左・取材を快諾していただいた埼玉のお宅の御主人。
実はずっと、当事者にお話をうかがってみたかったのだ。ただ「けなしはしないが褒めもしない」というぼくのスタンスをおもしろがってくれる方はそうそういないだろう、とくすぶっていた。
そんなところへ、過日カルチャーカルチャーで行った「
間取り図ナイト12」のお客さんの中に「実家が電飾やってます。『あの光ってる家』って呼ばれています」という方がいたのだ!おお!
おじゃましてお話をうかがいたい、とお願いしたところ快諾いただき、いよいよ念願の「浮かれ電飾お宅訪問」となった。うれしい!たのしみ!
ディレクター:奥さま
「まあまずは一休みしてください」と中へお招きいただいた。すると、リビングルームでおもしろいことが起こっていた。
「間取り図ナイト」に来てくれたのは、このお宅の娘さん。結婚をして今は別の場所にお住まいだ。そしてこの実家の「浮かれ電飾」の製作をしているのは彼女のお父様。
ぼくがずっと浮かれ電飾実践者にきいてみたかったのは「はじめたきっかけは何か?」ということだった。これまでぼくが見聞きした理由で多かったのは「子どもがせがんだから」というものだった。「ねーねー、うちも○○ちゃんちみたいなのやろうよー」と。ありそうな話だ。
きけばこのお宅が最初に飾り付けたのは15年ほど前。娘さんはまだ子どもだ。やっぱりせがまれたんですか?
「それはないですー」
と間髪入れずに答えたのは娘さん。えっ。
お父さんも
「この子はまったく興味なくて」
と。そ、そうなんだ…。今回取材の段取りを組んでくれたものの、娘さんは電飾に対してすごく平熱。「娘よ!もっと盛りあがっていこうぜ!」って思っちゃった。人のこと言えないのに。
カーテンの影に、ツリーが。
ともあれ、ではどういうきっかけで?ときくと
「きっかけ…なんだったっけね?」
と奥さまの方を向いてたずねる旦那様。おぼえてないのかー!
それに対して「わたしがやりたかったの!」と笑顔で答えるお母様。
そう、黒幕(?)はお母様だったのだ。
お母様が通っていた学校はキリスト教系で、その庭には立派なヒマラヤスギがあった。それが毎年クリスマスシーズンに飾り付けされる光景がとても印象的だったのだそうだ。
「あと外国人先生のお宅に飾り付けをよく手伝いに行ったの。ああいうのを自分の家でもやりたいなあ、とずっと思ってて」
外からはこのように楽しめるのだが
正直に言うと、すごく「まっとう」なきっかけでびっくりした。クリスマスが「性夜」などと異名をとったバブル時代、モテとは無縁の思春期を送っていたぼくにとって、以来クリスマスの浮かれ風情は苦々しいものでしかない。うん、わかってる。やっかみだ。
つまりひがみの余勢をかっての「浮かれ電飾鑑賞」だったわけだ。「なんだよう、浮かれちゃってさあー」って。どうせ「なんか最近流行ってるから」ぐらいの理由で電飾してるんでしょ、と思っていた。
外からきれいに見えるようにと室内の照明も抑え気味に!すごい!そして犬がかわいかった!
もちろん、日本のイルミネーションをやっている家の奥さまがみなキリスト教系校の出身ではないだろう。このお話をうかがってぼくが「ああ、そうか!」ってハッとしたのはつまり「電飾を始めるきっかけはいろいろある」っていうことだ。
そりゃそうだろ、って思うかもしれないが、やっかみに支配された人間にはなかなかそうは思えなかった。このことだけでもぼくにとっては大きな発見だった。
旦那さん:「で、作業はわたしなんですけど、やってるうちにハマってしまって」
娘さん:「名古屋出身だからこういう派手なの好きなんだよねー」
旦那さん:「えー、そんなことないよ」
奥さま:「あ、わかるわかるー」
旦那さん:「じゃあそういうことで」
設置作業に3日間
ガレージのイルミネーションを例に実地で設置の解説をいただきました
他人の家族の会話ってなんでこんなにおもしろいんだろう。本人たちは意識していない独特の間とか家族にだけ通じる「いつものネタ」などとてもおもしろい。
さて、きっかけは奥さまだったが、設置作業はもっぱら旦那さまが担当。ぼくがもうひとつきいてみたかったのは「飾り付けにどれぐらい時間がかかるのか?」ということだった。
「3日かかりますね」
あらためてじっくりと電飾された様を見ると、そうだろうなーそれぐらいかかるだろうなー、と思った。だってこれどう見てもすごくたいへんだよ、お母さん!
