命名:「待ちぼう犬」
どういうことかというと、街は人間が住みやすいように、人間だけの都合を考えてくつられたにもかかわらず、その隙間を突いていろんな動物がうまいこと生きている。それってすごくないか、ってことだ。
仮に
進化したハトが、ハト都合だけで都市を建造したとする。そうしたら、たぶんぼくはそこでは生きていけまい。
先日の記事「
カラス先生と行くカラス観察ツアー」の面白さって、つまりそういうことだと思うのだ。あんたたちどうやって人間のための歌舞伎町で生きるすべを手に入れたの?!っていう。人間ですら人によっては生きていけないのに、歌舞伎町。
そして、そういうタフな適応とは違う方向性でうまいこと生き延びたのが、飼い犬だ。彼らはいわばその魅力で人間に取り入り、そのことで都市で生き延びることを可能にしたのだ。見習いたい。炎上とかしてちゃだめだ。
しかし、人間がいる全ての場所に飼い犬が同行できるわけではない。それが端的に表れているのが「待ちぼう犬」だ。
飼い主が店から出てくるのを待つ犬の姿は、この街が人間の都合で作られていることをぼくに思い出させる。
…と、まあ、なんだか大げさな言い回しになったが、つまりようするに待っている犬の姿っておもしろいよね、ってことだ。
当デイリーポータルZラのいちコーナー「ちょっと見てきて」でも「
買い物待ちの犬」として投稿されていて、ライター乙幡さんも個人的に
集めていた。みんな好きなんだ。
スーパーの前にて。パイロンの赤とおそろい。しかめっつら(に見える)。
ぼくもここのところ見かけるたびに撮ってきたので、今回はそれを紹介したい。
このような状態の犬になにか良いネーミングはないかとTwitterで募集したたところ
@meme758 さんより「待ちぼう犬」というすばらしい案をいただきました。ありがとうございます。すばらしい!今後こう呼びましょう。
何につながれているか
いかにも待ちぼう犬。車止めにつながれている。
さて、上の待ちぼう犬はおしゃれタウン自由が丘にいたもの。聞けばこのおしゃれタウンには待ちぼう犬専用のポールなどが設置されている店があるという。さすがおしゃれタウン。
ところで、この「自由が丘」って名前聞くたびに「大きく出たな」と思う。自由だよ、自由。ほんとうにこの街が自由に満ちているかどうなかは知らないが(地名の由来は自由ヶ丘学園があったからなのだがこの学園は男子校である。男子校。自由とは何なのだろうか)、「丘」ではない。少なくとも駅は。
自由谷。(「
東京地形地図」をGoogle earthで表示しキャプチャ・加工)
地形好きの間ではもはや定番ネタの「表参道ヒルズは谷にある」とか「六本木ヒルズはヒルっていうか崖」などの先駆者かもしれない自由が丘駅。
脱線したが、写真にあるように、待ちぼう犬もまた自由ではない。つながれているのだし。が、自由でないことを苦にする生き物ではないのが犬が人間の都市で生き抜いてきた秘訣だ。猫とは別の生存戦略である。どうだろう、このいかにも喜んで待ってる的な表情と体勢は。
なににつながれるかに無頓着なのが犬のすばらしいところかもしれない。
ともあれ、ぼくが面白いな、と思ったのは「何につながれているか」だ。上の写真など、ぼくが犬だったら「もうちょっと別のものにつないでいただけまいか」と思うところだ。
別にドレンが悪いとは言わないが、なんというかそんなにしっとりしたものにリードをつけなくても、と思う。まわりにほかのパイプ類がたくさんあるのに。
ぼくは犬を飼ったことがないので、こういうときの飼い主の心理は分からないのだが、おそらく「大事そうなものに結わえるのはやめておこう」と思うのではないか。ガス管とかちょっと気が引ける気持ちは想像できる。
植え込みの柵に2匹連続。「あ!2匹!」ってなんだかうれしかった。なぜだ。
ちょっと離れた柵に。
上のように、店の出入口付近にめぼしいポールがなく、かつ人がたむろしているような状態の時は、離れた場所につながれる。これはちょっとなんだかせつない。今回初めてじっくり観察してみて、ちょっと飼い主の苦労が分かった気がした。
こっちを向いてくれない
こちらもショッピングモール入り口からかなり離れた場所に。
数時間後、同じ場所を通りかかったら、別の待ちぼう犬が。
ほとんどの商業施設に、待ちぼう犬専用ポールなど設置されていないのは、逆に言うと、街にはそこらじゅうにポール状のものがある、ということだ。
ぼくにとっては柵と街路樹はまったく別のものだが、犬を飼っている人にとっては、これが同じ「待ちぼう犬をつなげるもの」として立ち現れているのだと思うと面白い。あと「立ち現れる」って言い方をするとそれっぽい。
それはそうと、写真を撮って気になったのが、待ちぼう犬がこっちを見てくれないということ。
自前のカートにつながれてる待ちぼう犬。そうか、こういうケースもあるんだね!どれどれ、と近づいてみたら…
急にそっぽを向いた。え、なんで。
繰り返しになるが、まったく犬に縁がないので彼らの生態を知らないのだが、なんでかみんな近づくとそっぽむく。
いや、べつにいいんだけどね、こっち向いてくれなくても。べつに君らに興味ないしー。
気がついたが、これ、学生時代に女性たちに向けて思ってたのと同じ強がりだ。なんで待ちぼう犬にこんな過去の陰影を思い起こさせられなきゃならんのだ。
この女子も近づいたら、この通り。あー、なんかデジャヴュだわー。
「ご主人をじっと待つ待ちぼう犬のいじらしさ」にちょっとじんと来かけていたが、もしかしてそれ単にぼくから目を逸らせた結果飼い主の方を向いただけなんじゃないか。
「どうせ近寄ったらそっぽむくんでしょ」と近づくのをやめた。これも学生時代と同じ行動。
そこにつなぐか!
