ニホンのオオカミ
ニホンオオカミの剥製はとても貴重なものだ。剥製には、本剥製(展示用のポーズがある剥製)と仮剥製(骨などがなくポーズがない剥製)があり、ニホンオオカミの本剥製は世界に5体しかなく、仮剥製も世界に1体しかない。
もともとニホンオオカミの数が少ないからこのような数なのか、といえばおそらく違う。たとえば、『遠野物語』には「ある時二、三百ばかりの狼追ひ来たり」とある。話を大盛り無料くらい盛っている可能性はあるけれど、ある程度はいたと考えられる。でも今では世界に六体だけだ。
2023年までは本剥製は世界に4体だけだった。しかし2024年に国立科学博物館で「ヤマイヌの一種」として保存されていた剥製が、実はニホンオオカミと判明し5体となった。このニホンオオカミは上野動物園で飼育されていたニホンオオカミのうちの一頭だった。1895年頃に剥製になったようだ。
国立科学博物館にはいろいろな展示があるけれど、私はいつもニホンオオカミを一番長く見ている。そして、勝てるかな、と考える。おそらく負ける。小さくかわいく感じるニホンオオカミだけれど、強いのだ。
『遠野物語』では、鉄という男が素手でオオカミと戦い勝っていた。ただし鉄も深い傷を負い、仲間に担がれて帰るが死んでしまう。腕っぷしが強い人を集めた狼狩りだったそうだけれど、相打ちなのだ。やはり私では勝てない。
狼の護符
二十年ほど前、私は大学入学のために、九州から上京した。東京に来てからも何度か引越しをして、今の多摩川沿いの家に落ち着くと、ニホンオオカミがかつて、日本人にとって身近な存在だったことに気がついた。
ある時、東京・世田谷にある小田急線の駅「成城学園前駅」で電車を降り、野川方面に成城通りを歩いた。やがて急な下り坂に差し掛かる。この坂は病院坂と呼ばれ、国分寺崖線という崖を下る坂だ。帰りはこの坂を登らなければならない。「上る」ではなく、「登る」が適切と思えるような斜度だった。
横溝正史の『病院坂の首縊りの家』にもこの病院坂は登場する。「げんに私がいま住んでいる成城の町にもおなじ名の坂がある。しかも、成城の病院坂は坂の名の由来となった病院が、いまは跡形もなくなっている」と書かれている。この作品は1975年から連載されたものなので、その頃にはもう病院は跡形もなかったようだ。
病院坂を下り終えると次大夫堀公園に着く。次大夫堀公園には江戸後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現した「民家園」があり、無料で見ることができる。古い家々が移築されており、その全ての家の門をくぐる時にニホンオオカミの存在を感じる。それは「狼の護符」が玄関脇の柱に貼られているからだ。
オオカミは向かって左を向いている。目は三日月で天を見ているように感じられる。それがたまらなくカッコよく感じた。私はこの護符を見て、日本のオオカミに興味を持ったのだ。邪気眼が疼くというのか、忘れていた中学二年生の時を思い出すような、心が蠢くカッコよさがあった。
この護符は多摩川の上流域にある青梅市の武蔵御嶽神社のもの。成城の辺りは多摩川の下流域に当たるので、文化や信仰が川の水と同じように上流から下流へと流れていることがわかる。この護符は、次大夫堀公園だけではなく、多摩川の流域ではよく見かける。
護符になっていることからもわかるようにオオカミは神様になっていた。調布市郷土博物館が作っている『解説シート15「調布の講」』にも、調布市で「御嶽講」があったと記されている。御嶽講とは簡単に言えば、武蔵御嶽神社に参拝することだ。
解説シートによると、代表者が参拝する「代参講」が盛んで、四月、五月に行われ護符を持ち帰ったそうだ。護符は次大夫堀公園で見かけたように玄関に貼ったり、竹の先に挟んで畑に刺したりしていた。畑に刺すことから、狼のご利益の一つに「鳥獣害を避ける」があることがわかる。
武蔵御嶽神社ともう一つ関東を代表するオオカミの神社がある。それは埼玉県の秩父市にある「三峯神社」だ。「三峯信仰」として北海道を除く東日本に広がっている。『遠野物語』にも「三峯様」が登場し、「狼の神のことである」と記されている。
日本武尊が東国平定の際に三峯山を登り、伊弉諾尊と伊弉册尊の二神を祀ったのが三峯神社の始まり。その際、日本武尊の道案内をしたのがオオカミだった。ちなみに武蔵御嶽神社でもオオカミが日本武尊の道案内をしており、日本武尊が「大口真神(おおくちまがみ)としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよ」と言ってオオカミは神となった。
三峯神社の狛オオカミはボンレスハムのように肋(あばら)が浮いてカッコいい。ボンレスハムを見る度にオオカミを思い出す。もし本物のオオカミを見ると私はボンレスハムを思い浮かべるのか知りたいのだけれど、ニホンオオカミは絶滅しているから確かめようがない。国立科学博物館の剥製からはボンレスハムは連想できなかった。


