特集 2026年10月6日

ヒップホップは生まれた日と場所が特定できている 〜二十三夜待・第二夜〜

江戸時代に流行した夜ふかしイベント「二十三夜待」をやってみるという記事の二話目です。ヒップホップの誕生の話と、壱岐に残る島内新聞と盆の話。


二十三夜待というものをやってみている

二十三夜待(にじゅうさんやまち)は、月齢23日めのお月様が真夜中に出るのをみんなで夜ふかしをして待つという、江戸時代に流行したイベントだ。

それが楽しそうだということで、みんなでカラオケ JOYSOUND のVIPルームを借りて、二十三夜待と称して一人ずつ話をしようということになったというのが前回の記事だ。

江戸時代に流行した夜ふかしイベント『二十三夜待』をやってみた

ここまでの話の内容はこんなふうだった。
・二十三夜講ってなに
・路傍の石仏・石碑など(二十三夜塔などの話)

今回は、ヒップホップが面白いという話、そして壱岐での民俗学者のお仕事の話だ。会場は引き続きJOYSOUND 品川港南口店のVIPルームである。

いったん広告です

HIP HOP 面白いよ、という話

小金井さん

つぎは小金井美和子さんによるヒップホップの話。

小金井さんは、もともとマンホールの蓋や地面に埋まっている基準点などが好きで「マツコの知らない世界」でマンホール蓋の話をしたりもしていた。

なのだが、そこは関係なく今回はヒップホップの話だ。たとえばブレイクダンスの「ブレイク」の意味がわかったりしてめっぽう面白かった。

小金井:「ヒップホップを一曲も聞いたことがなくても全然面白いと思うので、ご安心ください。

ヒップホップは、まず歴史から超面白いんです。

皆さんご存知の通り、ヒップホップってアメリカの黒人の歴史とすごく密接に関わっています。」

YouTube: Kendrick Lamar's Apple Music Super Bowl Halftime Show

小金井:「これはライブの一幕で、アメリカのスーパーボウルのハーフタイムショーに、ケンドリック・ラマーという真ん中のラッパーさんが出たときのものです。
『Forty acres and a mule, this is bigger than the music』と書いてあって、『40エーカーの土地とラバ、これは音楽よりでかいんだ』という意味です。

意味が分からなかったので調べると、昔、南北戦争のときに、解放された奴隷には40エーカーの土地とラバをあげるよという約束をしたらしいんですけど、それが破られちゃって、一回与えられた土地も回収されて白人に戻されちゃったと。

そういうのが未だにさらっと普通に歌詞に出てくるんですよ。アメリカの、特に黒人の方々はそういうことを大体みんなご存知なので、そういう部分で曲が評価されていたりして、それを調べていくと超面白い、というやつですね。」

小金井:「歴史をちゃんと調べると結構普通にひどくて、奴隷は白人の財産なので、奴隷に洗礼を受けさせてもちゃんと財産のままだから安心してね、という法律を作ったり。

南北戦争が終わって奴隷解放宣言があって、奴隷制が廃止になったものの、それだと白人が生活しづらいから、実質昔と同じ感じの奴隷制度を肯定するような法律を作ったりとか色々あって、それで1973年にヒップホップというものができるんですけど。」

会場:「結構最近なんですね」

右上:Photo: Russel Lee, 1939, Library of Congress, no known of restrictions
右下:Photo: Jack Delano, 1940, Library of Congress, LC-USF33-020522-M2, no known restrictions

小金井:水を飲んでいる黒人の方がいて、ホワイトと書いてあるんですけど、この水のタンクの下に「カラード」って書いてあるんですよね。

有色人種用の水飲み場だったり、有色人種用の待合室があったり、確実に分けられていて、当然ながら有色人種用の方が質が悪かったりするのが当たり前でした。

会場:水が汚いのは嫌ですね。

小金井:嫌すぎることが当たり前に行われていて、受け入れられさせられていた。

右:Source: Mapping Inequality (University of Richmond), via Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

