特集 2018年8月30日

日本100名城を全制覇したので自慢させてください

これらを全て周るのに10年の歳月がかかりました
これらを全て周るのに10年の歳月がかかりました
日本100名城というものがある。全国に数多く存在する城郭の中から、2006年に財団法人日本城郭協会が定めた100の名城だ。

選ばれた各城には専用のスタンプが設置されており、スタンプラリーを楽しむことが可能である。私は2008年から周り始めたのだが、今年でやっと全100城を制覇することができた。

本当にようやく終わったという感じなので、ちょいとその道程を語らせてくださいな。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

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2008年:城巡りを始めたのはなんとなく

私が100名城巡りを始めたのは2008年の8月。「日本100名城公式ガイドブック」という本を購入したらスタンプ帳が付いてきたのでなんとなくスタンプを集めてみようと思った。

私はそれ以前より遺跡や神社仏閣といった古いモノが好きで、日本全国の文化財を巡るついでに100名城も周れば良いかなという軽いスタンスであった。
私のスタンプ帳。度々の旅行でボロボロになり、ビニールテープで端を補強してある
私のスタンプ帳。度々の旅行でボロボロになり、ビニールテープで端を補強してある
ちなみに各城のスタンプ設置所には分かりやすいよう表示がある(写真は小田原城の例、一般的には「日本100名城スタンプ設置所」という張り紙がしてある)
ちなみに各城のスタンプ設置所には分かりやすいよう表示がある(写真は小田原城の例、一般的には「日本100名城スタンプ設置所」という張り紙がしてある)
スタンプが表に出てない場合でも、係の人に「100名城スタンプお借りできますか?」と声を掛ければ出してくれる
スタンプが表に出てない場合でも、係の人に「100名城スタンプお借りできますか?」と声を掛ければ出してくれる

ちょっと見るつもりが城にはまる

さてはて、そんな流れで100名城巡りをすることになった私であるが、記念すべき1城目は当時私が住んでいた東京――ではなく、遠く離れた山陰地方の「鳥取城」であった。
特に理由はなく、旅行先にあった城ということで「鳥取城」が1番目となった
特に理由はなく、旅行先にあった城ということで「鳥取城」が1番目となった
当時会社に勤めていた私はちょうどお盆休みを利用して山陰地方の文化財巡りに出たのだが、その口開けとして立ち寄ったのが鳥取市であり鳥取城であった。ちょっとだけ見て次に行くつもりだったのだが、結局は山の上の本丸まで登ってしまい、汗だくになった覚えがある。

鳥取城に続く2城目も、その山陰旅行の途中に立ち寄った「松江城」だ。日本に城郭は数あれど、明治維新以前に建てられた天守を持つ城は12しかない。松江城はそのひとつであり、本物が持つ迫力に大層驚かされたものだ。
あまりに立派な「松江城」の天守。訪問当時は重要文化財でなんでこれが国宝じゃないかと首をかしげたが、その後の2015年に国宝に昇格した
あまりに立派な「松江城」の天守。訪問当時は重要文化財でなんでこれが国宝じゃないかと首をかしげたが、その後の2015年に国宝に昇格した
この山陰旅行ですっかり城熱が高まった私は、それから本格的に100名城巡りを開始した。ちょうど8月だったのでJR乗り放題の青春18切符が使えたこともあり、関東界隈の100名城を片っ端から訪問したのであった。
東京の中心にある「江戸城」を始め、関東近隣の100名城を周りまくった
東京の中心にある「江戸城」を始め、関東近隣の100名城を周りまくった
それらの中で印象的だったのは、丸い池が可愛い群馬県太田市の「金山城」や――
それらの中で印象的だったのは、丸い池が可愛い群馬県太田市の「金山城」や――
網目のような障子堀がユニークな静岡県三島市の「山中城」だろうか
網目のような障子堀がユニークな静岡県三島市の「山中城」だろうか

武家の館も100名城

他にも変わったところでは、有名な戦国武将の武家屋敷が2箇所100名城に含まれている。足利氏の住居であった栃木県の「足利氏館」、それと武田氏の住居であった山梨県の「武田氏館」だ。

