特集 2026年3月30日

川崎に存在する「卍型の交差点」の謎を解明した

川崎市に不自然に「卍」の形をした交差点がある。いつ、だれが、なんのために……。その謎について調査し、解明した。

1992年三重生まれ、会社員。ゆるくまじめに過ごしています。ものすごく暇なときにへんな曲とへんなゲームを作ります。

前の記事:【実話ミステリ】自宅から消えた鍵の謎

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巨大な渦巻きの近くには巨大な卍がある

先日、川崎市内にある巨大な渦巻き状の道路について記事を書いた。

この記事に対する感想として、「その近くにある『卍』の形をした道路についても調べてほしい」というリクエストを複数いただいた。こちらの地図[1]を見てほしい。

川崎市幸区の古市場という地区の交差点。「卍」のような形になっている。
厳密に言うと卍とは少し違う形なのだが、他に良い言葉があるかというと難しい。いずれの調査リクエストにも「卍」と書かれていたし、卍が共通認識のようだ。

この卍はなんだろう。前回の「巨大渦」は結局大昔の川の氾濫が遠因だったが、今回もそうなのだろうか?地図[2]で位置関係を見てみる。

巨大渦と同じぐらい、卍も多摩川に近い。

今回も多摩川の氾濫が関係しているのだろうか……。いや、さすがに卍が自然の営みによって作られたとは考えづらい。人間が作ったとしか考えられない。だとしたら、いつだれがなんのために卍を作ったのだろうか?

今回調査したいこと
川崎市幸区の古市場地区にある「卍」の形の交差点について、
・いつ (WHEN)
・だれが (WHO)
・なぜ (WHY)
作ったか

正直、3つとも見当もつかない。調査しがいがある。

調査、スタート!

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卍の交差点には何があるのか

とりあえず卍を見に行こう。JR南武線鹿島田駅から徒歩15分ほどの場所にその交差点はある。

地上からは卍全体を眺めることはできないが、交差点前の不自然なカーブを体感することはできる。(左上の地図は、矢印の根元の位置からその向きに撮影したことを示しています。)
こっちのカーブには予告灯が設置されており、黄色が点滅している。
卍のほぼ中心から外側を見てみる。かくっと折れ曲がっているのがわかる。

 最後の写真を見ていただくとわかるように、交差点の四隅の土地は広々としており、そこに切り株や銅像が置かれている。

銅像のある土地を見てみる。広々としていて、奥にはベンチが置かれている。
現地調査の結果を図にまとめた。

この図からわかることがある。まず、この交差点にはメインの卍型の道だけでなく、正方形の細い道も存在する。卍と□が組み合わさることで、直角二等辺三角形の土地が4つ生まれている。そこには木やベンチや銅像、さらには交番があり、「公共の土地」という感じがする。また、すぐ近くには銭湯もあり、それも人々が集う施設という意味ではパブリック感がつよい

銭湯の名は越の湯。

川崎市民である筆者は、市内のいろんな銭湯を訪問するのにハマっていた時期があり、ここを訪れたことがある。(当時はここが卍型の交差点だとは知らなかった。) この銭湯にはサウナ、電気風呂、薬湯、森林浴など多種多様な浴槽があり、楽しめた。特に、森林浴はガラス張りになった部屋にミストの漂う個性的なものだった。

写真の右上をみてほしい。古市場地区には複数の交差点があるが、この交差点の名前は「古市場」​​​​​だ。地区を代表する交差点だとわかる。

なぜ卍型なのか、この交番のおまわりさんに聞けば解決するのでは?と思い、のぞいてみたが、あいにく不在だった。(……というか神奈川県警の交番はいつもそうで、基本的に無人である。)

わかったこと
・交差点の周りの土地には、木やベンチや銅像や交番などの公共的なものが存在する
・銭湯が隣接していることからも、一帯の公共的役割の強さを感じる
・交差点の名前が地区名と同じ「古市場」であることが、地区を代表する交差点であることを示唆している
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解決のカギは「かぎしっぽ」にあり?

