住宅街のど真ん中にある
小田急線「代々木八幡駅」から徒歩5分。グーグルマップを見ながら進む。まるっきり住宅街の中である。上の画像の電柱の辺り(他に目印がない)で左を向くと……
こんな感じになっている。画面中央の奥に明かりが見えるだろう。そこが今回行くラーメン屋「季織亭」だ。
これ、入っていいのだろうか。しかし門扉は開かれて、取っ手にはこちらの気持ちを見透かしたように「YES,WE ARE OPEN」の文字がかかっている。やっているのだ。
そんじゃ行ってみましょう。
お店の中はきれい
季織亭は10席ほどの小さなお店。想像していたよりも、ずっときれいだ。ご夫婦と見習いの青年1人で営業している。
でもやっぱり家である。実際にここの2階に住んでいるそうだ。
季織亭は基本的にコース料理になっている(単品の注文も可能)。麺類が3品出てくるという4800円の「夏」コースを頼んでみる。
ラーメン屋に来ているはずなのに、けっこうな金額だ。果たしてどんな物が出てくるのか?
ラーメン屋らしからぬ上品な前菜
まず出てきたのは前菜。上品な料理が、上品な器に盛り付けられている。どれもけっこううまい。
特に煮豆がよかった。豆自体の味が強くてうまい。一緒に煮られている椎茸とかこんにゃくもうまい。たぶん、素材がすごくよい。
「おれ今いいもの食っているな~」という感じがするのだ。
なんでもこのコースは「蕎麦懐石」をお手本に作っているそうだ。ラーメンを食べに来て、懐石料理ってのもわけがわからないけど、ともかくここはそういう店なのである。
玉置「なんか家で豪勢な晩酌しているみたいだよね」
斎藤「たしかに」
玉置「でも実際に家でこういう食い物が出てきたら、こわいな。奥さんからなにか改まった話があるんじゃないかって、思っちゃうよね」
斎藤「そうですか?」
玉置さんが急に渋い顔になる。うまい物を食べた感想も、人それぞれだ。
そばつゆで食べるつけ麺
前菜が食べ終わると、ラーメンが出てきた。「合鴨農法の鴨つけ麺」である。
「合鴨農法の鴨」とは、田んぼで害虫や雑草などを食べて、お米が育つようにがんばっている鴨のことだ。あれをシーズンの終わりにつぶして食べる。
稲作のために一生懸命働いた後に、食べられてしまう鴨の人生よ……と考えてしまう。しかし店主の川名さん曰く「自然の中で育った鴨は脂のおいしさが全く違う」とのこと。
僕は余計に考えてしまった。
川名「この麺は無農薬の国産小麦を使っています。さらに全粒粉を50%使っている。食べたら普通のラーメン屋の麺とは全然違うってわかると思いますよ」
斎藤「僕、ラーメンのこと全然詳しくないんですが、それでもわかるものなのですか?」
川名「わかるとおもいます。明らかに違う、くらいの差がないと、こういう素材を使う意味ってないですから」
斎藤「ふうん……」
玉置「国産小麦って高くないですか?」
川名「通常の4~5倍くらいしますね。25キロで2万3000円」
玉置「たっかいっすね!」
同行してくれた玉置さんは「製麺マニア」である。麺の話になると目がキラキラし始める。頼もしいなあ。
川名「ラーメンのスープではなくて、日本そばのそばつゆと同じ物です」
玉置「するとカツオや昆布のダシですか?」
川名「そうです。そこに鴨ですね。鴨つけ汁って、鴨の脂が大量に入っていないとおいしくもなんともないんですよ」
ラーメンの麺をそばつゆで食べる……。いきなりわからない物が出てきた。味はどうなんだろう。
ハイレベルな会話が繰り広げられる
あ、うまい。
うまいなーと思って二口目を食べる。そしたら、なぜかもっとうまい。
斎藤「あっ? あっ? うまい。うまいっすね??? これ???」
うわー。思わず挙動不審なことを口走ってしまった。玉置さんも川名さんも笑っている。
だって、だいたいのラーメンって、一口目が一番うまいもんだろう。食べるごとにうまく感じるラーメンなんて、脳がバグる。
玉置「これ、麺を作るときに『かん水』(ラーメンの麺を作るときに入れる添加物)を入れてますか?」
川名「この麺にはかん水はいれていないんですよ。その代わりに、モンゴルでとれた天然の重曹を入れています」
玉置「なるほど。いわゆる『かん水くささ』が全くないですね……。というか、モンゴルの重曹って、そんなものは一体どこで買えるんですか?」
川名「いや、ネット通販で普通に買えますよ」
玉置「それから、全粒粉を50%も入れているんですよね? それなのに麺が全然ザラつかない……」
川名「かなり細かい粉を使っています。それじゃないと50%入れるのは無理ですね。全粒粉の麺をウリにしているラーメン屋でも、通常は5~10%くらいしか入れていないです」
川名さんと玉置さんの間でハイレベルな会話が繰り広げられている。僕はただただたじろぐばかりである。この記事、玉置さんが書いた方がいいんじゃないか。
チャーシュー代わりの鴨肉である。
斎藤「うめえ~~~。この肉も超うまいっすね。なんか『高い』味がする!!!」
玉置「うん。鴨肉うまいっすね」
騒ぐ僕と、ボソッとつぶやく玉置さん。それを見て店主の川名さんはまた笑っている。なんだろう。全体としてとにかく「食べたことのない麺料理」だった。おもしろい。
塩味が一切しない担々麺がうまい
続いて出てきたのがこちら。自家製のラー油がすごくうまそうに見える。しかし、これが想像していた味と全然違った。
斎藤「この担々麺は……? いったいどういうことですかね?」
玉置「斎藤くん、理解が追いつかない?」
追いついていないです。この担々麺からは、塩味も辛みも一切しない。つまり味がないのだ。
なんだこれは……? うまいのか……? どちらかといえば……?
いや。結論を下すのは、ちょっと待て。前向きに味わおうじゃないか。
口の中で、麺の小麦の香り、砕かれたクルミの香り、自家製のラー油の香りがすごいことになっている。
斎藤「いろんな香りがすることはわかりますが……」
なんとなく食べ続けていると……。
斎藤「あっ。うまいっす。半分くらい食べて、初めてうまいと思いました! なんだろうこれは? ワケのわかんない食いものですね!」
玉置「時間かかったね」
だんだんとうまく感じてきた。
……いや、かなりうまいぞ。これは。
しかし、なぜ塩味も辛みもしない担々麺がおいしいのか? ちょっと自分なりに考えてみた。
コンビニに「無塩のミックスナッツ」が売られているだろう。あれは塩味が全然しないけれども、ナッツの香りと脂分と歯ごたえでおいしい。一口目は特になんとも思わないけれども、食べ出すと止まらなくなってくる。あんな感じだ。
あるいはブラックコーヒーに例えるのはどうだろうか。あれも「甘さ」などのわかりやすいおいしさはないけれども、おいしい。
いいコーヒーだったら、砂糖やミルクを入れるのがもったいなくなってしまう。あれと同じ。
……なんとなくわかってもらえただろうか?
玉置「ふつう、ラーメンって塩分とうまみで食べさせる食べ物じゃない? それが普通だと思っちゃっている。でも、この担々麺にはそれがないから」
川名「これは塩分濃度ゼロですからね」
玉置「今時の外食とか加工食品って、一口目を食べたときがおいしさのピークだったりする。そういうのに慣れちゃうと、これはすぐには理解できないかも」
なに『美味しんぼ』みたいなことを言っているんだ、と思う人もいるかもしれない。しかし僕は玉置さんのコメントに全力でうなずいている。
醤油ラーメンで会話が止まらない
3つめのラーメンはこちら。今度はどんなラーメンなのか。ワクワクもするし、緊張もする。
斎藤「これも一口目よりもだんだんうまくなってくるラーメンですね……。うまいです」
玉置「この麺は玉子麺ですか? またさっきの麺と違いますね」
川名「そうですね。玉子が入っています」
玉置「チャーシューの脂身が甘い。これはバラ肉ですよね?」
川名「バラです。いい食材ってそれぞれ甘みがありますよね。これは放牧豚を使っています……」
川名さんと玉置さんの会話が止まらない(主に豚の出自についてずっと話していた)。プロとマニアの会話なので、ものすごい早口である。情報量の多さに、僕はおびえるばかりである。
他にもコースは「煮卵を載せたご飯」と、「麺とココナッツの冷たいおしるこ」が出てきて終了。
ラーメンは3つ合わせて一人前くらいの量だったのだけれども、それでもお腹いっぱい。情報量に、頭も満腹になったような感じがする。
それにしても、なんでこんなことになったのか。詳しく経緯を聞いてみたい……。
ラーメンじゃないだろって言われてしまう
斎藤「うまかったです! でも、どれもラーメンぽくないですね」
川名「あはは。お客さんにも『これラーメンじゃないだろ』って言われちゃうんですよ。なので僕は自分の料理を『小麦蕎麦』って呼んでいます。自分ではラーメンのつもりなんですが」
特に蕎麦粉を使っているわけではないが、蕎麦のように麺自体の味や香りを楽しむ料理なので、小麦蕎麦というわけだ。なるほど……。
お店を始めた経緯
斎藤「なんでこんなお店を始めたんでしょうか?」
川名「元々は経堂で弁当屋をしていたんですよ。でもそれだけじゃなくて弁当屋と平行してラーメンを作り始めて。さらに夜には居酒屋も始めちゃって」
斎藤「すごー。仕事しすぎですね……」
川名「もうね。ほとんど24時間働いていたような感じです。でもやりたくなっちゃうんで。仕方ないですね」
斎藤「家で営業しているのはなぜですか?」
川名「もともと経堂のお店も、家と店舗が一緒でした。その形式が好きなんですよ。でも、経堂の建物が老朽化して、このままではまずいってことになって、ここに(代々木八幡)引っ越しました」
斎藤「こんな住宅街の真ん中で、お客さんが来るものですか?」