いずれも屋敷地の周囲に堀や土塁(土を盛った壁)を巡らしており、シンプルな縄張(設計)ではあるものの、確かに城の様相を呈している。
足利尊氏が住んでいた「足利氏館」は、鑁阿寺(ばんなじ)という寺院になっている
足利尊氏が住んでいた「足利氏館」は、鑁阿寺(ばんなじ)という寺院になっている
こちらは武田信玄が住んでいた「武田氏館」、今は武田神社の境内だ
こちらは武田信玄が住んでいた「武田氏館」、今は武田神社の境内だ
2008年は関東地方以外にも、10月には青森県&函館、11月には山形県や秋田県の文化財を見に行くなど積極的に旅行しており、部分的にではあるが北海道や東北地方の100名城もかじり始めた。
日本100名城で築城が最も新しい函館の「五稜郭」、星型がカッコ良い西洋式城郭だ
日本100名城で築城が最も新しい函館の「五稜郭」、星型がカッコ良い西洋式城郭だ

城巡りの拠点は関西へ

こうして城巡りを始めてから4ヶ月、2008年12月までに計25箇所を周ることができた。既に4分の1を踏破となかなか上々な滑り出しではあったものの、自宅から気軽に行ける場所はあらかた行き尽くした感があり、ここからはだいぶペースが落ちそうだ。

そう思っていたところに、かつての同級生から声が掛かった。大阪で会社を興したので、私も合流しないかという転職の誘いである。

関西といえば長きに渡って日本の中心地であった場所であり、数多くの歴史的建造物や史跡が密集する文化財密集地帯。大阪に生活の拠点を移せば、文化財巡りがますます捗ることだろう。私はほくそ笑むと、関西への移住を決めたのであった。
転職面接のついでに大阪府南部の山中にある「千早城」を訪問したりもした
転職面接のついでに大阪府南部の山中にある「千早城」を訪問したりもした
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2009年~2010年:西日本の城あさり

極めて不純な動機で大阪へと引っ越した私であるが、2009年の前半はとにかく100名城を含む関西の文化財をむさぼった。以前より仕事が忙しくなったこともあり、休日の文化財巡りが心の支えになっていたと言っても過言ではない。
大阪に引っ越して一番初めに訪れたのは、もちろん「大坂城」
大阪に引っ越して一番初めに訪れたのは、もちろん「大坂城」
もう何度目かも分からない「姫路城」にも改めて登城。う~ん、カッコ良い
もう何度目かも分からない「姫路城」にも改めて登城。う~ん、カッコ良い
天空の城として今やすっかり有名になった「竹田城」にも早い段階で行きました
天空の城として今やすっかり有名になった「竹田城」にも早い段階で行きました

時には思わぬミスも

関西ではまずは近場の有名どころをメインに周り、徐々に中国地方や中部地方、北陸地方にも足を伸ばしていった。

この頃には城巡りに慣れてきて油断が生じたのか、一度だけやらかしてしまったこともある。2月に山口県の「岩国城」を訪れたのだが、高速バスを利用しての遠征だったのにも関わらず、スタンプ帳を自宅に置き忘れてきてしまったのだ。100名城巡りはスタンプを押すことでその城を訪れたことになるので、しょうがなく、岩国城には11月に再訪してスタンプを回収することとなった。
期せずして2度訪れることとなった、錦帯橋で有名な「岩国城」
期せずして2度訪れることとなった、錦帯橋で有名な「岩国城」
とまぁ色々あったが、100名城巡りを始めてからちょうど1周年の2009年8月には計50城を達成した。件数だけならあと半分の折り返し地点ではあるものの、残りは遠方ばかりに偏っており、訪問ペースが落ちきたことは否めない。

特に四国や九州となると、関西住みであっても気軽に訪れることは難しい。それでも何とか時間を作り、夜行バスを利用するなどして少しずつ攻略を進めていった。
佐賀県の唐津にある「名護屋城」(愛知県の名古屋城と同じ読み方だが別の城だ)。納期が近く、会社からの電話に怯えながら訪問した
佐賀県の唐津にある「名護屋城」(愛知県の名古屋城と同じ読み方だが別の城だ)。納期が近く、会社からの電話に怯えながら訪問した
同じく佐賀県に位置する弥生時代の集落遺跡「吉野ケ里」も100名城のひとつだ
同じく佐賀県に位置する弥生時代の集落遺跡「吉野ケ里」も100名城のひとつだ

