特集 2025年7月16日

京都の名所、古そうな顔して意外と新しいんじゃないか?

千年の都、京都。

その雅な残り香を嗅ぎに、そうだ京都したくなるものである。

だけど、たとえば伏見稲荷大社の千本鳥居や祇園の町並みなんかのTHE・京都な景観って、本当に昔のままあるんだろうか。あれらはいつ、今のようになったんだろうか。

調べてみたら意外とあたらしいかも……という話をします。

平成元年生まれ。令和から原始まで、古いものと新しいものが好き。

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伏見稲荷の千本鳥居はいつ出来たのか?

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伏見稲荷大社の境内。ふつうの神社ならここがメインだろうけど、伏見稲荷はちがう

まずは伏見稲荷大社だ。

外国から来る観光客にとっては、日本を代表する景観になっているであろう、伏見稲荷の千本鳥居。

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奥の宮の右手から千本鳥居ははじまる
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早朝を狙ってきたがすでに外国人観光客がたくさんいる
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途中で二手に分かれる
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境内全体では約1万基あるといい、山の上まではてしなく続いていく

では、この千本鳥居はいつ頃できたのだろうか。

これにパッと答えられる人は少ないんじゃないか。ちょっと、読者の皆さんも想像してほしい。

伏見稲荷大社は711年に創建されたといわれ、平安京以前からある、お稲荷さんの総本社である。

とはいえ、そんなに古くから千本鳥居があるとは、ほとんどの方は思わないだろう。

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裏手を見ると、古くても平成10年代が限度のようだ

これらの鳥居は、主に商売繁盛を願って奉納される。

となると、武士ではなく商人たちが奉納した、ということになる。

現在の価格では一番小さい鳥居が30万円、一番大きい鳥居は200万円近くするという鳥居の奉納。商業が発達した江戸時代中期以降あたりじゃないと、それだけの余裕がある商人は少ないんじゃないだろうか……など、推測するのは楽しいが、実際はどうか。

答え合わせに、江戸時代のふたつの絵図を見てみよう。

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1780年に発刊された『都名所図会』に描かれる、伏見稲荷大社<国際日本文化研究センターより>
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こちらは幕末、1864年に発刊された『花洛名勝図会』<国際日本文化研究センターより>

絵の向きが左右逆なのだが、注目すべきは絵図の一番奥にある、上の社/上ノ殿(現在の奥の宮)のところだ。

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左が1780年、右が1864年。右にはそれらしきものがある!

1780年には鳥居らしきものはないが、幕末の1864年には鳥居の列が描かれている。また、今と同じように二手に分かれているのもわかる。一方、山の方に続く鳥居は描かれていない。

けっこう当たっていた。

鳥居の奉納は江戸時代後期に一般化し、明治以降に本格化した、というのが本当のところなのだろう。

江戸時代、日本橋の越後屋(現在の三井・三越の祖)がお稲荷さんを祀って大繁盛したことがきっかけで、商人たちの間で稲荷信仰がブームになった……なんて話もあるそうだ。

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明治36(1903)年の古写真。今とそう変わらぬ景観だ<国立国会図書館「写真の中の明治・大正」より>

十分古いとも言えるけど、1300年の神社の歴史を考えると、最近はじまったと言うこともできる。

少なくともこのマスゲーム的過剰さは、ここ200年くらいの習慣なのだ。

 

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