特集 2023年9月5日

閉店した大阪・都島のスナック「ブスの店 杏」の長い歴史をママに語ってもらった

お店に捧げた日々

――そういえば昔の写真にはお店の方が何人も写ってますけど、いつからお一人でやられていたんですか?

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貴重なお話を聞くありがたい時間

コロナの前の年に私がガンになって、9月に手術して、10月いっぱい休んで、11月からまた店を始めてん。その時から一人でやり出して、女の子たちにまた戻ってきてもらおうかどうしようかゆうてる時にコロナが始まってん。あれで営業できない時期もあったから、もうそのまま。

――なるほど。

私がガンになってからは週に2回休むようになった。そやけどそれまでは365日、全部やっててん。一日も休んでない。女の子と交代で休む時はあっても、店は開けてた。商売は休んだらあかんっていうのが私の鉄則やった。そやから、犠牲にしたものも大きかったけどね。今から思ったら。

――人生をこのお店に捧げたというか。

そう。もう、ここやねん。せやから50何年やってきても、綺麗やろこの店。もっとばばっちいで、他の店(笑)それはずっと休まんとやってきた賜物やと思うねん。

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お店に立つ杏子さん

――お店を始めた頃ってこのあたり(大阪市都島区)はどうでしたか?

都島は、梅田とか難波と違って、十三、京橋とも違った。工場街やからね。朝から24時間体制の、3交代で働いている人たちが遊ぶところがぎょうさんあった。昔はスナックとかほとんどあれへんもん。バーやな。ほんで、居酒屋ゆうんかな、のれんの店。「サービス料亭」ゆうのがぎょうさんあったんです。“やとなさん”が多かった。あれはなんというか、配膳する、お運びさん。お運びさんが、料理も運ぶし、芸もするし、お酌もするし、みたいな。そういうお姉さんがおってん。たとえば天ぷら屋さん、お寿司屋さん、そういうところでも宴会場があって、そこにそういうお姉さんがおってん。そういう人が、旦那ができて、こぢんまりした店を持ちはんねん。そんな店がいっぱいあったよ。

――ずっと変わらずここで54年営業されてきたわけですもんね。

都島は好きでしたね。梅田も近いし、地の利としてはええとこやと思いますよ。今はマンションができて人が変わってきたけど、昔からいる人なんか、面倒見のいい人が多いからね。そこに神社あるでしょ。そこの宮司さんなんかも、ここ閉めるのをすごく惜しんでくださったりね。宮司になる前の、兄ちゃんの時から知ってるからね。

――このお店のある場所もいいですもんね。大通り沿いで。

そうそう。奥まったところでもなく、表通りでね。見通しのいい場所でしょう。来たことない人でも「あそこに『ブスの店』ゆうのがある」って知ってくれてはるやんか。

――看板も目立ちますし。私もずっと気になっていました(笑)この看板が無くなるのは寂しいですね。キラキラしてるのを見て「今日もやってるな」って思っていたんで。

みんなそう言ってくれはるね。

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この看板は夜の都島の名物だったと思う

――看板、お店の中で見るとすごく大きいんですね。

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閉店後は店内にしまわれていた看板

これはね。そこの角に昔、喫茶店があって、そこの看板やってん。その喫茶店が潰れて、そこのマスターが「この看板買うてくれへんか」ゆうて安く買って。中の切り文字だけ変えてん。

――そうなんだ!このデザインがまたいいですもんね。

これ私がやってん。看板も店のシャッターの全部、書いてある文字も私やで。

――え!杏子さんのデザインなんですね。すごい。そうだ、この、ボトルの着てるチョッキがいいんですよね。これは?

