タイピングとフリックの「プロ」たち
Twitterで呼びかけたところ、二名の方に来ていただきました。
じゃじゃん!
右はてょんやらさん(以降「やだ」さん)、左は池ノ辺(いけのべ)さん。実はこのお二人、パソコンのおもな入力方法であるタイピング、スマホのおもな入力方法であるフリック、その、「プロ」なのである。
やださんはタイピング歴8年、文部科学省後援のタイピング全国大会「毎日パソコン入力コンクール」のファイナリスト。池ノ辺さんはフリック歴1年半ながら、モバレコというスマホ情報サイト主催の「世界最速フリック王者決定戦 HAYAUCHI」の優勝者。という輝かしい実績を持つ。
とはいえ、ニッチな世界には違いないのでピンと来ない人の方が多いだろう。そんなときに資本主義国ジャパンに住む我々は驚きを分かち合える物差しを持っている。身も蓋もない言い方をするが、「お金」だ。
池ノ辺さんが大会で獲得した賞金は…なんと、「100万円」。
100万円だよ!親指ひとつ(厳密にはふたつ)で100万円。一方でやださんも、テレビ番組の企画で30万円を獲得しているという。稼いでなんぼとはさらさら思っちゃいないが、それほどのことなのだという意味では分かりやすい尺度だろう。
名刺の肩書きにも王者って書いてあるし。
それにしても、Twitterで呼びかけた時点でこんなガッチガチのプロがいらっしゃるとは思わなかった。「スマホの速い女子高生とかいそうじゃなーい?」と思いながら気楽に構えていたら。気軽に林に向かってるーるるるとキタキツネを呼んだつもりが、慟哭を上げながらエゾヒグマが飛び出してきた印象すらある。
突然のエゾヒグマ(比喩)。
冒頭で書いた若者たちのフリックも気になるが、今回はそのプロの世界について存分に教えてもらいたい。さて、王者だのエゾヒグマだのという表現じゃ、凄味が伝わらないことも重々承知。さっそく披露してもらいましょう!プロの打ち味!
水嶋「よろしくお願いします!」
お二人「分かりました!」
国内トップランカーの入力速度を刮目せよ
すっ…
カチャカチャカチャカチャカチャ!!
カチャカチャカチャカチャカチャ!!
「ジェダイ」って言われてる。
すっ…
ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ!!
「神」って言われてる。
す、すごいぞこれは…。
これでも本調子ではないという。それはまぁ、カメラ向けて「やって」だもんな。
どちらも途切れ目が一切ない。使い古された表現だが、まるでマシンガン。フリックも両手使いだよ。利き手のサポートとかじゃなくて、完全なる右左の親指の独立駆動。2WDフリックだ。ドラクエの武器でたとえるなら、はやぶさのつるぎだ(1ターンで2回攻撃できる)。まぁ、ここでドラクエでたとえる理由はないのだが。
自分もタイピングをやってみたが、やださんの半分が精一杯。
指がもたつくと人は笑ってしまうのだ。
やださん「さすがライターさんですね!」
池ノ辺さん「速いですよ!」
褒めてくれたが、全力ダッシュに「あんよが上手」と評されるような無力感だ。しかし、自分も日頃から記事の執筆などでタイピングには慣れているつもりなので、まるで自信がなかった訳ではない。この異次元の速さを体感してもらうには、実際にやってみるといいと思う。おふたりがそれぞれ計測したツールはこちらですどうぞ。
ちなみに、やださんも池ノ辺さんもタイピングとフリックでジャンルは違うので、お互いがお互いの速さに感心している様子がおもしろかった。とはいえ、僕からしたらお二人ともに存分にモンスタークラスなんですけどね。
ほー。
ほほー。
それにしても、そもそもだ。一体、どんなきっかけでそんな世界の住人になったのか?聞いてみた。
タイピングのためならドイツにだって遠征
やださん「僕は8年前、『Typenist』というボーカロイドの楽曲を使ったタイピングゲームにハマったことがきっかけですね」
水嶋「ボーカロイドって、初音ミクの?」
やださん「そうです。その翌年に毎日新聞社が主催している『毎日パソコン入力コンクール』でファイナリストに残って、賞品とキーボードをもらいました」
水嶋「いきなり才能開花してますね…」
やださんの愛機、DIATEC社のMajestouch NINJA(赤軸モデル)。
見た目もゴツいが、それ以上に重くてビックリ!プロ仕様って印象だ。 後に調べると重量は1.2kg、平均的なものの、実に2倍!
