カタとは何ぞやという話から
ここでいうカタとは、粘土を詰めて型をとるための素焼きの道具であり、それを使った遊びの名前でもある。ボン・ジョヴィがボーカルの名前であると同時に、バンド名であるのと似ている。
私が小学生の頃は当たり前のように遊んでいたのだが、このカタというのは全国的なものではなく、どうやら東京の下町や埼玉の東部の一部でのみ流行っていたものらしい(私は埼玉東部出身)。
世代的なものもあるかもしれないが、当サイトのライターや友人の中には、やったことがあるという人がまったくいなかった。
実家の物置に残っていたカタ。ああ懐かしい。
カタ屋のおじさんはいろいろな地域を回っているらしく、私の住んでいたところでは冬休みに毎年来ていた。なので私にとって、カタは冬の遊びとなっている。
そんな感じで私にとっては思い出深いカタ遊びだが、さすがに現役のカタ屋さんはすでにいないだろうから、もうカタをやることは無理だと思っていた。
しかし、「
あそびの学校」という集まりで、昔ながらの遊びを伝えている菅原さんという方が、今でもカタを不定期でやっているらしいことがわかり、東京芸術大学で行われたイベントへといってきた。
まさかカタをやるために東京芸大にくるとは思わなかった。
こちらがあそびの学校の菅原さん。
私が遊んでいたのは、最後のカタ屋だったらしい
菅原さんの話によると、昭和40年代前後にはカタ屋さんもたくさんいたそうだが、時代の流れと共に減っていき、最後に残ったのが埼玉の春日部市に住んでいた寺田さん。
そして、その人こそがまさに私が遊んでもらっていたカタ屋さんであることがわかってびっくりした。
そうか、あのおじさんは歴史上最後のカタ屋さんだったのか。
これらのカタにどれも見覚えがあるぞ。
これが石膏でできたカタの原型で、原型師は寺田さんとは別の人らしい。
人気マンガの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にカタ屋が登場したことがあるそうで、それで知ったという人も多いかも。
私にとってのカタ屋さんは、まさにこの寺田さん。一緒に写っている子供が私だったらおもしろいが、さすがに違った。
あのおじさん、寺田さんという名前だったのか。当時は「カタ屋のおじさん」という呼び方しかしたことがなかったので、名前を今日初めて知った。
寺田さんは1997年に引退され、今は釣り三昧の日々とのこと。そんな寺田さんからカタの元となる石膏の原型を引き継ぎ、不定期ながらも現代にカタという遊びを残しているのが菅原さんなのだ。
私にとっては、なんだかびっくりするくらいドラマチックな展開である。
カタの遊び方と思い出話
それにしても懐かしい。久しぶりのカタをやりながら思い出したことを全部書くとすごい文章量になってしまうので、控えめに思い出話を加えつつ、カタの遊び方を紹介したいと思う。
まずはカタに粘土をギュッと詰める。確か小さいカタで50円くらいから買えた気がする。
粘土を取り出し、カタの裏側に乗せる。当時の粘土は石ころとか入っていて、もっと泥っぽかった。
カタはまず小さいものを買ったり、この遊びの先輩からもらったりして、それを使ってコツコツと点を貯めていき、より大きなカタを点で買うというのが楽しく、どんなカタを持っているかがこの世界でのステータスシンボルだった(でかいのは80センチ四方くらいある)。
いきなり大きなカタをお金で買うのは野暮なのだ。
粘土が一握り10円、色が一色10円だったので、カタさえあれば、1日100円くらいで十分遊べた。今考えると、カタ屋は全然商売になっていないと思う。
粘土に色を付けるのが、「色」と呼ばれていたキラキラした粉状のもの。これが風ですぐ飛ぶんだ。包んである新聞紙を10枚持っていくと、1色もらえた。
できあがった作品に応じて、カタ屋が独断で点をくれる。この点がカタ屋での通貨となり、カタ、色、粘土が買える。
出来上がった作品はカタ屋のおじさんのところに持っていくと点数をくれるのだが、上手な作品はコンテスト用としてその場に残され、それが5つ集まると、おじさんが審査員となり順位が決められ、それに応じた点数をもらえる。
自分より大きなカタを使っている上級生に勝って一等をもらえると、本当にうれしかった。
先に絶対勝てなそうな作品がコンテストに出ると、その回はパスしたりといった駆け引きを覚えたりもした。
粘土に好きな色を付けていく。色の濃さや色分けの美しさが評価の対象となる。現実世界のカラーリングは無視して、ハデハデに塗ろう。
このように完成したら、おじさんのところへ持っていくと、完成度に応じた点数がもらえる。もちろん、ちびっこや女の子に甘かった。
