絶滅へ
もう少しニホンオオカミの話が続く。まだ和歌山には行かない。ニホンオオカミの剥製と、なぜ絶滅してしまったのかを記したい。
日本には本剥製の4体のみが残る。先に書いたヤマイヌの一種として保存されていた上野動物園で飼育されていたもの、和歌山県立自然博物館にある奈良で捕獲されたもの、東京大学にある岩手県で捕獲されたもの、そして、国立科学博物館にある福島で捕獲されたものだ。
残りの一体はオランダのライデン国立民族学博物館に展示されている。幕末頃に日本にやってきたドイツ人であるシーボルトが、大阪で購入したものだ。シーボルトの記した『江戸参府紀行』によると、シーボルトは天王寺に行き、茶屋で休み、植木や動物を売っている街を通る。そこで興味深いものとしてカモシカを見つけ、ここで以前、一匹のオオカミと野生の犬を買ったことがあると書いている。
先に仮剥製が一体だけあるという話をした。それはロンドン自然史博物館に存在する。この仮剥製は特別なもの。最後のニホンオオカミなのだ。1905年1月23日、奈良県の小川村(現在は東吉野村)鷲家口で、ロンドン動物学会から日本に派遣された鳥獣標本採集家「マルコム・アンダーソン」が購入した。状態は悪く腐敗も始まっていたそうだ。
腐敗していたのは、ニホンオオカミを猟師が殺し放置していたから。数日後にマルコム・アンダーソンが動物を買い取っていると聞き、放置していたニホンオオカミを回収して売りに来たのだ。この扱いからもわかるように、誰もこのオオカミが最後のニホンオオカミとは考えていなかった。でも、最後だった。最後の確実な生息情報だった。
私はその最後のニホンオオカミを見るためにロンドン自然史博物館に行ったのだけれど、展示されていなかった。ただロンドン自然史博物館に行っただけだった。めっちゃ見たかったけれど、展示されていないのだ。事前に調べてから行くべきだった。
そもそもなぜニホンオオカミは絶滅したのだろう。環境省の『レッドデータブック』を読むと、絶滅理由の一つして「開発」が挙げられている。ニホンオオカミは生息密度が低く、個体群の維持には広大な生息地が必要だった。しかし開発により生息地の縮小、分断が起こったのだ。
また「狩猟による餌動物の減少」ともレッドデータブックには書いてある。江戸時代はどこの藩も、基本的にはシカやイノシシの捕獲を領民に禁じていた。明治時代になり一般にも狩猟が解禁されると、動物が人間に狩られるようになり、ニホンオオカミの餌は減少した。
さらに狩猟に使うために海外から猟犬を輸入し、この猟犬がジステンバーを持っていたと思われる。ニホンオオカミもジステンバーに感染し死んで行った。そもそも18世紀頃から狂犬病が海外から侵入していた。江戸時代からニホンオオカミの絶滅へのカウントダウンは始まっていたと言える。

