住んでいるうちにもっと見ておけばよかった
今回の旅を通して感じたことは、5年も住んでいたのに行ってない場所ばかりだ、ということである。住んでいるといつでも行けるのでわざわざ行かない、ということなのかもしれない。
二日間の取材中ずっと天気が悪く、帰り際にようやく雨があがったと思ったら空がきれいなピンク色に染まった。そういえば10年前も茨城は空がきれいな場所だったな、と思い出しました。
みなさんからの投稿だけを頼りに旅する企画、それが投稿頼りの旅。
今回は茨城県です。たくさんの投稿をありがとうございました(こちらで募集していました)。
牛久の大仏、JAXAのロケット、デカ盛りなどなど。巨大なものが多いイメージのある茨城ですが、実際はどうなのか。
実は僕は前に茨城に住んでいたことがあるので、思い入れも人一倍でした。
※これまでいろいろな場所で取材をした記事を読めば誰もが知ったかぶりできるはず。「知ったかぶり47」は、デイリーポータルZと地元のしごとに詳しいイーアイデムとのコラボ企画です。
※姉妹企画「地元の人頼りの旅」もよろしく。
就職して最初に暮らしたのが茨城県だった。もう10年以上前の話である。それから何度も引っ越しをかさね、いまは神奈川県に住んで東京で仕事をしている。
同じ関東である、茨城県は近いと言えば近いはずなのだけれど、引っ越してからというものほとんど来たことがなかった。なぜだろう、あんなに面白いことがたくさんあった場所なのに。というわけで今回は、みなさんからの投稿を頼りにしつつも、かつての記憶を引っぱり出しながらの旅でもあった。
まずは茨城県の玄関、水戸駅である。水戸黄門の像は僕が住んでいた頃からそのままだった。
水戸駅の北口は当時のままだったが、南口が立派になっていて驚いた。10年前はなにもなかったのに。
ちょっと趣旨からはずれるが、みなさんからの投稿を紹介する前に僕が住んでいたころ好きだった場所をいくつか紹介したい。
まずはこちら、水戸駅から近い場所にある水戸城跡のお堀である。
このあたりの公園は広くて落ち着いていてすごく好きな場所だった。当時僕はクラシックカメラに凝っていて、この辺りでよく彼女の写真を撮っては家に暗室を作ってプリントしていた。
少し歩くと水戸芸術館がある。ここも大好きな場所だった。
この日はあいにくの雨だったが、当時、芸術館の前の芝生の広場では、休みになるとよくフリマが開かれていた。芸術館の売店でCDや本を物色したあと、併設されたSAZAコーヒーでコーヒーを買ってこの芝生の広場でだらだらと昼まで過ごすのが最高に気持ちよかった。塔の立体の線をたどっていくと目線が空へ空へと上がっていくのだ。
水戸駅は僕が住んでいたころは北側が栄えていて、服を買うのも映画を見るのも北口だったのだが、今ではその賑わいが南側へと移ってきているようだった。
北口にはビックカメラもスタバもないけれど(当時はたしか北口にだけスタバがあったのだ)、僕にとっての水戸駅はやっぱり北口である。いろいろ訳があってパンチパーマをあてた床屋さんもまだ健在だった。
そんな僕の好きな水戸駅北口に今も残る昔ながらの洋食屋さんがあるという。
水戸駅から歩いて10分ほど。たしかこの辺りは飲み屋街だったと記憶していたが、高いビルがたくさん建ち並ぶ中、ぽつんと昔ながらの洋食屋さんが残されている。それが㐂久水(きくすい)である。
このお店、住んでいた当時も前を通ったことはあったのだけれど、入ったことはなかったと思う。ガラスのはまった引き戸をあけて、身をかがめながらのれんをくぐると、そこには時が止まったみたいな優しい空気が流れていた。
なにしろ店内がいい。使い込まれた椅子と机、大きなストーブ、新聞、ラジオ。古いけれどどれも清潔に保たれていて、このお店が大切に維持されてきたことがわかる。
開店と同時に訪れたため、お客はまだ僕一人だった。投稿にある「世界一美味しい」というカツサンドを注文すると、おとうさんはうれしそうに厨房へと入って行った。
ほどなくして運ばれてきた、これが世界一美味いというカツサンドである。
出てきた瞬間わかる美味しさってあるだろう。それがこれだ。これはもう食べなくても美味い。
マスタードとソースがちょうどよく染みたパンがカリっと揚がったカツを挟んでいる。ジューシーなのに全体にしなっとしていない。これは作り置きではできない味だろう。持ち帰りもできるらしいけれど、ぜひお店で食べてもらいたいカツサンドである。
そして付け合わせのスープがまた深い。
シンプルな洋食屋のコンソメスープなんだけれど、きっとこれ何十年も変わっていないんじゃないかと思う(想像で言ってます)。そんな歴史の深みを勝手に思い描いちゃう味わいだった。
おとうさんは腰が痛そうに前かがみになりながらもささっと漬物を出してくれた。醤油が薄くかかっている。
いまさら後悔してもしかたがないが、なんで住んでいた頃に来なかったのだろう。
水戸は特急を使うと上野から1時間である。ならばこれを食べるためにまた来てもいいんじゃないかと思った。こういう昔ながらの洋食屋さんには腹を満たす以上に行く価値があるのだ。
このあと駅前で借りたレンタカーで当時住んでいた社宅の近くのブックオフに行ったら小島真由美のCDがあったので買ってかけた。とたんに街並みが15年くらい前にもどった。これ、もしかしたら僕が引っ越しの時に売ったCDなんじゃないかとすら思った。