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この店にボトルを入れると手作りの“チョッキ”を着せてくれるのだった

一番最初ね、こういうものを持ってきたお客さんがおってん。それをここに飲みに来た人が見て「うちの嫁さん手仕事が上手やから、作れんで」って言って、型紙でとって、作ってくれはった。今はもう、その方が92歳になってはんねんけど(笑)もう作られへんって。あそこに並んでるのは、記念につけたままボトルを受け取りたいっていう常連さんの分ね。

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常連さんが引き取りにくるのを待つボトル
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手作りのコースターも可愛かったな
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カラオケを歌ったら「じょうずよー!」とみんなで言う

――お店に来るといつも杏子さんが作った惣菜を出してくれましたよね。お料理は独学で?

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お客さんには杏子さん手作りの惣菜が振る舞われていた

独学です。子どもの頃はそんなんしたことなかった。でも昔の子やから季節ごとにこういうもの食べるというのは知ってましたね。だいたい毎日3品作ってたね。しんどいなと思ってたけど「美味しい」って言われたらまた作ろうと思うからね。できたら乾きものでないものがいいからね。午前中に買い物行って、昼までに炊いといて、他に準備もあるし、一日が早い早い。その繰り返し。

――どれも美味しかったです。

この商売してて一番いいのはね、お客さんと一緒に御馳走食べられること。それで美味しいものをたくさん覚えた。私らの時やったらお肉文化なんかなかったから、ここの店に来てからハンバーグを初めて食べた。天六の交差点の近くのレストランでね、美味しかったわ。ゴチになったの、ゴチ。茹でたジャガイモが添えてあってね。

――「杏」にはカラオケもありましたけど割とみなさん次々と歌うというよりは……。

語りやな。話す方が多いな。この頃は特に、若い人に悩み相談されたりね(笑)

――あ、でも杏子さんがこの前、『ハナミズキ』を歌ってくれましたね。歌うのはお好きですか?

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十八番だという『ハナミズキ』を歌う杏子さん

好きですよ。店を始めた時はああいう今みたいなカラオケはなかったからね。3年ぐらいしてから入れたんかな。最初は「8トラ」ゆうのでね。アルサロでステージ歌手やってた女の子が店に入ってくれてたから、私が歌わんでもその子が一手に引き受けてくれてたんよ。たまに「ママ歌ってよ」言われても歌うの嫌やってん。

――そんな人の後で歌うのはちょっと辛いですね。

そうでしょ。でもどうしてもって言われて、思い切って歌ったら結構楽しかった。それで段々と歌うようになってん。ある時、たかじんさんが来て、「ママ歌えんねやろ?」って。「歌えますけど下手くそですよ」ゆうたら「そんなんわかってるから歌ってみい」って。「うーん」ゆうて聞いてくれて、「ママな、情景を思い出してみい。恋の歌なら恋してる時のことを思い出してその人の顔を思い浮かべて歌ってみい」ゆうて、また次に来た時に「この前の歌もう一回歌ってみい」ゆうから歌ったら「この前よりうまなってるわ」って。

――たかじんさんから直々のアドバイス。すごい!「杏」では誰かがカラオケを歌うとみんなで「せーの、じょうずよー」って言うのが決まりでしたけど、あれは?

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一曲歌い終わるごとに「じょうずよー!」とみんなで言う

なんか知らんけどね、あれが都島で流行ったんですよ。誰が始めたんかわからへんけどね(笑)どこの店もやってた時期があってん。ほんで最後まで残ったんがうちやゆうだけで。あれやると、なんとなくうれしくなんねん。「じょうずよー」って言われたら、歌がうまい人も、そうでない人も、顔が柔らかくなる。

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杏子さんがこれからしたいこと

――今回、立ち退きの話があって店を閉めたということですが、それがなければまだ続けていましたか。

やってたと思う。まだしたかったもん。せやけどね、鏡見てね、自分の年齢考えてね、ちょうどよかったんちゃうかなって。この店の片付けやりながらね、これでよかったんちゃうかなって、そう思った。

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54年間この店に立ち続けてきた杏子さん

――これからは少しゆっくり過ごせそうですか?

