特集 2025年10月31日

『手紙文国語辞典』のひみつ

2025年10月に開催された『国語辞典ナイト』で発表したスライド「手紙文国語辞典のひみつ」を再構成してお届けします

インターネットのある現代。人々がコミュニケーションをとる手段といえばLINEだとかSNSなんかを使うことが多いが、昭和時代は圧倒的に電話か手紙を使っていた。

そんな時代には、手紙の例文を載せた手紙の例文集なんて書籍が売られていた。

『手紙文国語辞典』(永岡書店)という国語辞典がある。実はこの『手紙文国語辞典』に載っている例文集がかなりおもしろいので、紹介したい。(本記事で引用した本文画像はすべて『手紙文国語辞典』1976年初版・永岡書店によります)

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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そんなことまで例文が載っているの?  

古い時代の手紙文の例文集を集めている。以前にも記事化したことがあるが、今回は手紙文例集と国語辞典が合体しているというちょっとファンキーなタイプの手紙文例集があるので、それを読んでみることにしたい。 

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左のベージュのものが1976年発行の初版で、右の緑色のものが1994年発行の23版。23版とあるが、僕がざっと確認したところ、内容はおそらくほぼ一緒でした

よく、後ろの方に文法解説だとかいろんな付録がついている国語辞典があるけれけど、この『手紙文国語辞典』は、その名の通り「国語辞典」と「手紙文例集」がそのままドッキングしたゴージャスな一冊となっている。

LINEやメッセンジャーみたいな便利な代物がなかった時代は、とにかく何でもかんでも手紙を送っていた。だから、特に用件がなくても近況報告みたいなことを手紙でやっていた。

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なんとなく相手に語りかけたいときに、手紙を書く「日々の便りの書き方」

年賀状ですら送らなくなった昨今。手紙を書く機会なんてほぼ皆無になってしまったが「なんとなく相手に語りかけたいときに、わざわざ便箋なりハガキに直筆で文字を書き切手を貼ってポストに入れて相手に送る……」という行為は、なんとも粋な習わしだったなぁと、今にして思うところはある。

そんな時代に、日々の便りとはどんな手紙がやり取りされていたのか。

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ヘアスタイルを変えました 

「ヘアスタイルを変えた」ということを伝えるだけの手紙の文例なんてのが載っている。

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 夏に向かって暑くなるからというわけでもないけれど、思い切って髪型をショートカットに変えました。
(中略)
 幸い日曜日だし、ショッピングの予定もありましたので、午後から新宿へ出かけました。車の通らない歩行者天国の群衆の流れにまじって、西から東へとあてもなく歩き、疲れればフルーツパーラーで憩い、ショーウィンドウで目についた品があれば買い、日暮れを待ってビヤホールに行き、それでも10時前にはねぐらに帰り、こうしてあなたへのお手紙を書きました。ボーナスをもらった時だけでなく、いつもこんなふうに発散できる生活ならよいけれど、明日からはまた当分ケチって暮らす私です。

休みの日に髪型をショートカットにした女の子(おそらくまだ社会人になりたて)が、恋人か友達に送る、なんてことのない自由で平和な休日のひとコマ……。

なぜかグッと胸に来るものがありませんか? ぼくは感じます。こういうの、はやりの言葉でいうと、エモいというのでしょう? 知っています。

「ねぐら」のところで一瞬「ねぐら?」となりはするけれど、最後の「当分ケチって暮らす私です」の締めに、なんとも言えないたまらなさを感じる。

もし、この子が今の時代に生きていたら、絶対フルーツパーラーでインスタ映えする写真を撮っているはずだし、寝る前には手紙なんか書かずに仕事の愚痴をエックスの裏垢に書いているはずだ。

自由で平和なことのすばらしさよ。この若者たちの笑顔を守りたい! と、国会議員に立候補してしまいそうになる。しないが。

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弟から姉へ 

弟が姉へ送る手紙の文例もなかなかいい。 

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  姉さんに買ってもらったダルマインコが「コンニチハ」 とはっきり言葉をしゃべりました。僕は急にうれしくなり、インコと競争で「コンニチハ、コンニチハ」と三十分近くしゃべりつづけました。胸毛のピンク色も日増しに濃くなります。あとどれくらい人語を覚えてくれるか楽しみです。

弟が姉に送る手紙なんていろんなシュチュエーションがあると思うけど、なぜそれなのか? というものも例として載っている。そもそも、そんなことまで例文集をみないと書けないのか? と思わないでもないが、載っている。

「貰ったダルマインコが喋った」ということを、くれた人に手紙に書くシュチュエーションになった人、歴史上で何人ぐらいいるだろうか?

インコと競争で「コンニチハ、コンニチハ」と三十分近くしゃべりつづけました

何やってんだ? という気もするが、よく考えると微笑ましい光景でもある。でも、35歳ぐらいでこれだったら心配が勝つ。

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慣用句のチョイスが重い

手紙の文例なので、もちろんラブレターの書き方なんてのも載っていて、そういうシュチュエーションで使える短いフレーズ集も各章の最初についている。 

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丁寧にラブレターのポイントを教えてくれている。明快で、脅迫的な文言にならない範囲で強く訴える……とのこと。なるほどなんておもいつつ、応用文のフレーズ集をみてみると……。

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ルビコン川を渡る決心をしました。

ルビコン川! 賽は投げられた。なんか、これから出陣するんかってぐらいの意気込みを感じてしまう。慣用句のチョイスが重すぎないだろうか? そうではなく、昔は「ルビコン川を渡る」という慣用句も気軽によく使ってたということなんでしょうか? 昭和時代はずっと子供だったのでそのへんの機微はよくわからないけれども。 

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あなたが必要です 

仕事で地方に転勤した男性が、東京に残した恋人に愛の告白をするという手紙文。 

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 やっとサクラが咲きだしました。東京ではもう初夏のような気温だとテレビが銀座の夏姿を報じているのに、北海道も北の果てのこの海港都市では、これから本格的な春が始まります。

 こんな地の果てまでよく来たものです。二年間で本社へ呼び戻すから辛抱してくれと専務にいわれ、人生意気に感ずる思いで来てみたけれど、あなたへの思慕はこの土地に来て急速にわきあがるばかり。酒杯に親しむ日が多くなり、 卑猥な歌声の渦巻く酒場で自分の気持ちをまぎらせています。

 ぼくにはあなたが必要です。現在だけでなく、生涯を通じてあなたの愛が必要です。

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専務に頼み込まれて着任したものの、東京に残した恋人のことが忘れられない。東京に帰りたい。その気持はわかる。わかるけど、北海道を「卑猥な歌声が渦巻く酒場がある地の果て」と言うのは風評被害すぎる。

しかし「卑猥な歌声が渦巻く酒場」ってこれ以上ないぐらいの悪口になっていてすごい。「場末のスナック」の方がまだ上品だ。

北海道も北の果ての海港都市ってどこだろう。地の果てというぐらいだから、やっぱり稚内だろうか。

⏩ 旅先から愛を告げる

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