偶然見つけた、別の場所の卍
ちょうどそのころ、筆者は当サイトのライター仲間に誘われてつくばに来た。筑波大学の寮で開催の謎解きイベントに参加するためだ。
爲房さんが筑波大の学生時代に住んでいた寮が、謎解きイベント会場となり、謎解きを楽しんだ。
初めてつくばに来たが、駅にあった地図を見てびっくりした。
卍型の交差点があるではないか。しかも3個も。
調べてみると、つくばの卍型の交差点が出来たのは1970年代前半のようで、古市場の卍型の交差点よりも20年以上あとである。しかし、つくばもまた、街全体を大々的に計画・開発してつくった歴史があり、古市場と共通する。
……ということは、つくばの卍型の交差点の設計意図がわかれば、古市場の卍型の交差点の設計意図に近づけるのではないか?
わかったこと
・つくばにも卍型の交差点がある
・つくばも古市場も、街全体を大々的に計画・開発してつくったという点で共通する
つくばの卍型の交差点について調べたところ、まさかの当サイトにそれに関する記事があった。
調べものをしていて、結局ふだん自分が記事を書いているデイリーポータルZに答えが載っているというのはよくあることだ。
このつくばの記事を書いた林さんは、卍型の交差点を実際に車で走り、道が45度ななめであるせいで迷いやすいことを伝えている。
この記事を読んでまずわかったのは、やっぱり卍型の交差点は不便ということだ。ではその不便さを受け入れてまで得たかったメリットとはいったいなんだろうか。設計意図を知りたい。
林さんは記事の締めで2022年の建築ジャーナルを引用し、つくばにおける卍型の交差点の設計意図について言及している。

どうやら、アイストップ (目に止まるようなシンボル) 以上の深い意味は無さそうだった。若干拍子抜けだが、まちづくりというのは案外そういうものなのかもしれない。なんでもかんでも効率を求めるのではなく、まちレベルで遊び心が必要ということか。もちろん、古市場の卍の設計意図がつくばのそれと同じとは限らないが……。
わかったこと
・つくばの卍型の交差点は、アイストップを目的に作られた
川崎市民ミュージアムの学芸員に話を聞く
つくばにおける類似事例についてはわかったものの、やっぱり古市場の卍の設計意図についてあきらめきれず、根気強く調べていたところ、ひとつの希望の光が見つかった。
ある記事[12]によれば、2024年から2025年にかけて開催された「爆誕!!かわさき100年物語」というイベントの会場内で流れていた映像で、川崎市市民ミュージアムの鈴木勇一郎学芸員が、古市場の卍型の交差点について語っていたというのだ。
こんな面白そうなイベントがあったなんて……!
鈴木勇一郎学芸員。筆者は彼を知っている。先日放送されたブラタモリの「川崎大師」の回で、タモリさんに案内していた人だ。川崎のすべてを知る鈴木勇一郎学芸員なら「卍の設計意図」を知っているかもしれない。わらにもすがる思いでメールをお送りしたところ、翌日には返事を頂けた。
学芸員 鈴木勇一郎さん の回答
お尋ねの件ですが、前回の展示で取り上げたことは、基本的には北川(佐々木)恵海さんの論文「二十世紀前半の川崎市における都市行政の展開過程」『学習院大学人文科学論集』2019年 に書かれたことを基礎にしておりまして、残念ながらそれ以上のことはよくわからないというのが実情です。
ただ、そこで言及されている小野二郎「営団住宅計画実施実例に就て」『住宅研究資料 第五輯』(国会図書館デジタルライブラリーでご覧になれます)を見ると、多少詳しいことが書かれていますね。
…… (続く) ……
ここでいったんストップ。まず、鈴木さんの主な参考資料は筆者と同じ論文だったようだ。しかし、その論文内で言及されている「住宅研究資料 第五輯」は、国会図書館デジタルライブラリーで閲覧できると言う。
実は筆者も前々からこの資料が気になっており、Googleで検索していたのだが、資料を閲覧する方法を見つけられず、あきらめていた。しかし、鈴木さんからの返信を受け、国会図書館デジタルライブラリーのWebページのシステム内で検索したところ、閲覧可能な資料にたどりつくことできた。
Google検索しただけで調べた気になってはいけない。学びである。
さて、ここからは鈴木さんからの返信の続きとともに、実際に「住宅研究資料 第五輯」[13]を参照しながら「古市場の卍の設計意図」について説明する。
