


愛知の人はエビが好きだ。
それはデパートやスーパー、飲食店におけるエビ関連商品の占める割合を見てもわかる。
愛知県民の血の色は、エビの赤からきているのではないかと思うほどである。
それはデパートやスーパー、飲食店におけるエビ関連商品の占める割合を見てもわかる。
愛知県民の血の色は、エビの赤からきているのではないかと思うほどである。

1975年愛知県生まれ。行く先々で「うちの会社にはいないタイプだよね」と言われるが、本人はそんなこともないと思っている。(動画インタビュー)
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エビ県
愛知県出身者にとってエビは特別な食材と言ってしまってさしつかえないだろう。
前に名古屋で「日本一」と言われるエビフライを食べにいったことがあるのだが、まずはその時の様子を見てほしい。
「長さ35センチ!名古屋で日本一のエビフライを食べる」
前に名古屋で「日本一」と言われるエビフライを食べにいったことがあるのだが、まずはその時の様子を見てほしい。
「長さ35センチ!名古屋で日本一のエビフライを食べる」


このエビフライ、3本で5870円するのだがそれでも「お得!」と囲みで書いてあるところに自信のほどがうかがえる。

「日本一」のエビフライは確かにすごかったわけだが、われわれはこれをこの一店の暴走ととらえてはいけない。このような怪物を生み出した背景には、愛知県の、とくに名古屋周辺で養殖されているエビ信仰が根底にあるのではと思うのだ。今回はそのあたりを見ていきたい。

ちょっといい=エビ
たとえば愛知では「ちょっといい定食」や「ちょっといいお弁当」にはかならずといっていいほどエビが入っている。


逆に言うとエビの入っていない定食や弁当は、それはただの定食でありただの弁当ということになる。

名古屋にはひつまぶしといううなぎ料理もあるが、エビと比べるとそのダウナー感は否めない。発音からして「うなぎ」はぬめっとしているが「エビッ!」はからっとしているだろう。そういうことだ。


エビのこのアッパーさを見よ。

定食や弁当は主にお客さんに出すものである。そしてエビはちょっといいもの、めでたいもの。これらが合わさると「お客さんに出すのならエビ入れないかんがや」ということになるのだ。「うなぎいれたれや」とはならない。


エビフライの価値は本数とサイズで決まる。

もちろん愛知に住むすべての人が常にこれに当てはまるとは思わない。エビが嫌いな人も中にはいるだろう。愛知のエビ好きは体感的にはドラゴンズファンの割合と同じくらいではないだろうか。
名古屋は大都会である。そこにはさまざまな地域から人がやってきて、この特殊な食文化に驚き、惹かれ、飽き、いちどは離れ、そしてまた戻ってくる。この輪廻の中心にあるのがエビでありエビフライだと思うのだ。おれはさっきから何を言っているのか。
名古屋は大都会である。そこにはさまざまな地域から人がやってきて、この特殊な食文化に驚き、惹かれ、飽き、いちどは離れ、そしてまた戻ってくる。この輪廻の中心にあるのがエビでありエビフライだと思うのだ。おれはさっきから何を言っているのか。

デパ地下のエビ事情
ためしにデパ地下を歩いてもらうと理解できるかもしれない。


愛知のデパ地下。

愛知でもデパ地下には他県と同じく「ちょっといいお惣菜」や「ちょっといい食材」が売られている。


では質問です。愛知のデパ地下には何が売られているでしょうか。ここまでの情報をもとに考えましょう。

先にも述べた通り「ちょっといい」には「エビ」を代入することができるので、この方程式の解としては「デパ地下に売られているのはエビ」が正解ということになる。
理屈はどうあれ、まあ見てほしい。
理屈はどうあれ、まあ見てほしい。


どうだ美しいだろう。


エビフライはいつでもどこでも黄金色なのだ。


みんな大好き!はエビフライの枕詞である。


他よりも少しでも違ったエビを、と、しのぎを削る職人たちの姿が目に浮かぶようだ。

仮に悪魔がやってきてこう言うとしよう。永遠の命をやろう、ただしエビを食べたらこの約束はおしまいだ、と。
愛知の人たちは迷わずエビを食べてふつうに寿命で死ぬと思う。そういう潔さも好きだ。
愛知の人たちは迷わずエビを食べてふつうに寿命で死ぬと思う。そういう潔さも好きだ。


当たり前だが愛知でいうところのクリームコロッケとはカニではなくエビである。

ご存じかと思うがエビの食べ方はエビフライだけではない。
たとえばあなたの家に男の子がいるとしよう。エビフライを食べて育った彼はいつか言うかもしれない、僕はもっと力強く、頭までエビを食べたいんだ、と。そういったリクエストにも応えられるよう、愛知にはガーリックシュリンプも売られている。
たとえばあなたの家に男の子がいるとしよう。エビフライを食べて育った彼はいつか言うかもしれない、僕はもっと力強く、頭までエビを食べたいんだ、と。そういったリクエストにも応えられるよう、愛知にはガーリックシュリンプも売られている。


頭ごと食べて息子よ、父を超えろ。

あなたの家に女の子がいるとしよう。エビフライを食べて育った彼女は年頃になり、いつかこう言うかもしれない、もっとおしゃれにエビを食べたいわ、そしたらずっとエビを食べていられるのに。そういったリクエストにも応えられるよう、愛知にはエビチリだって売られている。


誰だってエビフライから離れたがる時期が一度はある。

他にもエビの調理法はインドネシアの島の数ほどあるが(日本に輸入されるエビの多くは東南アジアで養殖されています)、どれも美味しく、そして派手なのである。エビ料理に貴賎なし、だ。


商品名にあえてエビを入れない恥じらい。だがしかし見るからに主役はエビである。


天むすに乗っていいのはエビだけと決まっている。33個入りの天むすを、人はどういうタイミングで買うのだろうとか、名古屋の人はそういった疑問は抱かない。いくつあっても誰かが食べる。


この世にエビがいなければ天然という単語がマヨネーズと出会うことはなかったろう。

僕が生まれ育った知多半島という場所にはえびせんべいの里という施設があり、訪れるお客に試食と称して無料でえびせんべいをふるまっていた。試食といっても好きなだけ食べられるので無料バイキングと言ってしまってもいいと思う。どうだ豪気だろう。
よく熱帯雨林が伐採されて貴重な動植物が絶滅の危機に瀕している、なんて話を聞くが、そういう話を聞いて愛知の人が恐れるのは自分たちの食べすぎによるエビの絶滅である。
よく熱帯雨林が伐採されて貴重な動植物が絶滅の危機に瀕している、なんて話を聞くが、そういう話を聞いて愛知の人が恐れるのは自分たちの食べすぎによるエビの絶滅である。


味、姿、めでたさ、これほどまでにすべてを兼ね備えた食材がかつてあっただろうか。


ない。

エビフライに飽きたら天ぷらに走るのもありである。エビの場合、食卓はこれを中心に構成されるので、その日の食卓はうどんか天丼になるのだろう。こういう人生を幸せと呼ぶのではないか。


どこかにエビを入れておかないと子孫に良くないことが起きるかもしれない。そんな信仰があっても愛知ならば信じる。


お土産ももちろんエビだ。えびせんべいの「ゆかり」を金にするというセンスには脱帽である。黄金のエビはもはや名古屋そのものが化けた姿と言えよう。

この話まだまだ続くぞ。

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