意外な100名城――それは弥生遺跡

弥生時代の遺跡を城と言うにはいささか違和感を覚える方がいるかもしれないが、実際に訪れてみるとこれは城だと納得できる。吉野ケ里遺跡は集落を堀で囲ったいわゆる環濠集落であり、要所要所に見張りの物見櫓が立っている。それはまさしく城郭の原型といったたたずまいなのだ。

こうして多種多様な城を巡り、2009年内までに計65城を周ることができた。さらなる未到達地点を塗り潰すべく、2009年から2010年にかけての年末年始には人生で初めての沖縄へと降り立っている。
琉球王国の王城であった「首里城」。日中は人だらけだが、日が落ちた後は静かだ
琉球王国の王城であった「首里城」。日中は人だらけだが、日が落ちた後は静かだ
珊瑚石灰岩で築かれた、曲線的な城壁が印象的な「中城城(なかぐすくじょう)」
珊瑚石灰岩で築かれた、曲線的な城壁が印象的な「中城城(なかぐすくじょう)」
「今帰仁城(なきじんじょう)」ではスタンプを巡ってとある悲劇が起きた(これ伏線なので覚えておいてください)
「今帰仁城(なきじんじょう)」ではスタンプを巡ってとある悲劇が起きた(これ伏線なので覚えておいてください)

心身共に疲弊し、遭難しかけたり記憶が飛んだり

2010年に入ると仕事がさらに激しくなり、休日出社を求める社内の無言の圧力に耐えながらも、休日には癒しを求めて城巡りを続けていった。しかし2月に訪れた岐阜県の「岩村城」では登山道が雪に覆われており、危うく道を間違えて遭難しかけたりもした。
日没が近かったこともあり、冬なのにも関わらず冷や汗だらだらだった「岩村城」
日没が近かったこともあり、冬なのにも関わらず冷や汗だらだらだった「岩村城」
3月の上旬に訪れた広島県の「福山城」は……なぜか記憶がない
3月の上旬に訪れた広島県の「福山城」は……なぜか記憶がない
私が「福山城」を訪れたことはスタンプや写真が証明しているのだが、なんでだろう、いくら思い返してみても、福山城の記憶がスッポリ抜け落ちてしまっている。

おそらくこれは、福山城が駅から近すぎる為なのではないかと思う。福山駅から福山城までは徒歩0分の至近距離。サッと天守まで上がり、スタンプを押してサッと下りて帰路へと付いた。そのあまりのあっさり具合に、記憶にフックする部分がなかったのではないだろうか。あるいは、当時の私は記憶を留めておけないくらいに疲弊していたか、だ。
3月下旬には「松山城」など四国西部の城を周ったが、こちらはしっかり覚えている
3月下旬には「松山城」など四国西部の城を周ったが、こちらはしっかり覚えている
その後、2010年の城巡りは4月上旬に訪れた78城目の静岡県「駿府城」で途切れ、それからしばらくは城以外の文化財巡りに注力している。まだ見ていなかった寺社や古い町並みを訪れたり、あるいは既に訪問した場所を新しいカメラで写し直していた。

おそらく、その頃には既に会社を辞めることを考えていたのだろう。関西を離れる前にできる限りの文化財を網羅すべく、西日本を奔走していたのだ。

10月上旬の山口旅行では「津和野城」と「萩城」を訪問し、中国地方の100名城をすべて制圧。また10月下旬には四国で唯一未訪であった高知県の「高知城」を訪れ、四国の制覇も完了した。
「高知城」の天守は御殿と一体化した複雑な構成で、オススメの城のひとつ
「高知城」の天守は御殿と一体化した複雑な構成で、オススメの城のひとつ
これで計81城を達成し、後は九州と東日本の一部を残すのみとなった。仕事は相変わらず多忙の中で年末を迎えたのだが、そこで私の元に弟から緊急連絡が入った。母親が急逝したという訃報である。

当時はプロジェクト最大の山場であり、私は申し訳なく思いつつも忌引き休暇を取らせて貰うことにした。その旨を社長に伝えると、葬儀場や日時など事細かく問いただされ、まぁそれは弔電を送る為だったのだが、当時の私は仕事にうんざりしていたこともあって、ズル休みを疑われているのではないかと不信感を募らせたのだった。

