中央線のガードにもいい旧町名が残っている
前々回、前回をご覧いただいた方には説明不要と存じますが、いちおう念の為。
ガードとは道路を跨ぐよう架けられた橋(鉄橋など)のことです。
このガードには、ガードの名称が記された看板が貼り付けてあることが多く、それをグーグルストリートビューで探し、すべてをマッピングしました。
23区内の中央線という縛りではあるのですが、興が乗ったため、調子ぶっこいて吉祥寺駅あたりまでマッピングしちゃいました。
なお、総武線同様、名称不明のガードがけっこうありましたが、その場合はそのガード付近の住所かランドマークを便宜的にカッコ書きで入れています。
※ストリートビューでガードとなっている場所(ガード下を抜けて撮影しているもの)に限定しています。外郭環状架道橋などはマッピングしておりません。
前回も貼り付けしましたが、名称とストリートビューURLのリストはこちらです。
今回も、前回に引き続き、旧町名マニアの102so(じゅうにそう)さんと一緒に見ていきます。
西村:前々回、山手線内と新宿ちょっとすぎた鎧ガードあたりまでは見ましたけれども、その先もかなりいい感じのガード名がありました。まず気になったのが桐ケ谷です。
102so:ほう。
西村:桐ケ谷って言われると、いま斎場がある品川の方の桐ケ谷を思い出すんですけど、このガードがあるの中野区なんですよね。かなり離れてる。
102so:そうですね……そういう地名が過去にあったのかも……『東京市町名沿革史』という本を持ってるんで、それで調べてみます……。
西村:なんですか、それ。
102so:これ、昭和7年に誕生した町名の沿革が書いてある本で、昔の東京市が出してたんですよ。町名の沿革が小難しい言葉で書いてあって、その場所の(もともとの)小字とかが書いてあるんですよ。
西村:あー、いいですね。
102so:中野区……あ、ありましたー! そこ、旧町名を川添町とか氷川町っていうんですけど、中野町の時代に、中野桐ケ谷町があったって書いてありますね。たぶんこれ、大字か小字だったのかな……。
西村:中野区にも桐ケ谷あったんだ! 柏木の横辺り?
102so:桐ケ谷って、けっこう範囲広いですよこれ、東中野駅の南側一帯が桐ケ谷の範囲ですね。
西村:中野桐ケ谷って旧町名(を記した看板や表札など)は見つかってない?
102so:見つかってないんですけど……中野町時代の旧町名って何個か残ってるんですよ。桐ケ谷もそれと多分同期ですよね。だから、今は無いかもしれないけれど、かつてはどこかにあったはずですよ。
西村:バス停とか道の名前になってなければ、中野桐ケ谷という地名が残ってるのはもう、このガードぐらいという感じですね。
桐ケ谷について、ネットでもう少し検索してみたところ、かつては「開かずの踏切」として有名だった桐ケ谷踏切があった。という情報が中野区報に載っていました。
それによると、1935(昭和10)年に、線路の下をくぐる迂回路と階段ができたとあります。おそらくですが、この迂回路が、線路が高架化されたときにガード化されて、桐ケ谷ガードとなったのではないでしょうか?
西村:実は、中野駅の直下にあるガードが「新井ガード」で、この新井は、おそらく中野駅から北に1キロぐらい先にある新井薬師(か、新井という地名)から付いたのかなと。
102so:はい。
西村:ガードの名前、意外と遠い場所の名称も道が繋がっていればつけるパターンがあるので、桐ケ谷も最初は、もしかしたら、品川の桐ケ谷につながる道があって、桐ケ谷となったのかなと思ったんですけど……そうじゃなかったですね。