ビールって何でできているんだっけ

こちらが噂のマイタケビール、正式なお名前は「マイタケブリュットIPA」。
マイタケとビール。2つの食品のあいだには本来、かなり幅のある川が悠然と流れていて、交わることはまずない。サンは森で、私はタタラ場で。お互いがお互いの領分に踏み込まぬよう、しっかりと距離を置いて暮らしている。そのはずだった。
だからマイタケビールといっても、さすがにマイタケがビールに混入しているというわけではあるまい。コンソメパンチとかブルーハワイみたいに、単なる愛称というか風味のイメージみたいなものではないかとタカを括っていたのだ。
ところが。このラベルを見る限り、どうやらマイタケさんは正々堂々と原材料としてビールづくりに参加している。しかも麦芽についで2番目に多いらしいぞ。なんてこった。
おそれながら、ここで一般的なビールの作り方をかなり乱暴に記述すると、麦芽を水で煮出した液体に、ホップで香りづけし、酵母を入れて発酵させて作るお酒ということになる。つまり「麦芽・ホップ・酵母・水」の4種類はビール作りに欠かすことのできない素材だ。裏を返せばそのほかの素材は何ひとつ使わなくともビールをつくることはできる。
シンプルな素材だけでかくも多くの人類を魅了してきた酒造の偉大さよ
とはいえ昨今は、ビールづくりに必須ではない材料=副原料の活躍の場が広がっている。世界中の醸造所で、革新的な副原料への飽くなき挑戦が続けられているのだ。ありとあらゆるフルーツは既に試されてきたし、それ以外にもコーヒーや塩、バニラビーンズにピーナツバター、果てはベーコンやカツオだしのようなおよそビール醸造とは無縁そうな素材まで使いながら、見事に新しいビールの新境地を切り開きつつある。
ピーナツバター入り黒ビールは先日、推させていただきました
ただ、マイタケ…これはちょっと。ちょっとよくわからない。マイタケがビールの風味にどのように作用するのか、さっぱり想像がつかない。というかそもそも、マイタケそのものがどんな味なのか、改めて問われるとなかなかピンと来ないのに。しかしこのわからなさに強く惹かれることも事実。こんな不可思議なビール、ただ漫然と飲むだけではもったいないので、醸造所にお願いして、仕込みを見学させていただくことになった。
マイタケビール誕生の裏に
このたびお邪魔したのはこちらのビール醸造所、マルカさん。お店がある大阪の堀江エリアは、巨大繁華街の徒歩圏内でありながら、ファミリーでも住める落ち着いた雰囲気と、先端のファッションやカルチャーの発信地としての側面も併せ持つ、市内きっての人気の街。
味のある年代物のビルを改装した店舗
そんなええ感じの町にすっかり溶け込んだ洒落た店構え。ここが実はれっきとしたビール工場であることに、周辺住民は気づいておられるのだろうか。
一歩中に入れば、メタリックな醸造設備がどかーん、どかーんと並ぶ。この店舗はビール工場としての役割がメインで、試飲用の立ち飲みスペースがおまけで併設されているイメージ
マルカ代表の神谷みずきさん。大事な仕込みの日にお邪魔してすみませんが、よろしくお願いします!
神谷さん「いえいえ、デイリーの取材なら大歓迎です。昔から大好きなんですよー」
えっ、そうなんですか。ご愛読ありがとうございます…!しかしそれはそれでなんか緊張するな。そしてこの情報がのちほど伏線として重要な意味を持つことになる。
ビールの仕込みは半日仕事。しかもマイタケを使うのは全工程の中でも一番最初ということで、集合は午前7時。10月の早朝な爽やかな涼しさとともに作業ははじまる。作業スペースに案内されてまもなく、神谷さんがさっそく例のブツを運び出してきた。
箱だ!箱で来たぞ!
ホクトのマイタケ。はるばる静岡からお越しいただきました
べつに疑っていた訳ではないが、あらためてマイタケと対面すると、妙な笑いがこみあげてくる。君は本当にビールになるの…?
しかもこの雰囲気、使うのは1パックや2パックという訳ではなかろう。果たしてどれほどの量かと思案していると、先回りして神谷さんがピシッと答えてくれる。
「一箱ぜんぶいきます」
あとで計ったところ約2.5kg。外箱の表示量より微妙に多く入っている
とにもかくにも。今日のビールづくりの第一歩は、マイタケをほぐすことから始まった。
お手伝いさせてもらったが、無心でボリボリとほぐすのが楽しい
そしてほぐした大量のマイタケを、
ミキサーで粉砕
ほぼ100%、純粋マイタケペーストが大量に生成される
余談ながらこのペーストを見ると、どうも肉を漬け込みたい気持ちがむくむくと湧き上がってくる。料理好き界隈では常識かもしれないが、マイタケにはたんぱく質を超強力に分解する消化酵素”プロテアーゼ”が多く含まれ、硬くて筋張ったお肉なんかもぐんぐんやわらかくしてくれるのだ。過去にデイリーでもこのネタは何度か記事にされている。
編集部・古賀さんがマイタケをつかって魚肉ソーセージを崩壊せしめたのは6年前のこと
古賀さんが料理につかったのはせいぜい1パックだろうけど、今回は2.5kgものマイタケペーストだ。ニワトリを一羽まるごとぶち込んでも、余裕でデロデロにやわらかくしてくれそうだ。
神谷さん「ああ、それ。私、その記事をヒントにしてマイタケビールのレシピを考えたんですよ」
え…なんですって?
めざしたのは究極の辛口ビール