以降、やださんは数々の大会に参加。電子機器メーカーの東プレが主催するタイピング大会に出場、200人ほどの参加者の中でもベスト16に残る。ちなみにこの大会は東京ゲームショウのeスポーツの一環として開催された。
そうか。eスポーツって聞くとオンラインゲームを想像しがちだけど、その理屈ならタイピングも同じか。むしろタイピングはeスポーツの基本要素、地上で行われるあらゆる競技における「走力」と同じなのかもしれない。
やださんがタイピング歴2年目に獲得したトロフィー。
水嶋「大会は都内が多いんですか?」
やださん「ベルリンもありましたよ」
水嶋「ベルリン!ドイツ!?」
やださん「はい。『インテルステノ』とよばれる、国際情報処理連盟の世界大会で、文書作成部門があって、それに参加しに」
水嶋「えーっ!…海外、行き慣れてるんですか?」
やださん「いや、それがはじめてです!」
水嶋「タイピング目的で初海外!?」
しかも、現地でこそほかの日本人選手と同じホテルに泊まっていたが、行き帰りと自由時間はひとりだったという。す、すごい情熱。
すでに分かりきっていることをあえて言わせてほしい、プロである。タイピングをするべく海を越える、そんな世界があるんだという驚きが今すごい。なお、観光はしたのかと聞くと「ホテルでタイピングの練習をしていた」とのこと。ストイックすぎるよ!アスリートでも試合後に観光くらいはする人もいるでしょうよ…!
幼少からピアノをつづけた男はフリックの天才に
池ノ辺さん「僕は2016年10月の、モバレコというスマホ情報サイト主催のHAYAUCHIという大会がきっかけです」
水嶋「一年半前って最近ですね!どうして出ようと?」
池ノ辺さん「大会の存在を知った友人から、『フリック速いし出てみたら?』という勧めがあったんですよ」
水嶋「他人のフリック速度って分からなくないですか?」
池ノ辺さん「同じ場所でお互い黙ってスマホを触る時間もあったので、それを見ていたのかもしれません」
水嶋「あー、なるほど」
大会予選の途中結果、「のべ」さんが池ノ辺さん。文字通り、ダントツ。
HAYAUCHIでは、18歳以上の男女100人ほどが選手として出場。池ノ辺さんは「ネタづくり」のつもりで出場してみたら、あれよあれよと勝ち進んで、そのまま優勝!大会後に他の選手から「フリックファン(前述の計測アプリ)のスコアはどれくらいですか?」と聞かれて、そもそもフリックファンを知らないと話したら、「ありえない!」と驚かれたという。エピソードが完全に天才のそれだ。
水嶋「それまでフリック速度を意識してなかったにせよ、なにかしらベースになる経験はなかったんですか?」
池ノ辺さん「ピアノは幼稚園の頃からやってましたね」
水嶋「それですよ!それそれ」
池ノ辺さん「フリックは、打っている間に次の文章を読んでいるのですが、それって楽譜の読み方と同じで。濁音や小さい文字は入力が二回必要になるところも、四拍つづいて二拍入ってくるところとよく似ています」
水嶋「おぉ…後半は無知ゆえよく分かんないけど、ピアノのスキルがフリックにも通じるっておもしろい。指運びだけでなく、文字列と楽譜を読み取る感覚が似ているんですね」
となると、池ノ辺さんは何も練習せずして優勝した天才とはまたちょっと違うのかもしれない。もともと、ピアニストであると同時に天然素材の凄腕フリッカーでもあったのだ。
ピアノの運指びと読譜の感覚がフリックの天才を生んだ。
合コンに活かせるフリック自慢
賞金という分かりやすいものがあったことはすでに書いたが、それ以外でよかったことには何かあるのか。
池ノ辺さん「やはりネタになることですね!ピアノと違いフリックはスマホがあればどこでも見せられるので」
水嶋「あーそうか、今やスマホは誰でも持ってますもんね」
池ノ辺さん「LINEのグループを使えばその場でちょっとした大会が出来るんです。ひとりが出題して、みんなが一番目指して同じ言葉を入力する。その流れで連絡先を交換したり…合コンにも使えます(笑)」
水嶋「これ以上ある?ってほど自然なLINEの聞き方…」
優勝したときのトロフィー。
池ノ辺さんは賞金をアフリカ旅行に使ったのだが、ホテルのフロントからも「お兄さん速いね!」と驚かれたという。このIT社会における、文化の壁すら越える一芸だ。でもフリック入力ってどれくらいの数の言語圏で使われているんだろうか?今度、調べてみようかな。
やださん「僕は、魅力ですが、自分が成長していく過程が数字の記録としてハッキリと目に見えることですね。あと、オンラインでランキングが分かるので、人と競うことに対するハードルが低いという良さもあります」
