前回までのあらすじ
先日「多摩ニュータウンの巡検(地理のフィールドワーク)に参加する」という記事を書いた。
この記事は前回からの続きではあるが、この記事だけを読んでも意味が通じるように、あらためて多摩ニュータウンとはなにか、巡検とはなにか、そして前回のようすがどんなであったかをおさらいしたい。
多摩ニュータウンの巡検は、もともと地理を専攻していた有志でつくる「みんなで地理プラーザ!(地理プラ)」が企画した街歩きで、巡検とは地理学でいうフィールドワークだ。以前から憧れていたので、参加してみた。
多摩ニュータウンは東京の西部、多摩市を中心に整備された地域で、下の地図で赤く囲ったところだ。
右側に緑で囲ったのが山手線なので、多摩ニュータウンの大きさがわかる。赤い範囲の内側が基本的にはぜんぶ団地になったのだ。
多摩ニュータウンの全体はこう。
高度経済成長期に東京に人が流れ込み、住宅不足になったので住宅を供給しましょうという流れで、丘を切り開いて作った。京王線の稲城駅から多摩境駅にかけて広がっており、まちびらきは1971年に東側の諏訪・永山のあたりから始まり、西へと進んでいった。

地図には「6 永山」「10 落合」のように番号と地名が書かれているが、このそれぞれが「住区」で、ぜんぶで21個ある。
多摩ニュータウンは近隣住区論というものに基づいて設計されている。住区は5000人程度の中学校一つ分のコミュニティで、それを細胞のように重ねて街を作っていく。
生活は基本的に住区の中で完結できるよう、買い物などは住区のなかの「近隣センター」でできるようになっているが、その上位には永山駅や多摩センター駅のような「地区センター」や「都市センター」がある、という階層構造になっている。
おさらい:諏訪から多摩センターまでの団地はどうだったか
前回の記事では、初期の諏訪から中期の多摩センターまでを歩いた。その団地のようすがどうだったを簡単にまとめたい。
諏訪では1970年ごろの最初期の5階建の団地の建て替えが進んでいた。中央の階段をのぼっていって左右の住戸に入るタイプで階段室型と言われる。
いっぽうで団地の入口や中央にかっこいい高層棟も置かれて団地のシンボルとなっていた。ポイントハウスという。
通路を三階おきに作ることで、通路のない階の住居に窓を増やす工夫なども行われていた。スキップフロアという。
最初期の地域だからこそ、最初に建て替えの時期が訪れ、古い団地が新しいマンションに建て替えられていた。
時代が進んだ貝取では屋根が三角になったりとデザインの変化が見られた。1980年ごろ。
さらに時代が進んだ豊ヶ丘のコスモフォーラム多摩では、初期の階段室型の面影はまったくないくらいになっていた。
1990年代に入り、多摩センター駅近くの団地では、独立した部屋が通りに面してつくられ、教会などとして使われていた。街に色どりをあたえるために通りに開いて使ってもらう意図だそうだ。
そして多摩センター駅についたところで夜となった。ここまでが前回の内容だ。
南大沢へ
そして今回歩く範囲は南大沢である。多摩センター駅から西へ2駅進んだところだ。それだけ時代も進んでいる。
まんなかの南大沢駅と書かれた周辺だ。案内してくれるのはひきつづき「地理プラーザ」の山口健太さんだ。
※巡検は実際には夜の雨のなかを歩いたのだけど、それだと記事として見づらいので、以後の写真は同じルートを再度歩いて撮影しなおしたものになります。
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南大沢駅前の風景。
南大沢には1980年代に南大沢団地という団地ができたが、駅ができたのは1988年だそうだ。それまでは陸の孤島とも呼ばれていたという。
駅の反対側にはイトーヨーカドーがある。
「これはガレリアユギっていう建物です。そごうと忠実屋っていう八王子のスーパーだったものが両方つぶれて、その後イトーヨーカドーになりました。そのときに2棟だった建物を屋根を繋げて1棟にしたんです」と山口さん。
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建物の中に入ると、まんなかの吹き抜けのところにエレベーターが向かい合って二つがあるが、これはそれぞれ別の建物のエレベーターだったのだそうだ。
そごうと忠実屋がつぶれたのは1995年ごろで、つまり当時の南大沢の開発は思うように進んでいなかったということになる。
先へ進むと左手にアウトレットが見えてくる。もともと業務用の土地として東京都などが確保していたところを、駐車場で車から映画を見る施設などとして暫定利用していた時期が長かった。その後アウトレットになったという。
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「上の階の窓などを小さく描くことで遠近感を強調するような工夫もしているという話を聞いています」
なるほど。テーマパークでありそうな話だ。スピーカーもうまく隠しているのかもしれない。
駅前に東京都立大学がある
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その先には東京都立大学が見えてくる。
もともと世田谷にあったものが、1991年に移ってきた。都立大の旧キャンパスは建物の老朽化などの理由で移転先を探していて、南大沢は候補の一つだった。多摩ニュータウンとしても、今後の開発にとって教育・文化施設の誘致が必要との判断で受け入れたという。
このさき(写真でいう左手)に南大沢の団地群があるわけだが、それらの高層棟と都立大のデザイン的なつながりが考慮されたそうだ。

