歩くのって楽しい
今回は思い付きで綾瀬市の全地区を踏破してみたワケだが、やはり歩くということは楽しいものである。たとえ長年住んでいる市であっても、思わぬ発見は少なくないものだ。
知っているつもりだった地元をさらに細かく歩いて周ることで、これまで気が付かなかった、知らなかったことを見つけられる。住んでいる町をより深く理解する方法として、これ以上はないだろう。
なにかと家に閉じこもりがちな今日この頃、運動不足を解消するためにウォーキングを始めた。
最初は自宅の周辺を歩くだけだったのだが、ふと私が住んでいる神奈川県綾瀬市のすべての地区を踏破してみるのはどうだろうと考えた。
そこで実際に全地区を歩いてみると、思わぬ発見や気付きがあったのでお伝えしたい。
私がなぜ住んでいる市のすべての地区を歩いてみようなどと思い立ったかというと、ウォーキングをより楽しむために導入したスマホアプリがきっかけである。
日本全国に設定された街区のうち、実際に行った場所を塗り潰せるというもので、これがなかなかに面白く、コンプリート欲を湧き立たせてくれるのだ。
さすがに日本のすべての場所に行って塗り潰すのは不可能に近く、それどころか県ひとつすら途方もないことであるが(なので実際に行った場所でなくても塗り潰せる機能もある)、市ひとつくらいならば踏破することができるのではないだろうか。
……などと気軽に考え綾瀬市を徒歩で塗り潰してみることにしたのだが、これがなかなかに大変であった。
私が生まれ育ち、そして現在も住んでいる綾瀬市は、神奈川県のほぼ中央部に位置している。
東西4.2km、南北7.6kmの規模で、約8.4万人が住んでいる。一言でいえば郊外のベッドタウンであるが、市内に鉄道駅がひとつも存在しない陸の孤島でもある。
通勤通学はバスや自転車で隣接自治体の駅へ行く
また綾瀬市内には東海道新幹線と東名高速道路が通っているので、そのどちらかを使ったことがある人は、知らず知らずのうちに通っている場所だ。
また特筆すべきこととして、海上自衛隊と米国海軍の航空基地である厚木基地が東隣の大和市にまたがって広がっており、綾瀬市の面積の約18%を占めている。当然ながらこの地区は歩けない(ので、アプリの便利機能を駆使して塗り潰す)。
綾瀬市は厚木基地があることから昔から割とインターナショナルな雰囲気であり、また近年は北部に住む外国人が増加したこともあって、さらに国籍の多様化が加速している。
……とまぁ、語ると長くなるので、綾瀬市についてより詳しく知りたいという奇特な方は、私が過去に書いた綾瀬市についての記事をご覧ください。いずれも結構前の記事ですが、現在も大して変わっておりません。
というワケで綾瀬市のすべての地区を踏破すべく歩き始めたのだが、そこでまず最初に思ったのが「こんな道があったのか!」という驚きが多いという点である。
子供の頃にあちこち探検していたので、だいたいの道を把握していたつもりだったのだが、近場であっても意外と知らない道は多い。所詮、子供の行動範囲は友達の家がある学区内に限られるということなのだろう。知らない道はそのすべてが学区外にあった。
また頻繁に通る道であっても、眺める方向が変わると見える景色は全く変わるものだ。裏路地を歩いていると、表通りからでは気が付かない建物も数多く目にできる。
これまで知らなかった道もあれば、子供の頃は通っていたのに大人になってからは使わなくなった道も存在する。年を経て経験を積むにつれて行動が最適化され、目的地に最も近い道しか使わなくなっていったのだろう。
当サイトのライター松本圭司さんの記事「知らない道を通ってオリンピックに行ったら、地元なのに旅だった」にも
>近所の道って目的地別に使う道が決まっているだろう。このスーパーに行くときはこの道、駅に行くときはこの道など、決まった道しか使わない。
とある通り、自宅の近くであっても通ったことのない、通らなくなった道というのは必然と出てくるものなのだ。
様々な路地を歩いているうちに、昔通ったことがある、でも今は通らない、そんな懐かしい道にも出くわしてハッとしたりもした。なんともノスタルジーである。
また綾瀬市は思いのほか広く、そもそも一度も訪れたことがない地区もあり、自分の認識の甘さを痛感させられた。
自宅から近隣の町まで続く幹線道路や、それらを繋ぐ間道沿いは分かるのだが、そのような馴染みの道路から外れた場所にある地区はこれまで見向きもしなかった。
これまで通ったことのある主な道路を示してみた。青色の地区は土地勘がないと胸を張って言える
こうして見ると、西端部にはほとんど行ったことがないことに気付かされる。この機にどんな場所なのか、歩いて確かめるとしよう。
神奈川県の中央部には相模野台地が広がっており、綾瀬市もまたその中に位置している。なので比較的平坦な土地が多く、厚木基地が置かれたのもそのためだ。
市庁舎やショッピングセンターなど主だった施設が存在するのも台地の上であり、やはり私がイメージする綾瀬市というと広々とした台地上の光景である。
しかしながら市内には南北に流れる川が作り出した谷間も多く、特に北部は細かく谷が刻まれており、実際に歩いてみると凹凸がかなり激しいことが体感できる。
ざっくりな感じで恐縮ですが、青が河川(跡も含む)で緑色が台地部分。北部は特に谷が入り組んでいることが分かる
主要な道路は台地の尾根および谷筋に沿って通されているので平坦であるが、徒歩ですべての街区を塗り潰そうとすると、この尾根と谷の高低差がたちまちキバを剥く。
東西の移動がかなりキツいので、必然的にできるだけ南北の等高線に沿って歩くようになっていった。
前述の通り綾瀬市は相模野台地に位置しているが、台地上は地下水位が低いことから水道が整備されるまで水の便が悪く、非常に利用しづらい土地であった。
実際、主だった昔ながらの集落は台地上ではなく谷筋に沿って分布しており、川沿いの土地で稲作を営んでいたことがうかがえる。明治時代になると台地上が桑畑として利用されるようになり、養蚕が主産業となったようだ。
戦後になると鉄道駅に近い北東部と南東部で開発が進み、台地上や傾斜地まで宅地として利用されるようになった。昭和中期の高度経済成長期には工業団地が造成され、昭和後期から平成にかけては緩やかな傾斜地を造成した住宅団地も築かれた。
まさに新興のベッドタウンという感じの歴史を歩んできた綾瀬市であるが、住民として暮らしてきて不便なことはあまりなく、田舎か町かと言われたら、まぁ町寄りになるのだろうなと思っていた。
……が、改めて綾瀬市の各地区を歩いてみると、台地上には畑が広がり、谷筋の斜面には雑木林が多く、自分が認識していたよりも田舎なのではないかと思うようになっていった。
でも、まぁ、それはそれで自然が豊かということでもあるので、住環境としては悪くないのではないだろうか。市全体を見渡しても住宅地、商業地、工業地、畑地が割とバランス良く存在しており、総合的に見てなかなか良い町なのではないかと個人的には思う。
日々綾瀬市を歩き続けること1ヶ月以上、全地区を踏破することができた。綾瀬市は思っていた以上に広くて思いのほか長引いたが、成し遂げることができて満足だ。
今回は思い付きで綾瀬市の全地区を踏破してみたワケだが、やはり歩くということは楽しいものである。たとえ長年住んでいる市であっても、思わぬ発見は少なくないものだ。
知っているつもりだった地元をさらに細かく歩いて周ることで、これまで気が付かなかった、知らなかったことを見つけられる。住んでいる町をより深く理解する方法として、これ以上はないだろう。
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