次は民俗学者の吉村さんのお話
吉村さんは、前回の記事でそもそも二十三夜待ってなにというお話をしてくれた民俗学者で、 さらに言うと以前の庚申待でもお世話になった方だ。
今回は長崎県の離島である壱岐島に、民俗学者としてお仕事をしに行ったときのお話。
壱岐の島内新聞と盆行事

吉村:「長崎県の壱岐ですね。ここで最近調査している島内新聞というのと、盆行事がすごかったという話をしたいと思います。
壱岐は今、人口が大体2万4000人なんですけど、そんな小さい島なのに、今でも島の中の人だけが読む新聞が2紙もあるんです。」

吉村:「まず近況報告ですが、前回の庚申待の記事が2024年9月でしたね。あの直後に、国会図書館から短大に転職しまして。」
会場:「おめでとうございます!」
吉村:「研究も、図書館の地域資料、郷土資料と呼んでますけど、それの保全と民俗学をつなげられないかというのが今のテーマになっていて、この島内新聞というのも一応地域資料です。」

吉村:「それで今年の夏に、この島内新聞の調査に行ってきまして、調査をしていたら、濃厚な盆行事に遭遇しました。
…実はあえてお盆に行って時期的に狙ったとこもあったんですけど、今回はその報告を。」

吉村:「皆さん壱岐は分かりますかね。対馬の手前にあります。九州と対馬のちょうど真ん中なんですね。割と平らです。」
会場:「魏志倭人伝に出てくるところですよね。一支国ですか。」
吉村:「そうです。長崎県北部で、九州と対馬の間の玄界灘にあって、実は博多とか唐津から行く方がすごく近いんですけど、江戸時代に長崎の平戸藩の領地だったので、県としては長崎県なんですよ。
今回はいろいろあって、博多からでなく長崎から入ったんですけど、結構遠かったです。ただ文化としては、壱岐はどちらかというと福岡とか佐賀とかの影響が強いですね。」

吉村:「魏志倭人伝の一支国に比定されていて、平たいところです。高い山はそんなになくて、せいぜい数百メートルから二百メートルちょいの山しかないです。」

吉村:「遺跡が残っていて、原の辻遺跡です。あと名産はウニとマグロ、壱岐牛、それから焼酎ですね。焼酎の蔵が7つあります。」

会場:「(右側のやつは)お酒が出てくるんですか? ジュースバーみたいに」
吉村:「はい、最近できたばかりで、お金を入れるとお酒がでてくる」
会場:「へー!」

吉村:「で、この焼酎とおつまみのマリアージュセットで・・・」(会場爆笑)
会場:「楽しそうだなー」

吉村:「さて、島内新聞なんですけど、今確認できる限りでは戦前のものは見つかっていないんですが、戦後は島の人だけが読む新聞がすごく盛んで、今のところ確認したもので7紙ぐらいあります。戦後の人口、最大でも5万人の島なのですが…」
会場:「どういうこっちゃ」
吉村:「それがまさしく謎です。しかも、現在は2万4000人しかいないのに、壱岐新聞と壱岐新報の2紙が出ています」
吉村:「これはコインランドリーで、時間潰し用の雑誌の横に壱岐新聞が置いてあります。当然、洗濯しながら読めると。」

吉村:「あるいは旅館にも壱岐新報が置いてあって、『滑走路延長、今が好機』という感じです。
私がこの新聞に気づいたのは、実はまだ国会図書館にいた時代で、確認したら、「あれ、この新聞、国会図書館に入ってないぞ、納本されてないじゃん」ということに気づきました。
当時はまだ国会図書館の職員だったので、「こういうのはちゃんと、納本してもらわなきゃな、納本のお願いに行かなきゃ」と思っていたんですよ。
そして、内容を調べたら、紙面自体、ローカルなネタが多くてとても面白いことに気づきました。」
納本制度というのは、国内で発行されたすべての出版物は国立国会図書館に納入すること(納本)を義務付けた制度のことだそうだ。
法律で義務として決まってるのだけれど、実際には納本されていない本も多いので、吉村さんは地方に調査に行く度に、納本されていない本がないか確認するらしい。
参考:国立国会図書館 納本制度
島内新聞に書いてあること

吉村:「これは昭和57年の壱岐新聞です。『観光壱岐の課題、空の便も満席』。防災無線放送の話とか、農家が少なくなっているとか、農産物の販売額とか。
あと、これは夏の記事なので特設コーナーがあります。紙面真ん中ぐらいですね。「福岡のデパートに行ったらこれを買ってくるといいですよ」というのがかかれています。壱岐にはデパートがないので。こういうとこから、壱岐は、博多の商圏なんだなと読めます。
あとは『こちら119番』で、救急車が何件出ました、急病の人が何人出ました、マムシに噛まれた人が出ました、と。消防車の誤報とか、あと慶弔とおくやみ。」

吉村:「これは壱岐日報という、また別の、なくなっちゃった新聞です。同じぐらいの時期で、昭和63年の8月ですね。」
会場:「道路を愛護しようって、いい社説だ・・!」(会場笑)
吉村:「見出ししか読んでないんですけど、例えば漁業の選挙で24年ぶりに選挙になって誰が当選したとか、台風情報や、台風で色々壊れたとか、普通に社説があったり。」
あと、暑中見舞いが載っています。お店だけじゃなくて、役所とかロータリークラブとかも含めた、島の各団体の暑中見舞いが」
会場:「下半分は広告なんですね!」
吉村:「そうですね。町内会、税務署、保健所、銀行・・・すべて暑中見舞いですね。」
会場:「面白いな」
吉村:「この島内新聞の情報は、全国紙には載らない島の細部の記録で、しかも戦後からかなり相当期間残っているだろうということまで分かってきています。
今、何号がどこの図書館に残っているか、長崎県の図書館に一部入っているんじゃないかとか、その目録を今作っています。」

吉村:「あと、島内で来年2月に島内新聞のシンポジウムをやります。実はこれ、めでたく壱岐市と共催になったんです」
会場:「すごい!おめでとうございます。」
吉村:「結局、壱岐の人にとっては、壱岐新聞も壱岐日報も壱岐新報も、新聞だから読み捨てなんですよね」
会場:「ああ、そうですね、確かに」
吉村:「島内新聞を取っておいたら島の、いい歴史資料になるよ、将来的にお金があればみんなでデジタル化もしよう、みたいな話を、イベントとしてやりたいと思っています。」
会場:「どのぐらいの頻度で出てるんですか。」
吉村:「毎日はさすがにないですね。大体週1とか、月に何回とか、そんな感じです。」
会場:「テレビ・ラジオ欄はないんですか。」
吉村:「ないです。
なんでここに、こんなに島内新聞がいっぱいできたかはまだ分かっていないんですが、多分離島なので、全国紙が届くのがかなり遅かったのだと思います。
また戦後は当然ネットもない時代です。そうした中、島の人たちが、なんとか自分達に必要な情報を得るため新聞を発行したかった、というのがあるんじゃないかなとおもっています。」
会場:「なるほど」
吉村:「戦前は多分、新聞紙条例なんかもあって勝手に発行できなかった。戦後、自由に出版が許されたので、地元の人に必要なニュースの発行を頑張ってやるぞと。
実は調べていたら、山口麻太郎さんという地元の民俗学者なども、知識人としてこの新聞の発行をやっていたのも分かりました。島の知識人の役割ももうちょっと調べないといけないと思っています。」


