九州のお菓子「亀せん」
大和製菓だが、「味カレー」のほかにも、「亀せん」や「鯛あられ」などの九州・長崎銘菓も多く製造している。この「亀せん」も創業当初からのロングセラーだそうだが、九州のお菓子だと最近判明。コロナ禍のいま、メーカーの地域に想いを馳せつつお菓子を味わってみるとさらにおいしくなるということに気が付いた。
取材協力:
「味カレー」という、全国展開している駄菓子がある。
その名の通り、カレー味のスナック菓子なのだが、製造元は佐世保市にある「株式会社大和製菓」なのは意外にも知られていない。
昭和35年、日本のあちこちでお菓子メーカーの工場がぐゎんぐゎん稼働していた頃、西の果て・佐世保ではカレー味のお菓子が産声をあげていたのだ。
これが「味カレー」。
関東の方はご存知ないかもしれないが、佐世保をはじめ、九州ではすっかりおなじみのお菓子なのだ。と一丁前に言ってみたが、ひと昔前の私は、これが佐世保発のお菓子だということも、全国で販売されているということすらも知らなかった。結婚してからは夫が時々買ってくることもあり、時には酒のつまみ、時には主食として美味しく食べている。
DPZで行われていた「仕送りリレー」の企画では、さも昔から知っていたかのように、オカモトラボさんへの仕送りに盛り込ませていただいた。
しかし、地元のものをよその人に美味しく食べてもらってニヤニヤしているだけではなんだか締まりがない。そこで、「よし、もっとちゃんと知ろう」と、株式会社大和製菓の公式サイトを開いた。
「ばりでかか~!バリデカシリーズ」と書かれた賑やかな画面が目に飛び込んできた。ワクワクしつつまじまじと眺めると、50年の文字が。老舗だとはふんわり伺っていたが、佐世保では結構な年数だ。※あとあと伺ってみると60年を超えていることがわかった
そんな味カレーだが、ここ数年グッズ化や新商品の登場がめざましい。お菓子の枠を超え、Tシャツやバッグなどさまざまな雑貨が誕生。観光施設とのコラボレーション商品もちらほら見掛けるようになった。なにやら最近、遊び心が炸裂しまくっているのである。
とにかく、これまでふんわりとしか知らなかった佐世保の老舗お菓子メーカーのことを、ぜひ聞かせてほしい!創業のきっかけも気になるし、現在の駄菓子を超えたいろんな動きだって面白い。
きっと商品開発部やらマーケティング部やらの部署の人たちがものすごく奮闘しているんだろう。あの活気あふれる商品展開に至ったきっかけなども聞いてみたいなぁ…と、思っていた。
株式会社大和製菓の本社工場は佐世保市大塔町の食品団地にある。
株式会社大和製菓に到着だ。
今回お話を伺ったのは、常務取締役の吉川伸一朗さん。
――こんにちは、お茶目なポーズ、有難うございます。宜しくお願いします。
「はい、宜しくお願いします。」
――「味カレー」の直売所はちょくちょくお邪魔していましたが、本社がここにあったとは。昭和26年創業で、35年に菓子製造業としてスタートされたと伺いましたが、その間はどのような営業形態だったんでしょうか。
「弊社はもともと菓子問屋がスタートです。うちの初代(故・石田重雄氏)の名前を冠した『石田重(いしだしげ)商会』という菓子問屋をスタートして、のちに株式会社大和製菓となります。菓子問屋をやっていく中で、問屋業の仕事の先行きの見通しはキツくなっていくだろうなと予感したそうですね。それで製造業も開業しました。」
――ご決断が早い!!
「そうですね、けど一応、数10年前までは菓子問屋もやってたんですよ。けど、流通の発達で、僕らの父の代になってからやっぱり限界が来ました。そこで問屋業を廃業して、製造業一本にしました。」
――場所はずっとこちらで?
