『児童年鑑』の絵地図とは
野ばら社に限らず、戦前から戦後の一時期までは、各出版社が「年鑑」という書籍を毎年発行していた。
なかでも野ばら社の『児童年鑑』はかなりの人気があり、野ばら社の経営を支えたといわれる。
その児童向け年鑑の中に、各地の特産品や名物名所などを書き込んだカラーベージの絵地図があるのだが、ぼくはこの絵地図が大好きで、以前も記事内でいくつか紹介した。
この、児童年鑑の絵地図だが、野ばら社は現在、絵地図の部分だけを復刻して印刷し、イベントや通販で販売している。
先日行われたイベントで、そのなかのいくつかを購入したのだが、どれもめちゃくちゃおもしろい。
すべてをいちいち紹介したいのだが、ちょっと大変なので中でも『東京見学地図』を見てみたいと思う。
GHQ占領下の東京の絵地図
まずは、絵地図そのものをざっとみてほしい。
全体図は画像が小さくなるので、気になるところを抜き出して紹介していきたい。
まず前提として、この時期は、GHQ占領下であったということだ。
日本は1945(昭和20)年に、ポツダム宣言を受託したのち、連合軍による占領統治が1952(昭和27)年まで続くわけだけれど、この絵地図はその時期に描かれたものだ。
そのため、GHQの本部が置かれた日比谷の第一生命ビルのところにアメリカと国連の旗がはためくビルが描かれている。
GHQの横にある「帝劇」は「帝国劇場」で、1966(昭和41)年に建て替えられた建物が今でも同じ場所にあるが、来年2025(令和7)年、建て替えの為に休館する予定となっている。
絵地図の頃の帝劇は、現在のビルではなく、その一世代前のビルの形だ。
GHQの下をみると「アニーパイル劇場」という聞いたことのない劇場が描いてある。
これは、現在の東京宝塚劇場のことだ。
GHQにより接収された東京宝塚劇場は、アニー・パイル劇場と改名され、米軍専用の劇場として使われた。
アニーパイルは、ピュリッツァー賞を受賞し、1945年に従軍取材中に沖縄県伊江村で戦死した米国人ジャーナリストの名前からきている。
なお、小林一三(阪急電鉄創業者で宝塚歌劇団を創設)は、1952(昭和27)年に施設の運営権を取り戻し、東京宝塚劇場に戻っている。
さて、もう一度、有楽町周辺をみてほしい。
この頃の有楽町は、まさに「新聞社の町」だった。
読売、朝日、毎日といった大手の新聞社が、すべて有楽町のご近所にあった。
読売新聞は、大手町に移転する前は、今有楽町ビックカメラがある場所に別館(元報知新聞社屋)があった。(本館は銀座三丁目のマロニエゲートの場所にあった)
そもそも今でも有楽町ビックカメラの入っている建物の名称は「読売会館」であり、上の階には「よみうりホール」も入っている。
朝日新聞は、築地に移転する前は、現在の有楽町マリオンの場所にあり、今でも有楽町マリオンの11階に「有楽町朝日ホール」が入っている。
毎日新聞は、現在皇居北側の竹橋にあるが、そこに移転する前は、有楽町ビックカメラの真向いの、新有楽町ビルヂングが建っている場所に社屋があった。
ただし、現在この新有楽町ビルヂングは建て替えのため、昨年(2023(令和5)年)に閉鎖されている。
新有楽町ビルは、数年前まで1階にあった銀座ルノアールに、ほぼ毎日通ってそこで原稿を書いていた。そのため、ぼくのグーグルマップが、新有楽町ビルを「勤務先」と判定していた思い入れのあるビルだっただけに、建て替えは残念だ。
今と位置が違っている建物は他にも多くあり、日比谷にNHK(東京放送会館)が描かれている。黒柳徹子がNHK専属の女優として活躍した頃は、渋谷ではなくここに通ったのだろう。
NHKは1964(昭和39)年の東京オリンピック後、渋谷区神南に移転し、現在に至る。
新聞社とNHKの位置の話だけで大興奮してしまって申し訳ないけれど、この記事ずっとこんな調子なので、ご了解いただきたい。