デイリーポータルは「変わったことをしていない」
林 岡田さんはデイリーに書いてみて、どうですか?
岡田 すごく悩んでいましたし、今も悩んでいます。
最初、デイリーはライターが内面を表現する媒体だと勘違いしていました。でも実は「観察」と「事実」、それに伴う「発見」だけを書いているんですよね。内面を書くときも、自分自身も含めて外から観察し、客観的に書いている。
林 内面の悩みとか生きづらさとかのテキストより、キリンって変な鳴き方すんだよ! みたいな話の方が面白いと思っているから、そういうことを記事で伝えたいですよね。
岡田 読者が驚くような新しい視点を提供しなきゃならないとも思い込んでいたんですが、私の提案の中で「北陸のお菓子・ビーバーがおいしい」というだけの企画を林さんが「ぜひやってほしい」と言って下さって。そんなシンプルなのでいいんだ! と驚きました。
林 そうなんですよ。デイリーポータルって、変わったことをしているように思われているんですけど、実はけっこう素直で。変わったことをしてる気はないんですよね。
例えば、「うまいものがうまい」っていうだけの企画もたくさんある。特に江ノ島(茂道)さんはそれですね。「香川県の讃岐うどんがうまい」とか。
岡田 この記事、タイトルを見て「そりゃそうだろ!」って思いましたけど、読むとおもしろい。私は江ノ島さんみたいにキャラが強いわけでもないし、変わったことをしないと企画にならない気になっちゃって。
「好き」が分解されていればOK
林 いや、例えば、ディズニーランドが好きな人が、「ディスニーランドのここが好き」と記事で書いてくれたら載せますよ。
自分にとっての「良い」が分解されていたらいいんですよね。「この草を食べると、ここが美味しいんですよ」とか。その人の「ここがいい」というポイントや熱意があったら読みたい。
岡田 でも、テレビで紹介されているような「ディズニーの最新エリアに感動!」とか「パレードは必見」みたいな記事だと載らない気がしますが……。
林 「パレードが良い」でも、「ここのライトの光り方がいい」とか、ちゃんと分解されてたら、読みたいですよ。変なことをしてほしいというよりは、「これがいいんだよ」っていう熱い偏愛というか、その人なりのゆがんだ表現があればいいですね。
岡田 “偏”愛ということですが、「好き」が平均に寄ってると難しいんですよね。私はMr.Childrenが好きで、歌詞と世界観がいいと思うんですけど、そんな普通の“好き”ではデイリーの企画にならなさそう。
林 デイリーは、「みんなが好きなもの」になんだか違和感がある、という人を集めてるんでしょうね。クラスに1人いるやつが集まってる。それが全国規模だから、でかくなるけれど。
岡田 例えば「鼻うがいをすると懐かしい景色が見える」は、林さんが「良い」を分解した結果ですよね。
「鼻うがいって気持ちいい」で終わらずに、「鼻うがいをすると区民プールでおぼれた記憶が蘇って、ノスタルジックで楽しい、だからみんなにやらせたい」という。でも、あれを記事にするのは普通思いつきませんよ。ましてや、人にやらせようなんて。
林 “もてなし”のつもりなんです。「これをみんなでやると盛り上がるぞー!」みたいな、だから、鼻うがい専用のボトルをいっぱい買って、みんなにプレゼントして撮影しました。
“現実へのなじめなさ”が企画につながる
岡田 例えば「このお菓子が美味しいよ」とみんなに紹介して、一緒に食べるまでは普通の人にも思いつくから、もてなしとして成立しますけど「鼻うがいでもてなそう」はなかなか……。
林 そうですかね? もっと素直な企画もありますよ。この間、「お見舞いのフルーツのかご盛りを元気なときに食べる」という企画をやって。「すげーうまいね!」で終わったんですけど、これは“もてなし”ですよね。それぐらいでよくて。デイリーポータルで、気軽に書いてくれる人が増えるといいなと。
岡田 その企画、分かりやすい! でも自分では思いつく気がしません。フルーツのカゴ盛りは確かに知っているし、気になってはいたけど、「じゃあ健康な人を呼んで食べよう!」につながらない。
林 確かに、素直だって言いながら、何か仕掛けがある。でも、そんなに変わっていることをしているつもりはなくて。王道のエンターテインメントのつもりでやっているんですが、そうじゃない風にいわれますね。
例えば、「雑草がモヒートになるんじゃないか」と僕が言って、大北(栄人)くんが記事にしたんですけど、その時はすごい楽しいことのつもりで、もてなしのつもりで言ってるんです。「受けるんじゃないかな」という気持ちはありますけど、そんなに変わったことをしている気はなくて。
岡田 私は「雑草をモヒートにするなんて、ひねりまくって面白いことをやっているなあ」と思ってしまった。遊び心をどこかに忘れてきたのかな。
林 やっぱり、現実への馴染めなさですかねえ。