自分のお小遣いと点をうまく使い分けて材料を買い、魂を込めて作品を作って、順位や点という形で評価を得るというこの遊びは、幼かった私に経済の基本みたいなものを教えてくれたような気がする。
カタ屋のおじさんは、単純なお金のやりとり以上の関係を持つ、はじめての「他人の大人」だったのだ。
カタは駄菓子のパッケージと同じように、どっかでみたことがあるようなキャラクターのデザインが多かった。
これは甘党であろうと思われる女の子のカタ。
カタは毎日の最後にじゃんけん大会が行われ、上位5人くらいにカタがプレゼントされた。そしてそのシーズンの最後は大ジャンケン大会が開催され、豪華賞品が振る舞われたのだ。しかし、私はジャンケンが弱かった。
幼い弟や妹を連れて来て、ジャンケンにだけ参加させて、どうにか賞品をもらおうとする兄弟もいた。
23年振りくらいに本気で作ったカタは般若。このカタは兄が持っていたなあ。久しぶりで目や口の部分がイマイチ。
このように毎年カタ屋がくるのをとても楽しみにしていたのだが、中学生になるとカタがうまくなりすぎて、コンテストでの連勝が当たり前となり、「ここはもう俺の遊ぶ場所じゃない」と引退を決意。隣の家のタカシ君に、持っていたカタや点をその場で全部あげてしまった。
実家に残っていたカタは、その時に持っていかなかったものなのだろう。
一度出した作品の再提出を封じるために、つぶされるのがお約束。カタの遊びはカタチに残らないのである。このつぶす時のおじさんは毎回とても楽しそうだった。
つぶされた般若がなんだかかっこよかった。つぶされた作品を無理矢理直して別の人に再提出させて、それがばれて怒られたりもしたような。
すみません、話が長くなりました。
菅原さんにお願いをすれば、今でもカタは手に入るそうだが、新しいデザインのカタが登場することは残念ながらもうない。
それなら私が21世紀にふさわしいデザインのカタを作成して、自分の子供やその友達に遊んでもおうじゃないか、というのが今回の話である。
時代は廻って、今度は私がカタ屋のおじさんになる番なのだ。
カタを作るための材料を買いに行こう
カタの遊びは子供の頃にさんざんやっていたが、カタの原型を作るというのはもちろん初めて。
なにを用意したらいいのか今一つはっきりしないが、とりあえず材料を揃えるために東急ハンズにやってきた。
ここにくればどうにかなるはず。
カタの原型は石膏で作られていたらしいのだが、石膏なんて使ったことがない。そこで東急ハンズの店員さんにアドバイスをいただき、石塑粘土という大人用高級紙粘土みたいなものを購入。
さらにそれをカタにするための粘土と、カタに入れて遊ぶための粘土が必要だ。私は工作の類をほとんどしないので、なんだか買い物の段階でドキドキしてくる。
粘土っていっぱい種類があるんですね。
21世紀らしくシリコーンを使おうかとも思ったが、やはりカタは粘土だろう。
粘土以外に必要なのが、色の粉だ。そんなもの売っているのかなと思ったが、あっさり見つかった。
さらに点のカードをそれっぽく作るために、数字のゴム印や画用紙なども購入。
色を無事発見!
ゴム印で押された数字じゃないと、点のカードっぽくならないよね。
別に商売として何度もやる訳じゃないから、点なんていうシステムはなくてもいいのだが、こういう細かいところをビシッと決めないと、やっぱりカタっぽくならないのだと思う。
21世紀らしい原型を作りたい
買い物は無事に終わったが、さて何をモチーフに作ろうかというのが問題だ。
やはり時代は21世紀になったのだから、私が子供の頃になかった、今らしいものを作りたい。私にも作れる範囲の難易度で(これ大事)。
造形的なものに対して、腕に覚えはまったくない。
石塑粘土を捏ねながら何を作ろうか考える。
いろいろ考えたのだが、やはり今なら東京スカイツリーだろう。確か昔は東京タワーのカタがあった気がするし。
もし原型制作に失敗したら、携帯電話とかデジカメの実物を使えばいいかなとか考えつつ、ネットで検索した画像などを参考に粘土を捏ねる。
30分で完成。無心になって粘土を捏ねる作業は、とても楽しかった。
粘土でなにかを作るなんて、それこそカタよりも久しぶりなのだが、自分としては予想以上にうまくできたのではないだろうか。
これに絵具で色を塗れば、ちょっと手先が器用な小学六年生の夏休みの宿題といったクオリティになるだろう。
本物のスカイツリーはもっと縦長なのだが、そこをカタらしく上手にデフォルメできたと思う。
持ち上げたらあっさり折れたので、土台部分を付けた。
キャラクターものの原型を作る
せっかくなのでもう一つ、なにかキャラクターものを作ってみたいと思う。
