偶然の出会いが
論文もいっぱい読んだし、中国語もたくさん学習できたのですが、やっぱり台湾大学で勉強したかったと残念に思います。
留学終了後、国立図書館で偶然ある日本人学生と出会いました。
その人は、正規学生として台湾大学に留学し、なんと私がオンラインで参加していた授業を、教室で受けていたらしいのです。
一緒にお茶したり、ひとロマンスあってもいいような奇遇ですが、
いつか渡航できるようになったら、抑えられた気持ちが暴発して、フッと日本から姿を消すんじゃないかと不安です。
台湾留学は大学4回生のころからの憧れでした。私は台湾留学を目指して2年かけてコツコツ準備していたのです。
準備していたのに・・・オンライン留学になるとは・・・
・・・出だしがすでに物悲しいですが、これからもっと哀愁ただよう、画面越しのサイレン礼賛、源実朝へのシンパシー、台湾グルメ依存などのおはなしをご紹介します。
私は修士論文の準備のために、2021年の秋から2022年の夏まで台湾大学に1年間交換留学する予定でした。
2022年に「留年」とありますが、わざわざ卒業を1年のばしてまで留学したのです。
交換留学生の申請のために中国語の検定試験を受け、資料もたくさん準備しました。
当時のノート見ると単語がビッシリで、「沼気(メタンガス)」や 「坐鎮主場(サッカーのホームゲーム)」など、留学中使わなそうなワードも頑張って勉強していました。
交換留学の申し込みが通った時は、そりゃもう小おどり&ピースでえびす顔でした。周りに言いふらしてまわりました。
ただ、申し込んだ2020年秋時点で、コロナ流行はすでに始まっていたのです。
正直、
しかし、2021年秋になってもコロナの猛威はおさまらず、台湾は外国人の入国を禁止。
それでも、「いやいや、留学期間は1年やし、ワクチンも2回接種したし、いつかは行けるやろ」と希望を持っていました。
日本の四季をていねいに感じながら、台湾の土を踏むことなく留学が終わりました。
それでは、これから私が味わった5つの哀愁をご紹介します。
「オンライン留学」とは、会議アプリで授業を受けるやり方です。
つまり、留学期間中は朝から晩まで実家の部屋のパソコンの前にいました。
授業中は近所の犬の鳴き声が聞こえます。4時くらいになると、下校中の小学生が「おしっこもれそう〜」とはしゃぐ声も。実家すぎます。
留学の醍醐味は、放課後や休日の異文化体験です。
しかし現実は、
海原やすよ・ともこの冠番組を見て、焼きサバや豆腐の味噌汁、めかぶを混ぜた納豆などをいただく日々です。
生活の中になんの異文化体験もありませんでした。
あまりにも周囲が関西すぎたので、台湾にいる先生の映像から、外を通る救急車の音がすると、
「これは台湾の生の音なんや...」と愛でたりしていました。
留学がはじまったばかりの頃は、留学生全員が渡航禁止でした。
しかし、2ヶ月ちょい経ったくらいで、正規の留学生や、台湾から奨学金がでてる留学生は渡航ができるようになったのです。
オンラインの授業中、現地の教室で他の留学生がワイワイやってるのを見たとき、言いようもない切なさに襲われるようになりました。
特に、授業中誰かのジョークで教室に笑いが広がったのを画面越しでしか見れないとき、切なすぎて「ウワー!」が口をついて出そうになったものです。
ある日、日本のニュース番組で、「日本に来れない海外留学生から抗議のメールが政府に多数届いたため、徐々に渡航解禁へ」と報道がありました。
しかしながら、
ただ、中国語でのメール能力がめきめきあがりました。悲しき上達です。
かなしい話ばかりなので、ここで1つ、授業の思い出を紹介したいと思います。
台湾大学には、手厚い留学生向けの語学授業がありました。思い出深いのは、ニュース用語を学ぶ授業のある一コマです。
ニュース番組のリスニングの練習で、
「フェイミエンシェンチアオ(ㄈㄟㄇ一ㄢˋㄕㄣˊㄐ一ㄠˋ)」
という全く聞きなれないワードが出てきました。
他の学生も誰一人わかっていなかったのですが、答え合わせになって、これが「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」のことだと判明しました。
「この言葉いつ使うんやろ~」と思いました。
ここ最近、台湾ブームで、街にでると美味しそうな台湾グルメばかりです。
留学前は、
しかし、台湾渡航に陰りが見えはじめた時から、
大阪の難波に行けば小籠包と魯肉飯、火鍋を貪り、カルディでは鹹豆漿、雞排の素などを買い、
家では茶葉蛋や中華風のお粥を自作していました。
東京に行った時、東京在住・南京出身の友達が「留学にいけなくてあまりにも可哀想だ」と、目黒にある台湾の早餐(朝ごはん)のお店に連れて行ってくれました。もうムチャクチャです。
国によって、交換留学生の対応にバラつきがありました。
例えばフランスは留学生の渡航がOKで、友達はパリに留学してすごく楽しんでおりました。
ただ、近かったがゆえに時差が-1時間しかなく、午前8時スタートの朝早い授業は現地学生より1時間遅く起床できました。(唯一のメリット)
同じクラスにドイツの交換留学生がいました。彼はそれはもうかわいそうでした。台湾とドイツの間には6時間の時差があるので、朝8時の授業を夜2時に受けていたのです。ドイツでの生活は大丈夫だったのでしょうか。
また、留学にいけない悔しさが最も募っていた時期には、宋に渡ろうとして叶わなかった源実朝や、アメリカへの密航が失敗した吉田松陰にシンパシーを感じていました。
「自分には何の関係もない」と思っていた遠い昔の人物たちとつながれた一瞬です。
前々から「台湾に留学する」と言いふらしていたので、留学期間中に友達に会うと、「なぜ、まだ日本にいるのか」十中八九聞かれます。そりゃそうです。
「通信カラテをやっている」と言った人は、いつもこんな気持ちだったのか・・・と思いました。
留学の終わりは、出国の名残惜しさ、自分の成長の実感、色んな気持ちがあふれることでしょう。
さて、私の留学の終わりはと言うと、
「Time flies!(月日が流れるのは早いですね!)」という高いテンションの出だしから始まり、「それでは学生の籍を抜く手続きと、体験記の提出をお願いします。サンキュー!」という内容のメールでした。明るい人ですね。
ネットで簡単にできる手続きを済ませ、恨み節全開にならないようポジティブに体験記を書きました。
「留学終わるのいやや」という最後の悪あがきで、今も台湾大学の芸術史研究室がやってる夏のオンライン勉強会に参加しています。勉強熱心というか、往生際の悪さがでていますね。
論文もいっぱい読んだし、中国語もたくさん学習できたのですが、やっぱり台湾大学で勉強したかったと残念に思います。
留学終了後、国立図書館で偶然ある日本人学生と出会いました。
その人は、正規学生として台湾大学に留学し、なんと私がオンラインで参加していた授業を、教室で受けていたらしいのです。
一緒にお茶したり、ひとロマンスあってもいいような奇遇ですが、
いつか渡航できるようになったら、抑えられた気持ちが暴発して、フッと日本から姿を消すんじゃないかと不安です。
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