なるべく長く浮かれたい
「浮かれ電飾」とは、クリスマスシーズンになると一般家庭の自宅が派手に電飾される、あれだ。
これまで毎年年末になると浮かれ電飾を求めて各地をめぐってきた。
→2004年
→2005年
→2006年
→2007年
→2008年
→2009年
→2010年・リアルタイム更新
→2011年(その1)
→2011年(その2)
→2012年
→2013年(お宅訪問)
→2015年
これまで毎年年末になると浮かれ電飾を求めて各地をめぐってきた。
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昨年は田園都市線沿線を見て回った。さすがだった。
そんなぼくが「年越し浮かれ電飾」現象に気づいたのは、数年前。年を越しても春先になってもずっとキラキラしっぱなしの家が近所にあった。
ただし、確固たる浮かれ意志のもと越冬したというよりは、単に「やりっぱなし」の感じであった。でも夜になるとスイッチを入れているわけで「なるべく長く浮かれていたい」ということではあるのだろう。
ただし、確固たる浮かれ意志のもと越冬したというよりは、単に「やりっぱなし」の感じであった。でも夜になるとスイッチを入れているわけで「なるべく長く浮かれていたい」ということではあるのだろう。
結論から言うと、これが今回確認できた数少ない「年越し浮かれ電飾」の事例のひとつ。元旦の夜に撮影。
その後あちこちの街でちらほら同じような電飾放置プレイのご家庭を見かけるようになった。みなさんの近所にもそういう事例があるのではないか。
上と下の写真はそんな中みつけた、狙い通りの「年越し浮かれ電飾」の事例。団地だ。聞けば住民の結束がかたいことで有名らしい。「634」の表示も誇らしげだ。スカイツリーができる前から名乗っているとのこと。
上と下の写真はそんな中みつけた、狙い通りの「年越し浮かれ電飾」の事例。団地だ。聞けば住民の結束がかたいことで有名らしい。「634」の表示も誇らしげだ。スカイツリーができる前から名乗っているとのこと。
団地マニアとしてもうれしい、団地の浮かれ電飾。「634」はここの番地だそうだ。なるほど。いや、なるほど、じゃないか。
以前2007年に、浮かれ電飾を実践しておられる方にお話をうかがった際「25日の夜できっぱり終えるのが美学」との発言に感銘を受けたものだが、あれももう10年前の話。最近は年越しも美学の範囲内になってきている可能性がある。
ちなみに、この方からは「浮かれ電飾はパンドラの箱。いちどあけたらもうやめられない」など名言をたくさんいただいた。またお会いしたいものだ。
ちなみに、この方からは「浮かれ電飾はパンドラの箱。いちどあけたらもうやめられない」など名言をたくさんいただいた。またお会いしたいものだ。
その2007年に案内してもらった埼玉の有名浮かれ物件。庭が開放されてた。すごかった。
また、2013年にも近所から「あの光ってる家」と呼ばれているという、充実した浮かれを見せるお宅を訪問したことがある。
そこでは 「『浮かれ電飾』っておっしゃってますけど、やるほうは浮かれてない」 「飾り付け作業だけで最低丸3日はかかる」 「3日のうち最初の1日は電球切れてないかどうかのチェックで終わる」 「これは綿密な計画と準備が必要な『業務』」 「11月になると『ああ、今年もやらなきゃ』と憂鬱になる」 など、浮かれ電飾がいかに浮かれていないたいへんな仕事であるかをうかがった。
そこでは 「『浮かれ電飾』っておっしゃってますけど、やるほうは浮かれてない」 「飾り付け作業だけで最低丸3日はかかる」 「3日のうち最初の1日は電球切れてないかどうかのチェックで終わる」 「これは綿密な計画と準備が必要な『業務』」 「11月になると『ああ、今年もやらなきゃ』と憂鬱になる」 など、浮かれ電飾がいかに浮かれていないたいへんな仕事であるかをうかがった。
2013年のお宅訪問の時の様子。左のお父様が作者。ちなみにお嬢さんが上記発言に対し「じゃあやらなきゃいいじゃん」という身も蓋もない返しをしたのを聞いて「その通りだよな」と思った。わざわざお招きいただきお話をうかがっている手前、ぼくからは言えなかったので助かった。
