広告企画 2023年3月29日

奈良の大仏さまを事前に予習した上で改めて見学する

予習して見学します

奈良の大仏さんを、子供のころに修学旅行で見に行ったという人も多いだろう。

ぼくも中学生のときに修学旅行でみたのだが、そのときは「教科書で見たやつだ!」とか「でかい!」と感じた程度で、それ以上の感想はなかった。

しかし、天命を知る年齢(by孔子)に近づくにつれ、もういちど、大仏について知っておきたいと思うようになってきた。

奈良の大仏さんを、予習した上で、詳しい人と一緒に見学してみたい。

※この記事はNHKラーニングが面白いからもっとみんなに見てもらいたいと願う広告記事です。NHKラーニングは大人が気軽に学びなおせるサイトです。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

前の記事:総武線のガード名と高架の名前にはすごい旧町名が残っている

> 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26

NHKラーニングで予習します

NHKラーニングのサイトに行き「大仏」に関連する動画をまとめたページをみてみる。

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NHKラーニング、大仏の特集ページ

奈良の大仏さんだけでなく、京都にあった大仏の話など、よく知らなかった情報も出てくる。

いずれも10分ないほどの短い動画だが、頭のパンチパーマは「螺髪(らほつ)」、おでこのほくろは「白毫(びゃくごう)」、手のポーズは「施無畏印」、仏像も時代によって顔の表情が変わる……などの知識を予習した。

また、NHKforSchoolの動画では、大仏造立に至った経緯や、大仏をどのように作ったのかなど、学校で習ったものの、うっかり忘れがちなことをおさらいできる。

大仏造立は聖武天皇……、奈良時代の都は平城京……、このあたりの知識でさえあやふやである。

ほんとうに基本的なことがらについて、事前に確認しておくにはとても重宝する。

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予習した上で、詳しい人にもきてもらおう 

 

奈良にやってきた。奈良は、すでに外国人観光客でごった返しており、コロナ禍まえの活気を取り戻しつつある。

今回、見学するにあたり、予習してきたことが正しく理解できるよう、そして、さらに詳しく見学するため「ホトケ女子」として活動している安達さんに同行してもらうことにした。

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右からDPZ編集部安藤、安達さん、ライター西村となっております

安達さんは、もともとアニメ制作会社に勤めていたものの、仏像が好きすぎて奈良に移住してしまったという強者だ。以前当サイトでも安達さんがホトケ女子になった経緯をインタビューしている→『知り合いが奈良でホトケ女子を名乗りはじめた』

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東大寺といってもデカイ

さて、ひとくちに「東大寺」と言っても、かなりデカイ。じっくり見て回ろうとすると1日では確実に足りない。

今回は、観光客がまわる一般的な「東大寺南大門→大仏殿→大仏さま」というルートに沿って奈良の大仏さんまでを見学したい。

まずは東大寺南大門だ。

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東大寺南大門

お寺の建物の構成には、いくつかのパターンがある。いわゆる「伽藍(寺の建物)の配置」というものだ。概ね、南側に南大門があり、その北に中門があり、金堂を取り囲むように回廊がある。奈良時代に創建された東大寺はそのパターンで建てられていた。

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東大寺の伽藍配置図概略図。青い部分が再建され現在建物があるもの。上の図は概略図です。詳細な図が見たい場合は、専門書をごらんください

南大門の見どころは、なんといっても金剛力士像だろう。その大きさは、約8.4メートルある。

南大門の金剛力士像も、大仏さんと同じく「でかいなー」ぐらいで通り過ぎてしまうところだけれど、今回はじっくり見学してみたい。

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口を開けている「阿形像」
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口を閉じている「吽形像」

安達:東大寺は奈良時代に創建されたんですが、その時代のものはあまり残ってないんです。この南大門もそうで、鎌倉時代に再建されたもので、金剛力士像も運慶、快慶などが鎌倉時代に作ったものです。

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運慶は去年の大河ドラマでみた!

西村:あ、去年の大河ドラマ(『鎌倉殿の13人』)で見ました!

安達:運慶、出てましたね。

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静岡県伊豆の国市・願成就院の運慶作、国宝毘沙門天立像(『NHKラーニング』より)
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運慶、快慶というのは……親子? ではない?

安藤:運慶、快慶というのは……親子とかですか?

安達:親子ではないんです。当時「慶派」と呼ばれた仏師集団の……仲間? といえばいいのかな? 運慶は父ちゃん(康慶)も仏師でした。一方、快慶はどこで生まれたのかなどもはっきりわかってないんですね。運慶は子供もいっぱいできて、次の時代につながりますけど、快慶は生涯独身で、子供も作らずで……。

西村:仏師の話もおもしろいな……。

安達:仏像好きの間では、運慶派と快慶派に別れて「いやー、阿弥陀如来ならこっちでしょう……」みたいな論争をよくするんですよ。

「藤子不二雄はA先生とF先生、どっち派?」みたいな話だろうか。ここで「どっちも派」と答えるとオタクには嫌われてしまうが、好きなものを天秤にかけるのは難しい。

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2ヶ月ほどで制作

なんの予備知識もなく行くと「デカイ」という感想だけで終わりがちな金剛力士像だが、よく見るとデカイだけではない凄みが垣間見える。

安達:近くまで近寄って足を見てください。血管のひとつひとつまで表現されているのわかりますか。筋肉の力強さだとか、風を感じさせる布の表現、ポーズ、どれもかっこいいですよね……。

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接写しづらい金網越しに、なんとか撮影できた1枚

安藤:本当だ、すごい。

安達:これほどの作品ですが、これ運慶、快慶らは何日で作ったと思いますか?