卍の交差点のすぐ近くに、「かぎしっぽ」というコーヒー屋さんがある。

珈琲屋かぎしっぽ。

「かぎしっぽ」とは、猫のしっぽが鍵のように途中で折れ曲がった状態のことであり、幸福のシンボルとされている。

猫のしっぽが曲がったのが「かぎしっぽ」である。

この店名は確実に「卍」を意識していると思う。卍の一部を猫のかぎしっぽに見立てたのだろう。

筆者が言いたいのは、こういうことである。

せっかくだし入ってみよう。

どのコーヒーにするか迷っていると、試飲セットをサービスしてくれた。丁寧に説明をしてくれたおかげでコーヒーへの理解が深まった。

コロンビアのゲイシャをホットで注文し、店員さんに尋ねてみる。
​​​​​​​
筆者:(Google Mapを見せながら) 実はそこの交差点が卍の形になっている理由を調べているのですが、何かご存知ないですか?
店員:あら、本当ですね。こんな形になっていたんですか
筆者:こちらのお店が「かぎしっぽ」なので、何かご関係があるのかと思ったのですが
店員:いや~、店名は関係ないですね。 私らもこの土地のものじゃないもんで……
筆者:そうなんですね。ちなみに、こちらのお店は昔からやっていらっしゃるのですか?
店員:お店ができて3年になります

この土地の事情を古くから知る老舗店だと勝手に思っていたのだが、意外にも3年前にオープンしたばかりのお店だった。店内には猫の本など、猫をモチーフにしたものがいくつかあった。単にオーナーが猫好きで、猫にちなんだ幸福のシンボルとして「かぎしっぽ」と名付けただけかもしれない。

それにしても試飲したコーヒーはどれも個性があっておいしく、余計に迷ってしまうほどだった。調査は進展しなかったけど大満足。

わかったこと
・交差点のすぐ近くにある「かぎしっぽ」というコーヒー屋さんは、卍とは特に関係がない
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近くの図書館に行く

土地のことが知りたかったらその土地の図書館に行くべきである。筆者は過去の調査記事で何度も図書館にお世話になっており、そのたびにそれを実感してきた。今回は川崎市幸区の図書館に行く。なぜなら古市場は幸区にあるからだ。

卍型の交差点を撮影したその足で幸図書館に来た。

 図書館の奥のほうには地域に関する図書の本棚があり、そこを片っ端から調べ、有力な情報の書かれた3冊の本を見つけることができた。(図書館で情報収集をしているときが一番楽しいです。)

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 川崎幸区地誌を読む

1冊目は「川崎幸区地誌」である。1989年発行の本で、幸区という狭い地域の歴史を深く伝えてくれている。地元の図書館ならではの蔵書である。そこには1945年と1983年の道路網の図[3]が掲載されていた。

1945年には例の卍はなく、1983年にはある。

卍が形成されたのは、1945年から1983年の間だということがわかった。意外にもけっこう最近だ。(1945年が「最近」と感じられるのは、前回の調査で江戸時代の出来事を調べていたせいだ。)

さらに、この本には1983年の幸区内の商店街の地図[4]もあった。

1983年の商店街の様子。あきらかにあの卍型の一部に沿って商店街が存在する。

 また、当時の古市場の商店街について、詳細な記述[5]を見つけた。

 あの卍型の道路が本では「ロータリー」と表現されているのが少し可笑しい。確かに正方形の道が環状になっているが、自分の知っているロータリーとはずいぶん違う形をしている。

さて、この本にあった「商店街の地図」と「古市場の商店街の詳細な記述」の2つの情報を、今の地図[1]に重ねてみるとこうなる。

本によれば、 "ロータリー" を中心として、複数の商店街があり、にぎわっていた。

「にぎわっていた」と過去形なのは、いまはほとんどお店が無く、にぎわいが見られないからだ。

かつて古市場銀座だった通りの両サイドの建物はほとんどが建て替えられ、店ではなく住宅になっている。

どうしても当時の様子を見たい方は、2009年撮影のGoogleストリートビューを見てほしい。全盛期と比べるとそれほどでもないのかもしれないが、そこには商店街のかつてのにぎわいがギリギリ残っている。

わかったこと
・卍ができたのは、1945年から1983年の間
・卍を中心に商店街が広がり、にぎわっていた
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古市場村の歴史

ここまでの調査を踏まえ、筆者は、卍を中心として商店街が広がっていたことと、地区の名前が「古『市場』」であることに関係があり、それが卍の手掛かりではないかと推察した。かつてここに市場があって、(よくわからないが)その都合で卍の形になった?そして、そのおかげで商店街も発展した?