カタといえば、どこかで見たことがあるけれど、どこかがなんとなく違う、いわゆる「コレジャナイ」系のデザインがよく似合う。
今風のキャラクターにインスパイアされたり、昔からあるキャラクターをフィーチャリングした結果、こんなものが出来上がった。
ピカえもん、あるいは、ドラチュウと呼んでください。
何がモチーフになっているのかはあえて書かないが、あえていうならポケットつながりである。我ながらカタの世界観にあるバッタものっぽさがよく表現されていると思う。いや、ここまでひどくないか。
ちなみに娘に見せたら、「ドラミちゃん!」という答えが返ってきた。
この謎が多いデザインを、遊ぶ側がどう解釈して、何色に彩るかで、一つの原型から何種類もの個性が生まれてくる訳だ。
原型からカタを作る
続いての作業は、原型からカタを作る工程だ。
自然乾燥させた原型を、オーブン粘土というオーブンで焼くと固くなる粘土に押し当てて、カタの本体を作る。
数日振りに見たキャラクターのデザインがひどい。
このようにカタを作るという作業は全く初めてなので、剥離剤的なものが必要なのかとも思ったが(料理だったら片栗粉を振る場面だ)、まずはとりあえずそのまま、東京スカイツリーの原型をオーブン粘土に押し付けてみた。
オーブン粘土の塊に力任せで押し付ける。こういう作り方でいいのかな。
石塑粘土でできた原型がオーブン粘土にくっつかないかと心配だったが、多少全体の形はゆがんだものの、想像以上に綺麗なカタをつくることができた。
細かい模様もはっきりと移ってくれてうれしい。
なんとなく歪んでいるけれどOK!
もうひとつのキャラクターの方は、原型の厚みがありすぎたり、耳が千切れやすかったりして抜きにくかったが、三度目のトライでどうにか成功。
原型はもっと薄く、そして側面が垂直ではなく、なだらかなカマボコ状になっていないといけないようだ。
後を継ぐ者が現れるかは知らないが、ぜひ後世に残したいノウハウである。
多少崩れてしまったが、ヘラで修正をしてOKとしよう。
点と色を用意
カタとなるオーブン粘土を乾かしている間に、点と色を用意しておく。点は適当な大きさに切った画用紙にゴム印で数字を入れ、偽造防止にそれっぽいハンコ(弊社印鑑)を押してみた。
点のカードは、1,000点、5,000点、10,000点の3種類を用意。そういえば10円の色が10,000点で交換できたので、10円=10,000点なのだが、カタは300円のものが200,000点といったように10円<10,000点なので、点で買った方が割安だった覚えがある。だからこそ大きなカタは点を貯めて交換するものだったのだ。
できれば一回限りじゃなくて、何度もカタをやってもらい、そういうところでも頭を使って遊んでもらえれば最高なのだが。
点作りはお金を生み出しているのと同じなので、カタの神様にでもなった気分になる。
色は1つ包んでみて、すぐにやってられるかと投げだした。
色については、新聞紙で少量ずつ包むのが本式だが、やってみるとこれがとても面倒くさい上に、どれがどの色だかわからなくなってしまうため、今回は小分けせずにプラスチックケースに入れることにした。
よくこんなに手間暇掛けて、1色10円で売っていたなと思う。
自然乾燥したオーブン粘土のカタを焼く。我が家の電子レンジでオーブン機能を使うの、今回が初めてかもしれない。
オリジナルのカタを使ってみる
一通りの準備が整ったところで、子供たちに遊ばせる本番に挑む前に、自分で作ったカタが本当に使えるかどうかを試してみることにした。
子供に邪魔されず、1人でじっくりと時間を掛けてカタを楽しみたいという思いもある。
粘土は何度も使うことになりそうなので、カタとしては邪道となるが、乾いても硬くならない油粘土にした。
東京スカイツリーは見事に成功。本物のカタと比べても遜色のない出来かもしれない。
キャラクターはやっぱり耳がネックになったが、まあこんなものだろう。
子供の頃は量の少ない色の粉を、粘土が見えないギリギリの薄さで塗るのがテクニックの見せ所だった。予算の少ないちびっこは、色の伸びがいい金、銀、銅ばかりで塗ったりしたものだ。
大人になった今は、たっぷりと色の粉があるので、ブルジョアになった気分で贅沢に塗らせていただく。色の粉は俺にとってのキャビアだ。
ちなみにカタの配色に関しては、昔から完成形をまったく考えずにフィーリングだけでやっている。このあたりに向上心があれば、もう少し絵心のある大人になれたのかもしれない。
袋から贅沢に直で塗ってやった。
途中経過がなんだかウルトラマンっぽい。
色をたっぷりと使えるのはいいのだが、実際に好き放題で塗ってみると、どうにも張り合いがなくてつまらない感じがする。やはりこういうのは限られた量を上手に使うのがおもしろいんだろうな。
