減って増えた!
長崎の世界遺産候補の教会群リストは、たびたび変更されている。最初に挙がっていたのは20箇所。それが26箇所に増え、がんばって追いかけていたら、最新版では逆に13箇所に絞りこまれていた。詳細を見ると関連遺跡という言葉で一括りにして数を減らしたのもあれば、逆に今までまったく入ってなかった物件がダークホース的にリスト入りしたりもしてる。
リンクが付いてるところは過去に巡ったもの。
newは新たに追加されたものだ。
選定委員の迷いもうっすら垣間見える。
というわけで、リスト制覇を目指すべく太字の3つ
4. 日野江城跡
8. 平戸島の聖地と集落
13. 天草の﨑津集落
を今回訪れた。
これ、地図を見ればわかるが
笑っちゃうほどそれぞれが離れている。
newは新たに追加されたものだ。
選定委員の迷いもうっすら垣間見える。
というわけで、リスト制覇を目指すべく太字の3つ
4. 日野江城跡
8. 平戸島の聖地と集落
13. 天草の﨑津集落
を今回訪れた。
これ、地図を見ればわかるが
笑っちゃうほどそれぞれが離れている。
今回訪れた3箇所の位置関係。橋が架かってるとはいえ、平戸も天草も島だからね。 (別ウィンドウで表示)
そこは熊本
まずは新たにリストに加わった崎津教会。
これの意表を突くところは、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と言いつつ長崎県ではないところだ。
まぁ、世界を相手に県境を気にすることもないんだけど。
これの意表を突くところは、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と言いつつ長崎県ではないところだ。
まぁ、世界を相手に県境を気にすることもないんだけど。
ちなみに個人的な印象だが、天草は長崎とノリが似てる。というか同じテイストを感じる。 (別ウィンドウで表示)
それは漁村のど真ん中にある。
世界遺産候補・崎津教会
写真は3年前に訪れた時のもの。
まだリスト入りしてなかった頃だったが、九州の教会について調べていた時、「すごいロケーションのがある!」と思って見に行った。
まだリスト入りしてなかった頃だったが、九州の教会について調べていた時、「すごいロケーションのがある!」と思って見に行った。
海辺の集落の中に
どどーんとそびえ立つ。周囲の瓦屋根との対比が見事。
猫も歩いてる。
教会の周りは人の往来も多く、田舎ならではのフレンドリーさ。
露店もある。
禁教が解けた明治以降、3度に渡り建てなおされた。現在のは九州の数々の名教会の建築を手がけた鉄川与助氏による設計・施工で、昭和9年に竣工したもの。
周辺の様子。
山の上に気になるものが見えたので、それも見に行ってみた。
十字架のモニュメントがある展望台となっていた。
ちなみに天草にはもうひとつ有名な教会がある。
丘の上に立つ大江教会。
フランス人宣教師ガルニエ神父によって建てられた教会。
設計・施工は崎津教会と同じ鉄川与助氏。昭和8年に竣工。
が、こちらは世界遺産候補リストには入ってない。
設計・施工は崎津教会と同じ鉄川与助氏。昭和8年に竣工。
が、こちらは世界遺産候補リストには入ってない。
リストに入る/入らないの線引は難しく、正直私にはよくわからない。
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諸行無常の響きあり
島原半島の南端にある。 (別ウィンドウで表示)
入り口
日野江城が築城されたのは1213年~1219年頃とかなり古い。その時代の城跡といえば、ただの山にしか見えないようなわかりづらいのも多いが、ここは石垣などあって分かりやすい。
あちこち網で覆ってある。
イノシシ対策。
全体的に荒れ地感が高い。「遺跡」という言葉がふさわしい。
工事現場的なものがあった。
てっきり立ち入り禁止かと思ったら「見学は自由」と書いてある!
