台湾留学がポシャってリベンジ旅行←わかる
2021-2022年、私は台湾に留学予定だったのですが、コロナ流行によりオンライン留学となりました。(いまだにこの文字列を打つだけでも、悔しさでお手軽に取り乱せます)
そんな留学生活がしとやかに終わり、2023年には復讐心たぎらせ台湾一周旅行にでかけました。
友達と火鍋を食べて映画館に行ったり、大学の授業に特別に出たり、人生2周目の人くらい必死に「台湾留学でやりたかったこと」を回収していったものです。
台湾の監獄博物館にいく←(これは私にとっては)わかる
その回収の途上、台南の嘉義市というところで1泊。一人旅の気楽さを発揮し、Googleマップで見つけた監獄の博物館に行きました。
案内をしてもらってる最中、「私、ライターやってるんです」と言うと、陳さんも「僕も作家やってるんだよ」と意気投合。
さらに、陳さんは郷土史や食文化を熱心に調べていて、私も研究していた立石鐵臣という画家が、台湾での民俗学のムーブメントに関係していたことからその方面には少し知っていました。
2人で日本統治時代の民俗や食文化についても話に花が咲きに咲きました。
日本食について調べてくれと頼まれる←わかる
次の日、陳さんが「食べさせたいものがある」と、嘉義市の「火鷄肉飯(フオチーロウファン)」の名店「劉里長雞肉飯」に連れて行ってくれました。
細かく切った七面鳥のお肉をご飯に盛り、七面鳥のダシに豚油を加えた旨味たっぷりのつゆでだくだくにした一品。嘉義市ご自慢のグルメだそう。
火鷄肉飯は、やわらかいターキーの滋味があふれつつも口当たりはあっさり。そして揚げた紅葱(日本にはあんまりない赤くて細いたまねぎの一種)とコクのあるつゆも手伝って、米がぐんぐん進みます。
「おいしいおいしい!」と食べていると、陳さんが、
「この火鷄肉飯にのってるたくあんって、日本のものと同じ?」
と聞いてきました。
「たくあんって魯肉飯に入ってることもあるけど、台湾ではあんまり一般的じゃないんだ。僕は火鷄肉飯のたくあんは日本の食文化の影響だと思うんだよね」
そうなんや~日本の影響下もしれないんや~とうなずいていると、
「実は来年、博物館で火鷄肉飯をテーマにした展覧会をやるんだ」
「たくあんなどを中心に、火鷄肉飯に関係ありそうな日本の食文化について調べて教えてくれないか」
と頼まれました。
私は、陳さんに色々教えてもらったし、グルメもごちそうになったし、日本食について調べて恩返しできるならと「いいよ!」とさわやかにOKしました。
衝撃の電話でたくあんの講演をすることになる←わからない
よくしてもらったなあという思い出を胸に帰国し、半年くらいたって日本の生活にあくせくしていたころ、陳さんからLINE電話がきました(台湾ではLINEを使う人が多い)
「あ、『これこれこういうのを調査してほしい』っていう連絡かな」と思って電話をとると、
脳裏にすごい速さで「えっ」がかすめました。
いや、え?調べるだけじゃなかったの?そんで私、たくあん食べたことあるくらいで、漬けたこともないし、なんであんなに黄色いのかも知らないけど話して大丈夫・・・!?とザワザワしました。
もしかしたら内々でのトークショーかな?と思い、条件を聞いてみると、
・嘉義市立博物館の60分の講演会
・陳さんとの対談形式
・台湾華語で講演
まごうことなき講演会です。
陳さんは、
「専門的すぎると聞いている人が寝ちゃうから、そんなに詳しく話さなくてもいいよ!君が日本の漬物について知っていることと、改めて調査してわかったことを教えてくれればいいから」
とプッシュを続けます。専門家に頼んで通訳をつけるより、台湾華語がある程度話せて調べものをしてくれる知り合いの日本人がちょうどいいのはわかりますが・・・
私は多数決をとらず好奇心を優先し、「うん、じゃあ準備するね」と返事してしまったのです。
(ここから正直何が起こっているのか自分でもわからなくなっていきます)
とにかく調べる&食べる
おそれ多くも人にたくあんの話をするからには、人よりも調べて、人よりも食べなければいけません。幸い、私はたくあんが好きなので、調査を楽しむことができました。
(「壊死のことを調べてくれ」とか言われなくてほんとよかったです〜!)
まずは国立国会図書館などで漬物に関する資料をかたっぱしから読みました(私、そもそもたくあんがぬか漬けだったことさえも知らないという体たらくでした)。
一人暮らしなのに、たくあん丸々4本くらい購入。たくあん漬けの毎日。
チェーン店でたくあんを使ってるメニューがあれば、それをマストで頼んでおりました。
作っておいてなんですが、た、たくあんのパワーポイントって何・・・!?