特集 2026年9月29日

江戸時代に流行した夜ふかしイベント『二十三夜待』をやってみた

十五夜のお月様みたいに、二十三夜の月の出を真夜中までみんなで待って、飲み食いするというイベントが古くからあるらしい。楽しそうなのでやってみたい。


二十三夜待をやってみたい

二十三夜待(にじゅうさんやまち)とは、月齢23日めの月の出をみんなで待って、話をしたり飲み食いしたりといったイベントだ。

十五夜のお月様を見ながらお団子を食べるやつと趣旨は似ていて一般に「月待(つきまち)」と言われるが、二十三夜は月の出が遅くて真夜中近くになるという違いがある。みんなで夜更かしをしながら月を待つイベント、楽しそうなのでぜひやってみたいと思った。

JOYSOUND 品川港南口店

というわけで、同好の士を誘って二十三夜待をやってみた。場所はカラオケルームだ。

深夜まで貸してくれる場所は多くないなか、カラオケルームなら朝までいることもできて便利なのだ。

会場は VIP ROOM

借りたのは VIP ROOM という少し広めの部屋。日程は9月4日の金曜日の夜を選んだ。二十三夜は年に何回もあるが、週末で月の出の時刻が真夜中になりすぎないこともあり、都合がよかった。

部屋のなかはこんなふう。二十三夜待がしたい、ということで誘ったところ、集まってくれたみなさんだ。ぜんぶで6人(後で一人ずつ紹介します)。 じつは2年前に『平安時代から続く徹夜イベント「庚申待」をやってみた』という記事で庚申待というのをやったのだが、そのときのメンバーとほぼ同じだ。

今回は、「ゆる民俗学ラジオ」という YouTube チャンネルをやっている黒川晝車(くろかわひるま)さんに参加いただいた。

ゆる民俗学ラジオの黒川晝車さん(写真右)、民俗学者の吉村風さん(写真左)

なぜかというと、もともと去年の夏に「『民俗学』をツマミにお酒を飲んでみる放送」というニコニコ生放送の企画があり、そこに黒川さんと吉村さんが出演していて、「二十三夜待」の話をしていたからだ。

今日の二十三夜の月の出は22時過ぎ。それまで、カラオケルームのごはんを飲み食いしつつ、それぞれの方に用意してもらった資料でお話をしていただくことをお願いした。カラオケ用のでかいモニターにパソコンからケーブルが刺さるんです。

いったん広告です

そもそも二十三夜待ってなに?

まずは、民俗学者の吉村さんと、ゆる民俗学ラジオの黒川さんから、そもそも二十三夜待って何?というお話を「ゆる民俗学ラジオ」風に掛け合いでしていただけるとのこと。

写真がガビガビですみません

さっそくお話を聞いていこう。

二十三夜待は二十三夜講とも呼ばれるそうで、タイトルは後者になっている。

黒川:今日は二十三夜ですけど、一般的に十五夜お月様の方が有名ですよね。そもそも⚪︎⚪︎夜って何なんだというところからお願いします。

吉村:はい。やっぱり十五夜がいちばん大きい祭りなんですが・・

吉村:じつは十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜とあります。こういうのを「月待(つきまち)」と言ったりします。

黒川:文字通り、月を待つ。

吉村:特定の月齢の夜に人々が集まって、月の出るのを待って祀ることです。二十三夜講は別名、三夜講とか三夜待と言ったりします。あとは三日月も一応あります。

黒川:千葉県松戸市北小金に三日月神社という神社があったりして、結構そこら辺の派生はあるようです。

吉村:ただ本当は、月は毎月満ち欠けをしますので毎月、行事をやってもいいんですけど、大体毎月は省略しちゃって、正月・五月・九月の三回とか、正月と十一月とか、あるいはどこかの一回だけとか、地域の隣近所とか小字単位でグループを組んで、みんなで月の出を待って拝みましょうと。
 またグループの組み方にも、同い年の人とか、あるいは女の人だけとかあるようです。

黒川:女性のみで行われるケースはよく聞きますね。それは月と月のものの関係、月経との関係があるんじゃないかという話もあったりします。

吉村:二十三夜と言ってるんですけど、月齢23の夜に絶対やらなきゃいけないかというと、そうでもないかんじです。実際どこまで本当に、実際の月を眺めているかよく分かりません(会場笑)。基本的には、実際の月は眺めず、下弦の月を祀るくらいのイメージでやっていたと思います。

