制作に丸2日かかった
まずはとにかくその山形の防火建築帯をご覧いただこうと思うのだが、なんせ「帯」の名にたがわず、長い。長いからこそ延焼を食い止めることができるのだから当然だ。2百数十メートルある。
なので、画面を横にしてご覧いただくことにした。下の写真がそれ。どうぞ!
これが山形の防火建築帯(西側)。
すてきだ。防火建築帯、ほんとにいい。
スマホでご覧いただいている方は、横にすればよいのであまり問題ではないと思いますが、パソコンの方には申し訳ない。
どうしてもこの連なっている様子を見てほしかったのでこうなりました。
この写真をどーんとお見せするのがこの記事の目的なので、これで終了、ぼくの気は済んだ、という感じではあるのですが、せっかくなのでもう少し詳しくこの防火建築帯について、どうやってこの写真つくったか、あとは山形の街がすごく面白かった! というお話をしたいと思う。
特にこの写真の制作過程のたいへんさは強調しておきたい。制作に丸2日かかりました。
「すずらん通り」という商店街です
まずは、この防火建築帯の場所。山形駅の東側「すずらん通り」と呼ばれている商店街がそれだ。
オレンジ色の部分がそれ。山形の方でここをご存じない方はいらっしゃらないでしょう。
前ページの写真をご覧頂いて分かる通り、見た目はなんてことないふつうの商店街だ。それと知らなければこれが延焼を食い止める機能を負ったものだとは気づかないと思う。
見た目、ふつう。
逆に言うと、この形式がいかにその後日本中の商店街スタンダードとして広まったか、ということだ。
具体的には、基本的に3階建て以上のコンクリートでできた建築が、みっちりくっついて連なっている状態のもの。広めの道路とセットにして防火壁にしよう、ということだ。
前回紹介した鳥取の事例が最初のもので、「耐火建築促進法」という1952年に施行された法律に基づいている。同年に発生した鳥取大火を受けて制定された。
前ページから切り出した部分。まあ、いわゆる商店街のビルだ。今見るとなんてことないが、戦後から十数年、まだまだ木造の建物が多かった時代には、さぞモダンなものだったのだろう。
かわいい。
都市を不燃化するというのは日本の街づくりの悲願だった。歴史的に見れば、今のレベルで火事におびえずに暮らせるようになったのはたかだかここ数十年のこと。
「コンクリートジャングル」とか「無機的に木造のような温もりがない」とかなにかと印象論で悪者にされるが、そんなこと言ってると火事でほんとうに温もっちゃうのだぞ。
そういうコンクリートの偉大さとか、大げさに言えば畏敬の念みたいなものが形となって現れているのが全国にあるこれら防火建築帯なのである。
日本初の銀行強盗事件と防火建築帯
見れば見るほど、ふつう。だからいい。
さてこの山形の防火建築帯、そのプランニングにたずさわった建築家・今泉善一さんという方がすごい方なので、それについてすこし。
1911年生まれで1985年に亡くなっておられるこの今泉善一さん。その名も「日本不燃建築研究所」という組織を設立し、この山形も含め戦後の都市の不燃化に尽力された偉大な建築家だ。
前回紹介した横須賀のキュートで不思議な防火建築帯「三笠ビル」も今泉さんの設計だ。
これも駅そばで、地元の人で知らぬ者はいない「三笠ビル」。
前回記事では前ページと同様、いやがらせのように横にしたながーい画像がご覧いただけます。
もちろんぼくなどお目にかかる機会などなかったわけだが、尊敬する建築家である。
そんな方に対して失礼かと思いつつ紹介せずにはいられない、氏のかなり異色の経歴がある。
なんと今泉さん、日本初の銀行強盗の首謀者なのである。びっくり。
1932年に東京は大森で起こった事件で「
赤色ギャング事件」と呼ばれている。詳しくはWikipedia「赤色ギャング事件」の項などをご覧頂きたいのだが、その名の通り日本共産党党員による銀行強盗事件だった。今泉さんは党員だったのである。
元銀行強盗が戦後の日本の街づくりを支えた。なんとも魅力的な逸話だ。
今泉さんが建築を志したきっかけは関東大震災だったという。その方が戦災と大火を経験して都市の不燃化に活躍した。銀行強盗も含め、首尾一貫、徹頭徹尾「社会派/運動家」であったと言える。すばらしいと思う。
無粋と知りつつ、たいへんさアピールを
ここで、前ページの横長(というか縦長?)の画像づくりについてすこし説明したい。というかさせてください。なんせすごくつくるのたいへんだったので。
まず、すずらん通りを「5歩歩いては撮り、5歩歩いては撮り」を繰り返す。すごく奇妙な動きだが、ポケモンGO のおかげで、スマホさえ片手にしていればさして怪しまれない。ポケモンGOさまさまである。
Photoshopで変形し、うまく繋がるようにあれこれ微調整。これがすごーく肩が凝る。目もしょぼしょぼする。
隣どうしで自然に繋がるように不必要な部分を消し(マスクをかけ)ていく。
っていうぐあいに作業していったら、横50,000ピクセルを超え、ファイルサイズは3Gをオーバー。
その結果がこれというわけだ。
今回お見せできたのはすずらん通りの西側の防火建築帯。向かい合って東側にも建っていて、そちらも写真は撮ったのだが、結局つなぐ作業が完了しなかった。こちらは写真展(最後で告知します)でお見せしたいと考えている。
目より先に足が知る、山形市街
無粋な苦労アピールもしたので、以上で終わりにしてもよいのだが、山形市街がすごく面白かったので、それについて書きたい。
