冒頭で紹介するには謎をふくみすぎる写真。
ほら、これ!幕末の武士の写真なんかでよく見るやつっぽいでしょう。それもそのはず、当時と同じ「湿板写真(しっぱんしゃしん)」という技法で撮られたものなんです。左が私、右の人物についてはまたのちのち。
湿板写真は時代的に幕末の武士がよく写っているけど 、
スマホ、スタバ、ワイヤレスイヤホン。完全な現代人の装いです。
何がしたかったのか?といえば、昔の技法で現代人を撮ってみたかった。その結果、主観だけども幕末と現代の存在感は前者が勝り、身に着けているものには時代錯誤のオーパーツ感が漂っている。それにしても不思議な感覚。撮った記憶は確かにあるのに、さも自分にこんなご先祖様がいたかのようにも思えてくる。
そんな湿板写真。今や写真はスマホでシュパパパパッと1秒で数枚撮れてしまう時代だが、この一枚に費やした時間は…なんと、4時間!今回はその制作過程を紹介したい。冒頭の写真も当初はオチにするつもりだったのだけど、過程を見せるためならいくらでもつかみに使おう。
「湿板写真家」に会いに川崎へ
日本に入ってきてから164年、乾板写真に取って代わられ147年、つまり活躍は一世紀半前の17年間のみの湿板写真。現代でそれを撮る、というよりそもそも使える人自体ほとんどいない。
しかし、それがたまたま編集部の安藤さんのカメラ仲間にいるそうで、担当の石川さんと三人で川崎のスタジオへと向かった。
「産業道路」という渋い名前の駅にほど近い、
「Peta Photo Studio」のペータさんです!
実はペータさんに打診した時期は去年の夏頃。その取材がこのタイミングになった背景は、なんとペータさん、ご家族で、半年強に渡ってネイティブアメリカンの人たちを湿板写真で撮って回る撮影旅行をしていたらしい。車で!半年強!アメリカ大陸!走行距離は5万キロ!超アグレッシブ…!
で、私自身の「日本の取材は一時帰国中しばり」という毎度めんどくさい状況も相まって、およそ10ヶ月が経ってようやくお会いすることができたのでした。ほんと、ご調整いただいた関係者各位には恐れ入ります。
さて、では!まずは聞きたい、ペータさんはいつからなにゆえ湿板写真を撮りはじめたのか。
アメリカで撮影された作品たち。
ペータさん「2014年頃です。それまではフィルムカメラで撮影していたんですが、フィルム代が高くなったり廃番が増えたり、『自分でつくれないかな?』と思ったことがきっかけで。それでもともと湿板写真のテクスチャー(質感)が好きだったので、一度ワークショップに参加して、それからは海外の写真家がアップした動画を見たりして独学で覚えました。でも結局、フィルムより湿板の方がお金はなくなっちゃうんですけどね(笑)」
水嶋「ですよね!制作環境への投資がすごそうです」
とは言いながらも、具体的な想像はまだついていない。そこで早速制作してもらおう!
よろしくお願いいたします!
職人のテクノロジーに湧く大人たちの好奇心
まずはガラス板の準備から。これがフィルムカメラにおけるフィルム、厳密にはその前段階のセロハンの準備になる。そこに感光剤を塗って、光を反応させて(これが撮影)、像が浮かび上がって写真になるわけ。
ガラス板を成形します。
スーと引いて、
パキッ!
えっ?