水嶋「そのアスリート精神がまぶしいです」
タイピングも含めて、eスポーツの魅力ってきっとそういうところにあるんだろうな。現場にいろんな設備が必要であろう従来のスポーツと違って、結果がすぐに分かる上に、いつでもどこでも何度でも自分のペースでパフォーマンスを発揮できる。もちろん、選手たちの時間や場所などを合わせて競う場合もあるんだろうけど。
この世界をもっと広めていきたい
最後にやださんは、「この世界をもっと広めたい」と話してくれた。そもそも私の呼びかけに応えてくれたことも、それが最大の動機だという。
前述のフリック大会も二回目以降は開催されておらず、キーボードメーカーが主催することも多いタイピング大会と違って、推し進める組織が少ないのではないかとのこと。そうか、フリックのユーザーインターフェースはガラス板で文字配置や入力方法もソフトウェア次第だから、キーボードのように打鍵感などの付加価値を付けづらい。それが市場に発展しないことにつながっていると考えると、なるほど納得もいく。
この世界の魅力を伝えたい。
でも、タイピングもフリックも、ネットにつなげられる人なら当たり前に持つスキルだ。潜在的な競技者人口はものすごく多いはず。時速数百キロで移動できる現代において走る速さを競いつづけるアスリートがいるように、まだまだ発展の可能性はあるんじゃないかと思った。現に、目の前で見せられるともうすごいんだもの。
とりあえず、eスポーツに特化したアイドルを誰かプロデュースすればいいんじゃないかな?と思って今調べたらすでに存在していたので、わざわざ自分の立場からは何も言うまい。eスポーツの発展とともにタイピングとフリックの発展を願うばかりです。
まだまだある、タイピング&フリックこぼれ話!
他にもまだまだおもしろい話題が湧いて出た今回の取材、とても紹介しきれないので箇条書きでご覧ください!とくに、コツについて話す中で、やださんが入力速度を高めるアプローチを「設計する」と表現していたことが印象深かった。
■タイピングのコツ編
・文章を文節で区切ると遅れるため、文章というより文字列を打ちつづける意識を持つ。
・「ん(N+N)」は、実は「ん(X+N)」でも打てる。こうしたショートカットを把握することは基本。
・同じ指を連続して使わない。「ぬ(N+U)」は人差し指の連続2打ではなく親指と人差指でほぼ同時打ち。
・前後の文字配列によって、指の動きが少ない組み合わせを意識。「か(K+A)」は「か(C+A)」とした方がより速度が高まることもある。
■フリックのコツ編
・両手(の親指)を使うことは必須。
・指は気持ちオーバーに動かして判定ミスを防ぐ。
・入力と入力の間(ま)をとにかく減らすことを意識する。
■そのほかのエピソード
・タイピングで本格的に稼げる仕事として、「テレビ番組での字幕のリアルタイム入力」というものがある。
・タイピングの競技者人口は、タイピング動画を上げるなど日頃から活動している人は100~200人。e-typingのランキングにいるライト層も数えると1万人以上はいる。
・やださんが30万円を獲得した番組は、テレビ朝日の『お願いランキング』。カラオケの歌詞が流れ終わる前に打ち切るという企画で、8人挑戦して2人成功したうちのひとり。
・池ノ辺さんよりもフリックの速い人がYouTubeの動画でいるらしい。池ノ辺さんは2本の親指を使った二刀流だが、その人はさらに人差し指も使った三刀流…バ、バケモノだ!
・長文を打つタイピングレースのほかに、「24時間耐久」というものまである。ペース配分はすべて自分で行う、タイピング界のマラソン。そこではキーボードが疲れにくいかどうかということが重要な要素となる。
タイピングとフリックは「指先のF1」だ!
ほんの好奇心ではじめた取材、まさかこれほどまでに奥の深い世界だとは当初に思ってもみなかった。1分1秒、いやコンマ1秒でも速くするために、道具、技術、設計、速さ、ありとあらゆる工夫を施す様を見ていると、「指先のF1」という言葉を思い浮かべる。フォーミュラカーではない、言うまでもなく、「フィンガー」だ。
ところで今回、デイリーポータルZにも少なくともひとり、フリック入力で記事を執筆しているライターさんがいる事実が判明。でも、誰なのかあえて秘密に。想像しながら読んでみてください、もちろん私ではありません。
取材の2日後、やださんはe-typingで過去最高記録を更新!ご覧ください、この速さ。