こちらが仕込みの初期段階で使う釜。直径も高さも大人が4〜5人ならすっぽりと入れそうなサイズ。
200リットルの水にマイタケペーストを大胆に溶かす
麦芽を80kg投入。麦芽は、発芽した麦の種子。栄養たっぷりの”ビールの素”だ
よくかく拌する。水を含んだ大量の麦芽をすくいあげるのは重労働
このあたりで神谷さんの手に少し余裕ができたので、先ほどの気になる発言に迫りたい。マイタケビール考案の背景に、デイリーの記事があったとかなんとか…?

神谷さん「そうなんですよ。あの記事を読んでいて、マイタケがたんぱく質を分解する力はビールにもつかえそうだなと思いました。ちょうどいま行っているマッシングという工程は、麦芽のでんぷんを糖に分解する作業です。このときに、麦芽に含まれるたんぱく質も一緒に分解させてしまったらどうかなと」
麦芽から分解された糖分は、のちに酵母の働きでアルコールへと変わる。酒造りの核心ともいうべき重要な作用だ。でも、たんぱく質の分解にはどんな意味があるんでしょうか。
神谷さん「どこから話したらいいか…今回仕込んでいるのは、マイタケブリュットIPAという名前のビールです」
IPAといえば、ホップ由来の鮮烈な香りと苦味が特徴のビールだ。最近はコンビニでも気軽に買うことができる
神谷さん「そう。そのIPAの中にもさらに細かくスタイルの区分があって、ブリュットIPAはその一つ。ブリュットというのは"辛口”の意味なんです。スパークリングワインなんかでは、よくブリュットという表現が使われていますね」
あ、たしかにワインのラベルに書いてあるのをよく見かけます。そういう意味なんですね。
神谷さん「ビールの場合、麦芽の糖分をできるだけ残さずアルコールに分解し尽くすことで、甘味が少なく辛口の味わいに近づきます。私はそこからさらに考えを一歩進めて、辛口を追及するんだったら余計なものは全部とってしまおう、いっそのことたんぱく質も一緒に分解しちゃえばもっと辛口になるんじゃないかと思ったんです」
徹底して辛口を追求したビールをつくろうと。そして、そこで思い出したのがデイリーのマイタケ記事だった…
神谷さん「そういうことです。マイタケでたんぱく質が分解されると、ビールの特徴であるグラスに注いだときのこんもりした泡ができにくくなります。見た目の雰囲気もすこしスパークリングワインらしくなりますね」
このとき釜の中はマイタケのたんぱく質分解酵素が働きやすい約38℃に設定。ちょうどマイタケが麦芽を相手に猛威をふるっているところだ
柔軟な発想というのはこういうことを言うんだろう。マイタケがたんぱく質を分解するという知識を持っていたとして、それをビールづくりで試してみようなどと普通は思いつくだろうか。もし思いついたとしても、マイタケがあまりに異質で二の足を踏んでしまいそうだ。既成概念にとらわれない実行力がすごい。
「いやーこの製法、もっと真似してもらって、世の中に広まってもいいと思ってるんですけどねー…」と神谷さん。いまのところは誰にも真似されていないらしい
マイタケの味は、崩壊の味?
マイタケのたんぱく質分解酵素が重要な役割を負っていることはわかった。ただビールづくりの基本がわからぬ素人として、やはり一番気になる質問は「このビールはマイタケの味がするのか?」ってことだろう。
神谷さん「ふふ。しますね。崩壊の味がします」
不敵な笑みと気になるワードを残して、再び神谷さんは作業に戻っていってしまった。崩壊の味…?
釜の中で何度か細かく温度を調節しながら、麦芽のでんぷんとたんぱく質をしっかり分解させたら、次の工程だ。
理科の実験でおなじみのヨウ素液で糖化の進行具合をチェック。うまく糖化しているようだ
この時点では釜の中には麦芽のつぶつぶが混じっているので、釜の下から液体だけをゆーっくりろ過していく。ドリップコーヒーをいれるときのようなイメージ
最初にこしとられた澄んだ液体がいわゆる一番搾り(麦汁)だ。ひやし飴のようにあまい
麦汁を別の釜に移し、ぐらぐらと煮沸する。香りの決め手、ホップもここで投入
冷却させながら発酵タンク(写真奥)に移して、酵母(手前の樽)を添加すればこの日の仕込みは終了
工程の紹介はかなり省きながらだいぶあっさりと紹介してしまったが、何かと重たいし暑いし時間はかかるしで、結構な重労働なのだ。こうした苦労を経て届けられる小規模な醸造所のビールを、今後はいっそうありがたくいただきたい。
ここまでくれば人間はあまり手を動かすことがなく、代わりに酵母たちがよく働いてくれる。発酵タンクをよく見ると「マイタケ」。
うまいものを追求してマイタケに辿りつく