ともあれなにが言いたいのかというと、浮かれ電飾はその名に反して(というかそう呼んでいるのはぼくだけですが)準備がすごくたいへんなので、セッティングしたからにはなるべく長く浮かれていたいものらしい、ということだ。
ただ、日本のお正月のデザインコンセプトが全体的に「和」なので、電飾とは相性が悪かった。多くの方が「映画『ホーム・アローン』に触発された」と言うように、浮かれ電飾のテイストは基本的にアメリカンなものだからだ。
ただ、日本のお正月のデザインコンセプトが全体的に「和」なので、電飾とは相性が悪かった。多くの方が「映画『ホーム・アローン』に触発された」と言うように、浮かれ電飾のテイストは基本的にアメリカンなものだからだ。
こちらは2006年に沖縄で見た浮かれ電飾。どことなくアメリカンな住宅のデザインが、電飾とマッチしてごく小規模ながら味わい深い雰囲気となっている。
なので「浮かれ滞空時間を延長したい」という彼らのこの思いは、ここ数年「前倒し」という形で現れてきている。ハロウィン浮かれ電飾だ。残念ながら昨年分は取材していないが、ちらほらカボチャが光っている家が見られる。今年はその様子をレポートしたい。
アメリカンなテイストであるハロウィンはクリスマスと相性の良い絶好の浮かれテーマであり、またこの飛び火は浮かれ延長という点で優れている。なんせ10月末だ。11月いっぱいと12月の初旬中旬もやんわりクリスマス仕様に向かってスタンバイ状態を保つことで、都合2ヶ月間は浮かれることができるようになったのだ。
アメリカンなテイストであるハロウィンはクリスマスと相性の良い絶好の浮かれテーマであり、またこの飛び火は浮かれ延長という点で優れている。なんせ10月末だ。11月いっぱいと12月の初旬中旬もやんわりクリスマス仕様に向かってスタンバイ状態を保つことで、都合2ヶ月間は浮かれることができるようになったのだ。
電飾の元の平等現象
そしていよいよ、満を持して「後ろ方向への延長」が始まっているのではないか。
そもそも浮かれの本場アメリカでは Merry Christmas and Happy New Year. のスローガンのとおり、地続きで電飾がなされる。いわば日本では「和テイスト」が浮かれの防波堤になっていたわけだが、そろそろそれも乗り越えられるのではないかと思うわけだ。
そもそも浮かれの本場アメリカでは Merry Christmas and Happy New Year. のスローガンのとおり、地続きで電飾がなされる。いわば日本では「和テイスト」が浮かれの防波堤になっていたわけだが、そろそろそれも乗り越えられるのではないかと思うわけだ。
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1月4日に撮影。クリスマス時期からずっとある商業施設における「年越し電飾」だ。星モチーフはもはや正月でも使えるものになりつつある。
その予兆は、かねてから商業施設では見られていた。
昨今、クリスマスモチーフを最小限に抑えることでそのまま正月対応可能にしたイルミネーションや、賀正表現に星モチーフを使っても別におかしくはないよねという解釈、あるいは一部を和テイストに置き換えることによる変更の省力化などが行われるようになって久しい。
クリスマスのあとはすぐに新年のセールということもあり、イルミネーションにかける手間をなるべく少なくしたいという事情が背景にあるのではないか。たぶん。きっと。このページには独自研究と思われる記述が見られます。
昨今、クリスマスモチーフを最小限に抑えることでそのまま正月対応可能にしたイルミネーションや、賀正表現に星モチーフを使っても別におかしくはないよねという解釈、あるいは一部を和テイストに置き換えることによる変更の省力化などが行われるようになって久しい。
クリスマスのあとはすぐに新年のセールということもあり、イルミネーションにかける手間をなるべく少なくしたいという事情が背景にあるのではないか。たぶん。きっと。このページには独自研究と思われる記述が見られます。
元旦にみつけたカーディーラーにおける年越し電飾。あきらかにツリーをモチーフにしたイルミネーションが三が日でも堂々たるもの。下に置かれている福袋とのコントラストがキュートだ。
そもそもモールではクリスマス・お正月の区別なく、冬期の間はずっとこんな感じで、モチーフを廃した万能イルミネーションをやるようになって久しい。