図書館で次に見つけた資料はまさにそれに答えるものであった。川崎地名辞典に「古市場村」の項があり[6]、古市場村の歴史を事細かに伝えている。

重要な部分だけ抜粋。たしかに古市場は「市場」に由来するが……。

結論から言うと、この場所に市場は無かった。なぜかというと、もともとの古市場の場所は東京都大田区矢口3丁目にあったからだ。地図上の位置関係[2]はつぎのとおり。

かつて、古市場は川の反対側にあった。その原因は言わずもがな、前回の調査でも出てきた、多摩川の大洪水である。

つまり、「古市場」という地名は市場の存在に由来するものの、その場所は現在の古市場とは一致しない。したがって、卍の由来に市場は関係がない

ここで、鋭い読者は「多摩川の洪水で流路が変わっても、その地の座標は変わらないのでは?」と思われるかもしれない。しかし実際のところ、洪水によって土地を失った村人たちが集団で移り住めば、土地の名前も移動するのである。

わかったこと
卍の由来に市場は関係ない
・なぜなら、古市場という地名は、古市場が別の場所に存在したときのものだから

筆者の仮説は否定されてしまった。

しかし、大きな発見もあった。古市場村の沿革[7]の1945年と1948年の項に、次のような記載があった。

1945年の大空襲で古市場は焼け野原となり、1948年に区画整理が実施された。区画整理とは、道路などの公共施設の整備とあわせて、土地の形や配置を整理し直す事業である。

これは、ひとつ前の本で得た「卍が形成されたのは1945年から1983年の間」とも合致する。ここから推察されるのは、焼け野原からの立て直しで古市場の街全体を作り直す際に、設計者が卍の道路を設けたのではないか?というものだ。

わかったこと
・1945年の大空襲で、古市場は焼け野原となった
・1948年に区画整理が実施された

古地図で見る川崎市

3冊目は「発掘写真で訪ねる川崎市古地図散歩」という本である。そこには、まさしくその区画整理についての言及[8]があった。

現在の古市場一帯の道路は昭和23年(1948年)の区画整理で作られた。また、その時に「古市場住宅」が作られたらしい。

この本に載っていた昭和30年(1955年)の地図[9]をみてほしい。

古市場住宅には、あの卍の形がある!

これで一気に真相に近づいた。この本によれば、卍は1948年の区画整理で作られたということになる。やはり、区画整理は卍の形成にかかわる重要イベントであった。

わかったこと
・卍は、1948年の区画整理で出来た
・当時、このあたりは「古市場住宅」であった

ここまでが図書館の調査である。 これでようやく、「卍がいつ作られたか」(WHEN) の答えにたどり着いた。

続きはインターネットで調べる

自宅に帰り、続きをインターネットで調べる。図書館で手に入れた検索ワードを使って「古市場住宅 開発」などで検索すると、有力な記事[10]が1件見つかった。その記事は、学習院大学の大学院の論文[11]を引用しながら、古市場住宅の造成事業について解説している。詳細について知りたければ、引用元の論文を読むのが良さそうだ。

以下、引用元の論文の内容をできるだけ分かりやすく、筆者なりの紙芝居で解説する。

第一次世界大戦の軍需により、川崎臨海部に工業化の波が押し寄せた。1930年代になって工業化はさらに加速し、深刻な住宅不足となった。
一方そのころ、同じ川崎市でも古市場には畑地が広がっていた。市の都市計画課がここに目を付け、古市場の住宅地化を計画する。
1941年に川崎市が古市場の住宅地化の計画図を作成した。この時点で卍がある。

ここでいったんストップ。例の卍である。1941年の時点で卍が計画されていたのだ。 そして、実際のまちづくりは川崎市から住宅営団に依頼される。住宅営団とは、戦時下の住宅供給事業を行った官民協力型の団体である。

さて、川崎市から住宅営団に古市場の住宅地化を依頼する際、卍の交差点についての言及があったようだ。それは、卍の交差点付近に、日用品市場や福利施設を配置してほしいというものだった。

これは筆者の推察だが、川崎市は古市場住宅地化計画にあたって、中央の交差点を特別なものにしたかったのではないか。だから卍型の特徴的な形にしたし、その付近に日用品や福利施設の配置を提案した。卍への熱意が感じられる。