吉村:よく上弦、下弦といいますが、上弦の月というのは、西に沈むときに弦が最終的に上を向いていて(図の左)、下弦の月は下を向いている感じです(図の右)。

ここは肝心なところで、少しわかりづらいので補足したい。上弦の月というと月の上側が光っていることをイメージしてしまうかもしれないが、実際は逆で、沈む時に月の下側が光っているのが「上弦」なのだ。

資料を切り出して一部加筆

なぜなら、弓でいうと紐の部分が「弦」で、それが上に来るということは弓にあたる光っている部分が下に来るということだからだ。

同じように「下弦の月」とは沈む時に弦が下に来る月で、沈む時に光っているのは月の上側ということになる。

吉村:月は、北半球では右側から太っていきます。下弦の月というのは、真夜中頃、零時ぐらいにやっと初めて東の空に現れるものです。

ここも少し補足したい。

二十三夜の月は下弦の月で、それはこの表の一番下だ。夕方ごろはまだ上っておらず、真夜中にようやく東の空に上ってくる。そして沈むのは日中なので、見えづらい。

どうしてこうなるのかは、小学校の理科でやったように太陽、地球、月の位置関係の図を描けば分かるのだが、ここでは省略したい。大事なのは、「下弦の月は真夜中にならないと出てこない」ということだ。

そしてもう一つ、下弦の月が出てくるときに光っているのは月の左下側だということにも触れたい。さっき「下弦の月が沈む時は上側が光っている」というのをやったばかりだが、しかし下弦の月が沈むときは日中なので見えない。
 なので結局、二十三夜の月でイメージされる月は、月の出の時刻の見え方として、月の左下側が光っているということになるのだ。

ポテトがどっさり届いた
いったん広告です

二十三夜とは何か:形として残っているもの

吉村:今のが月の話、下弦の月の話でございました。二十三夜待とか二十三夜とか、そういう行事があるのは分かったけど、そういうものが今、目に見える形で何か残ってるんですかという話です。

二十三夜に関連して、二十三夜塔という塔が建てられることがあるとのことで、その話。

吉村:この仏さんは勢至菩薩(せいしぼさつ)だと思うんですが、こうした仏さんが彫られているのよりも、石碑に「二十三夜」と字が書いてあるだけというパターンが多いんですね。文字だけのものだと、あまり楽しくなくて写真撮ってませんでした…。

(注:あとで文字だけの二十三夜の石碑も出てきます)

黒川:二十の字も旧字体になっていることが多いです。十が二つで二十。

補足すると、廿という字が二十の意味で、十十から来てるらしい。

吉村:右側は板碑(いたび)というもので、紀年銘に「廿三日」とあるので、二十三夜待の供養として建てられた可能性があるらしいです。

東京国立博物館 阿弥陀三尊板碑(室町時代)

会場:二十三、全然見えないですね。

吉村:これは東博の写真を拡大しても見えませんでした。(会場笑)

吉村:さっき言ったように下弦の月をお祀りするので、神社なんかだと、例えば二十日とかそこら辺の前後を祭日にすることも多いです。 

黒川:必ずしも二十三夜でなくても、下弦の月であることが大事っていうことが分かる事例です。本質は数字じゃなかったということですね。

吉村:これは埼玉県さいたま市浦和の調(つき)神社というところです。『江都近郊名勝一覧』という資料では、「世に月読宮二十三夜と称す」とあります。本来は伊勢神宮に納める「租庸調」の調に関係する神社だったのが、調の訓読みの「つき」の音がかぶって、江戸時代に月の神社になりました。

吉村:調(つき)から月待になって、境内に兎がいたりします。

上の写真を一部拡大して加筆

吉村:本来は下弦の月の頃のお祭りなんですけど、今は太陽暦で七月二十日にやっています。太陽暦だから、必ずしも七月二十日に出る月が下弦とは限らないわけです。

補足すると、昔の太陰暦は月齢基準だったので、カレンダーで二十日なら月齢でも二十日で、月の形の移り変わりと一致していた。いまは太陽暦なのでずれていて、たとえばこのイベントの日も、カレンダーでは四日、月齢は二十三日で一致しない。

黒川:だから言ってみればもう形骸化してしまったわけですね。昔のこだわりと逆なわけですからね。

吉村:長崎県壱岐市の月読神社です。これは割と凝り性で、旧暦で今でも二十三日にあえてやっています。やはり月の神様を祀る神社として旧暦でやりたいというアイデンティティみたいなものがあるのだと思います。