西村:え……数年はかかってる気はしますが。

安達:一応、記録が残っているんですが、69日で作ったと言われているんです。

安藤:二ヶ月ちょっと?!

安達:もちろん、山の木をのこぎりでギコギコするところからじゃなくて、木材に彫刻を施して組み立てて開眼までぐらいの話だとは思いますけれども。

西村:これ、ひとつの木から彫り出してるわけじゃないんですね。……あたりまえか。

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製作期間2ヶ月ちょっとの金剛力士像に圧倒される

安達:そうです、たくさんの細かいパーツ(大小約3000の部材)に分かれていて、しかも、体の部位ごとみたいな分け方じゃないんですよ。縦にスライスする感じで別れていて、それを組み立ててるんです。(寄木造)平成に解体修理した時はパーツごとに全部分解したんじゃないかな。もういちど組み立てるの、大変だったでしょうけど。

西村:知恵の輪? パズルみたいなものでしょうね……実際のパーツごとに分解できる金剛力士像のフィギアあったらおもしろいな。

安達:あと、そこ(南大門の床の一部)に立ってみてください。

西村:ここですか? 

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南大門の石段の真ん中あたり

安達:そこから両脇の金剛力士像を見てもらっていいですか? 両方とも目が合いませんか?

西村:ややっ! ほんとだ、目が合う!

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目が合う……
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こっちも……

西村:これは、そうなるように設計された?

安達:おそらくそうだと思います。わたしは、ここに通いすぎてて、あるとき気づいたんですよ。ここに立つと、どっちからも目が合うって。この位置じゃないと目が合わないんですよね。

金剛力士像の目が合う地点を、自力で発見してしまう……さすがホトケ女子を名乗るだけある。

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大仏殿、二回燃えている 

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東大寺大仏殿

西村:やはり、建物だけでもう迫力がすごいですね……ぼく、今日奈良に来るのに京都からバイクに乗ってきたんですけど、北側から奈良に入ると、下り坂の先に東大寺の大仏殿が頭一つ抜きん出た感じで見えるんですよ。

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ゆるやかな下り坂の先に大仏殿が見える!

安達:坂の上からですね、ちょっと興奮しません? おいおい、奈良来たぜーって気持ちになって。

西村:しますね。ちょっと気持ちがアガりました。

安達:大仏殿の後ろ姿もいいんですよ。結局、大仏殿がああいうふうに見えるのは北側の坂の上からじゃないとそう見えなくて、町中からだとなかなかそういうふうに見えないんですよね。だから、いい導入でしたね。ナイス導入。

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大仏開眼供養会のようす(『NHKラーニング』より)

ところで、奈良時代に建てられた東大寺の建物は、わずかしか残っていない。なぜか。2度も焼けてしまっているからだ。

まず、奈良時代の伽藍の多くが焼失してしまったのは、平安時代末期。平清盛の時代に、平氏と対立した東大寺や興福寺といった奈良の寺院は、清盛の命を受けた平重衡の軍勢に攻められ、兵火にあった。(南都焼討)

安達:南都焼討のときは、まさにそのバイクで通ってこられた坂のあたりで平氏が火を放ったんですよ。で、ちょうどそのときは12月で北風が強くて、みるまに東大寺や興福寺といったお寺が火に包まれて焼けたんです。

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奈良時代の東大寺の模型(大仏殿内の展示)

このとき焼け落ちた伽藍や仏像は、奈良時代と同じく、広く人々への勧進(お寺を建てるための助力や寄付を募ること)によって、大仏さまも修復され、源頼朝や藤原秀衡の寄進もあり、復興、再建された。

なお、このタイミングで、平安時代に大風で倒れてしまっていた南大門も再建され、運慶、快慶の金剛力士像などが作られたのは先程みた通りだ。

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鎌倉時代に再建された大仏殿の模型(大仏殿内の展示)

鎌倉時代に再建された建物はその後400年ちかく保たれるが、今度は、東大寺が戦国武将の松永久秀と三好三人衆の戦に巻き込まれてしまう。

このとき、鎌倉時代に再建された大仏殿は焼け落ち、大仏さまも焼けて破損、頭部が落ちた状態になってしまった。

応急的な補修が行われ、ひとまず頭は体の上に載せられたものの、建物の再建はままならず、100年以上そのまま雨風に晒された「露座」の状態であったといわれる。

その後、江戸時代に入ってから再建が進められ、大仏の修復は1691(元禄4年)年、現在の大仏殿が完成したのは、1709(宝永6)年になってからだ。

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