ガレージの桁にせっせと結束バンドで固定してある。「結束バンドが足りない!って急いで買い足しにいったりします」これはたいへんだわー
「こういうまっすぐな部分は、あらかじめ棒に電球をつけておいたものをフックでかけるようにしてあります」なるほど。ただ、ちゃんと棒が白いテープで巻かれている点がすごく丁寧で感心した。
こういう細かい作業を家中にほどこすわけだ。ぼくだったらぜったい途中でなげだすね。
「『浮かれ電飾』っておっしゃってますけど、やるほうは浮かれてないですよ」
うん、これは衝動的にできるものではない。綿密な計画と準備が必要な「業務」だ。
不思議に思っていた妻部分の取り付け。ここもひとつ前の写真と同じようにあらかじめ棒に取り付けたものを使っているそうだ。
こういう工夫は自ら編み出したものだという。現在はノウハウがネットにもたくさんあるけど、15年前となるとみんな手探りだったにちがいない。何ごとにもパイオニアたちの試行錯誤と蓄積というものがあるのだ。大人の趣味だなあ。
LEDじゃないのか!びっくり!
「3日のうち最初の1日は電球切れてないかどうかのチェックで終わりますね」
え!ちょっとまって!これ、LEDじゃないんですか!
「一部はLEDですけど、大部分は電球ですよ」
これはびっくりだった。ここ数年の浮かれ電飾ばやりは間違いなくLEDの低価格化と普及によっている。その極致が新宿歌舞伎町の「ロボットレストラン」であるわけだが。
ロボットレストラン。Tシャツがへん。
いきなり話題が脱線するけど、みなさんロボットレストラン行きましたか。行った方がいいよあれ。「人間はカラスと同じ」ってことがよくわかるから。キラキラ光ってるもの見ると簡単に「わー!」ってなっちゃうのよ人間って。
LEDと大型画面の物量作戦がセンスとか美意識を駆逐する。あれはデザイナーの敗北が形になったものだ。豪華絢爛に辟易して侘び寂びやる千利休とかの気持ちがよく分かるので、デザイナー諸君はかならず足を運ぶように。
話を元に戻そう。
びっくり
浮かれ電飾=LEDだとおもっていたぼくにとって電球は衝撃だった。
「電球の色が好きなんですよ。いかにもLEDという感じのあの寒々しい青や白がいやで」
確かに青色LEDが爆発的に普及したあと、住宅用だけでなく商業施設のイルミネーションもいっせいに青ざめた。
でもその反動でここ数年は電球色LEDの家が多い。買い換えればいいじゃないですか。消費電力すごいですよね?
「そうでもないですよ。うちはせいぜい3000球ぐらいなので、電飾分の電気代は月2000円程度です。それになんだかんだでLEDは高くて」
15年前から毎年少しずつ増やしていった結果が現在の3000球なので、それを一気にLEDに買い換えるとなると、確かにお金がかかると。
それにしても電球でも電気代ってそんなものなのか。もっとかさむと思ってた。
あと、電球で統一されてるのがすごい。毎年の買い足しで色がどんどん増えてすごいことになってる家がよくありますよね。
「妻が電球じゃなきゃだめ!って言うので」
「派手ならいいってもんじゃないわよね」
ディレクター、さすがだ。
「キャラクターモチーフの電飾も好みじゃないので使わないんですが、そうすると近所の子どもたちにはあんまり受けなくて」
あー、それはわかる。いろんな街の浮かれ電飾見てると、子どものためにやってるな、っていうところは一目で分かる。
あとすごい!って思ったのは球の外側が白く塗ってあるもの(右)が好みなんだけど、現在入手困難なので、切れたものは塗ってないもの(左)を買って、ご自身でペイントしているそうだ。そういう手間をかけているのか!
いろいろ実際にお話聞くと、こういう箇所への設置ってほんとたいへんなんだろうなー、と思う。
そうそう、片付けるのもたいへんじゃないですか?
「それは1日で終わります。ただ、収納場所が…」
あー、その悩みはきいたことがあります。イルミネーションってまとめるとけっこうかさばるんですよね。段ボール箱にしてどれぐらいですか?
