比叡の内火艇が浮いている
勝鬨橋から晴海通りを歩いて勝どき駅前交差点で清澄通りを左に曲がると、月島橋という橋がある。その橋の上から運河を見てみる。

運河には屋形船やらボートやらがたくさん係留してあるが、中に青い船が混じっているのが見えると思う。

この青い船は、コロナ禍前まで屋形船を運営していた会社が、艀(はしけ、船と陸上を行き来するための船)代わりの台船(ボート等でひっぱって荷物を運ぶための小舟)として使っていた船だ。真っ青なのは、この船を艀代わりに使っているうちに、プラスチックで補修したためらしい。
実はこの船、旧日本海軍の戦艦・比叡の内火艇(戦艦に載せていたエンジン付きの小舟)だという説がある。
数年ぐらい前から、Googleマップに「比叡内火艇」として載り始め、真偽がよくわからなかったけれど、すこしまえに朝日新聞が取材し、専門家が「内火艇である可能性が十分に高い」という見解を出していた。
太平洋戦争の頃の戦艦は、航空機に比べると、水に常時接していることもあって老朽化しやすく、残っているものが少ないらしい。もし本物であれば、かなり貴重な歴史的遺物であることに違いない。
ただし、比叡は太平洋戦争中にソロモン海戦で沈没しており、その船の内火艇がなぜここにあるのかについての詳細な事情はよくわかってない。
一説には、比叡というのはソロモン海戦で沈没した比叡ではなく、明治時代にイギリスから購入した戦艦の比叡の方ではないかという説もあり、謎は残る。
レバーフライの店
月島はもともと佃の石川島にあった造船所(石川島播磨重工、IHI)の下請けの鉄工所が多い町で、工場で働く職人も多く住んでいた。そういった職人の人たちが好んで食べていたと言われるのが、レバーフライだ。
豚レバーを薄く伸ばしてパン粉をつけ、ウスターソースにジャブジャブつけた月島名物だ。意外とレバーの臭みが気にならず、レバーが苦手な僕でも、もりもり食べられる。

今から14年前に「月島名物レバーフライ食べ歩き」という記事で紹介したレバーフライ屋は4件ほどあったが次々と無くなり、現在は「ひさご家阿部」のみとなっている。

雨が降りしきるなか、久々に行ってみたのだが臨時休業であった。どうやら、去年ぐらいからずーっと臨時休業しているらしい。唯一残っているレバーフライの店がこのまま⋯⋯ということになれば、月島からレバーフライの食文化が消えることになる。
まだ、晴海にだだっ広い空き地が広がっていた15年ぐらい前、毎年夏に「東京湾大華火祭」という、人が70万人ぐらい集まる大きな花火大会があった。その花火大会の日に合わせてレバーフライを注文して、ビールを飲みながら花火見物したのが懐かしい。


今はもう、花火大会はやらなくなってしまい、晴海の空き地には晴海フラッグというマンションがニョキニョキ生え、そしてレバーフライの店は風前の灯となっている。
ひさご家阿部におかれましては、どうにか営業を再開して欲しいところである。
と、いうことなので⋯⋯ひさご家阿部の向かいにある「肉のたかさご」でやき豚と角煮を買った。

うっかり、買った焼豚と角煮の写真を撮らずに食べてしまったので、写真はありません。