そんなこんなで、21世紀バージョンのオリジナルのカタ作品が完成。
この南米の昆虫以上にハデな色彩こそ、カタの魅力ですよ。
東京スカイツリーは、色を付けたらなんだかオモチャのクリスマスツリーみたいになってしまった。あるいはアメリカの派手なケーキ。しかし、カタの世界では現実の色に合わせる必要はまったくないので、これはこれでいいのだ。たぶん。
そしてキャラクターの方は、なにも考えずに色を塗ったら、さらに何者かわからなくなった。混沌。
ウルピカドラチュウマン。
欲を言ったらキリはないが、立体造形スキルのない私が、原型から作った割には、それっぽくなったのではないだろうか。
この時点で個人的にはだいぶ満足してしまった感もあるのだが、本番はこれからだ。
私がカタ屋のおじさんになって、子供たちに遊んでもらってこそ、このプロジェクトは成功といえるのだ。
公園には誰もいないので、友人宅でおこないます
カタ屋は公園へと車で乗り付けて、荷台からさっそうとカタを広げて、子供たちを集めて商売を始める。
私もそのスタイルを踏襲したいところだが、真夏の公園は暑すぎて、子供は一人も遊んでいなかった。
こんにちは。最年少のカタ屋のおじさんだよ。
公園に誰もいない。やっぱりカタは冬の遊びだ。
たとえ子供がいても、見ず知らずの子供にカタをやらせるというのはいろいろとハードルが高いので、事前に事情を説明しておいた友人宅でやらせてもらうことにしておいたので、今のは単なる茶番だ。
集まった子供は、上は小学1年生から下は4歳まで。本当はもう少し対象年齢が上の遊びなのだが、このくらいから親しんでもらったほうが、カタの将来は明るいだろう。
家にあった昔のカタと、今回のために作ったオリジナルのカタを持ってきた。カタの未来は君たちに任せた。
今どきの子供にも、真剣に遊んでもらえました
さっそく集まったちびっこ達にカタをやってもらったのだが、まず結論をいってしまえば、とても楽しんでもらえたようだ。
テレビゲームで遊ぶことに慣れた子供たちが(うちにはないけど)、粘土や色の粉で手を汚してまで遊んでくれるのか不安だったのだが、みんな夢中になってカタで遊んでくれたのだ。
もちろん今日集まった子供がこの遊びに向いていたということもあるのだろうが(親からのプレッシャーもあったかな)、新米カタ屋のおじさんにとって、こんなにうれしいことはない。
まずはお手本を見せると、すぐに食いついてきてくれた。
あと私の作った東京スカイツリーが東京スカイツリーであるとわかってくれたことが、地味にジーンときた。
ちょっとカタをやるには幼すぎるかなとも思ったが、すぐに遊び方を理解してくれたようだ。
出来上がった作品達
さてカタ屋のおじさん側になってみた感想だが、人が作ったものに好き勝手に点数をつけることに、妙な満足感と責任感と感じた。
今回は点数を集めても特にいいことはないのだが、それでも子供たちはキラキラした表情で、もらった点を競い合ってくれる。
当たり前だけれど、あのカタ屋のおじさんは(もう名前忘れた)、子供が好きだったんだなと今更ながらに思う。聞いたら「子供なんて嫌いだよ!」っていいそうだけど。
観音様のように金ピカにされた東京スカイツリー。
耳もとれて、お岩さんのようにデコレートされた謎のキャラクター。
はい、10,000点。子供が一所懸命に作った作品を壊す行為は、罪悪感があって楽しい。
さすがは小学生だけあって、綺麗に色分けされたコンドル。それにしても、ちゃんとしたカタは、ちゃんとした造形をしていますね。
やっぱり金ピカにされたメスのネズミ。君は将来金持ちになると思うよ。
金、銀、銅の使い方が難しいかな。先に塗ると、その上に他の色が乗らないんだよね。
立派なタイが完成。それにしてもいいカタのデザインだ。
子供たちの腕がだんだんと上達していくのがハッキリとわかる。
本日の一等賞は、祝い砂糖か北陸地方のカマボコのようなタイに決定!
カタで遊ぶことが幼児期における人間形成においてプラスになるかはわからないけれど、塗り絵とはちょっと違う、色の粉を使って立体的な粘土の表面をカラフルに埋めていくカタ独特の感覚が、少しでも記憶に残ってもらえればうれしいかな。
でもやっぱり夏はプールだな。
大人がやるのもいいと思う
今回は子供を相手にカタ屋のおじさんとなったが、カタという遊びは、大人が真剣になってやっても、十分おもしろいものだと思う。腕に覚えのある人は、今回のようにカタの原型作りからやると、さらに奥が深いはずだ。
子供たちはもっとやりたいといってくれているので、もう少し涼しくなったら、今度は大人も交えて、またカタで遊びたいと思う。