川崎市から事業を引き取った住宅営団は、詳細な計画を進める。住宅営団側が作成した計画図にもしっかりと卍は残っている。川崎市の要望は無事に通ったようだ。
その後、川崎大空襲がありつつも着実に整備は進み、1947年に卍の道路が実現する。

以上が事の真相である。川崎市の卍への熱意を感じ、それが実現したことを知り、「よかったなぁ」という気持ちになった。実際、2010年頃まで卍を中心とした商店街がにぎわっていた。当然、そこでは日用品が売られていたことだろう。また、「福利施設」としての銭湯は今も存在する。川崎市の要望通りだ。

……あれ、ということは、あの銭湯「越の湯」は卍と同時期に出来たのだろうか?だとすれば、越の湯の主人に話を聞くのはどうだろうか。しかし、調べたところ、越の湯の創立は1967年で、卍が出来てから20年も後だったので断念。

それでも、かなり詳しいところまでわかってきた。

わかったこと
・古市場はもともと畑地だったが、川崎市の工業化に伴う住宅不足を解消するために、1937年に住宅地化計画がスタートした
・1941年に川崎市が作成した計画図に、卍の交差点が存在する
・川崎市が住宅営団にまちづくりを依頼した際にこの交差点に言及していることからも分かる通り、川崎市がこの交差点に掛ける思いは大きかったと推察される
・住宅営団は川崎市の要望に沿う形で古市場の住宅地開発を行い、1947年に卍の道路が実現した

なお、図書館で得た情報では卍の道路が出来たのは1948年であったが、論文や航空写真によれば 1947年である。1年のズレがあるが、さすがに航空写真は動かぬ証拠ということで、卍の道路の実現は1947年と結論付けたい。

これで最初の疑問の答えは出た。

調査結果
川崎市幸区の古市場地区にある
「卍」の形の交差点の成立について
・いつ (WHEN) できたか
→ 1941年の計画図に登場。
  1947年に実現。

・だれが (WHO) がつくったか
→ 計画は川崎市の都市計画課。
  実現させたのは住宅営団。
・なぜ (WHY) つくったか
→ 人口1万人以上が集う地区の
 中央の交差点であり、
 特別なものにしたかったのでは?
 (筆者の推察)

よし……。と言いたいところだが、完全にクリアになったわけではない。最後の「なぜ」(WHY) の部分は筆者の推察であり、設計意図についての文献を見つけることはできなかった。

また、その推察にも疑問は残る。特別なものにしたかったからといって、わざわざ交差点を卍型にするだろうか?カーブが4つも増えて不便ではないか? 本当に利便性を考えたら、ふつうの十字路のほうがいいのでは?

そこからは来る日も来る日も「卍の設計意図」について調べていたが、どうにも見つからない。

偶然見つけた、別の場所の卍

ちょうどそのころ、筆者は当サイトのライター仲間に誘われてつくばに来た。筑波大学の寮で開催の謎解きイベントに参加するためだ。

爲房さんが筑波大の学生時代に住んでいた寮が、謎解きイベント会場となり、謎解きを楽しんだ。

初めてつくばに来たが、駅にあった地図を見てびっくりした。

卍型の交差点があるではないか。しかも3個も。

調べてみると、つくばの卍型の交差点が出来たのは1970年代前半のようで、古市場の卍型の交差点よりも20年以上あとである。しかし、つくばもまた、街全体を大々的に計画・開発してつくった歴史があり、古市場と共通する

……ということは、つくばの卍型の交差点の設計意図がわかれば、古市場の卍型の交差点の設計意図に近づけるのではないか?

わかったこと
・つくばにも卍型の交差点がある
・つくばも古市場も、街全体を大々的に計画・開発してつくったという点で共通する

つくばの卍型の交差点について調べたところ、まさかの当サイトにそれに関する記事があった。

調べものをしていて、結局ふだん自分が記事を書いているデイリーポータルZに答えが載っているというのはよくあることだ。

このつくばの記事を書いた林さんは、卍型の交差点を実際に車で走り、道が45度ななめであるせいで迷いやすいことを伝えている。

この記事を読んでまずわかったのは、やっぱり卍型の交差点は不便ということだ。ではその不便さを受け入れてまで得たかったメリットとはいったいなんだろうか。設計意図を知りたい。