「7箱ぐらいかなー。ひな人形と同じ納戸に入れていて、電飾取り出すのがめんどうなので雛飾りしない、という年が結構あった」
これをきいて娘さんが「ひどいよねー」。確かに電飾の季節とずれてるから取り出すのはめんどくさい。想像できる。
それにしても11月になると「ああ、今年もやらなきゃ」と憂鬱になる、というご主人に対して、冒頭の娘さんのように「じゃあやめればいいじゃん!」と言いたくなるだろう。なんでこんなにたいへんなのにやるんだろうか。
バラと電飾
お話がおもしろくて、つい長居してしまったら、なんだかもてなされてしまった。このあと夕食までいただいてしまった。もうしわけない。
「やらないと心配されちゃうんですよ。ご近所に。病気ですか?って」
と奥さま。
「それにやっぱり『すてき!』って言われるとうれしいし、期待されるとこたえたくなるの」
ご近所の方の期待はもちろん、離れた街から見に来る方もいらっしゃるようだ。ぼくが滞在している間だけでも、何台かの自動車が来て見ていた。
みんな家の前でスピードを落とす。
「庭をきっかけにご近所さんや通りかかった人と話が出来るのっていいのよね」
ぼくとのおしゃべりも弾み(電飾とはまったく関係ない話題でももりあがった)、次から次へと食べ物がサーブされちゃう。つまり、このご家族は「もてなし好き」なのだ。その一環としての「浮かれ電飾」なのだとぼくは理解した。
電飾に対して冷ややかな娘さんではあるが、学生の頃は友達が電飾目当てに(というきっかけで)泊まりにきたりしていたそうだ。
「コミュニケーション・メディアとしての庭」(←それっぽい言い方をしてみた)という意味では、実は電飾だけではない。もうひとつのここの庭の名物はバラなのだ。
玄関から外を見たところ。凡百の浮かれ電飾と一線を画す雰囲気の秘密は、バラとの組み合わせにある。
バラ、ずるい。クリスマスイルミネーションにしっくり。
以前日本家屋・日本庭園なのに充実した浮かれ電飾をやっている家をみたことがあるが(→
浮かれ電飾を鑑賞する2007)、やはり和風よりバラの庭のほうがはまっている。
しかし、たしかに素敵なのだがやっかいなこともあるようで。
くだんのこのすてきなバラ棚とそこに取り付けられた電飾。なにが起こるかというと…
電飾取り付けのたびに、とげにやられる。
ぼくがなんどか「それってたいへんじゃないですか!」って言うと「バラよりまし」って答えるのが印象的だった。
そうか、バラで鍛えた庭仕事が電飾に応用されているのか、と得心した。
そうそう「バラよりまし」に関連して、ぼくが最後にもうひとつききたかったことがある。
「浮かれ半年化」説
もうひとつききたかったこと、それは「できれば年中電飾やりたいのでは?」という質問だ。
はじめはひがみ混じりで始めた一連の「浮かれ電飾鑑賞」だが、長年見ていくと興味深くなってくる。
「
マンションポエム」もそうだが、当初半笑いだったものに、数年かけてすっかり真顔にさせられる。なんでもしつこく追いかけて、最終的についうっかり学んでしまうのがぼくという人間だ。思えば工場や団地やジャンクションもそうだった。
「浅薄だ」「バカにしている」とおしかりを受けることの多いぼく。しかし、数年待ってほしい。最初から良い子に振る舞うより、じっくり取り組んだ結果感化されちゃうほうが誠実だと思う。
誠実つったか、いま、ぼく。
いやまあ、なにが言いたいのかというと、浮かれ電飾についても追いかけていくうちに、とある仮説を立てるぐらいになったということだ。それは「お正月防波堤」と「浮かれ半年化」説だ。
ここ2、3年台頭してきたのが「ハロウィン浮かれ電飾」だ。
バブルの頃から仕掛けられつつも、まったくうまくいかなかった日本におけるハロウィンが、昨今急激に定着しつつある。以前はクリスマスと同様、恋人たちのイベントとして仕組まれたものが、ここへきてまっとうな「地域/ファミリーイベント」として消化されたのがその理由だと思う。
そして実はこの「浮かれ電飾」も「クリスマスの地域/ファミリー化」の表れなのだ。だからこれらの電飾は商業施設の「浮かれ」とはほんとうはちょっとちがう。今回お話をうかがって改めてそれがよくわかった。
ともあれ、そういう意味でもともと相性のよいハロウィンというアイテムを手に入れた浮かれ電飾ニスト(なんだそれ)は、電飾シーズンの前倒しを始めた。
幸いなことに(?)日本のお正月の雰囲気が電飾と折り合いが悪いので、延長は防がれているが、ぼくはそろそろ「イルミ門松」の登場が近いと思っている。
そうなればあとは「浮かれひな祭り」いや「浮かれ鯉のぼり」まで行くかもしれない。
と、このような仮説を持っていたので、きいてみたのだ。できれば年中電飾やりたいのではないですか?と。そしたら
「いやー、ないですね」
あれ。でもほら、前倒し・後ろ延長すればそんなに寒くない季節に設置作業できるから楽じゃないですか!
「バラよりましです」
きけば、バラの手入れには「剪定」「土の入れ替え」が重要らしく、これが冬行われるそうだ。
「電飾なんて楽なもんですよ。トゲないし。重くないし」
…やっぱりバラで鍛えられているみたいです。
「ほんとうはもっとスタイリングにこだわりたいんですけど」と旦那さん。俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ!
「11月になると憂鬱なんですよ…」と旦那さんはおっしゃった。「じゃあやめればいいじゃん!」とお嬢さんは返した。
ぼくはたくさんの「マニア」に会ってきたが、彼らの多くが口を揃えて言うことがある。それが「できればやめたい。正直、もうつらい」「でもやめるわけにはいかない」と。
楽しいだけでやっているうちはまだまだなのだ。「なんでこんなに苦労してやってるんだっけ…」って素に戻る瞬間をどう乗り越えるか、がポイントだ。
ああ、「浮かれ」じゃなかったんだなあ。ぼくと同じだ。と思った。おたがいがんばりましょう!
[告知] 12月31日コミケで「かわいいビル」写真集と「工場クリアファイル」登場です。