特集 2026年2月2日

川崎に存在する「巨大な渦巻き状の道路」の謎を解明した

川崎市中原区の地図を見ていたところ、不自然な渦巻き状の道路を発見した。その謎について調査し、解明した。

1992年三重生まれ、会社員。ゆるくまじめに過ごしています。ものすごく暇なときにへんな曲とへんなゲームを作ります。

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巨大渦巻き

地図を眺めていて見つけた不自然な形の道路。その場所はJR南武線平間駅の近くにある。まずはこちらの地図[1]を見てほしい。

001.jpg
上平間という地区に、円の一部のような渦巻き状の道路が存在する

巨大な「C」の文字が地上絵のように浮かび上がっており面白い。しかし、なぜこのような渦巻き状の道路が存在するのか、正直かなり気になる。

記事公開後加筆: 記事公開後「これは『渦巻き』というより円の一部では?」というご意見を多数いただきました。言われてみれば、確かにそうですね……。しかし「渦巻き」という表現で記事を書いてしまったので、どうか気にせず読み進めていただければ幸いです。

例えば、戸塚には「深谷通信所跡」という円形の道路があるが、そこは日本軍の無線通信所の跡地である。船橋の行田団地にも円形の道路があり、そこも日本軍の無線通信所の跡地である。今回も無線通信所の名残りなのだろうか?

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現場に行く

とりあえず現場を見に行こう。

JR南武線平間駅。武蔵小杉駅と川崎駅の間の、やや武蔵小杉寄りにある。
渦巻きのスタート地点に来た。右手には西福寺というお寺があり、何かしら関係しているかもしれない。後で調べよう。
カーブがきつくなってきた!奥の煙突は第一天神湯という銭湯だ。
渦巻き状の道と、区画整理された格子状の道路がぶつかり、五差路になっているところ。
左側の茂みは広大な運動場を持つ学校だ。
さらに歩くと左側が広大な公園に変わった。

公園が終わりしばらく進むと、渦巻き状の道はぬるっと消滅した。ずっと体の左側に重心のかかった散歩だった。途中で出会った交差点はどれもいびつな形をしていて面白かった。

実は現場を歩いている途中で1つ「これはっ…!」と思ったモノがあったのだが、それについては後ほど。

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いつから存在するのか

この渦巻き状の道路はいつから存在するのか。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス[2][3]を利用すれば、Web上で簡単に調べることができる。

1947年に米軍が撮影した空中写真では、すでに今と同形の渦巻き状の道路が確認できる。
さらに遡り、1936年に陸軍が撮影した空中写真でも、すでに渦巻き状の輪郭が確認できる。これが最古の空中写真だ。

空中写真ではなく、古地図[4][5]も見てみる。 

1906年測図の古地図「溝口」では、すでに渦巻き状の輪郭が確認できる。
1880年~1886年頃測図の迅速測図でも、渦巻き状の輪郭が確認できる。

驚くべきことに、この渦巻きは少なくとも140年以上前からあるということになる。当時、渦巻きの中には水田があったようだ。また、渦巻きを左右に横断する道も、当時から存在する。

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完全に一致。道ってそう簡単には変わらないんだなぁ。
ここまででわかったこと
・1886年にはすでに存在
・当時、渦巻きの中は水田だった
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ネットで検索する

次にインターネットで検索してみる。「平間 円形の道路」で検索を掛けると4つのWebサイト[6]-[9]が見つかった。

 この道路に関する、4つのWebサイトの記述を抜粋する。

・この辺りは多摩川や二ヶ領用水などの水利に恵まれていたので、稲作などの農地が広がってたんだろうね[6]
・1900年前後の地図には既に現れているのですが、理由がわかりません [7]
・大蛇行する多摩川が弧を描き「半ば完全な円形」といえる地形を生み出した、ということは考えられそうです。しかし、この上平間に大きく蛇行していた川がかつて流れていたというような歴史は、なかなか聞かれません[8]
二ヶ領用水の流路も、直径600メートルほどの円を描いていた[9]

なんとなく見えてきた。 薄々思っていたが、いまのところ最有力なのは用水路の跡地だ。この地域の近くには多摩川が流れており、この辺りにはそこから取水した用水路が存在する。

実は、先ほどの散歩で私はあるモノを見つけていた。

見つけた場所は渦巻きの曲線と、渦巻きを左右に横断する直線のぶつかるところ。重要地点という感じがする。

そこにあったのは、こちらの看板である。

まさしく、二ヶ領用水についての看板である。

この二ヶ領用水は、1611年に竣工した歴史ある農業用水である。多摩川から取水し、そこら中に用水路が張り巡らされており、いまもその名残がある。

実際に看板の裏には用水路があった。
ここまででわかったこと
・二ヶ領用水の用水路の跡が道路になった可能性がある

渦巻き状の道路の正体は、十中八九、用水路の跡だと思う。しかし、どのWebサイトも「~だろう」「考えられそうです」など、推測で書かれており、本当にそうなのか断定することはできない。また、仮に渦巻き状の道路の正体が本当に用水路だった場合、もう一つの疑問が生まれる。それは、

なぜ、用水路は渦巻き状なのか?

というものだ。用水路は碁盤の目のように直線的に張り巡らした方が効率が良いと思う。なぜなら、水田の形は基本的に長方形だからだ。(当時は機械を使わなかったのでそこまで形にこだわらなかったのかもしれないが、それでも多くの水田が長方形だった。)

現時点では渦巻き状の道は用水路に由来していると断定できないし、断定できたとしても 「なぜ、用水路は渦巻き状なのか?」の疑問が残る。

⏩ なぜ、用水路は渦巻き状なのか?

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