こちらもカートだが、インしてる。
今後も見つけ次第撮りためていきたいと思うが、まずはここでいったんいちばん印象的だった待ちぼう犬事例をご紹介しよう。
わかるだろうか。
「待ちぼう犬」のいない都市
セブンイレブンの入り口に犬がいますが…
さて、タイトルにある「のらいぬ」ですが。 これはなんなのかというと、上の写真。
一見コンビニの待ちぼう犬のように見えるけど、これ、たぶんのらいぬ。よく見ていただければ、リードがないのがわかると思う。場所はバンコク 。
バンコクはびっくりするぐらいのらいぬだらけだった。
一方、ずっとのらいぬを探している人もいる。
ぼくがプープーテレビでいちばん好きなのは安藤さんがのらいぬを探すシリーズだ。(→そのまとめ「
もうずっと野良犬を探しています」) おかげでぼくものらいぬがいないか日々気にしている。が、やっぱりいない。
ところが東京では苦労するのらいぬ探しも、同じ首都だがバンコクではざくざくいる。
そこらへんにふつうにいる。
人に踏まれるんじゃないかという心配はしない。
冒頭で「人に取り入ることで」と書いたが、犬もこうやってペットにならなくてもハトやカラスのように都市で生きていくことができるものだったのだ、と気がつかされた。
リラックスしすぎだ。
それにしてものらいぬパラダイスだ。安藤さんを連れて行きたい。しかし、バンコクの方に聞くと「最近減った」という。いったいどんなだったんだ以前のバンコクは。
これは日本人の目から見ると一見待ちぼう犬に見える。が、のらいぬ。
ぼくが思い出したのは、大学だ。ぼくが千葉大に在籍していたころ、キャンパスにのらいぬがいた。
おもしろいのは、学部によってその犬の名前が違っていたということだ。確か法経学部(千葉大にはそういう学部があったのです。まあ当然その名前の響きを揶揄されるわけですが)の連中は「ジョン」とかなんとか読んでいて、わが工学部は「犬」と呼んでいた。
そして、犬の方もなれたもので、各学部エリアでちゃんと自分の呼ばれ方を把握していた。いちど法経で見かけて「おい、犬!」と呼んだが無視された。
犬も人間もお互いをあまり気にしていない。
ともあれ、バンコクのこののらいぬパラダイスっぷり。たぶん数十年前まで東京近郊もこんなだったのではないか。それがさまざまな理由でいなくなったのだと思う。
バンコクでいなくならない理由の仮説がひとつある。それは彼の地が熱帯性気候であることだ。
おとなしいというか無気力
屋台の人の飼い犬かと思ったら、のらいぬでした。
どういうことかというと、暑いせいで犬がみんな無気力なのだ。街中犬だらけだが、起きて歩いている姿を見ることがなかった。
日陰には必ずと言っていいほど犬がいる。
とても悪さをしそうにない(実際にはいろいろあると思いますが)。ぼくが子どもの頃見た野良犬とは大違いだ。
ぼくは小さい頃犬が怖かった。それは彼らがやたら近寄ってきたり吠えたりするからだった。ところがバンコクののらいぬときたら、ただ寝てるだけなのだ。
とにかく日陰で寝てる。
寝てる。
寝てる。
こういう人間のための場所での生き延び方があったのか、と感心しながら帰国したしだい。待ちぼう犬に代表されるように、ペットとして都市に生きるやりかたといい対比だ。のたぶん世界中にのらいぬはいると思うが、もしかしたら国によって犬の身の振り方は異なるのかもしれない。
「 #待ちぼう犬 」でみなさんもどうぞ
今後もいろいろな待ちぼう犬を見てみたいが、なんせ地図に載ってないので、巡り会うしか方法がない。twitterをやってる方は、ぜひハッシュタグ「#待ちぼう犬 」でツイートして見せてくださいませ。
真夏の日本でへばっていた待ちぼう犬。バンコクの暑さ慣れとは大違い。犬種の違いか。かわいそう。
【告知】2014年2月2日(日)カルカルで「かわいいビル」のイベントやります
真夏の日本でへばっていた待ちぼう犬。バンコクの暑さ慣れとは大違い。犬種の違いか。かわいそう。