「いいえ、最初の菓子問屋は佐世保市街地の方で。製造業を始める際に大和町に移りました。以前弊社の工場もそこにありました。」
製造業を始めた昭和35年、移った先の「大和町」の名前と、「日本(大和)」で名前の通ったお菓子会社に成長したいという想いを込めて「大和製菓」の名を付けたそうだ。
菓子製造業のスタートと同時に誕生したオリジナル菓子の第一号が「大和の味カレー」だった。
固形ルウや即席カレーが販売され広まりを見せていたものの、当時はまだ高価でなかなか手が届きにくかった「ライスカレー」を、駄菓子として手軽に味わえないかと考案されたものだという。当時はカレー味のスナックは珍しい存在だったそうだ。
味がカレーのスナック菓子だから「味カレー」。至ってシンプルなネーミングなのだ。
なお、スパイスは専門業者に委託をせず、社内の職人による独自のブレンドで作られている。もちろんレシピは門外不出のため職人は一人のみ。季節や天気、気温や湿度によって変わる絶妙な調整を手取り足取りで代々継承していくそうだ。なお、その味は創業当時から変わっていないそうで、相当なプレッシャーと責任感のもと今日まで引き継がれてきたことがわかる。
――ものすごくこだわりを持ってらっしゃるんですね。
「スパイスもですが、スナックの食感と味についてもかなり。原料も一部外注しているんですけど、外注先の社長さんによると、『大和さんのとこの初代とうちの初代が何度も何度も顔を突き合わせて改良を重ねてて、ずいぶん大変そうだった』とお聞きしましたね。」
――佐世保から全国で展開されているってすごいことだと思うんですが、どのように販路を拡げていかれたんでしょうか。
「これについては、先代がお菓子問屋をやっていたことが大きいですね。独立する前、働き始めてすぐはさまざまな菓子問屋で働いてノウハウを磨いていったみたいなんですけども。
戦後の闇市があったような時代から、都心をはじめ日本全国あちらこちらからお菓子を仕入れて佐世保で販売していました。」
――すでに製造前からルートが築かれていたんですね。何かがきっかけで爆発的に広がった、とかではなく。
「地元からじわじわとですね。とはいえ、同じ九州でも福岡なんかに比べると流通のタイムラグはやはりあります。でも、初代は自分の育った町で商売をやりたいとこだわっていたようです。
おかげさまで北海道から沖縄まで出させてもらってますが、もちろん地域によって味の好みはあります。『味カレー』売上の半分近くは大阪と名古屋なんですよ。次に九州。東京なんかは、あっさりした味が好まれるのか、意外と弱くて。」
――えっ!そうなんですか。なんかこう、濃い味が好まれている県の方々に好調ということでしょうか。
「なので、大和製菓は大阪か名古屋のメーカーだと、あちらの方からは思われていたみたいなんですよ。」
「ぜひ球団コラボ商品を作りませんか」とオファーを受け、阪神タイガースと中日ドラゴンズとのコラボが行われるほどに、佐世保市民の知らないところで人気なのだそうだ。
——「味カレー」の話に戻りますが、マスコットキャラクターの「やまと君」。彼のデビューは・・
「わからないのです。」
——早押しクイズ並みに早い回答でしたね。
「創業時(昭和35年)からいるみたいなんですけど。私の叔父さんが言うには。」
――やおきんの「うまえもん」が昭和50年生まれだから、やまと君は全然年上ですね。キャラデザはどなたが手掛けたんですか?
「どこかのデザイン会社さんに頼んだようだ、というお話は聞いてたんですけどね。本当に資料が残っていなくて、困ったちゃんなキャラクターになっちゃってます。」
――ははは、困ったちゃん。やまと君のことは、色んなメディアさんに聞かれるんじゃないですか。
「ですね。けれど、わからないんですとしか答えられないので、記事とかでほとんどやまと君について触れられない理由がソコなんです。」
――「やまと君」のネーミングは、従業員さん同士の会話がきっかけだったとか。
「はい。当時のパッケージが、やまと君がいるのとそうでないのと2種類あって。工場側と事務所側で生産予定を話し合っているとき、製品を区別するために『大和製菓のキャラクターなんだから、やまと君で良いんじゃない?』という感じで。」
――以前は、やまと君がいるパッケージといないパッケージの2種類が。デザインの違いがあったんですね。
「今でもなんですが、デザインがサイズごとに違ってるんですよ。
一番小さい20円の小袋サイズ以外のパッケージには、やまと君がいないんですよ。コンビニエンスストア様に置いていただいている透明袋の中くらいサイズだったり、スーパー様でお取り扱いいただいている大袋サイズなどです。」
――あぁ・・!そういえば!
