特集 2025年7月15日

街好きライター山田窓さんと行く調布

街に詳しいライターの山田窓さんに調布の街を案内してもらって、二人で歩くことになった。ぼくも街は好きだが、見てるのは足元ばかりで、山田さんは都市を見ているように思う。目が多いほうが街歩きは楽しい。一緒に歩いてみた。

1976年茨城県生まれ。地図好き。好きな川跡は藍染川です。(動画インタビュー)

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駅前で山田さんに会う

山田さんといえば多摩ニュータウンの記事のように街を見る記事が得意という印象だ。一緒に歩いたら楽しかろう。

山田さんの記事の例:多摩ニュータウンの200年を歩く

どこを歩いてもいいのだが、山田さんは調布に住んでいるということで、そこを案内してもらいながら一緒に歩くということになった。休日の朝、調布駅で待ち合わせる。

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いた

山田さんもぼくもお互い初めて会うので、なんとなくぎこちない。しかし記事で見たとおりだ、という感じはあった。さわやかである。

「今日どうすればいいんですかね?」と山田さんがいう。ぼくも分からない。ブラタモリみたいな感じですかね?と言いかけるが、そうなると案内される自分がタモリということになっておこがましい。

ーー地元案内っていうことで、ふつうに調布の街を案内してもらう感じでどうでしょう

と伝える。いまのところお互い手探りである。

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駅前は工事中

あたりを見回すと、地面があちこち工事中である。

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 「駅前広場をあたらしく整備する計画があるんです」と山田さん。

調布駅前ってなんかずっと工事してるイメージありますけど、あれが続いてるってことですか?と聞くと、

「たぶん京王線の地下化のことですかね? それは10年以上前に終わっていて、駅前広場は安藤忠雄が新しくデザインコンセプトを作って始めたやつなんです」

まじか。渋谷駅みたいにずっと工事が続いているのかと思っていた。やはりこれはブラタモリではない。こんな無知なタモリはいない。

「ただ現在の計画は当初とはだいぶ変わっていて、安藤忠雄の関わりについてもあんまり大々的に公表されてないです」

なるほど。元のプランと違うから名前を出しづらい、出さないでくれ、とかも一般論としてはありそうだ。今回がどうかは分からないけれど。

歩道に大きな屋根をかけてつなぐ計画もあったらしいが、なくなったらしい。今日は朝から強い日差しで、屋根ほしい・・という気持ちに部外者としてはなる。

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廃線跡に道路と商業施設ができた

さっき言ってた地下化で作られた施設がこれです、と案内してくれたのがこれだ。

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地上にあった京王線を地下に移して、その地上部分に新しく商業施設をつくった。この辺りを通っていましたよと線路を埋め直したのだろう。

改めて整理するとこんな感じのようだ。昔は、調布駅の西側に京王線と京王相模原線の二つの線路が通っていた。 

2009年の調布駅周辺。地理院地図による航空写真に加筆。

するとその二つをまたぐ長めの踏切(写真中央)が閉じっぱなしになったりして大変だった。 

2019年の調布駅周辺。地理院地図による航空写真に加筆。

そこで線路を地下を通すようにした。空いた地上の場所は商業施設(トリエ)にしたり、車道にしたりした。

赤い線は加筆

地上に埋め直されたと思われるレールを見る限り、もともと赤い線のように電車が通っていたらしい。いまは二つの線路の間に立つようにして商業施設トリエができている。

てつみち

トリエの北側の敷地は、「てつみち」という名前で整備されている。道路なんだけどテーブルを置けたりする、歩行者利便増進道路というものらしい。

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調布銀座は昔は駅前だった

そんな「てつみち」を歩いていると、怪しい鉄骨の門のようなものが見えてくる。

これが調布銀座です、と山田さん。昔からある商店街らしい。

「映画のまち調布 」「調布銀坐」などと書いてある。

駅からは少し離れた場所にあるが、じつはもともとはここが調布駅前だったらしい。

「調布銀座は1951年にできて、もともと駅前にあったんですが、2年後に駅のほうが今の位置に移動しちゃったんです」

簡単にまとめるとこういうことのようだ。
・1913年に調布駅ができる
・1916年に多摩川の砂利運搬用に支線をつくる(今の相模原線)
・1951年に調布銀座ができる(昔の調布駅の目の前に)
・1953年に調布駅が東に200メートルずれる(支線が急カーブ過ぎるため)

 ようするに、南からカーブして入ってくる方の線路は昔はもっと急カーブで、それを緩和するために駅のほうをずらしたということだ。理屈はわかるが、できたばっかりの調布銀座としては超びっくりだったのではないか。

中に入ってみると昔ながらの商店街という感じ。駅前のペカペカした感じとはまったく異なる。

駅から離れたところに商店街があるのはむしろスタンダードといっていいぐらいによく見るが、それは商店街が鉄道と無関係に成立した場合が多いからだ。ここがユニークなのは、鉄道由来でできたにもかかわらず、というところだろう。

いい感じの喫茶店があった。そもそも店名が喫茶店ではなく珈琲園である。純喫茶というやつだろうか。

山田さんといえば純喫茶のイメージがある。

『1975年頃の新宿喫茶店マップを作り、300店の「いま」を調べた』

こういう喫茶店は行きますか?と聞いたところ、

「喫茶店もいろんなタイプがあるんですが、ぼくは革張りのソファがあるお店が好きですね」と山田さん。

一瞬分からなかったが、言われてみると革張りのソファ、たしかにある。お店によっては通常の席に混じって1組分だけそういうゆったりの席になってて、空いてるとラッキーな感じになったりする。とはいえよく分からないのでこんどまた聞いてみたい。

洋服店の軒先に「ありがとう京王線」と書かれたポスターが貼られていた。こんなふうに書いてある。

調布銀座は駅前で一番古い商店街。もう60年になりますか。
ここに駅舎があったから調布銀座が誕生しました。
ありがとう京王線。

なんと、別に恨んでなかった。すぐ駅舎が引っ越したからびっくりしました、みたいなことは書いてなくて、ありがとうとだけ書いてあった。

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