これからは少しね。でもお客さんとの縁は続くんちゃうかなと思ってる。毎日電話かかってきてるもん(笑)今月いっぱいは片付けしてるでしょう。「何時から何時まで店におるよ」ってゆうたら「行くわ」ゆうて来てくれたりね。月末に引き渡しやから、前の日までに片付けなあかんねん。

――ご常連さんたちはすごく寂しがっているんでしょうね。

そうやね。でも、また別の店に行って、うちと比べて「あそこよかったな」と思ってくれたら勝ちやね(笑)そういうもんやんか。

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取材当日もご常連さんが杏子さんに会いに来ていた

――なくなってからしみじみ思い出すという。

思い出してくれたらいいね。だから、最後の方の一ヶ月間で感じてきたことは、「私がやってきたことは間違うてへんかってんな。色々あったけど、みんなこないして別れに来てくれてはる」って。自分のやってきたことの価値、それがものすごいわかって、ええ経験させてもろたなって。普通は葬式でしかわかれへん。葬式やったら本人はもうわかれへんやん。それがわかったなって。

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この店で色々なことがあったんだろう

――これからしたいことはありますか?

脚の悪いのを治して、ぼちぼち、なんか旅行いったり。私、クラゲ好きやねん。今までもクラゲ見に山形行ったりね。加茂水族館ってクラゲの水族館。でも行ってもね、店してたら、休みの時しか行かれへんやん。二日ぐらいしか行かれへん。それがこれからはゆっくり行ける。趣味はクラゲと、読書ですね。家からここに来るまで電車の行き帰りにね。なんでも読みます。映画になってるような小説とかね。映画館に行く時間はないから。

――ずっと忙しくされてきたわけですもんね。これからは色々できますね。

やりたいこといっぱいある!

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各地に住むご常連さんに会いにいくのも楽しみだという杏子さん

色々やってたね。30年前ぐらいかな。お客さんがちょっと低迷した時に、昼定食やってん。しんどかったよ。毎日2升ぐらいご飯炊いて、弁当もやって、配達もしてん。店が終わる前にお米研いで、朝から炊いて、おかず作って、魚焼いたり、で、14時になったら子どもが学校から帰ってくるから帰って食べさせて。よう働いてたよ。

――すごい……。

それで新しいお客さんができて店が盛り返したんやけどね。そこからのお客さんが最後まで来てくれたりね、54年間、ずーっと繋がってんねん。最後、みんな泣いてくれたけど、でもな、3日過ぎたらな、忘れんねんって。「そんなんあった?」ってなんねん。今はまだ店があるけど、これも潰してなくなったらね。私らだってそうでしょ?建物潰して新しくなったら「前ここなんやったっけ?」って。ね、そうでしょ。そんなもんや。その当座だけ。だからこうして、話を聞いてもらって、嘘か本当かわからん話をやで(笑)こないして聞いてもらえて楽しかった。

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私が営業中のお店に最後に行けた時、外まで見送ってくれた杏子さん

インタビュー後、杏子さんと近所の居酒屋(杏子さんの行きつけだという)で、打ち上げをした。数年前に大病を患ったものの、今はすっかり回復して元気だという杏子さんは、唐揚げもお刺身もたくさん食べていた。別れ際にLINEを交換させてもらって、それがとてもうれしかった。

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インタビュー後、記念写真を撮ってもらいました

杏子さん、長い間、お疲れ様でした!

この原稿を書いている今、まだ大通りに「ブスの店 杏」の建物がそのままある。キラキラ光る看板はもう外に出ていないが、昼間に前を通って見る光景は、閉店前と変わらない。

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杏子さんが言っていた通り、建物が丸ごと消えたら、ここにお店があったことを忘れてしまったりするんだろうか。近所に急にできた空き地を見て「ここにあった店なんだっけ?」と思うことは多いから、実際そんなものかもしれないな、とも思うけど、今はまだまだそんな日が来ることが信じられないでいる。

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