結局のところ、2011年の3月末をもって退社し神奈川の実家に戻ることになった。残り19城、ここに来て関西から関東への出戻りである。
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2011年~2013年:遍路と巡礼、それから充電期間へ

再び関東へと引っ越した私は、手始めにまだ行ったことのなかった長野県の文化財を周り、その際に「松本城」へ立ち寄った。

松本城は現存天守を持つ12城のひとつであり、過去にも訪れたことがある。しかし100名城巡りを始めてからは「どうせそのうちまた行くだろうと」後回しにし続け、結局訪問のタイミングを逃してしまっていたのだ。82城目にしてようやくの再訪である。
北アルプスの眺めが美しい、「松本城」の天守(国宝)もまた素晴らしくカッコ良い
北アルプスの眺めが美しい、「松本城」の天守(国宝)もまた素晴らしくカッコ良い

自由になったら城巡り――ではなく四国遍路

4月下旬のゴールデンウィークからは、会社を辞めたら絶対やろうと心に決めていた四国遍路に出た。当然ながら、その間の100名城巡りはお休みだ。
四国一周約1400kmを頑張って歩き通しました!
四国一周約1400kmを頑張って歩き通しました!
四国遍路から無事帰宅した私は、8月に青春18切符を利用して、まだ訪れていなかった福島県の3城「白川小峰城」「二本松城」「会津若松城」を攻略している。これで計85城、残すところは15城だ。
東日本大震災の爪痕が見られた「白川小峰城」、当時は城内立ち入り禁止であった(今は復興して本丸まで上ることができる))
東日本大震災の爪痕が見られた「白川小峰城」、当時は城内立ち入り禁止であった(今は復興して本丸まで上ることができる))
それから2011年内は特に動きがなかったのだが、会社を辞めて貯金を切り崩す生活に入ったこともあり、交通費をできるだけ抑える試みとして10月に原付免許を取得した。併せてカブ(燃費最強の原付バイク)を購入し、より自由度の高い旅行が可能となった。
カブ&テント泊という旅行スタイルの確立である
カブ&テント泊という旅行スタイルの確立である

遍路のお次はサンティアゴ巡礼

2012年には四国遍路で出会ったフランス人との縁でサンティアゴ巡礼に興味が湧き、フランスのル・ピュイ=アン=ヴレからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、約1600kmのサンティアゴ巡礼路を歩く旅に出た。
今までの人生で最高に濃厚な2ヶ月間でした
今までの人生で最高に濃厚な2ヶ月間でした
その終盤、ワインをしこたま飲んで酔っぱらっていた私は、宿の階段を踏み外して左足首を骨折した。当時は捻挫しただけだと思い込み、痛みを押しながら無理矢理サンティアゴまで歩き通したのだ。しかし、これがのちに災いをもたらすことになる。

北海道旅行で100名城最難関を撃破

日本に帰国した後は、9月中旬から北海道へ約1ヶ月に渡るカブ旅行に出た。茨城の大洗からフェリーで苫小牧へと上陸し、北海道の海岸線を反時計回りに進んで札幌から苫小牧に戻ってフェリーで帰るという旅程であった。その道中に立ち寄ったのが、86城目の「根室半島のチャシ跡群」である。
海岸に沿って“コ”の字に切られた堀が残る「根室半島のチャシ跡群」
海岸に沿って“コ”の字に切られた堀が残る「根室半島のチャシ跡群」
“チャシ”とはアイヌの祭事を行う聖地にルーツを持ち、のちに見張り場や砦として利用されるようになったという。根室半島には特に多くのチャシ跡が分布していることから、それらの一群が日本100名城に選ばれている。

ちなみにこの「根室半島のチャシ跡群」は、訪問難易度が極めて高い100名城としてつとに有名だ。北海道の東の果てに位置する根室半島は、関東からも関西からもあまりに遠く、まさに100名城の鬼門というべき存在であった。それをここでクリアできたことで、おぼろげながら全制覇への道筋が見えてきた。……と、当時は思っていた。

この北海道旅行の最中、私はどうにも左足首が痛むことが気になっていた。帰宅してから病院に行って診てもらったところ、骨折した骨がくっつかずに固定化した“偽関節”になってしまっており、手術が必要とのことであった。サンティアゴ巡礼の際に捻挫だと思い込み、放置していたツケである。
偽関節を削って腰の骨を移植し、金具で固定した
偽関節を削って腰の骨を移植し、金具で固定した
手術後、約1ヶ月の入院期間を経て退院したわけだが、しばらくは松葉杖で安静にしていなければならず、無事完治した後も足を痛めるのが怖くてすっかり出不精になってしまった。

結局、2013年は城巡りどころか文化財巡りすらできず、デイリーの記事を書くための取材で精いっぱいであった。

2014年~2015年:カブ旅行で残った城を制圧――?

