南大沢の団地へ
都立大から進んでいくと、いよいよ遠くに南大沢の団地が見えてきた。
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橋の向こうが「南大沢五丁目」の住区だ。ここで、現在地とこれまでの行程をいちおう確認しておく。
右端の「南大沢駅」と書いたところが出発点。白い線が行程で赤い丸が現在地だ。わかりづらくて恐縮だが、黄色く細く書いた線が住区の境だ。これから南大沢五丁目に入っていく。
団地のなかの道はこんな感じ。右も左も少し高くなっていて、その上に建物がある。つまり歩道が掘ってある感じだ。
「あくまで噂話としては、東京都が造成するにあたって時代を反映してバブリーにしたという話もあるようです。ただ、諏訪・永山が谷で区切られていたのと違って、南大沢は丘の上になっていますので歩道を掘るということにシフトしたのかもしれません。」
建物の向こう側は広場のようになっていて、レンガ調で落ち着いた雰囲気になっているという。
たしかに落ち着いている。駐車場もあるが、よくあるように建物と建物のあいだが車で溢れている感じではない。住民のための空間を確保するために駐車場は街路沿いに置いているそうだ。
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「ここは張り出した部分の三角の瓦屋根が特徴的です。ベリコリーヌというのは美しい丘という意味のフランス語なんですが、そうであっても和風が見い出せる和洋折衷のデザインが面白いです。」
この張り出し方は面白い。一つの家みたいだ。多摩センターで見たプラスワン住宅にちょっと似ているが、高低差があるので通りに開かれた感じはあまりしない。
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ちょっと進んだところにある矢印の部分こそが、プラスワン住宅の系譜をついたものだそうだ。
「この張り出したガラス張りの部分が、そのプロムナード多摩中央のプラスワン住宅と同じく、地域に出した形の住宅になります。ガラス張りで外におしゃれに見せて飾るような部屋という設計をしています」
「けれどもプライバシーの部分だとかガラス張りだと熱くなるっていうのもあって、カーテンを閉め切って物置にしたりっていう風に使われてる方が多いのかなと思います」
たしかに上の住宅でもカーテンが閉められている。プロムナードのほうで教会や習い事教室としてプラスワン住宅が使われているのともまた少し印象が違うエリアになっている。
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ここは、丸い屋根や、三角に飛び出した部分のデザインが特徴的だ。北イタリアの斜面に張りついた住宅をイメージしているのだという。
ベルコリーヌ南大沢の設計はマスターアーキテクト方式というものになっている。
それまでの団地では隣り合ったブロックでも年代や事業主体ごとにデザインがバラバラになっていたことの反省に立ったもので、一人の建築家がマスターアーキテクトとしてデザインコードをつくり、地区内の各ブロックを別々の人が設計する。その際にはマスターアーキテクトと調整をするというものだそうだ。
なのでブロックごとに、調和がありつつも少しづつ建物のデザインが違うという景色になる。
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奥に見える高層棟が、遠くから見た時の南大沢のスカイラインのイメージをつくる建物だ。
都立大学と表情を合わせるために、都立大学の基本計画を担当した建築家に設計を依頼したそうだ。(川崎の河原町団地を設計した大谷幸夫さんです)
「高層棟はベルコリーヌに5棟あって、線で結んだ先に富士山の山頂があるという趣向もあるそうです」
ちょっとしたおまじないのようだ。
21住区 上柚木へ
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歩車分離はあいかわらず徹底していて、ここでは車道をトンネルでくぐることになる。そしてこのトンネルの向こうが上柚木(かみゆぎ)という、住区番号では最後の住区になっている。
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現在地は赤い丸のところ。南大沢から上柚木に入るところだ。
多摩ニュータウンの住区はぜんぶで21個あり、東から順に番号が振られている。そして上柚木の住区番号は21だ。
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「このあたりになるとベルコリーヌからは一旦抜けたところです。ベルコリーヌほど尖った印象的なものではないんですけど、おしゃれで落ち着いた街並み。」
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「従来からの階段室住宅は踏襲しつつも、工夫しておしゃれにしているなという印象です。エレベーターのない5階建てと取ることももちろんできるのですが。」
たしかに姿は違うけれども、中央の階段を登って左右の住戸に振り分けるという階段室型の構造は初期の諏訪のやつと同じだ。
この頃になるとバブル期を過ぎているので、むしろ落ち着いたデザインになっているのだという。
三宅島から避難した人たちの受け入れ先となった
2000年に三宅島が噴火し、数日後に全島避難となった。つまり三宅村に住んでいた人の全員がとつぜん住む家を失ったということだ。
その受け皿の一つが多摩ニュータウンだったという。
「いま見えているグランピア南大沢は、2000年にオープンした段階で三宅島の方が避難の際に移り住んだと聞いています。」
グランピアの入居開始が2000年、三宅島の全島避難も2000年だ。
そのほか、多摩ニュータウン内のベルコリーヌ南大沢の建て替えの際にも、南大沢の住人が上柚木のこの団地に一時的に移ったという。住む場所は切実に大切で、団地はそのインフラなのだと感じる。
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特徴的な三角屋根。グランピアは2000年の建物だが、その後開発が盛んになる若葉台という多摩ニュータウン内でも東寄りの地区でもこのデザインは継承されていくという。
ニュータウンにしかなさそうな名前の公園
名前が特徴的なのでぜひ案内したい、と山口さんが言っていたのがこの公園だ。
「優先分譲地協力公園」とはいったいどういうことだろうか。
ここは、多摩ニュータウンの開発のために土地を提供した住⺠にたいして優先的に住宅を分譲した地域なのだという。そこに位置する公園なのでこのような名前となっている。
とはいえ公園あるあるで、正式名称で公園を呼ぶ住民は少なく、もっぱら「きのこ公園」と呼ばれているそうだ。
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たぶんこの東屋の形からそう呼ばれているのではないかと山口さん。
「このあたりは都市計画の基準的に建蔽率30%、容積率50%という厳しい規制がかかってます。多摩ニュータウンには何ヶ所かあるのですが、元々住んでいた人たちの代わりの家を提供するエリアは、もともとの農村のようなゆとりのある家を設計するための都市計画のルールが定められているのです」