小金井:当時行われたレッドライニングというのがありまして、1930年代あたりに、お金を貸し付ける公社が「地域格付け地図」というのを作ったんです。

会場:今やったらすごい炎上するやつ

小金井:地域ごとの返済能力を表したらしいんですけど、実際には返済能力を調べたんじゃなくて、そこに住んでいる人種で分けたというのがあって、D、「危険」と言われているところがほぼ黒人街で、Dの地域は融資対象から完全に外されたり。

そこに住んでいて、Dにされて困るから外に出たいという白人に対しては、低金利のローンを国が提供したり。結構目に見えてひどいです。

そうすると、Dの地域の不動産は価値がなくなるし、人は出ていくし、反対に貧しい黒人とかは移住してくるし、どんどん治安が悪くなるし、ということがありました。

左:Travelers Insurance Company advertisement, 1977, via Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0
右:Aetna advertisement, Ebony magazine, 1979–80, via Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

小金井:そうすると、Dの地域に家を持ってる人は、買ってくれる人がいないので、保険金目当てで燃やしちゃったほうがいいっていうことになるんです。

会場:おー・・!

小金井:この時期に保険金目当ての放火がすごい続出しまして、1970年代だけで7,000件以上。

これ(上の資料の写真右)が保険会社が出した、燃やさないで?やめて?っていう、あなたたちはエゴのために家を立て、エゴのために燃やすんだみたいな広告で、それくらい深刻な問題になっていたそうです。

Aetna advertisement, Ebony magazine, 1979–80, via Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

小金井:ヒップホップが生まれたのがニューヨークのサウスブロンクスっていうところなんですけども、70年代の写真がこんな感じで、すごく治安がひどかったらしいんですね。

特に1970年あたりは、7月、8月、9月、10月と銃撃事件があって、全部未解決です。

会場1:ニューヨークは怖いとすごく言われていた頃

会場2:ギャング・オブ・ニューヨークの時代ですよね

※レオナルド・ディカプリオ主演の2002年の映画。ギャングの抗争を描いた。

小金井:こういう事態の中でヒップホップが誕生します

いったん広告です

HIP HOP の誕生

South Bronx Park Jam, 1984. Photograph by Mr Henry Chalfant

小金井:「その頃ってディスコがすごく流行っていたんですけど、こういうところで暮らしている方々はディスコに行くようなお金がないので、外で音楽を流して。」

会場:「サタデー・ナイト・フィーバーの時代ですか。」

小金井:「そうです。集まって音楽を流して、みんなで踊ったり。アパートメントってでっかいので、パーティールームというか、共同で使える部屋があって、そこにみんなで集まって騒いだりしていたそうです。」 

Photo: Mika Väisänen, CC BY-SA 4.0

小金井:「ヒップホップの生みの親と言われるのが、この方、DJのクール・ハークという方です。」

会場:「この人、っていう人がいるんですね!」

小金井:「そうなんです。なんとヒップホップは、誕生日も、誕生した場所も、親御さんも分かるんです。

誕生した場所が、ニューヨーク市ブロンクス区セジウィック通り1520番地のアパートのレクリエーションルーム。」

会場:「そこまで分かってるんだ。すげえ。」

小金井:「この方の妹さんが、新学期の学用品購入資金集めでパーティーをやって、そこでDJをこの方がやったというのが、ヒップホップの始まりと言われています。」

Photo: Jacques (Flickr: alternativeroute), CC BY 2.0

小金井:「何をもってヒップホップの始まりとしているかというと、この頃はレコードなので、ターンテーブルでレコードを流すじゃないですか。

クール・ハークさんは、レコードを流していたら、ブレイクの部分、今で言う間奏ですね、ブレイクビーツとか言われる間奏部分になると、みんながわーっと踊り始めることに気づいたんです。

