回】運河と醤油と蒸気船、そして最北端
【第3回】千葉にある茨城と茨城にある千葉
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |