大阪府豊中市蛍池にある不思議な店
蛍池は大阪府の北の方にある豊中市の街である。阪急電車の蛍池駅と大阪モノレールの蛍池駅があって、「伊丹空港」と呼ばれることの多い大阪国際空港にもほど近い場所だ。
大阪の中心地・梅田駅から阪急電車の急行に乗って15分で着くから、それほど遠くない距離にある。とはいえ、友人に誘われるまで私は蛍池の街へ行ったことはなかった。
初めて行ったのが昨年の夏のことで、「面白いうどん屋さんがあって、好きなお酒を買ってそこで飲んでいいんだよ」と友人が言うので行ってみたのだった。「惑星のウドンド」という名前の店だった。
古民家を改装したらしき建物で、中に入ると大きなテーブルがあって、座席数は15席。飲み物も食べ物も持ち込み自由と聞いていたのに偽りはなく、その日は私の友人たち数人が先に来ていて、それぞれ酒を飲み、つまみを食べていた。
聞けばここは完全セルフスタイルの店で、スタッフは基本的にはおらず、冷蔵庫に入ったうどんの麺やトッピングを客が各自、茹でたり温めたりして器に盛り付けて食べていいそうだ。食べ終わった器は返却コーナーに自分で戻す。
代金は備え付けの支払いボックスに現金で払ってもいいし、LINE決済にも対応しているのでそれで払ってもいい。うどんには「かけうどん」と「かけ油うどん」の2種類があり、煮豚や玉子などのトッピングも用意されている。
この日は大阪市内で人気うどん店を営む店主が飲み会メンバーの中にいたこともあり、ずいぶん凝った一杯ができあがった。
山梨県富士吉田市の「吉田うどん」をモチーフにした硬めのうどん
麺の茹で時間の目安が壁に貼ってあるのを見ると、「柔らかいうどんがお好きな方はお口にあわないかと思います…ごめんなさい!」と書いてあって、「はじめての方」は6分、「お子様&高齢者様」は10分とのこと。
ここ、「惑星のウドンド」のうどんは山梨県富士吉田市のご当地うどんである「吉田うどん」の麺をモチーフにして作られているそうで、その吉田うどんはすごくコシの強い食感で知られるものなのだが、ここのうどんも同じように硬いのだ。
もちろん食感はゆで時間で変わるのだが、6分ほど茹でたものを食べてみると、ゴワゴワと硬い感じで、私はいわゆる“二郎系”の食べごたえのあるラーメンが好物なのだが、あれを食べている時に近いような、「俺は今、麺を食べている!」という実感が強く迫ってくるようなものだった。
美味しいうどんを食べて、お酒も飲んで、気楽に過ごして帰ったその夜が楽しくて、また後日行ってみた。その日も友人たちと酒を飲み、持ち込みの焼鳥を食べたりしつつ、自分でシンプルなかけうどんを作って食べてみた。
その後、私が友人たちと飲んでいる間、親子連れや学生らしきグループなどが来て、うどんを自分で作って食べていった。改めて、なんとも不思議な店だと思った。
オーナー・斎藤光典さんについて聞く
この店についてじっくり話を聞きたい、そう思い、日を改めてオーナーの斎藤光典さんにお話を聞かせてもらうことにした。
斎藤さんは1977年生まれで、生まれも育ちも蛍池だという。教員になることを志して大学に進学して、ある時、先輩の勧めで海外を旅することになり、カンボジアを訪れた。
そこでは、内戦の影響などもあって必ずしも恵まれた境遇にあるとは言い難い子どもたちと多く出会ったが、その子どもたちは斎藤さんにとって生き生きとして見え、日本で普段接してきた子どもたちとの違いが印象的だったという。そこで斎藤さんは自分が持っていた教育に対するイメージを根本から見直すことになり、日本に帰って冬の長野の雪山でバイトをしてお金をためてはまた海外へ行くということを繰り返すようになったとか。
その結果、大学は中退することになり、現在の奥様と出会って北海道に移住した数年間を経て、地元・蛍池に戻った。それが斎藤さんが28歳の時のことだった。そこから斎藤さんは「みつか坊主」というラーメン店を開き、人気を集めることになる。
と、そんな前提を踏まえてここからのインタビューを読んでいただければ幸いである。ちなみにインタビューの前半は斎藤さんおすすめの蛍池の味わい酒スポット「ほたるや酒店」にて行い、途中で「惑星のウドンド」店内へ移動した。
――北海道に住んでいて蛍池に戻ってこられたのが28歳の時だったんですね
そうなんです。向こうでは営業の仕事をしていて北海道で生きていこうと思っていたんですけど、奥さんの親御さんが調子悪くなってきて、奥さんも伊丹の生まれなんで(蛍池から)近いんですけど、他にもタイミングが色々重なって、地元に帰りますっていうことになって。
――久々の地元暮らしだったわけですね
若い時は地元を離れたいというか、親元を離れたい気持ちが強かったんですけど、どうせ帰るなら地元を面白くするようなことがしたいなと思って、僕はウィンタースポーツが好きなんですけど、周りにスノーボードをやっている仲間も多くて、いざという時にみんなを雇えるような仕事がしたいなっていうのと、あと父親が不動産関係の仕事をしてるんですけど、それで関係していた戦後に建った古い建物があって、そこがあいてたんで、そこで何かやろうというのだけ決めていたんです。
――その時点ではラーメン屋さんをやろうと決めていたわけではなかったと。
そうそう。何やろうかって考えて、この街は大学(大阪大学のキャンパスが近い)があって若い学生さんが多いので、若い人が集まるようなことをしたいと。それで自分が学生の時に何してたかなと考えたら、ひたすらラーメン食べてたなって(笑)
――そうなんですね。結構食べ歩いていたんですか?
いや、今思えばそこまでじゃないんですけど、「ご飯どうする?」ってなったら「ラーメン行くか」って、まあそういうノリでよく食べてたんです。この辺にラーメン屋さんがあんまりなかったのもあって、じゃあラーメン屋をやろうと。開業資金を借りにいくのに説明がいるじゃないですか。それも、「やったことはないけど、出来ると思います」っていう(笑)そういう感じでした。
――勢いでいったというか。
それから一年ぐらいは、派遣社員をしながら家でとにかくラーメンを作り続けてましたね。北海道で住んでた場所の近所に美味しいラーメン屋さんがあって、そこが好きで、味噌ラーメンの店だったんですけど、関西のラーメン事情も色々調べていて、その頃、“ラーメン大賞“を決めるような雑誌を見たら、関西は味噌ラーメンの部門がなかったんですよ。ということは、専門的にいいものを作っていけば、大賞を取れるかもしれないって考えて、競争するのは好きじゃなかったので、それもあって「みつか坊主」をオープンしたのが2007年ですね。
――開店当初はどうでしたか?
むっちゃ大変でした。一日に2人か3人のお客さんしか来ない日もいっぱいあって。ただ、スタートから一緒に店をやってくれていたスノーボードの仲間がすごく頑張ってくれたんですよ。彼はスノーボードがめちゃくちゃうまいんですけど、口が悪すぎてスポンサーがつかないっていうやつで(笑)でもむちゃくちゃ面白くて、大変な時に彼がいてくれたんで、助けられてましたね。二人で色々な飲食店に食べにいって、商売っていうより遊んでいるというか、スノーボードのテクニックを磨くような感覚でやってたんです。自分らの独学で食を勉強していくという。ラーメンを食べにいって二人で「これ、こうちゃう?」って次の日に同じのを再現してみるという遊びをしてましたね。
――それは勉強になりそうですね。
遊びながらテクニックを磨く感じで、暇やからできたんですけど、来てくれたお客さんに「こんなラーメン作ってみたんですけど、食べます?」って出してみたり。「今日はどこそこの塩ラーメンをカバーしてますけど食べます?」みたいな。それをお客さんが楽しんでくれようになってきて、そのうちに、雑誌の賞を受賞して忙しくなってきてしまって、それが2010年ぐらいですかね。
――おお!本当にラーメンの賞を受賞したんですね。
とにかく必死にだけはやってたんで、そこを評価してもらったんですかね。二人でめっちゃ喧嘩する時もあったりして、「今日のスープだめでしょ!」みたいな。忙しくなってからは他にも人を採用するようになって、ただ、2014年に店が火事になってしまって、それでも続けようと思ったんですけど、自分で独立して仕事を作っていける人には(店を)出てもらって、それで今の形になっていったんです。