このままではいかんと奮い立った私は、2014年よりカブ旅行を再開した。秋には九州を時計回りに一周し、残っていた九州の100名城をほとんど制覇した。
滝廉太郎の“荒城の月”の舞台として知られる「岡城」。連続する石垣が美しい
滝廉太郎の“荒城の月”の舞台として知られる「岡城」。連続する石垣が美しい
こちらも石垣が素晴らしすぎる「熊本城」、熊本地震で被害を受けたのが残念だ
こちらも石垣が素晴らしすぎる「熊本城」、熊本地震で被害を受けたのが残念だ
この九州旅行によって計93城の訪問を達成したわけだが、ただし旅程の都合上から長崎県は島原半島しか見ることができず、長崎県北部の「平戸城」だけは唯一立ち寄ることができなかった。

翌年2015年の春には北陸地方を旅行し、いまだ空白地帯であった新潟県の「春日山城」と「新発田城」を攻略。さらに秋には北海道南部と東北をカブで走り、東北東部の「根城」「盛岡城」「仙台城」を制覇した
上杉謙信の拠点であった「春日山城」、山の麓から頂上までの壮大な城郭だ
上杉謙信の拠点であった「春日山城」、山の麓から頂上までの壮大な城郭だ
岩手県だけに? 「盛岡城」は巨岩が印象的であった
岩手県だけに? 「盛岡城」は巨岩が印象的であった
これにて訪れた日本100名城は……計99城! 残った城は……そう、九州一周旅行で唯一行けなかった平戸城が最後の砦として私の前に立ち塞がったのであった。

2016年~2018年:長期旅行ができなくなり、そして――

2016年になると貯金が大分減ってしまっており、副業として夕方から夜にかけてとある会社で働くこととなった。収入は増えたものの、今度はまとまった休みを取ることが難しくなってしまう。

どうせ平戸へ行くのなら五島列島など長崎県の島嶼を網羅したいと考えていたのだが、それには十分な日数が必要である。ぐぬぬと歯噛みしながら雌伏の時を過ごすこと2年間、ついに溜めに溜め込んでいた旅行欲が爆発し、私は半ば強引に3週間の欠勤を認めて貰ったのであった。

こうして久方ぶりにカブで旅行に出ることができ、私は無事平戸城で100城目のスタンプを押すことができた。――日本100名城全制覇達成の瞬間である。
やーーーーーっとこれた、100城目の「平戸城」!
やーーーーーっとこれた、100城目の「平戸城」!
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100名城制覇の記録と成果

さてはて、これまで100名城制覇の経緯を長々と語らせて頂いたワケだが、まとめとして年別の訪問城数をグラフにしてみた。
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うーん、やはり拠点から近い城を攻めていた最初の3年間の勢いは凄まじいものがある。一方で、残すところ遠方の城ばかりとなった2011年以降は完全にダレてしまっており、改めて100名城制覇の難しさが感じられる。

そのダレ具合がもっと視覚的に分かりやすいよう、累計のグラフも作ってみた。
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最初の3年(スタートは2008年8月なので実質2年半弱)で8割を越えたのに対し、残り2割を突破するのに8年もかかってしまった。最後の1城に限っては3年越しだ。どうしても訪問難易度の高い城が残りがちになるので、100名城巡りをしている人の大半は同じような傾向になるだろう。

100名城制覇のコツは、10年規模の長丁場になることを覚悟しつつ地道に城巡りを続ける根気である。もちろん、短期間で一気に決着をつけられる時間と財力があればその限りではないが。