それで、ターンテーブルを2つ並べて同じレコードを2枚置いて、こっちのブレイクが終わりそうなときにこっちのブレイクを始めて、というので、ひたすらブレイクをつなげてずっと踊れるようにした。それが本当の発明と言われています。

最初は同じレコードだったそうですけど、違うレコードで曲ごとのブレイクをどんどん繋げていくというのもやったみたいですね。」

会場:「ごめんなさい、ブレイクって何ですか?」

小金井:「間奏の部分、歌手が歌ってない部分です。」

会場:「いわゆるギターソロが入ったりとか、そういう?」

小金井:「そうそう」

会場:「歌の間はそれを聞いてるけど、ブレイクのときに踊る?」

小金井:「そうです。歌の間は聞きながら踊ってるんだけど、ブレイクになるとすごく盛り上がり始める。」

会場:「確かに、オタ芸とかもそうですよね」(会場爆笑)

小金井:「なるほど、いいな。」

会場:「主役が歌い手から聞き手に回ってくるという。それで自由に踊りに集中できると。」

Núcleo Editorial - Baladas, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63952314

小金井:「で、このブレイクのときに踊っていた人たちが、ブレイクダンサー。」

会場1:「おおおおお!」(会場驚)

会場2:「じゃあBボーイって、ブレイクボーイだったんだ。」

会場3:「何をブレイクしてるんだろうとずっと思ってました」

会場4:「日本にブレイクダンスが入ったのは10年以上遅れてるってことですよね。多分日本にヒップホップが入ってきたのが83年で、紹介されたのをリアルタイムで覚えてます。」

Photo: Jacques (Flickr: alternativeroute), CC BY 2.0

 小金井:「で、ラッパーは何なんだというと、最初はDJの人が、会場に集まってきた友達とかを『お、来たね』みたいに、名前をどんどん呼んでいたらしいんですよ。

それで『みんな踊れ』とか煽りをやっていたらしいんですけど、ブレイクを繋げて踊る時間が増えると、ダンサーを煽ったり、周りの人を煽ったりする時間が増えるので、うまいことを言いたくなって、どんどん掛け合いをし始めたり。

元々DJがいて、音楽を流して踊っていた。そこにラッパーという役目の、うまいことを言う人を置くようになった、ということらしいです。」

会場:「面白い」

小金井:「最初はラッパーはDJの後ろにいて、主役のDJがいて、後ろに煽り役がいる、みたいな感じだったらしいです。」

会場:「いまはラッパーが前に出てきちゃったんですね。」

South Bronx Park Jam, 1984. Photograph by Mr Henry Chalfant

小金井:「当時の様子が、50年ぐらい前のことなので残ってるんですよね。」

会場1:「頭痛くないのかな。」

会場2:「段ボール敷いてる。これ普通に地面なのか。」

会場3:「最初にこのダンスを始めた人すごいですよね。」

小金井:「ニューヨークのサウス・ブロンクスのここに、The Birthplace of Hip Hop という記念碑があるんです。」

会場:「すごい、誕生の地。聖地みたいですね。」

小金井:「1970年代だから、もう50年ですからね。
で、次の歴史が……これ多分全体の5%ぐらいなんですよ。残り95%あります。」
(会場笑)

※この時点で小金井さんの残り時間が10分ほどだった。

⏩ HIP HOP は文化

▽デイリーポータルZトップへ つぎへ>

記事が面白かったら、ぜひライターに感想をお送りください

デイリーポータルZ 感想・応援フォーム

katteyokatta_20250314.jpg

> デイリーポータルZのTwitterをフォローすると、あなたのタイムラインに「役には立たないけどなんかいい情報」が届きます!

→→→  ←←←

 

デイリーポータルZは、Amazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

デイリーポータルZを

 

バックナンバー

バックナンバー

▲デイリーポータルZトップへ バックナンバーいちらんへ