心の豊かさが浮かび上がる
服を揃えることで「つながり」を体現し、心の豊かさが実現できると思ったが、そうならなかった。
双子コーデの背景には、「お揃い」「うちらと呼び合う関係性」「自発的に揃える」などの要素があるが、「お揃い」を取り出しても双子コーデのつながりが現れなかった。この箱ではなかったようだ。
残りの要素に大事なものが入っていることが分かった。これで「また心の豊かさ」に近づいた!
心の豊かさを考える3回目である。
今回のテーマは「お揃いの服を着る」になった。
(それに至るまでのようすは別にまとめてあるので読んでください)
お揃いの服を着て仲良くなる。心の豊かさとしてはかなり直球だ。双子コーデという文化もあるし、豊かさが約束されている。
1回ぐらいはそんなストレートな試みがあってもいいだろう、だが、そんな目論見はすぐに崩れることになった。
JTのコーポレートR&D組織 D-LABと「心の豊かさ」を感じる方法を考え・実践するシリーズ記事です。
第1回 どうやったら心が豊かになるのかをプレゼンしました
今日のお揃いコーディネートはダンガリーシャツ+白シャツ+デニム+緑のキャンバス地のスニーカーだ。事前に揃えた服装で駅前に集まって広場に向かう。
初対面の人もいるが、待ち合わせ場所でお揃いの服を着ているだけで「デイリーポータルZの撮影ですよね…」と声を掛けることができた。
このとき「なんだか怪しいですね。うふふ」と笑っていたが、その予感はどんどん現実のものとなる。
双子コーデのさらに上を行く七つ子コーデだ。否が応でも一体感が高まるだろう。大人だから双子どころか7人だって揃えられてしまうのだ。
一体感はある。全員清潔感もある。だが、双子コーデの浮かれ感がない。むしろちょっと怖い。言葉を選ぶのが難しいが……UFO喚びそうだ。
「なんでだろう?靴までそろっているからかも。笑っていても怖い」
とりあえず、会社のホームページにこの写真が載っていたらその会社は避けたほうがいいことだけは分かる。
明るい職場かもしれないが魂が抜かれている感じがする。人数だろうか。7人もいるからいけないのか。
この集団を自分たちで見ての感想
不穏な写真を解説しようとしたらもっと不穏になったよ。まだ序盤、始まったばかりです。
いったん茂みから離れて、ゲームセンターの入り口をうろうろする。
この施設で働いているように見える。制服だ。やった、これは大丈夫そうだ。
このときはそう思って安心していたが、あとで見るとガチャガチャに人手を割きすぎの職場である。ガチャガチャの研修会だ。
など不安を埋めるために必死だったことが分かる。ただ撮影中、公園のベンチにヘビがいたのだが、そのときの様子は自然だった。
お揃いであることよりヘビがいてびっくりするという意味が上回っていたからかもしれない。
公園内を移動するバスを待っていると予想外のことが起きた。
なぜ?我々はそんなに目立つのか?こんなに普通の服装なのに?
服装としてはオーソドックスなので隣にいても気にならない。だけど7人並んでいると「なにか」である。
しかしそのなにかが分からないのだ。名前がついてない。
「あの人たちは……なにかだよ」と気持ち悪い言い方になってしまう。
あの若者たちはバスか、その向こうにいる友だちに手を振っていただけかもしれない。そうしたらお揃いの集団が手を振り返してきたのだ。やべー集団である。
このバスのあとに観覧車にも乗った。なかではお揃いであることも忘れて景色を楽しんでいたが、あとで写真を見ると違和感はある。
こういう小部屋にギュッとしているよりも、並んでいるほうがお揃いであることが強調される。
公園には我々のほかにも若者のグループが何組かいて、ひと組はお笑いコンビかと思うぐらいのテンポで話していた。彼らはお揃いの服ではないが一体感を醸し出している。
我々にないのはあの一体感、自分たちを「うちら」と呼ぶ関係性かもしれない。
一人称が我々なのは宇宙人のようだ。
だが、お揃いの写真のおかしさが分かってくると、こんな写真を撮ったら面白いんじゃないかというアイディアが次々に出てくる。
お揃いの楽しさを感じるためには「自分たちがいま楽しい」だけではなく、「第三者視点で見るとおもしろい」という視点を持つ必要がある。
双子コーデをしている若者もゲームの視点切り替えのようなことをしているに違いない。
店に入って、客が全員お揃いだったら躊躇する。しかも制服ではないお揃いだ。今日何度目かの名前のついてない違和感である。
お揃いの旅の最後はJTのオフィスである。会社だったらお揃いの服を着ていてもおかしくないだろう。そもそも制服がある会社もあるわけだし。
左右どちらかがお揃いだとチームのユニフォームのようだが、全員そろっていると、意思とは別に連れてこられた感じはある。「会議室」ではなく「控え室」だ。
同じ服の集団が同じ服の写真を見てディスカッションしているのはモブキャラっぽさが否めない。
今日1日の写真を見て、双子コーデとどこが違ったのかを考えると、ひとつ大きな前提にたどりついた。
つまりこういうことだ
この仲良しの状態がないと、
1日撮影をしていた石川さんからのコメントも、核がないお揃いの力を感じさせるものだった。
テーマのないお揃いは不安だが、ひとりだけ別の服を着るよりも、むしろ揃っていたほうが安心するのかもしれない。人間らしい。
しかし最後の振り返りのあとは、1日ぼんやりと感じていた不安の正体が見えて晴れやかな気分になった。
お揃いの深淵を考えたことで仲間意識が出た。
ここから「じゃあお揃いの服を着ちゃったりして!!」と言ってはじまる企画だったのだ。
マンガの最終回によくある「おれたちの旅はこれからだ」状態である。
服を揃えることで「つながり」を体現し、心の豊かさが実現できると思ったが、そうならなかった。
双子コーデの背景には、「お揃い」「うちらと呼び合う関係性」「自発的に揃える」などの要素があるが、「お揃い」を取り出しても双子コーデのつながりが現れなかった。この箱ではなかったようだ。
残りの要素に大事なものが入っていることが分かった。これで「また心の豊かさ」に近づいた!
取材協力:
葛西臨海公園「ダイヤと花の大観覧車」
オーセンティック
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