いきなり紙のように切れたガラスにざわつく現場。
「今どうやったんですか」
「それで割れたんですか」
「カッターみたいなもんですか」
ペータさん「ガラス用カッターです」一同「へ~!」
やらせてもらってはしゃぐ大人たち。割ったらふつう怒られるガラスを、あえて割る背徳感もあるかもしれない。
ガラス専用のカッターとか存在するんですね、しかもこんな簡単にパキッと割れちゃう。職人のテクノロジーっておもしろくて心を持って行かれる、のっけからこれだと今日は長丁場な気がするぞ。
なお、ペータさんはこのうちの一本を蚤の市で見かけて買ったそうで、売っていたおじさん自身がその使い方を分かっていなかったという。蚤の市のあるべき姿って感じで、いいねぇ。
成形後はガラス板を徹底的に磨きます。
成形したガラスを、感光剤が剥がれにくくなるよう角を擦って落とし、ゴミを除き、アルコールと水と石灰で徹底的に研磨する。さらに縁に卵白を塗ることでより剥がれにくくなるらしい。念のため言っておくと、感光剤はまだ塗ってないですからね。その下準備で、すでにこれだけやることがある。
瓶詰めされた卵白。
新鮮である必要はないので、当然めっちゃくせぇ。
途中でさらっと出ましたが、冒頭写真の右側の人物は編集部の安藤さんでした。幕末感の逆をいく格好で「未来人」っぽい装いになってもらったが、そもそも倉庫に銀色の全身タイツがあったのだとか。いいものだ、ふつうより高いんだ、と話されていたが、お金のかけどころがデイリーポータルZらしくていい。
ネイティブアメリカンを撮りつづけて5万キロ
この過程を見ているだけでも十分おもしろいが、ペータさんのお仕事やアメリカでの撮影旅行も気になるところ。いろいろと聞いてみたい。
水嶋「湿板写真を撮る人は少ないって話でしたが、実際のところ日本国内にどれくらいいるものですか?」
ペータさん「知る限り、僕を含め三人くらいですかね」
アメリカだけでなくもちろん日本でも撮っている。
水嶋「おー、それは、少ない…。そもそもペータさんは今、湿板写真専門?」
ペータさん「いや、ふだんはデジカメでバリバリ撮ってますよ。アイドルやメニュー用の写真を撮る、カメラマン業が中心です。湿板写真は、作家活動としてやっています」
コンテナ型の暗室。アメリカ旅行前は、これをバラして現地で組み立て、青空写真館を行っていたとのこと。
その内観。スタジオは鉄工所の二階にあり、固定のクレーンでコンテナを持ち上げ収容するのだそう。
そして、昨年4月末から6ヶ月半ほど、写真集制作も兼ねてアメリカとカナダへご妻子を連れて旅行に。各地の居留地や文化センターに訪れて、ネイティブアメリカンの人々まで辿っていったとのこと。
現地で撮影した、ネイティブアメリカンのひとびと。
水嶋「そもそも、今も当時のスタイルで生活している人たちがいるんですね!まずそこにビックリです」
ペータさん「いますね。中にはルーツではないけど、自ら望んで弓矢で狩猟生活を送る人もいます」
水嶋「へーーー」
こちらがその方、確かに顔つきはネイティブアメリカンっぽくない。が、湿板写真だとそれらしく見えてくる。
水嶋「見当がつかないのですが、ネイティブアメリカンの方の撮影ってそんな簡単にできるものですか?」
ペータさん「それが、本人はOKでも、エリアを管理している人が追い出しに掛かってくることも多いんです」
水嶋「あー、なるほど…」
ペータさん「その管理側はだいたい白人で構成されていましたね。で、ネイティブアメリカンの人たちとは直接仲良くなって撮らせてもらうようにしていました」
現像後のガラス板は、透かせばうっすらとしか見えないが…
黒い布の上などに置くと、このようにくっきりと像が浮かび上がる。
またペータさんは撮影した相手に、なぜ伝統的な生活を送っているのかなどを手紙でつづってもらい、当人との交流や承諾がある前提での撮影ということを大事(だいじ)にしていたとのこと。そういった話を聞いていると、技術面はもちろんだが、撮影にはアメリカならではの政治的な難しさが多かったのだろうと感じる。
それではふたたび写真制作へ。
さきほど磨いたガラス板に感光剤を塗って、フィルムカメラでいうところのフィルムが完成。いざ、撮影へ!
屋外で撮りましょう、とスタジオの外へ。
長いようで短い6秒間のシャッタータイム
ここでいよいよ、あの写真機が登場。
なんかよく見るやつだー!