まずはその「平らだけど斜め」っぷりだ。
「ザ・扇状地」としか言いようのない見事な地形(iPhoneアプリ「
カシミール3D・スーパー地形」に表示された国土地理院の基盤地図情報データをキャプチャ・加筆加工)
首都圏と比べると、山形の市街地は見事にまったいらだ。このたいらさにはびっくりした。
しかし一方で「街全体が斜めってる」。上の地形図を見ると分かるが、見事な扇状地で、市街地東西方向はどこを歩いても坂。
ただ、勾配はゆるやかなので、風景的には坂感がない。しかし、ずっと歩いていると「なんだか疲れたぞ」ってなる。
目より先に足が気づく勾配の街、山形市街である。
東方向を見た様子。ここは比較的勾配があって、分かりやすかった。左の壁が段々になっている。そして学生がずーーーーっと自転車立ち漕ぎ。山形市街で暮らすだけで鍛えられそう。
電動アシスト自転車が多かった気がする。
すずらん通り含め、市街内の歓楽街や商店街の多くは南北方向の道に面しているので、そぞろ歩くのは楽。
南北方向の通りを歩きながら、東側の建物を見ると、入口が微妙に盛りあがっているケースがよく見られた。造成は平らにするので、つまり敷地が段々畑のようになるのだ。
たまに広めの敷地が駐車場や空き地になっていると、ゆるい勾配があらわになるのが面白い。これは西側(勾配の下方向)を見た様子。平らに造成された駐車場が、扇状地を視覚化している。
これは東側(勾配の上方向)を見たところ。ここも駐車場が段差になっている。
意欲的な造形の滑り台があったり(似たデザインのものが首都圏にも複数ある模様)、
下を覗いたら、力強く「愛」が。
壁にでかでかと抜歯された歯が描かれ、看板に「
歯医者キャラ」がいたり、
絶対いるだろうな、と思っていたら案の定山形牛の「
共食いキャラ」がいたり、
コンコースのど真ん中に陣取るという、山形駅の「
改札生花」の大胆さにびっくりしたりした。
デイリーポータルZに今まで書いたネタが、どこへ行ってもぼくを飽きさせない。
あともうひとつ。「扇状地から建物が流れ出しているように見えておもしろい」について。
山から建物が流れてきているかのよう
山形市街の航空写真を見ると、まるで、かつて川が土砂を運んで扇状地をつくったように、建物が谷から流れて広がったかのように見える。
もし「地図」になってたら「航空写真」に切り替えて見てください。地図中のオレンジ色の線については後述。
で、面白いのはその西端。上の地図のオレンジ色の線、県道49号~51号、西バイパスと呼ばれている道路で、建物がまるでせき止められたかのようにすっぱりと終わっている。
駅から西へ県道へ歩くと、ご覧のように、すっぱりと「市街」が終わりその向こうは田んぼ。
市街をせき止めている県道沿いはこのような典型的なロードサイド風景だが、
その裏、西側に出ると、こんな(写真右が西、南を向いた状態)。
見たことのない禁止看板。産廃不法投棄ならぬ雪投棄か!
まあ要するにこの道路を境に市街化区域と市街化調整区域が切り替わる、ということなのだろうけど、このきっぱり具合はぼくの身近ではあまり見ることができないので、けっこう衝撃的だった。
で、この道路沿いをしばし歩いていたら「なるほど!」という光景に出会った。
県道の脇に鉄塔が(右側が田んぼゾーン、左が市街ゾーン)!
思わず駆け寄ったら、そこには変電所があり、電線が地中に引き下ろされていた。
田んぼの方を見やると、鉄塔の列が。
日本中(おそらく世界中)どこでもそうだが、都心部に鉄塔は立たない。東京の東側だと荒川を境に鉄塔は姿を消し、高圧線は地中へ潜る。つまり、鉄塔がなくなる場所が「都市のエッジ」なのだ。これほど見事にそれが現れている風景もなかなかないと思う。
そしてさらに「上水道部」の看板を見て、ぼくは膝を打った。
県道脇に「山形市上水道部」があるという看板が。
これは! と思って駆け寄ったら、たしかに管理センターが!
なんでぼくが興奮したのかというと、こういう施設も都市のエッジに置かれるからだ。とくに下水道施設は言うなれば都市の「下流側エッジ」に置かれる。東京だったら湾岸沿いだ。
そうだ、首都圏に置き換えるのなら、この田んぼは「海」で、県道は「湾岸道路」だ。そう思って見ると、ロードサイドの佇まいが実家の近所のそれによく似ている。
山形楽しいな
なんだかまとまりを欠く終わり方になってしまったが、防火建築帯はやっぱりいい、ということと今泉さんすごい、ってこと、そして山形市街楽しいな! ってことです。また行きたい。
県道沿いのちょう真っ平らな地形の街の名前が「あかねヶ丘」。昭和後期以降つけられた「地形無視のキラキラネーム」である。こういうの、きらいじゃない。
【告知】山形で写真展やります!
で、山形で写真展をやることになりました!
2016年9月2日(金)~2016年10月23日(日)
場所は「
山形県白鷹町文化交流センターあゆーむ」。内容はもちろんあいかわらずの工場、ジャンクション、団地など。あ、もちろん今回の防火建築帯もプリントします!
2012年に行った写真展と同じくやたらでかいプリントです。展示予定作品は前回のこれらとだいたい同じ→
工場・
ジャンクション・
団地
10月22日(土)には会場でトークイベントもやる予定。みなさん、ぜひ。
かなり本格的なギャラリースペースなので、大量の迫力ある写真展になりそう。楽しみ。
のどかな環境の会場で、工場の写真などをどーん! と。