「ブスの店 杏」はこんな店だった
デイリーポータルZで過去に公開された記事に、尾張由晃さんの書いた「楽しいスナックブスの店」がある。
2012年公開の記事なのだが、尾張さんが同じくデイリーポータルZライターの小堀友樹さんと一緒にドキドキしながらこの店に入った時のことが詳しく書かれている。すごく楽しかった雰囲気が伝わってくる。
私が東京から大阪に引っ越してきたのはこの記事が公開されたもう少し後だったのだが、近所を歩いていたら、ひさしや看板に「ブスの店」と書いてある店があって驚いた。
興味は感じつつも入る勇気がなかなか出ず、そのまま数年が経った。毎日のように店の前を通っているのに一度もドアの向こうを見たことがない。もしかしたらこのままそうやって生きていくのかも、と思っていたら、ある時、仕事の関係で知り合った方が近所に住んでいて、しかも「杏」の常連だと聞いた。「え!あのブスの店っていう看板のところですよね!今度行く時、ご一緒してもいいですか!」と半ば強引にお願いし、ある日、ついに私はドアを開けることになった。
カウンターだけの小さな店で、店内は照明が落ち着いた明度におさえられていて、カウンターの向こうにはママの原田杏子さん。その背後にはご常連さんの入れた焼酎やウイスキーのボトルがずらっと並んでいる。
麦焼酎の水割りなど飲みつつ、杏子さんの手作りのおつまみ小鉢をいただき、あれこれ語らう。たまに誰かがカラオケを歌って「じょうずよー!」とみんなで言って、なんだか楽しい時間だった。聞けば50年以上も続いている店だそうで、昔から通い続けている大常連も多いらしい。
店名のインパクトに躊躇して今まで入れずにいたが、入ってしまえばとても居心地のいい店だった。それに、なにしろ、杏子さんの話が面白いのである。初めて店に来た私に、杏子さんがどんな風に生きてきてこの店を始めるに至ったかを語ってくれた。今にして思えばそれはダイジェスト版の、手短にまとめたバージョンのお話だったが、それでもとても興味深く、私はいつか杏子さんにロングインタビューをしてみたいと思った。
その「杏」が閉店してしまうことに
連れて行ってくれた友人と「すぐまた行きましょうね!」と約束したが、コロナウイルスの流行の度合いもさらに高まり、お店自体がお休みしている時期もあったりして、なかなか再訪が果たせずもどかしかった。そうこうしているうちに、冒頭で述べた通り「杏がもうじき閉まるらしい」という噂を耳にしたのであった。
慌てて店まで行ってみると、「お客様求む」の看板の上から貼り紙がしてあって、2023年8月10日をもって閉店すると記されていた。
営業時間内にたずねてみると、変わらず元気そうな杏子さんが出迎えてくれた。
前と同じように、杏子さんの楽しい話を聞き、カラオケを歌って、友人が「よかったら飲んでください」と入れてくれていた焼酎のボトルの中身を減らし、そんな時間を楽しんだ。
タイミングを見計らって「よかったら杏子さんにお店のことなど色々インタビューをしたいんですが」と図々しくお願いしてみたところ、ありがたいことに「お店が閉まるまでは忙しそうやから、閉まった後ならいいですよ」と言っていただいた。
それからもう一度お店に飲みに行く機会があったが、私は都合が合わず最終営業日には顔を出せなかった。その時に居合わせた友人がお店の様子を詳しくレポートしてくれたのだが、それはそれは賑やかなフィナーレだったようだ。そして予告通り、その2023年8月10日をもって「ブスの店 杏」はたしかに閉店してしまったようだ。
これから掲載するインタビューは「ブスの店 杏」が長い歴史に幕を下ろした数日後、片付け中の店内にて行われたものである。