林さんは記事の締めで2022年の建築ジャーナルを引用し、つくばにおける卍型の交差点の設計意図について言及している。

どうやら、アイストップ (目に止まるようなシンボル) 以上の深い意味は無さそうだった。若干拍子抜けだが、まちづくりというのは案外そういうものなのかもしれない。なんでもかんでも効率を求めるのではなく、まちレベルで遊び心が必要ということか。もちろん、古市場の卍の設計意図がつくばのそれと同じとは限らないが……。

わかったこと
・つくばの卍型の交差点は、アイストップを目的に作られた

川崎市民ミュージアムの学芸員に話を聞く

つくばにおける類似事例についてはわかったものの、やっぱり古市場の卍の設計意図についてあきらめきれず、根気強く調べていたところ、ひとつの希望の光が見つかった。

ある記事[12]によれば、2024年から2025年にかけて開催された「爆誕!!かわさき100年物語」というイベントの会場内で流れていた映像で、川崎市市民ミュージアムの鈴木勇一郎学芸員が、古市場の卍型の交差点について語っていたというのだ。

こんな面白そうなイベントがあったなんて……!

鈴木勇一郎学芸員。筆者は彼を知っている。先日放送されたブラタモリの「川崎大師」の回で、タモリさんに案内していた人だ。川崎のすべてを知る鈴木勇一郎学芸員なら「卍の設計意図」を知っているかもしれない。わらにもすがる思いでメールをお送りしたところ、翌日には返事を頂けた。

学芸員 鈴木勇一郎さん の回答
お尋ねの件ですが、前回の展示で取り上げたことは、基本的には北川(佐々木)恵海さんの論文「二十世紀前半の川崎市における都市行政の展開過程」『学習院大学人文科学論集』2019年 に書かれたことを基礎にしておりまして、残念ながらそれ以上のことはよくわからないというのが実情です。
ただ、そこで言及されている小野二郎「営団住宅計画実施実例に就て」『住宅研究資料 第五輯』(国会図書館デジタルライブラリーでご覧になれます)を見ると、多少詳しいことが書かれていますね。
…… (続く) ……

 ここでいったんストップ。まず、鈴木さんの主な参考資料は筆者と同じ論文だったようだ。しかし、その論文内で言及されている「住宅研究資料 第五輯」は、国会図書館デジタルライブラリーで閲覧できると言う。

実は筆者も前々からこの資料が気になっており、Googleで検索していたのだが、資料を閲覧する方法を見つけられず、あきらめていた。しかし、鈴木さんからの返信を受け、国会図書館デジタルライブラリーのWebページのシステム内で検索したところ、閲覧可能な資料にたどりつくことできた。 

Google検索しただけで調べた気になってはいけない。学びである。

さて、ここからは鈴木さんからの返信の続きとともに、実際に「住宅研究資料 第五輯」[13]を参照しながら「古市場の卍の設計意図」について説明する。 

卍の設計意図を伝える貴重な証言である。小野さんは住宅営団側の人間なので、あくまでも川崎市からの要望を「受ける」立場ではあるが、当時の様子を細かく伝えている。

ここから先、白い四角内のテキストは鈴木さんによる要約、グレーの四角内のテキストは筆者による補足、図は鈴木さんの解説に基づいて筆者が加工したものである。

037.JPG
川崎市は古市場につながる5本の幹線道路をそのまま維持することを求めていた。
038.JPG
団地外の幹線道路を団地内で直線的に結び、それをもとにグリッドを引くと、図のようになる。しかし、これでは家の向きが南北に対し45度傾くことになり、良くない。(陽当たり的な観点の話、あるいは鬼門・裏鬼門といった風水的な観点の話であろう)

  幹線道路はつなぎたい、でも、家の向きが南北に対して45度傾くのは良くない。これを解決するのが、卍型の交差点 (ロータリー) である。 

039.JPG
卍型で道路をねじるという発想だ。すると、グリッドの向きが変わるので、家の向きは多少マシになる。

なるほど、古市場の外側にすでに大きな道路があって、それらを (家の向きを考慮しつつ) つなげるために、道をねじる必要があったのか。言われてみれば確かに……。

てっきり「卍が先、道路があと」だと思い込んでいたが、実際は「道路が先、卍があと」だったのだ。

「ねじれの解消」という視点で航空写真を改めて眺めてみる。こうして見ると、卍がちゃんと仕事をしている。事情を知っただけでこんなにも見え方って変わるのか。

実際のところ、「ねじり方」にもいろいろ考えられる。しかし、直角のカーブ2回よりも、45度のカーブ2回のほうが曲がりやすい。だからこの形が選ばれたのだろう。

方向感覚は狂うかもしれないけど、曲がりやすいのは45度のほうだ。
わかったこと
・古市場の外側にすでに幹線道路があり、それらを (家の向きを考慮しつつ) つなげる必要があった
・そのために、卍型の交差点によって道をねじった