「なぜか共通性のないパッケージのデザインなんです。ふつうは統一するんでしょうが。うちは小中大ぜんぶ違うデザイン。何故なんだろうって思ってます。」
――ホントになんでなんですか。
「何故でしょうね。さっぱりです。6~7年前でしょうか。社長と話し合って、やまと君が載っているパッケージデザインをお客さんに認知していただきたくて統合しようとしたことがあったんですけど、うまくいかなくてですね。」
――えぇ。
「小中大それぞれのパッケージに違う層のお客様がついてくださっていてるので。デザインを変えてしまうと売れなかったんですよ。」
――そんなことがあるんですか。
「あるんです。小袋サイズはお小遣いを握りしめたお子様が自分のおやつに。コンビニにある中袋はお父様がお酒のおつまみに。スーパーの大袋サイズは、お母様がご家庭用に購入されているというデータでして。
それぞれのパッケージがそれぞれの客層に認知されているものですから、お店側から『変えないでくれ』ってお断りされたりして。ちゃんと全サイズ共通のパッケージを作ったりして結構頑張ったんですけど、無理だったんですよね。」
――水面下でそんな戦いが。それにしても、「味カレー」の味は守りつつ、パッケージは自由って面白いですよね。
――お話を伺って知りましたが、初代社長はとても行動力のある方だったんですね。
「今でもご年配の方々から、『あんたんとこのじいさんは凄かったもんね』って言われますよ。
生まれは島原で、すぐに両親を亡くして佐世保の叔父叔母のもとに移り住みました。彼らに迷惑を掛けたくないって思ったんでしょうね。自分で稼がなきゃと、当時の高等小学校卒業後すぐに仕事を始め、戦争などにも行き、色々な経験を経て菓子問屋を立ち上げたようです。なんでもイチから自分でやろうとしていたみたいです。分からないことでも、納得がいくまで徹底的にやっていました。
また、暇さえあれば新聞を穴が開くほど読んでたそうで。運転中、信号待ちのときにも新聞を開いたりして(※昔の話です)、同乗していた人がしょっちゅう青になったのを教えてあげてたり。病気で入退院を繰り返していた時も、病院でボーっとしているのが嫌だったようで、勝手に退院してきて、また何か新しいことを始めようとしたりしていました。」
――立ち止まる時間がもったいないと言わんばかりに。
「問屋時代の仕入れで全国を走り回りながらいろんな情報も仕入れていたみたいです。異様なフットワークを誇っていましたよ。菓子問屋と並行して、スーパー(武雄方面)やサッシ屋、アイス屋…あと2、3個ほど色々なことをチャレンジしていたようです。
ダメならハイ次、と切り替えながら次々と。経験や人との出会いを多く得たおかげで、先見の明は培われたみたいで。菓子問屋に先がないことを昭和30年代の時点で見抜いたのは、今考えてもスゴイと思います。」
――なんか、それだけ剛腕といいますか、行動力がすさまじい初代社長って、ご家族にとってはどんな方だったんでしょうか。
「お茶目なおじいちゃんでしたよ。お酒弱いのにしょっちゅう飲んでたりはしましたけど。とにかく何でも自分で作るのが好きでね。竹馬とか作ってくれたり。お正月に飾る大きい門松なんかも、ノコギリ担いで山に竹を切りに行って作っていました。」
――おもちゃを作ってくれたりしてたんですね、優しい!
「けど、思えばケチだった。良く言えば、お金を大事にしてたんですけど。例えば、私たち…孫たちにですね、お小遣いをあげるとき。わざと小銭に崩して部屋中に隠して、『制限時間内に探し出せた分をやるよ』って。兄弟同士で競争させてました。」
――おもしろい…!!!しかし、確実に兄弟ゲンカの火種になるやつですね。
「私なんか兄さんとは5歳差で、姉さんとは8歳差だったから。勝てるわけがないんですよ…。でも本当に、楽しいおじいちゃんだったんですよ。」
――仕事関係の人たちに対しても、同じだったんでしょうか。
「そうです。もちろん、人にものを教えるときなどは厳しいところもあったみたいなんですけれど。
不思議なことに悪い噂はまったく聞かなかったんです。たくさんの人に慕われていましたよ。けど、常に動き回っていたもんだから、無理が祟ったんでしょうね。73歳で亡くなりました。辛いことも多かったでしょうが、本人は至ってとても楽しそうでした。良い人生を全うしたんだなと思います。」
――ところで最近、大和くんのグッズがどんどんリリースされていますが、きっかけはどこからですか?