川名「立地としてはよくないですよね。そうそう一見さんは入って来られません。経堂の時からの常連さんに支えられている店です。店舗を移転した時の内装改装費用も、クラウドファウンディングでお客さんに出してもらいました」
斎藤「なるほど……」
川名「そうだ、そこにいらっしゃる方は大常連さんなんですよ。お話聞いてみてください」
常連は語る「季織亭に人生を狂わされた」
常連「季織亭には人生を狂わされましたね」
斎藤「どういうことですか?」
常連「この店は全てがおかしいんですよ。わけのわからないラーメンが出てくる。すごかったのは『ゴマフグの糠漬けの焼きそば』」
玉置「フグの毒のある卵巣を糠漬けにすると、なぜか毒が抜けるんです。それ食べる文化が、石川県や新潟県にある(僕に対して解説)。それにしても焼きそばにするって……」
常連「そう。それをどこからか、川名さんが手に入れてきて、焼きそばにした。メチャクチャうまかったです」
川名「あれはうまかった! また作りたいな」
常連「それからキジのラーメン。あれもすごかった」
川名「キジの肉を全盛りにしたんですよね。モモ、ムネ、皮、玉子、つくね……。あれもおいしかったなあ」
常連「そのキジのラーメンが1800円。うまいんですけれどもね、値段設定がメチャクチャなんですよ!」
斎藤「キジ肉としては安いんでしょうが、ラーメンの値段としては高い……。商売する気ないですね……」
常連「そういうイレギュラーなメニューは、いつ出るかわからないから、通っていないと食べられない。今までに400回くらいは来ました」
斎藤「射幸性ありますね」
川名「ああいうのは実験だからね。いつもは出せない」
10日連続で来たこともある
常連「東日本大震災があったときに、お客さんが全然いなかったんですよ。僕は『このままじゃ潰れる』って思って、10日連続で来ましたね。いつもは週1に抑えているのですが……」
玉置「週1でも十分多いと思いますが」
常連「季織亭のせいで、遠くに引っ越せないんですよ。今までに3回引っ越したけれども、全部、季織亭の近くにしました。ここに行きやすいところを基準に考えないと、ダメで……」
斎藤「ちょっと、本当に人生が狂っていますね(笑)」
常連「でしょう?」
川名「まあ、そういう人はけっこう多いですね(笑)」
季織亭はかなりの人気店らしい。ラーメンマニアからの評価も高いそうだ。あとでネットで調べてみたら確かにそうだった。
最近では常連さんの他にネット経由で来ている人も増えているらしい。外国人観光客ががひとりでくることもあるとか。ここにひとりでくる外国人すごいな。
味噌ラーメンを撮らせてくれた
話をしていると、常連さんの頼んだ味噌ラーメンが来た。この味噌ラーメン、なんでも「1キロ2300円の味噌」が使われているという。参考までにイオンのプライベートブランドの「甘口仕立て 米こうじみそ」の値段は194円である。くらべる物じゃないのかもしれないが。
常連「せっかくなので、僕のラーメンも撮影します?」
斎藤「いいんですか? じゃあ借ります」
玉置「人のテーブルのラーメンを借りて撮るってあんまりないよね……」
常連さんいい人である。お陰ですごい味噌ラーメンの写真が撮れた。この後、常連さんは味噌ラーメンを「すげ~」と言いながら食べていた。どんな味がするんだろう……。
儲けはマレーシアで取り戻す
このようにお客さんから愛されている季織亭だが、あまり儲かってはいないそうである。しかし、ここで希望が出てきた。
なんと、今年の6月にマレーシアに支店を出すというのだ。まさかの海外展開。お客さんの中に熱心なファンの人がいて、マレーシア出店のオーナーになってくれるという。
それにしても……マレーシア。受け入れられるのだろうか。全く想像がつかない。
季織亭には、現在修行中の青年ががひとりいる。その人が現地で店長をやるそうだ。いろんな人の人生が狂いながら、住宅地のど真ん中で、高くてうまいラーメンが提供されてゆく……。
取材協力
季織亭
東京都渋谷区上原1丁目42-4
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