よく見る、と書いたが実際に見るのはもちろんはじめて。たぶん、ドラマか、理科や社会科の資料集なんだと思う。一瞬「金曜ロードショーの…」と喉元まで出かかったが、そういえばあれは映写機でぜんぜん違った。
あ~、そうそう、こういう感じ!
撮影準備に興味津々の私と、肩から生えていた安藤さん。
位置調整。奥が未来人と現代人の漫才コントみたいだ。
当日の天候は曇り。露光時間、つまりシャッター速度は6秒ほどになるらしい。湿板写真といえば数十秒身動きできないイメージがあったのでちょっと安心、でも屋内だと本当にそうなるみたいです。ちなみにこの6秒という数字もペータさんが照度計を使って計算したもので、湿板写真は本当にやることが多いようだ。
シャッタータイム、たぶん息止めてたと思う。
A液をかけてB液に浸してC液をかけます(私が説明してもボロが出るのでいっそ省略)。
暗室での現像作業に漂う雰囲気は独特だ。さらに今は広い訳じゃないこのコンテナに大人四人が入り、ペータさんが静かにテキパキと作業を進める様子を見つめている。緊張の一瞬…!
そして…
!
!
ぶわあああぁぁぁぁ…(イメージ音)
一同「おおぉぉ…!!」
出産だ、こりゃもう半分「出産」だ!現場は全員男だが。暗室で、息を鎮めながらも、ハラハラドキドキしながら写真が生まれる様子を見守って待ち望む。この緊張感の中で何者かが生まれようとする時間。フィルムカメラ好きの人から「現像している時間が一番好き」という話も聞くが、その一端が理解できた気がする。
そのあとの水洗はさながら産湯で赤ん坊を洗うよう。
元気な現代人と未来人ですよ!
そして乾燥後にニスを塗り、ふたたび乾かしたら完成!
ニスは防虫効果のあるラベンダーオイルを混ぜてあるんだけど、この香りがまたいいんだ。ラベンダーの香りが漂ったら湿板写真が完成した証、なんという素敵!
今なら「魂を吸い取られる気持ち」が理解できる。
そして再び、冒頭の写真である。
あ~、感慨深い。
以前、新潟で、本物の縄文土器に触れたことがある。ガラスケース越しに見るものではなく触れるものに変わった瞬間、時を超えて縄文人と感覚を共有したような喜びに打ち震えた。それは今回もまったく同じだ。
「顔がすすけたように写るけど実際はそんなことなかった」とか、「数秒から数十秒もかかるからふだんより表情が固くなる」とか、湿板写真あるあるも体験でき、見るものではなく撮られるものに変わったことで、150年前の幕末の人々に「仲間意識」が生まれている。そんな不思議な感覚、後にも先にももうないと思う。
今なら、「写真を撮ったら魂を抜かれる」という感覚もよく分かる。なぜなら、たった数秒かかるだけで「時間」というより「命」を撮っている気分になるのだ。また、実際に目の前に置かれた湿板写真の存在感の人っぽさもある。透明だから現実的に見えるのかもしれないし、ほかに言葉にできない理由があるのかもしれない。
存在感が、笑っちゃうくらいすごいのよ。
100年後、ひ孫に謎を残したい
冒頭で「家宝」と書いたように、ずっと大事にしていきたい。というより、望みというか使命感。壊れやすいガラスという性質のせいだろうか。フィルムの方がずっと、デジタルデータの方がずっとずっと、丈夫で長持ちはするんだろうけど、弱く脆く儚いものだからこそ、結果として大事に持ち続けるということはあるのかもしれない。
写真の内容はだいぶふざけているものなので、水嶋家に受け継がれれば感無量。「死後に笑いをとる」なんて考えたこともなかった。逆に時が過ぎて撮影経緯が忘れられてもおもしろいかも。安藤さん、もしかしたら未来、水嶋家の子孫が安藤家に、「先祖の隣の未来人はだれ」って題材で取材に伺うかもしれません。
天地無用のため、ピザスタイルで湿板写真を持ち帰る。 このあと地方を回って実家の大阪に帰る予定だったので最大警戒で過ごしました。