卍の設計意図を伝える貴重な証言である。小野さんは住宅営団側の人間なので、あくまでも川崎市からの要望を「受ける」立場ではあるが、当時の様子を細かく伝えている。
ここから先、白い四角内のテキストは鈴木さんによる要約、グレーの四角内のテキストは筆者による補足、図は鈴木さんの解説に基づいて筆者が加工したものである。
川崎市は古市場につながる5本の幹線道路をそのまま維持することを求めていた。
団地外の幹線道路を団地内で直線的に結び、それをもとにグリッドを引くと、図のようになる。しかし、これでは家の向きが南北に対し45度傾くことになり、良くない。(陽当たり的な観点の話、あるいは鬼門・裏鬼門といった風水的な観点の話であろう)
幹線道路はつなぎたい、でも、家の向きが南北に対して45度傾くのは良くない。これを解決するのが、卍型の交差点 (ロータリー) である。
卍型で道路をねじるという発想だ。すると、グリッドの向きが変わるので、家の向きは多少マシになる。
なるほど、古市場の外側にすでに大きな道路があって、それらを (家の向きを考慮しつつ) つなげるために、道をねじる必要があったのか。言われてみれば確かに……。
てっきり「卍が先、道路があと」だと思い込んでいたが、実際は「道路が先、卍があと」だったのだ。
「ねじれの解消」という視点で航空写真を改めて眺めてみる。こうして見ると、卍がちゃんと仕事をしている。事情を知っただけでこんなにも見え方って変わるのか。
実際のところ、「ねじり方」にもいろいろ考えられる。しかし、直角のカーブ2回よりも、45度のカーブ2回のほうが曲がりやすい。だからこの形が選ばれたのだろう。
方向感覚は狂うかもしれないけど、曲がりやすいのは45度のほうだ。
わかったこと
・古市場の外側にすでに幹線道路があり、それらを (家の向きを考慮しつつ) つなげる必要があった
・そのために、卍型の交差点によって道をねじった
以上が「卍の設計意図」である。これで今度こそ本当にすべての謎が解けたので超スッキリ!!!大満足である。鈴木さん、本当にありがとうございました。
調査結果 (最終版)
川崎市幸区の古市場地区にある
「卍」の形の交差点の成立について
・いつ (WHEN) できたか
→ 1941年の計画図に登場。
1947年に実現。
・だれが (WHO) がつくったか
→ 計画は川崎市の都市計画課。
実現させたのは住宅営団。
・なぜ (WHY) つくったか
→ 古市場の外にすでに存在する
複数の幹線道路を、
家の向きを考慮しつつ
つなげるにあたり、
道路をねじる必要があったから
道っていいね
「なぜ」(WHY) の裏側にあったのは、90年前の川崎市の都市計画課の職員が「古市場という住宅地を住みやすいものにしよう」と本気で願った、熱い想いであった。まさか家の向きまで気にしていたとは……。真相にたどり着くのに時間がかかったけど、当時の熱い想いを知れてよかった。
道っていいな。いろんな種類の道があるけれど、今回のような「人間の想いが反映されるタイプの道」は特に面白い。「想い」を感じられるから……。
道を調べるのは本当に楽しい
一度できた道を動かすのは難しい。道の周りには土地があり、その一つ一つに持ち主がいるからだ。用地買収には長い年月がかかる。つまり、道はそう簡単には動かない。
だからこそ、道は街の歴史を物語る。まるで地層のようだ。調べていくと、やがてその道ができたときの様子が見えてくる。
その過程が本当に楽しい。謎解きゲームみたいに「必ず答えがある」とは限らないけれど、だからこそ面白い。自分のペースで、自分が納得できるまで、こつこつと調べていく。
みんなもやろう。道調べ。
それは人生の道しるべ。
編集部からのみどころを読む
編集部からのみどころ
ほりさんの現実謎解き、ハイペースで第二弾を公開です。何がいいって、なんの成果もなかった「かぎしっぽ」のくだりが冒頭に入っているのがいいです。単純に調査報告なら省いていいパートですが、読み物としての面白さを支えてるなと思うんですよね。
最後の「なぜ?」の結論も超納得という感じで、きもちいい~~!ってなりました。(石川)
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