三鷹聞いたか三鷹の橋
とある橋とは、中央線三鷹駅から徒歩7分ほどのところにかかる「三鷹電車庫跨線橋」のことだ。
ところで突然だが私は中央線沿線に住んでいる。そして太宰治をけっこう読む。そんなある日、乗った電車の中刷り広告にこの橋のことが書いてあり、そういえば太宰もこの橋を気に入っていたな、と何気なく読んでみた。
「・・・休日には訪れる多くの人でにぎわいます」という主旨のことが書いてある。「陸橋→太宰→ノスタルジア→ひなびた橋」的文脈で勝手にイメージしていたあの橋、今も人が絶えないということが意外だった。
だって平日の午後とか、この橋はこんな感じなのである。
まあ、橋です。単なる橋。橋には橋のほかに何もない、といった状況でした。ではスタジオにお返しします。
数日後にはパラダイス系
しかし件の休日に訪れてみると、なんだか様子が違う。
ただの橋に、私が到着したときは15名もの老若男女が各々思うままに過ごしていた。橋を渡るだけという人はほぼなく、この橋自体が目的地のようだ(犬を除く)。周囲には住宅地、駅からは徒歩で7分近くもかかるこの古びた橋に。
などと知らんふりをして書くのはよそう。つまりこの橋からは、こんな光景が見渡せるのだ。
最初に書いたがここは電車庫に近いので、当然のように鉄道写真の撮影スポットであり、電車好きのほっとステーションであり、電車好きな我が子をなだめる飴のような場所なのである。
それにしても、中央線・総武線・東西線のさまざまな列車が行き交うさまは、見ていて飽きない。「車両基地」でもお馴染みの萩原さんのように、架線や線路、その他構内の施設に次々に目を奪われてしまう。
その上、電車が通るとついつい鉄道カメラマンよろしく、もらさず写真を撮ろうとしてしまう自分がいるのだ。撮った写真は後で見返しても特に褒めるところもないのであるが。
いかんいかん、中途半端に電車の写真撮りに来てるんじゃなかった。橋を見ろ。もっと見ろ。
ぶるぶる煮えたぎって落ちる夕陽(太宰談)
天気はいいわ、下を電車が通って目をひかれるわ、遠くまで見渡せる空が気持ちいいわでまたしばらく無為な時間を過ごす。ツボ押しなどして、気がつくともう夕方、日が傾いてきた。それでもまだ、訪ねてくる人は絶えず。
うっかりノスタルジーを感じてしまいかねないが、それ以上に感じるのは、予想以上の「居心地」だ。ただの「線路を跨ぐ橋」なのに、ちょっとした異空間だぞここは。
歩行者しか入れないためもあってか、時間がゆっくり過ぎていく。しかしその下には高速で行き来する列車。それに見入る人々。妙な連帯感がある。
これはこの橋独特のものなのだろうか。そう思ったら、他の橋も見たくなった。同じように味のある、車の通らない跨線橋を訪ねにいこう。