真冬に行く吉見百穴もいい
というわけで、吉見百穴。ヒカリゴケが見たい場合は夏場の湿度の高いときに行ったほうがいいかもしれない。
おれは穴ボコを見るだでけもいいんだ! という穴ボコファナティックな方は、晴れの日が多い今の季節も意外とおすすめだ。人があんまりいないし、寒いつっても凍えるほどではないし。
同時に入場していた男性は「俺はもう、今年二回めだから」と言ってました。
※よしみんの胸の2537は、吉見町と鴻巣市間の荒川が日本一広い川幅2537mであることにちなむ。初見殺しすぎる!
穴がボコボコ空いている小山が埼玉にあるということを聞いた。
写真を見せてもらったところ、なるほど、山肌に穴がボコボコ空いていて「すごい!」となった。
見に行きたい! という念願を叶えてきた。
吉見町に穴がボコボコ空いてる小山があるというのは、宮田珠己さんの著作『のぞく図鑑 穴』で知った。
岩肌に穴がボコボコ空いている。なんなんだこれは。 ぜひ実物をひと目見てみたい。と、願いつつ、なんやかんやあって行けぬまま2年が過ぎた。
吉見町。東松山市のとなり町だが、東京から高速道路で行くと2時間足らず。電車だと1時間ちょっと。行こうと思えばすぐ行ける距離だけど、ちょっとだけ遠い。絶妙な距離感だ。
温かい頃に「そのうち」という気持ちでいるうちにだんだん寒くなり、出かけるのが億劫になってしまい「まあ、近くだからそのうち」みたいな気持ちでどんどん先延ばしになってしまう。
しかし「そのうち」なんてのは絶対やってこないので、一念発起し「明日、吉見百穴に行きます」と、家族に宣言して行くことにした。もう12月だけど。
さいわい当日は非常に天気が良く、寒いことは寒いものの、津軽の地吹雪ぐらいの寒さを思えばなんてことはない天気だ。
東松山駅インターから東松山駅を経由し、吉見町の吉見百穴に向かう。吉見百穴は東松山市と吉見町の市町境となっている川のほとりにある。
遠目からみても「あ、穴ボコだらけだ」とわかる。東松山の市内からすぐの場所だ。こんな一見普通にみえる風景の場所にこういった奇観のオブジェが突然あるのがいい。道路が壁みたいになってる橋とか、田んぼの真ん中にタワマンがあるとか、そういう奇観が大好きなんですよ。
入口で入場料の300円を払って施設にはいると、いきなり穴ボコが見える。いきなり本題に入る潔い構成のWeb記事みたいな作りになっているので、本稿でももったいぶらずにいきなり穴ボコの様子をじっくり堪能していただきたい。
穴ボコの部分だけ岩盤が露出してはげ山のようになっており、ジェネリックカッパドキアみたいなことになっている。なんかカッパドキアにこんな感じのところなかったっけ?
人間、穴があれば、穴に入りたくなるというもの。せっかくなので穴の中に入ってみる。
吉見百穴の穴のサイズは色々あるけれど、僕がうっかり最初に入ったこの穴はかなり狭く、穴の中でまず立つことはできない。ずっと中腰だ。
もう一つ、他の穴にも入ってみる。
こちらの穴は中ではなんとか立つことができた。ということは、天井まで2メートルぐらいはあるということだろう。
壁面にはびっしりと象形文字のような模様が描かれている。
もしかして古代人の書いた象形文字だ! と、ワクワクしながらよーく見たら「山田洋子」と書いてあって、どこの山田洋子よ! となった。
さっきのワクワクを返してほしい。そして文化財への落書きはやめてほしい。
さて、思わず名前を刻み込みたくなるこの穴。なんの穴なのか。
現場にある看板によると、古墳時代後期の横穴墓跡とある。墓だ。
江戸時代の中頃から、ここに複数の横穴があることは知られており、地元の人から「百穴」と呼ばれ、やれ「天狗がほった穴だ」とか「雷様が開けた穴だ」などと言われていたという。
ただ、そこまでであり、誰がなんのために開けた穴なのかが詳しく調査されるようなことはなかった。
時代は明治になり「考古学」という学問の考え方が広まってくると、吉見百穴に注目する人物が出てくる。当時、東京大学の大学院生だった坪井正五郎だ。
坪井は、たまたま訪れた吉見でこの百穴を知り、大規模な発掘調査を行うことになり、この穴は「土蜘蛛(コロボックル)の住居跡で、その後、古墳時代に墓として使われた」という説をとなえた……と看板には書かれている。
土蜘蛛とは『古事記』や『日本書紀』に出てくる、ヤマト朝廷に服従しなかった人たちのことで、朝廷側から異族視されていた人たちのことだ。『日本書紀』には「身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)と相似たり」と言われている。