仕込みの日からおよそ1か月。神谷さんから「ビール完成しました、樽詰めするので一緒に試飲しましょう」とご連絡をいただいた。
最終的に出来上がったビールの量はおよそ200L。ビール専門店のバーなどに卸すために10Lや20Lの樽に分けていく作業が行われていた。その最初の一樽目。さらにその一杯目。いま生まれてきたばかりのマイタケビールを神谷さんが注いでくれる。

美しい。神谷さんが言うように、たんぱく質を分解したおかげか泡があまりたたない。
寄りでもう一枚。グラスにプリントされた牛マークがかわいい
で、味なのですが率直にびっくりした。辛口というのはこういう味なのかと。甘味がほとんど感じられず、異常にすっきりしている。あるはずの味がない…!サイダーだと思って無糖の炭酸水を飲んだら面食らうと思うけど、そんな感じだ。
神谷さん「そこそこ辛口に仕上がっていますね。それから何か、ビールらしからぬ独特の風味を感じませんか」
なるほど。飲んだ後になにか舌にざらっと残るような。かといって決して嫌な感じではない、不思議なうまみがある。マイタケそのものの味というわけではないが、どこか遠くにうっすらとマイタケの存在を思い出させるような味。これがおそらく、神谷さんが言っていた「崩壊の味」なのだ。
神谷さん「この味、マイタケで肉を料理したときの独特のうまみだと思うんですよ。調べたところたぶん、マイタケがたんぱく質を崩壊させるときのグルタミン酸によるものだと思うのですが。おおむね狙い通りの味に仕上がってよかったです。まだ改善の余地はありますけどね」
神谷さんの話を聞きながら二口、三口と飲んでいると、辛口への驚きにはだんだんと慣れて、別の印象が浮かび上がってきた。このビール、かなり飲みやすい。甘さがない分ホップの存在を強く感じるし、気がついたらすいすい飲み進めてしまう。
マイタケビール、まさかこんなにちゃんとおいしいなんて。正直な話、マイタケビールと初めて聞いたときには、奇をてらっただけのビールなのではないかという疑念があった。だが実際のところ、神谷さんは単にうまいビールをつくろうとしていただけだった。うまいものを追及していた結果として、たまたまマイタケにいきついてしまったのだ。だからこそ作って終わりではなく、マイタケビールに改善の余地を見いだせるのだ。プロってすげえなあ。