スタンプの良し悪しあれこれ

さてはて、こうして10年かけてようやく周り終えた日本100名城であるが、それによって得られたものも存在する。それは掛け替えのない思い出……などという感傷的な部分はさておき、100名城を周り切った物質的な証拠であるスタンプだ。
こんな感じで、4色に分けられた各城のスタンプが並ぶ
こんな感じで、4色に分けられた各城のスタンプが並ぶ
序盤に周った城が多い関東のページはスタンプの状態があまり良くない
序盤に周った城が多い関東のページはスタンプの状態があまり良くない
スタンプには状態の良し悪しというものが存在する。インクが薄くて掠れていたり、水っぽくてにじんでいたり、逆にべったり濃すぎたり。特に最序盤に訪れた小田原城はスタンプの状態があまりに酷く、大いにガッカリしたものだ。
2008年の頃は酷かったが(右)、2018年現在のコンディション(左)はグッド
2008年の頃は酷かったが(右)、2018年現在のコンディション(左)はグッド
また城によってはオリジナルのインク内蔵型式スタンプではなく、盗難の防止やインク交換などの手間を省く目的からか、その絵柄を複製したゴム印が置かれている場合もある。その場合は、非常にブレやすいので注意が必要だ。

私の記憶では、千葉県の「佐倉城」と大分県の「大分府内城」がそのタイプであった。そしてどちらも見事にブレてしまった。
ゴム印スタンプをうまく押すのは非常に難しい
ゴム印スタンプをうまく押すのは非常に難しい
またこれは自業自得なのだが、インクが乾かないうちにスタンプ帳を閉じてしまうと反対のページに色が移ってしまうので注意が必要だ。時間がない場合は紙を挟むなどして対策をしなければならない。
「武田氏館」の赤いスタンプが「松本城」の欄に移ってしまって台無しだ
「武田氏館」の赤いスタンプが「松本城」の欄に移ってしまって台無しだ
後半に周った城が多い西日本スタンプの状態はおおむね良好である
後半に周った城が多い西日本スタンプの状態はおおむね良好である
そして一番問題だったのは、最後の九州・沖縄ページだ(右上に注目)
そして一番問題だったのは、最後の九州・沖縄ページだ(右上に注目)

消えてしまった幻のスタンプ

ちょっと待て、100名城全制覇したとか言ってるクセにスタンプがひとつ欠けてるじゃないか! ……という声が聞こえてきそうだが、いや、違うのだ。私は確かに今帰仁城でスタンプを押したのだ。間違いなく押したのだけど、いつの間にか消えてしまったのである。
私はちゃんと押したんだ! 押したはずなのに……
私はちゃんと押したんだ! 押したはずなのに……
おそらく管理者がスタンプにインクを補充する際に、正規のインクではなく、テキトーに調達した揮発性のインクを使ったのではないだろうか。ネット上には同じようにスタンプが消えたという声が複数上がっており、被害者は少なくないようだ。あまりに無情な、今帰仁城の悲劇である。

……さすがに今はちゃんとしたインクを使ってると思うので、また沖縄に行ったときにでも押しに行くとしよう。
最後に、日本100名城巡りの総仕上げとして訪問日順に並べたスライドショー形式の動画を作成しました。記事内では紙面の都合上かなりの数の城を割愛しましたが、それらを含む全100城を網羅していますので、ご興味があればご覧ください(注意:音が出ます)。

大変だけど楽しかった城巡り

こう思い返してみると、100城全部周ることができたのは、単純に城巡りが楽しかったという点に尽きるだろう。城には様々なタイプや特徴があり、それこそ同じ城などひとつもない。城はその土地を治める拠点でもあり、すわなち文化の中心地である。古いモノ好きからすると、城巡りは最高の娯楽なのだ。

100名城を周っていると必然的に全国を旅することになるので、それなら次はここへ行こう、あっちへ行こうと、旅行の動機付けとしても最適である。各地の見分を高められるし、うまいご当地料理や地酒を楽しむのもお気に召すままだ。

ちなみに2017年には新たに「続日本100名城」なるものも選定されたらしいが……うーん、そっちはまぁ、当分いいかな。
続日本100名城に選ばれた対馬の「金田城」とか、五島の「福江城」とか、再訪するの大変だし(写真は金田城)
続日本100名城に選ばれた対馬の「金田城」とか、五島の「福江城」とか、再訪するの大変だし(写真は金田城)
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