一方、コロボックルとはアイヌの伝承に先住民として登場する「蕗の下の人」という意味をもつ小柄な人たちのことである。
古墳時代より昔に、そんな小柄な人達がいたのかというなんだか不思議な気持ちになるのだが……インターネットを検索すると、坪井はこの百穴を作った人たちについて「土蜘蛛」とは言っているものの「コロボックル」だとは言っていない。という話が出てくる。
ちょっとややこしいけれど、土蜘蛛とコロボックルは全く別のものであり、イコールや括弧書きできるものではないということらしい。
坪井正五郎が吉見百穴を「土蜘蛛(コロボックル)の住居跡」とした話は、現地の案内看板にも書いてあり、案内所で購入した『吉見の百穴』という冊子にもしっかり書いてある話だが、どうやらその説明が間違っている可能性があるという。
ただし、坪井の「当初は住居として穿かれ(作られ)その後、墓地となった」という説が、後に否定され「最初から墓として作られた」とされているのは、その通りだ。
いずれにせよ、坪井のおかげで吉見百穴は学術的な検討の俎上にあがるようになったわけで、その功績は大きい。
さて、吉見百穴といえば、横穴……だけではない。ヒカリゴケの自生地であるという点も見逃せない。ヒカリゴケは北半球に広く分布し洞窟や岩陰にあるが、日本での自生地は数が限られており貴重だという。
苔が光る。そんなディズニー映画の背景みたいなファンタジーなことがあるというのか。期待をせざるをえない。
のぞき穴が非常に低く。しゃがんだ上に頭を下げないとよく見えない……。
みなさん、どう思いますかこれ。緑色なのはわかるけれど、端的に言って「光ってる!」とはあまりいい難い。もっとズームアップすべきだったのだろうか?
実は、この吉見百穴のヒカリゴケ。当サイトではすでに20年以上前に紹介している。→「埼玉県のひかるコケ」
その時にヒカリゴケを撮影した林さんに、当時の写真があるか聞いてみたら、すぐ出てきた。さすがだ。では、20年前に撮影されたヒカリゴケを御覧ください。
嘘みたいに光っている。
こんなにキラキラ光るものなの? 僕が見たときはスンッとしてましたけど、なんなんだこの違いは。
せっかくなので、帰りに五家宝を売っている売店ですこし休憩した際、お店の人にヒカリゴケの話を聞いてみた。
――ヒカリゴケがそんなに光ってないように見えたんですけど。どうやったら光ってる感じにみえますか? 薄暗いときに行くほうがいい?
お店の人「ヒカリゴケは光の反射で光る(自ら光るわけではない)から、後ろから光を入れつつ、カメラもフラッシュを付けたほうがいいかもしれない。でもね、そもそも、乾燥してるとあまり光らないから」
――あら、そうなんですか。12月とかもとから条件の悪い日に来ちゃいましたね。
お店の人「乾燥しているのもあるし、最近はどんどん減ってきてるの」
――減ってるというのは、昔に比べて全体的に減ってるということですか?
お店の人「夏が暑すぎるというのもあるし、あと、穴自体が乾燥しはじめてきてるんですよ」
――それは季節関係なくということですか?
お店の人「そう、ここは明治時代に発掘のために穴のあるところの土とか上に生えている木とかを全部とっちゃったから、だんだん乾燥してきているんですよ」
言われてみれば、たしかに遠目に吉見百穴を見ると横穴墓群のあるところだけがはげ山のようになっている。それって上にかぶさっていた土や木を引っ剥がしたからなのか……。
横穴墓群を調べるための発掘で、吉見百穴が科学的に分析されたのはよかったものの、ヒカリゴケの育成環境としてはあまりよくならなかったという。
あちらを立てれば、こちらが立たず……とかくこの世は住みにくい。世の中なんでもそうだよな……と、そんな気分になりながら帰途についた。
というわけで、吉見百穴。ヒカリゴケが見たい場合は夏場の湿度の高いときに行ったほうがいいかもしれない。
おれは穴ボコを見るだでけもいいんだ! という穴ボコファナティックな方は、晴れの日が多い今の季節も意外とおすすめだ。人があんまりいないし、寒いつっても凍えるほどではないし。
同時に入場していた男性は「俺はもう、今年二回めだから」と言ってました。
※よしみんの胸の2537は、吉見町と鴻巣市間の荒川が日本一広い川幅2537mであることにちなむ。初見殺しすぎる!
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