  以上が「卍の設計意図」である。これで今度こそ本当にすべての謎が解けたので超スッキリ!!!大満足である。鈴木さん、本当にありがとうございました。

調査結果 (最終版)
川崎市幸区の古市場地区にある
「卍」の形の交差点の成立について
・いつ (WHEN) できたか
→ 1941年の計画図に登場。
  1947年に実現。

・だれが (WHO) がつくったか
→ 計画は川崎市の都市計画課。
  実現させたのは住宅営団。
・なぜ (WHY) つくったか
→ 古市場の外にすでに存在する
 複数の幹線道路を、
 家の向きを考慮しつつ
 つなげるにあたり、
 道路をねじる必要があったから

道っていいね

「なぜ」(WHY) の裏側にあったのは、90年前の川崎市の都市計画課の職員が「古市場という住宅地を住みやすいものにしよう」と本気で願った、熱い想いであった。まさか家の向きまで気にしていたとは……。真相にたどり着くのに時間がかかったけど、当時の熱い想いを知れてよかった。

結論:卍には90年前の人間の熱い想いがあった

道っていいな。いろんな種類の道があるけれど、今回のような「人間の想いが反映されるタイプの道」は特に面白い。「想い」を感じられるから……。


道を調べるのは本当に楽しい

一度できた道を動かすのは難しい。道の周りには土地があり、その一つ一つに持ち主がいるからだ。用地買収には長い年月がかかる。つまり、道はそう簡単には動かない。

だからこそ、道は街の歴史を物語る。まるで地層のようだ。調べていくと、やがてその道ができたときの様子が見えてくる。

その過程が本当に楽しい。謎解きゲームみたいに「必ず答えがある」とは限らないけれど、だからこそ面白い。自分のペースで、自分が納得できるまで、こつこつと調べていく。

みんなもやろう。道調べ。
それは人生の道しるべ。

編集部からのみどころを読む

編集部からのみどころ
ほりさんの現実謎解き、ハイペースで第二弾を公開です。何がいいって、なんの成果もなかった「かぎしっぽ」のくだりが冒頭に入っているのがいいです。単純に調査報告なら省いていいパートですが、読み物としての面白さを支えてるなと思うんですよね。
最後の「なぜ?」の結論も超納得という感じで、きもちいい~~!ってなりました。(石川)

引用元サイト・文献

[1] Open Street map ©OpenStreetMap contributors (一部加工) 
[2] Open Street map ©OpenStreetMap contributors (一部加工)
[3] 川崎幸区地誌 / 幸区地誌刊行会 p55, p57
[4] (同上) p98
[5] (同上) p112
[6] 川崎地名辞典(上)/ 日本地名研究所 p127
[7] (同上) p128
[8] 発掘写真で訪ねる 川崎市古地図散歩 ~明治・大正・昭和の街角 / 坂上 正一 p168
[9] (同上) p167
[10]【川崎・鹿島田】高度経済成長期の職工向け住宅地から、タワーマンション街へ変貌した川崎の街 / ホームズ
[11] 二十世紀前半の川崎市における都市行政の展開過程 / 北川(佐々木)恵海
[12] 2025年2月9日(日)爆誕!!かわさき100年物語 / やまほら
[13] 住宅研究資料 第五輯 「営団住宅計画実施実例に就て」/ 小野二郎 p65, p66

記事サムネイル  国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス (一部加工)
図1 かわさきしこどもページ 「工場のまちへ-川崎市のたんじょう!」
図2 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス (一部加工)
図3 住宅研究資料 第五輯 「営団住宅計画実施実例に就て」/ 小野二郎
図4 新建築 18巻10号 / 新建築社
図5 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス (一部加工)
図6 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス (一部加工)
図7 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス (一部加工)

おまけ:つくばでデスゲームに参加した話

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