「10年ほど前にオープンした直売所で、試しにTシャツやトートバッグを作ってみたらお客様からの反応が良かったことがきっかけですね。」
――商品開発部というか、マーケティング部みたいな部署といいますか。どんな方々が考えていらっしゃるんでしょうか。
「いいえ、それは、私と社長(吉川さんの兄)で作ってます。社長が商品提案をし、二人でデザインを考え合い、私が製品管理をしています。」
――え?え??
「新商品に合わせて、やまと君のラフを書いてデザイナーさんに渡したり。ボツになるものも多いんですけどね。いま進めているのが、佐世保や長崎名物を商品化してみようということで、ちゃんぽんやレモンステーキのスナック菓子ですね。これはもう私が味付けまで担当しています。」
――正直、驚きを隠せません。身体一つじゃ足りませんよね?しかも、デザイナーさんにお任せではなく、ラフ画まで描いちゃうんですね。
マスコットキャラクターグッズのみならず、長年のロングセラー商品に加える形で、最近ではより地域色を出したお菓子開発にも余念がないそうだ。代々受け継がれた遊び心のバトンを、兄弟でしっかりと握りしめ全力疾走していることがわかる。
「レトルトカレーも作ってみましたが、一切味カレーの味はしません。」
――それめちゃくちゃ面白いなぁって思いました。
「一応お断りしておきますと、初めは忠実に味カレーの味で作ったんですが失敗しまして。
スナック菓子なので、小麦粉から作った生地に味が乗るように塩分強めで作っているものですから、忠実に再現しようとすると水分にそのまま塩分が反映されちゃって、健康被害が出るんじゃないかってほど塩辛くなってしまって。
社長と味見して、これはマズイね、と。甥っ子は美味しそうにパクパク食べてたんでオイオイ大丈夫かと彼のことが心配になったんですけども」
――ははは。
「『まぁ味カレー味のカレーは失敗してしまったけん、いっそこの際美味しいもん作っちゃおうか』ということで、ひたすら美味しいカレー作っちゃったー、ということなんです。」
――ははは、ひたすら美味しいカレー、作っちゃった。
「こだわりすぎて原価が高くなっちゃいました。」
後日、カレーを食べてみたが、酸味と何層にも重なったスパイスの心地いい辛みがとても私好みで「うまっ」と笑ってしまった。社長たちが本気で遊んだんだろうな、という味がした。
――いやぁ~、にしてもまさかの、商品開発が社長と常務の2名だとは…。
「新商品のアイディアは社長が持って来たり私が持って来たりですね。最近は社長がほとんど持ってきますけど。」
「うまいこと、初代の血を半分ずつ継いでいるんだなと思っています。技術的だったり製品のノウハウなどは私で、フットワークの軽さで新しいものを探してきたり流行に敏感に反応対応しているのが社長です。足したら初代に届くかな…?ぐらいですね。」
――それは最強の基盤ですね。
「『味カレーを超える商品をいずれ作りたい。』というのが目標です。」
壁には、初代の社長訓が掲げられていた。
「(初代は)とても苦労が多い人だったから。みんなで協力していこうっていうコンセプトですね。」
吉川さんはぽつりと言い放った。
「もっとでっかくなりたいですよ。」
“大和”の名を冠した50人規模の小さなお菓子製造会社は、西の端・佐世保で黄色い光を放ち続けている。
大和製菓だが、「味カレー」のほかにも、「亀せん」や「鯛あられ」などの九州・長崎銘菓も多く製造している。この「亀せん」も創業当初からのロングセラーだそうだが、九州のお菓子だと最近判明。コロナ禍のいま、メーカーの地域に想いを馳せつつお菓子を味わってみるとさらにおいしくなるということに気が付いた。
取材協力:
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |