特集 2024年3月22日

『東京見学地図』でGHQ占領下の東京を見る

工場を見てみる 

江東区、墨田区周辺をみてみる。 

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墨田区周辺

国技館(メモリアルホール)となっていて、現在の両国国技館より前に存在した初代の両国国技館が描かれている。

もともと、国技館は江戸時代から相撲の興業(勧進相撲)が行われていた回向院の境内だった場所(現在の両国シティコア)に、明治時代1909(明治42)年に建設された。

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かつて初代の国技館があった両国シティコアと回向院

その頃は、ドーム型の屋根を持った建物を持った建物で、まさに絵地図に描かれたような形の建物であった。

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屋根にメモリアルホールと書かれた初代両国国技館(墨田区の昭和史編纂委員会『墨田区の昭和史』千秋社

初代の両国国技館は、震災や戦災で被害を受けつつも、建物自体は存在していたが、GHQにより接収され、メモリアルホールと改名された。メモリアルホール時代は、ボクシングやプロレスなどの会場として使われ、大相撲の会場としては使用できなかった。
1952年に接収が解除されるが、相撲協会はすでに蔵前に新しい国技館の建設に取り掛かっていたため、初代国技館の建物は売却され、ローラースケート場などを経て、日大の講堂として使用された後、1983(昭和58)年に解体された。
現在の国技館は、1985(昭和60)年から使用されている2代目となるが、初代の国技館があった位置よりも400メートルほど北側にある。

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官庁や商業施設、大学が集中する都心部に比べ、荒川区や江東区、墨田区といった周辺部には、工場の絵が非常に多くなる。

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墨田区周辺

アサヒビールは、みなさんご存知の通り、吾妻橋の例のビルのことだ。当時はここでビールも製造していた。

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アサヒビール。金のオブジェに目が行きがちだが、左のビルはビールジョッキに注がれたビールと泡をかたどっている

その下にある石鹸工場は、花王のことだ。墨田区には花王以外にも当時から現在に至るまで石鹸メーカーが集積しており、石鹸製造は墨田区の地場産業である。
ライオン、資生堂、カネボウなども石鹸製造において墨田区にゆかりがある。
墨田区や荒川区に石鹸や洗剤のメーカーが多いのは、明治時代に食肉処理施設があり、石鹸の材料となる油脂の調達が容易だったためと言われる。(墨田区、荒川区等にあった食肉処理施設は、昭和15年までに芝浦の施設に集約されている)

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花王すみだ事業所

モスリン工場は、その名の通り、モスリンの工場があった場所だ。モスリンは最近あまり聞かないが、毛織物のことで、昔は着物や洋服などによく使われた。

墨田区にはモスリン工場がいくつかあったようで、この地図のモスリン工場がどれを指しているのかはわからないけれど、戦前まであった東洋モスリンなどは、大規模な労働争議が何度も発生している。

戦後は、合成繊維の登場などで、モスリン自体があまり使われなくなり、モスリン工場はなくなっている。

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モスリン工場のあったあたりは、現在、文花団地となっている

そして、精工舎(時計)となっているところは、セイコーの時計工場があった場所だろう。
墨田区のセイコーの時計工場は、錦糸町(精工舎・太平四丁目)と、亀戸(第二精工舎・亀戸六丁目)にあり、現在、錦糸町の工場はオリナス、亀戸の工場はカメイドクロックというショッピングモールになっている。
錦糸町の工場では主に掛時計、置時計などを製造し、亀戸の工場では主に腕時計、懐中時計などを製造していた。

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カメイドクロック、2022年にオープン、それまではサンストリート亀戸があり、さらにその前に第二精工舎東京工場があった

カメイドクロックは、時計工場の跡地なので「クロック」というわけだ。銀の貨幣を作るところがあったから銀座、新しい宿場町があったから新宿みたいな、元々なにがあったのかがわかる地名に萌えてしまう性分なので、このネーミングはたまらない。

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品川の方に目を移す。

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品川付近

大蔵省外局だった専売局が1949(昭和24)年に分離独立し、専売公社となったばかりの専売公社工場が見える。後の日本たばこ産業、現在のJTだ。

品川工場では、ゴールデンバットやピースを製造していたらしいが、工場は平成時代に移転し、現在は品川シーサイドフォレストとなっている。

その下の自動車検査場は、鮫洲の免許センター、特殊製鋼工場がどこのことを指しているのかちょっとよくわからないが、その下にあるガス工場は、現在の大森のふるさとの浜辺公園の近くにあった東京ガスの工場のことだ。この跡地は現在、東京ガスの運動場となっている。

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ふるさとの浜辺公園の砂浜。絵地図の頃は、ここから先がぜんぶ海で、海苔の養殖イカダがズラッと並んでいた……はず

おもしろいのは、のり(海苔)が描かれているところだろう。

この絵地図が描かれた1951年頃はまだ、江戸時代から続く海苔養殖もかなり盛んで、1955(昭和30)年には、年に9500万枚もの海苔の生産量があった。

ただし、海苔養殖をしていた海域は、東京オリンピックと東京港建設のための埋め立て用地となり、1962(昭和37)年に漁業権が放棄され、海苔養殖は翌年(1963年)限りで終了してしまった。


終わりそうにないので、この辺でおわります

GHQ占領下の絵地図、見れば見るほど面白いけれど、長くなるのでこのあたりで切上げたい。

野ばら社の絵地図は、こちらで紹介した『東京見学地図』は通販での購入も可能だ。
野ばら社通販部(なお、3月24日から絵地図のラインナップが大幅に追加されます!)

データを見るだけであれば、利用登録が必要だが、国会図書館デジタルコレクションでも閲覧することもできる。

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