イルミネーションではないが、この商業施設のデコレーションはうまいな、と思った。クリスマス仕様の樹と飾り玉に、水引と紅白の椿などを追加することで正月対応。思えば色的には緑を白に置き換え、赤はそのままで年越しできる。
1月4日に目撃した、商店街の肉屋のこの正月飾りもぐっときた。
足もとにクリスマスの余韻をのこしている。ほほえましい。
一方、イルミネーション部材のLED化が進展することで、商業施設と一般家庭の浮かれ電飾との区別がほとんどなくなってきている。この、いわゆる浮かれ電飾のコモディティ化によって商業施設での浮かれ手法が時を置かずして住宅街で展開するという現象が見られる。
この電飾の元の平等が最も顕著に表れているのは街の商店においてだ。住宅街にある理容室やクリニックなどの、プロの手によらないイルミネーションはまさに商業施設と浮かれ電飾の媒介者のようなものになっている。
この電飾の元の平等が最も顕著に表れているのは街の商店においてだ。住宅街にある理容室やクリニックなどの、プロの手によらないイルミネーションはまさに商業施設と浮かれ電飾の媒介者のようなものになっている。
埼玉でみつけた町の理容室。地域の浮かれ牽引役になっていると思われる。
こちらは1月4日に目撃した、住宅街のレストランにおける年越し電飾事例。これら実践が住宅における年越しに影響を与えるのではないか。それにしても青い。最近また電球色から青色LEDに流行が戻ってきているようだ。
しめ縄のリース化
と、くどくど独自研究と思われる記述書き連ねてきたが、えーと、今回いくつか浮かれ電飾エリアを回ったんだけど、その、あんまり新春浮かれ電飾事例をみつけることができなかったのね。
ただ、2012年にレポートしたこのすばらしいクリスマス浮かれ電飾を実践しておられるおうちは、
このとおり、お正月もちゃんとやってた! 控え目だが、なしくずしてきに年を越すのではなくしっかりと "Happy new year" 仕様に。伝統的な門松との対比もお見事。さすがだ。来年も見に来よう。
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あと、クリスマス時期にはこういう浮かれた斜面状態が
1月4日にはなぜか生け垣の一部だけちんまりと浮かれている、という事例も。なんだかかわいい。
たとえばこれ。たしかにしめ縄ではあるのだが、かなりのアレンジと解釈がほどこされている。下の干支が描かれた輪っかのポップさとあいまって、Merry Christmas and Happy New Year 感がある。
これなど、かなりリース化している。というか、リースに奴凧と松を追加してるよね?
しめ縄スタイルには「ごぼうしめ縄」「玉飾り」などがあり、上や下のものたちは「輪飾り」という文字通り縄を輪っかにした形式に相当しそうだが、ぼくの受ける印象ではかなりクリスマスリースの影響を受けているように見えた。
いずれこれらがリース & しめ縄兼用、なんならリバーシブルで対応とかになり、最終的に「昼はしめ縄、夜は光るリース」になるのではないか。なったらいいな。
時期的にも、しめ縄は本来正月事始めである12月13日以降に飾るものだということなので、クリスマスとかぶっていることもあり、まっとうにやるとリースと兼用する可能性が高い。
結論としては、今回の取材の収穫は「リースしめ縄に年越し浮かれ電飾の可能性あり」という仮説を得たことです。
いずれこれらがリース & しめ縄兼用、なんならリバーシブルで対応とかになり、最終的に「昼はしめ縄、夜は光るリース」になるのではないか。なったらいいな。
時期的にも、しめ縄は本来正月事始めである12月13日以降に飾るものだということなので、クリスマスとかぶっていることもあり、まっとうにやるとリースと兼用する可能性が高い。
結論としては、今回の取材の収穫は「リースしめ縄に年越し浮かれ電飾の可能性あり」という仮説を得たことです。
この「ギャルが花火大会で着る洋柄っぽい浴衣」を思わせるしめ縄と
このクリスマスリースは紙一重だと思う。
そしてバレンタインへ
さして年越し浮かれ電飾の事例を集められぬまま、さらに独自研究を先へ進める。仮に年越しが一般的なものになったとすると、次のターゲットは「バレンタイン浮かれ電飾」だと予想する。そのカギは「バレンタインのファミリーイベント化」にある、とは友人の石川初氏の言。