うぉ、すごい。
まさに発掘現場。
よくわからないがなんかすごい。
さらに上に登って行くと
平らな広場(曲輪)がいくつか現れる。
周辺を見下ろす。
さて、キリスト教との関わりだが、
ここはかつてキリシタン大名・有馬晴信の居城だったという。有馬氏は肥前西部最大の戦国大名で、港にはポルトガルの船が往来し、付近は大変賑わっていたという。城下には日本で最も豪華な教会やセミナリヨ(学校)が建てられたそうだ。
しかしいろいろあって有馬氏がいなくなり(ここ省略してはいけないとこかもしれないけど)、代わりに松倉重政がやって来て日野江城は廃城になり、キリスト教弾圧、島原の乱とあってすっかり荒廃。
それから400年。周辺は田畑が広がっており、肥前西部の中心地だった面影は今はまったくと言っていいほどない。
ここはかつてキリシタン大名・有馬晴信の居城だったという。有馬氏は肥前西部最大の戦国大名で、港にはポルトガルの船が往来し、付近は大変賑わっていたという。城下には日本で最も豪華な教会やセミナリヨ(学校)が建てられたそうだ。
しかしいろいろあって有馬氏がいなくなり(ここ省略してはいけないとこかもしれないけど)、代わりに松倉重政がやって来て日野江城は廃城になり、キリスト教弾圧、島原の乱とあってすっかり荒廃。
それから400年。周辺は田畑が広がっており、肥前西部の中心地だった面影は今はまったくと言っていいほどない。
説明看板。かつては大変栄えていた場所だったことが伺える。
城跡から有明海を見下ろす。
頂上付近には祠がある。
ハグロトンボがたくさんいた。
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山&島
最後は平戸の山と島。
これも途中からリストに加わったものだ。
弾圧中、教会堂の代わりに安満岳(やすまんだけ)、中江ノ島といった山や島が聖地として信仰されたという。
これも途中からリストに加わったものだ。
弾圧中、教会堂の代わりに安満岳(やすまんだけ)、中江ノ島といった山や島が聖地として信仰されたという。
場所。 (別ウィンドウで表示)
ストーリー的には「なるほど」と思いつつ、世界遺産の対象としてはややぼんやりした印象があり、正直「どうなんだろう?」と思った。が、リストに挙がってる以上、コンプリート目指して目的地へと向かった。
安満岳。
私が向かった日は思い切り雨だった。
遠くから見ても山頂が霧ですっぽり覆われている。
まったく撮影向きじゃない!
遠くから見ても山頂が霧ですっぽり覆われている。
まったく撮影向きじゃない!
登り口へと向かう道路。
道にでかい鳥の親子がいた。
キジだろうか?ちょっとその辺では見ないタイプの鳥。
展望台があったのだが… (鯛ノ鼻自然公園)
安満岳登り口の近くに展望台があったので
立ち寄ってみたら、
立ち寄ってみたら、
絶景ポイントのはずが…
あいにくの天気で、ご覧の眺め。
昔見たジム・ジャームッシュの映画にこういう場面あった。
昔見たジム・ジャームッシュの映画にこういう場面あった。
潔いまでの霧。長崎(市)から車で約3時間かけてやって来た。
登り口。
安満岳は平戸島最高峰の山。
標高は530mとそれほど高くないが、山はそれぐらいでもけっこう大変だったりするからなぁ…。
ここから雨の中、傘を差して山を登る。
まるで罰ゲームのようだが、
せっかく来たのだから…と登り始める。
標高は530mとそれほど高くないが、山はそれぐらいでもけっこう大変だったりするからなぁ…。
ここから雨の中、傘を差して山を登る。
まるで罰ゲームのようだが、
せっかく来たのだから…と登り始める。
歩きやすい。
厳しい登山を覚悟して登り始めたら、
思いのほか道が整備されていて歩きやすい。
(1時間ほどで往復できる楽勝コースだった)
思いのほか道が整備されていて歩きやすい。
(1時間ほどで往復できる楽勝コースだった)
ファンタジーのような景色。
あたりには霧が立ちこめていてまるでファンタジーの世界のよう。指輪物語の1シーンのようだ。
やがて広場のようなところに。
鳥居があり、いよいよ神秘的な様相。
鳥居から先は、自然の石が積まれた神秘的な道が続いていた。
なんという神々しさ…!
この日、雨が降ったのは、私にこの光景を見せてくれるためだったんだ!と思わずにいられなかった。すべてのことに意味があるような気がした。
この日、雨が降ったのは、私にこの光景を見せてくれるためだったんだ!と思わずにいられなかった。すべてのことに意味があるような気がした。
こんな道がずっと続く。
再び遠くに鳥居が見えた。
社殿はプレハブだった。(斬新)
社殿の後方、山頂部にはこういったものが。
さらに側面にも道があったので行ってみると、
霧で真っ白!
晴れていればおそらく絶景が拝めたであろうが、霧でまったく見られず。しかしその霧のおかげで素晴らしく神秘的な参道の光景が見られたのだから、捨てる神あれば拾う神ありなんだなと思った。
中江ノ島
さて、最後は
こちらも信仰の対象とされていたという中江ノ島。
と言っても道路から眺めるだけ。
こちらも信仰の対象とされていたという中江ノ島。
と言っても道路から眺めるだけ。
阿蘇の寝観音みたいなもの?とも思ったがよくわからず・・
ぼんやり眺めて帰って来ました。
コンプリート
というわけで、ようやく全リスト制覇することができた。
日数は延べにすると丸2週間くらいかかっただろうか。長崎に住んでいてもこれだけかかるのだから遠くから来てすべて周るのは本当に大変だろう。が、こういうリストでもなかったら行かなかっただろうすごい場所も多く、旅のきっかけとしてとてもよかったと思う。
世界遺産になったあかつきには是非巡ってみてください。
日数は延べにすると丸2週間くらいかかっただろうか。長崎に住んでいてもこれだけかかるのだから遠くから来てすべて周るのは本当に大変だろう。が、こういうリストでもなかったら行かなかっただろうすごい場所も多く、旅のきっかけとしてとてもよかったと思う。
世界遺産になったあかつきには是非巡ってみてください。