きっかけは鑑真だった
5月の中旬、大阪市立美術館の『日本国宝展』で、教科書にも載る鑑真(がんじん)和尚坐像が2週間だけ展示されると知った。
あの、5度の渡航失敗の末に、日本に戒律を伝えた中国の高僧・鑑真だ。普段は年に3日間だけ公開され、すごい行列の中見るしかない鑑真を、美術館でまじまじと見れる。
行かねば。西域へ。
でも急に有給をとるわけにもいかないし、ホテルも万博の影響で高い。新幹線は1泊2日にはちょっとコスパが悪く感じるし…。
ならばと、10年以上ぶりに夜行バスとネカフェをつかうことにした。
これなら、安いうえに滞在時間も丸2日とれる。
誰でも思いつくけど、なかなか実行に移す勇気のない弾丸旅行。
実録していきたい。
中央道深大寺バス停へ
学生時代は京都で一人暮らしをしていたため、いやというほど乗った夜行バス。
当時はバスタ新宿がまだなくて、新宿西口の中途半端な場所から乗っていた気がする。
今は東京都調布市に住んでいるため、中央道深大寺バス停という、中央高速のバス停に直接乗れる便がある。これがけっこう便利だ。

退勤後家に帰ってシャワーを浴びて、自転車でバス停までいける。そして気づいたらもう京都なのだ。



22:50頃に到着予定。でもこの渋滞だと、すこし遅れるか。
15分早めに来てくださいと案内があったので来たが、バスはいつ来るか。

座ろうか、でも中で座って待っている間に、バスが来ていってしまったらどうしよう。やっぱり外で待とう。
何度も時計をみる。
もう出発時刻を過ぎたけど、この渋滞だから早く着いたってことはないだろう。待ってればいいんだと思うけど…。
ああ、この無駄にやきもきする感じ、なつかしい。
夜行バスを待つ時間は、新幹線よりもこころぼそいのだ。

今回乗るのは3列シートのすこし余裕のあるタイプである。
週末なので正直9000円くらいしたが、さすがに学生時代に乗っていた4列はもう勇気がない。
あの頃は夏休みの平日の4列、2000円くらいでいけたな…。



さあ、あとは眠りさえできればすぐである。
気付いたら、京都についているはずなのだ。
社会人としての、仕事の疲れも大きい。
バスに乗るだけでテンションが高まってしまう大学生とは違う。
眠ろう。
眠ったらすぐだ。

……とはいえ、このバスは中央道深大寺のあとも、日野や八王子でも停まり、SAでの休憩をはさんだ後にならないと完全消灯しない。
暗い時間は正味5時間。
また、最大140度リクライニングだが、後ろの人との兼ね合いで、それなりのところで空気を読まないといけない。
何より10年ぶりだ。慣れてない。
自宅のソファを思い浮かべる。
本当は自宅にソファはないのだが、自宅にこんなソファがあったら、睡魔が襲ってきて抗えないはずだ。
いつも仕事終わりは眠くてたまらないじゃないか。
眠い、眠い。
俺は眠いぞ。
どこかに意識を残したまま、夜は過ぎていった。

まあなんだかんだ3列は快適で、微妙に寝返りをうてるし、慣れている人なら熟睡できるだろうと思う。
すっきり…とはいえないが、眠いわけではない。肩~首の後ろがちょっと凝っている、それが頭痛につながりそうな雰囲気はある。
週末に入りテンションが上がって2時くらいまで起きてしまい、習慣で7時過ぎに起きた…それくらいの感じ。
家にいたら、間違いなく布団でゴロゴロして昼寝する感じだ。
とはいえ、旅行のテンションもあり結局1日元気に過ごすことができたので、これはこれでアリだと思った。
ああ懐かしの京都八条口、そして早朝のマクド

夜行バスで発着する京都駅八条口は、新幹線の京都駅とは雰囲気がことなる。例えるなら新幹線は激込みでドキュメンタリー調なのに対し、こっちは人の出会いと別れが染みついているというか、ちょっと哀愁ある人間ドラマなのだ。

東京なら上野駅に感じるような、にぎやかな寂しさ、というものがある。懐かしいな。


ここでちょっとだけ思い出話をさせて欲しい。
筆者は2009年4月京都にある大学に入ったのだが、もともと京都に憧れて…という話ではなく、東京の志望校に落ちて、うわあどうしようと頭が真っ白の中、急遽受けて受かったのがこの大学だった。
日帰りで大急ぎで部屋を借りた後、引っ越しの日の朝、はじめて夜行バスをつかって京都に着いたのだ。
その朝も、この八条口のマックに入ったのだった。

知らない土地ではじめての一人暮らしをする心細さ、それほど行きたかった大学ではないこと、でも懐深く送り出してくれた親、ここで何とかしていかないといけないんだな…という、じんわりとした決意。そんな懐かしい気持ちが蘇ってきて、すこし気恥ずかしくなる。
記憶の中のマックはもっと薄暗くて、人もまばらで、朝帰りの若い女性がだべっていたような気がする。確か場所も移転したような…。
あの時は、店内から聞こえてくる関西弁のたわいもない雑談が新鮮だった。京都にきたんだなあと実感した。オチのない話を、関西弁でしてもいいんだと知った。
それから数年、マックはマクドになったし、この八条口を何度も何度も使うことになるのだ。