ハロウィンといえばすっかり渋谷の文字通り浮かれ騒ぎが有名になっているが、実はその前に郊外住宅街、つまりまさに浮かれ電飾が行われているエリアでまっとうな「ファミリー・地域イベント」として定着したという背景がある。町内で事前にたずねるべき家を決め、子どもが仮装してまわるというちゃんとしたトリック・オア・トリートである。
80年代終わり頃にいっかい「日本でもハロウィンを定着させよう」という動きがあったように記憶している。おそらくバブルに乗じて「第二のクリスマス」的なノリで仕掛けられたのではないか。当時うまくいかなかった理由には92年におきた痛ましい日本人留学生射殺事件いわゆる「服部君事件」の影響などもあるかもしれない。
それが2000年代に入って広まったのは、ちゃんと家族のイベントとして消化されたからだ。こんにち、イベントが定着するにはファミリーで楽しめることが重要なのではないか。クリスマスもかつてほど恋人たちのイベント然としていないように思う。浮かれ電飾などはまさに「クリスマスの家庭への回帰」だ。
ちなみに、2011年に見た福岡における町を挙げての浮かれ電飾三昧に代表されるように、あちこちで浮かれ電飾が「コミュニティイベント化」している。市町村の公報誌などに「○○町でのイルミネーションが今年も始まりました!」などと載るのも珍しくない。たいていおじいちゃんが地元の子どもたちを喜ばせようと始めたものだったりする。
ハロウィンといえばすっかり渋谷の文字通り浮かれ騒ぎが有名になっているが、実はその前に郊外住宅街、つまりまさに浮かれ電飾が行われているエリアでまっとうな「ファミリー・地域イベント」として定着したという背景がある。町内で事前にたずねるべき家を決め、子どもが仮装してまわるというちゃんとしたトリック・オア・トリートである。
80年代終わり頃にいっかい「日本でもハロウィンを定着させよう」という動きがあったように記憶している。おそらくバブルに乗じて「第二のクリスマス」的なノリで仕掛けられたのではないか。当時うまくいかなかった理由には92年におきた痛ましい日本人留学生射殺事件いわゆる「服部君事件」の影響などもあるかもしれない。
それが2000年代に入って広まったのは、ちゃんと家族のイベントとして消化されたからだ。こんにち、イベントが定着するにはファミリーで楽しめることが重要なのではないか。クリスマスもかつてほど恋人たちのイベント然としていないように思う。浮かれ電飾などはまさに「クリスマスの家庭への回帰」だ。
ちなみに、2011年に見た福岡における町を挙げての浮かれ電飾三昧に代表されるように、あちこちで浮かれ電飾が「コミュニティイベント化」している。市町村の公報誌などに「○○町でのイルミネーションが今年も始まりました!」などと載るのも珍しくない。たいていおじいちゃんが地元の子どもたちを喜ばせようと始めたものだったりする。
福岡における町を挙げての浮かれ電飾。個人的にはこの動き、「コミュニティの祭」という政治的に正しい風情が香るのがあまり好みではない。あくまで「好事家の個人的な熱中・暴走」であってほしい。
ともあれ、思うに、バレンタイン・デーもそろそろファミリーイベント化するのではないか。
職場における義理チョコ配布問題を筆頭に、ジェンダー問題的観点からも従来のバレンタイン作法はそろそろ限界なのではないかと思う次第だ。
そうなったら「バレンタイン浮かれ電飾」まであと一歩だ。期待したい。誰か先んじてやりませんか。いっそぼくがやるべきなのか。いやでもなあ、パンドラの箱らしいからなあ。
職場における義理チョコ配布問題を筆頭に、ジェンダー問題的観点からも従来のバレンタイン作法はそろそろ限界なのではないかと思う次第だ。
そうなったら「バレンタイン浮かれ電飾」まであと一歩だ。期待したい。誰か先んじてやりませんか。いっそぼくがやるべきなのか。いやでもなあ、パンドラの箱らしいからなあ。
湘南モノレールのイルミネーションはすでにバレンタインまでこのまま使うぞ、という感じのハートモチーフだった。あっぱれ。
実際、商業施設では「冬のイルミネーション」として一括でハロウィン~クリスマス~バレンタインは連続していますよね。ほんと、だれかやらないかなあ、バレンタイン浮かれ電飾。