吉村:ところが伊勢の方の月夜見宮というのは太陽暦で十九日にやっちゃってる。二十日前後となっているのは、あまり旧暦で絶対やらなきゃいけないものじゃないという雰囲気ですね。 

黒川:面白いですよね。近世の頃は月の形の方が大事だったのに、どんどん日にちの方が大事にされていくという。

吉村:これは福井県大野市深井です。私はまだ行ってないんですけど、観音講、庚申講、二十三夜講を、集落の春日神社観音堂やふれあい会館で行っていると。

吉村:ここもやっぱり二十三夜講は一月だけやっていて、月待行事になってるんですけど・・

黒川:月を真面目に見るんだったら、日本海側のこんなところで一月は厳しいですよね。

吉村:多分、二十三夜は正月の続きで、一月にやってしまおうということでやってるのだと思います。月をまじまじとは眺めてない。

黒川:さらしなの里、平安時代に尊ばれた月の里ですね。月が綺麗に見える場所と言われていたので、枕詞みたいに、さらしなの里といえば月だよねと。

吉村:それに絡んでか分からないけど、二十三夜講がすごく盛んだったらしくて、今は塔しかほとんど残ってないんですけど、でも五十基あったと。つまり50グループぐらい(二十三夜待をする集まりが)あったかもしれない。

黒川:節目で建てることもあるので必ずしもグループの数とも限らないけど、大事にされてきたのは分かると。

吉村:たしかに基数イコール講の数ではない。でも相当あったのだと思います。

吉村:これはたまたま私が撮っていて良かったと思うところなんですけど、栃木県日光市の追分地蔵尊というのがあります。ここに「二十三夜尊」という名前でお地蔵さんがいて。 

黒川:仏教と月待の行事は関わりが深いんですよね。月の特定の菩薩様が結びついたりして、仏教の文脈でもかなり栄えてきた。その跡がこういう風に残ってるということですね。

吉村:ここも祭日は年によって変わるらしいんですが、8月23日前後です。でも月の出を待って眺めるとかはやってなかったと思います。

これも補足したい。このお祭りには、取材の意味で実際に行ってきたのだけど、誰も月を見てはいなかった。二十四日にお地蔵さんの縁日があり、その前日という意味でお祭りをやるとのことだった。

今年の日光の二十三夜祭のようす

吉村:ここは民俗学的には割と面白くて、センターにでかい石仏があってですね。下の方に王将、将棋の駒が祀ってあって、子供ができたらこれを供えるみたいな。出世するようにとか、王様になるようにとかですかね。こういう俗信を見ると民俗学者は嬉しくなります。

吉村:これは佐賀県多久市北多久町砂原というところです。ここのは、二十三夜講が明治に始まって、しかもその二十三夜講が地区全体のお祭りに発展して、イベントとして大きくやってるものです。ステージで演歌とか歌ったりしてるようです。
 たいてい、ほかのところでは、今はもう講はなくなって、石造物だけ残ります。こんな風にお祭りとして残ってるところは結構珍しいと思います。私もこの事例は、今回のDPZのこのイベントのための調査で知りました。面白いので一度見に行かねばと思っています。

黒川:フェスティバル化していくとちゃんと残りますよね。

吉村:まとめると、二十三夜講は月待行事の一つです。本来は地域のグループで念仏したり、ご飯を食べたりして、下弦の月の出を待つと。

吉村:それから、仏教の人が言うには、下弦の月が最後、月の形が船の形に見えるらしくて、そこに三尊、勢至、阿弥陀と観音。阿弥陀さんとその脇の二人ですね。このセットが乗っていて「月の船」です、とかって説明をしたりします。

吉村:講がなくなって、現在やってるところは少ないんですけど、石塔になったりして結構痕跡が残っているというのが二十三夜の面白いところかなと。 あと佐賀みたいにお祭りになったりしてるのもおもしろいところです。

といったところで吉村さんと黒川さんの話は終わりとなった。十五夜の風習は今でも残っているけれども、十九夜や二十三夜もあったというのはまったく知らなかった。

⏩ 二十三夜塔

▽デイリーポータルZトップへ つぎへ>

記事が面白かったら、ぜひライターに感想をお送りください

デイリーポータルZ 感想・応援フォーム

katteyokatta_20250314.jpg

> デイリーポータルZのTwitterをフォローすると、あなたのタイムラインに「役には立たないけどなんかいい情報」が届きます!

→→→  ←←←

 

デイリーポータルZは、Amazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

デイリーポータルZを

 

バックナンバー

バックナンバー

▲デイリーポータルZトップへ バックナンバーいちらんへ