思い出が止まらず出だしから長くなってしまったけれど、次はでかいものばーんと2つ行きます。
これは住んでいた頃からなんとなく思っていたことなんだけれど、茨城にはやたらとでかいものが多い気がするのだ。牛久の大仏、JAXAのロケット、RanRanのBig丼などがそれにあたる。
今回の投稿にも、そんな茨城の物をでかくする文化を反映したものがいくつも寄せられていた。まずはこちら。
人に古墳を薦められたのは初めてである。そして僕はかつて住んでいたのに茨城に古墳があることすら知らなかった。
行ってみるとなるほどこれは一目でわかる古墳である。
この古墳、階段がついていて、なんと登ることができるのだ。お墓というのは何年くらい経つと階段作って登ってもよくなるのだろう。
登って端に立つときれいな前方後円墳であることがわかる。
このあたりは茨城県内でも有数の古墳密集地帯なのだとか。興奮する、知らなかった。正式には「牛伏古墳群」と呼ばれていて、全部で16の古墳があるらしい。
このあたりでこんもりした小山があるとそれはだいたい古墳である。
こちらの古墳にいたっては古墳の上に現代の墓が作られていた。墓オン・ザ墓状態である。
投稿によるとここ「くれふしの里古墳公園」にはシンボルとなっている埴輪がいるらしい。古墳を探しながら公園内を歩いていると、どこかから何者かに見つめられているような視線を感じることがあるが、たぶんそれは埴輪の仕業である。
この写真だと比較対象がないので大きさが伝わらないかもしれないが、だいぶでかい。いうまでもないが埴輪としては日本一の大きさである。そりゃあそうだろう、これ以上でかい埴輪を茨城以外で誰が作ろう。
この埴輪は「はに丸タワー」と呼ばれており、階段でてっぺんまで登ることができる。
シンプルな階段を登っていくと途中に顔がある。
顔の横にコインを入れる場所があったので入れてみた。上の穴には「耳を当ててください」と書いてある。
おそらくかつてはコインを入れると電子的に音が流れたんじゃないかと思う。今は機能しておらず、中にコインが落ちる音だけを純粋に楽しむことができる。いや、もしかしたらこれが正解でお賽銭なのかもしれないけれど、いずれにせよ真相は埴輪のみぞ知る、だ。
顔を通りすぎ、階段を登りつめるとそこは展望台になっていた。
はに丸タワーは高すぎず低すぎず、手すりの向こうに地面がちゃんと見えて怖い。ほら、スカイツリーとか都庁とかって高すぎていまいち怖さを感じなかったりするだろう。本当に怖いのは落ちた後を想像できるこのくらいの高さなのだ。
次もでかい、というか今度は広すぎる公園である。
ひたち海浜公園にはたしか何度か来たことがあると思うのだけれど、中がどうなっていたのかまったく覚えていなかった。
それもそのはずである、入ってみると広すぎるのだ。
広い、なにしろ広い。園内の案内表示板の単位が700mとか800mとか、いちいち遠いことからも本気度がうかがえる。
この公園では秋から冬にかけてコキアという植物が見ごろを迎えるのだという。別名ホウキグサとよばれる植物だ。
そのコキアの生え方がまた豪快である。
コキアは丸くモリっとしたかわいい植物で、冬に近づくにつれ徐々に赤く色づいていくのだという。たしかに上の写真でも手前のひとつだけ赤くなっている。これが全部赤くなるとそれは壮観だろう。
「みはらしの丘」のてっぺんに立つと遠くに火力発電所とジョイフル本田という、いかにも茨城県らしい施設が二つ眺められてこれもまたいい。
ディズニーランドに行くと「一日いられるわー」と思うが、この公園なら家を建てて住める。実際園内に農家みたいな家があって野菜を作っていた。
次もでかいものなんですが、その前にひとつ美味しいのを挟んでおきたい。
ここなんて僕が前に働いていた会社のほんとすぐ近くだった。前を通ったことがあるかもしれないけれど、行くのは初めてだと思う。茨城にはこういう道の駅的なお店がいくつもあって、どれもハズレなく美味しいものをゲットできるので覚えておいてほしい。
メロンで有名な鉾田にあるので、主力商品はもちろんメロンだ。
美味しそうなメロンの下で基礎的な存在感を放っているのが焼き芋である。
鉾田というよりこれは茨城全体だと思うのだけれど、焼き芋や干し芋が盛んで、特に冬場にはそこらじゅうから芋の香がただよってきていた。
その名物焼き芋を夏でも美味しく食べられるようにしたのがこちら、冷やし焼き芋である。
焼いた芋を冷やすってそれは矛盾しないのだろうか。お店の人に聞いてみたところ「いったん焼いた芋をあえて冷やすことで甘みが増すんです!」とのことだった。その仕組みはよくわからないが興味はある。投稿いただいた「飲む焼き芋」といっしょに注文してみた。
飲む焼き芋を一口飲んで驚いた。
飲む焼き芋の焼き芋感ったらなかった。焼き芋にストローさして吸ってる感じ。虫気分。ほのかにバターのような甘い香りがするのは、スイートポテトを食べ慣れているからそこの記憶とつながったのか、隠し味として入れられているのか。書いていて思ったが、これ、飲む焼き芋というより飲むスイートポテトと言った方が感覚と近いと思う。
そして冷やし焼き芋である。
まず受け取った瞬間にその冷たさに頭がついていかない。「え?焼き芋?え?」と。なにしろ焼き芋なのに手を引っ込めたくなるくらい冷えているのだ。どうした、って思う。
冷たさにひるまずに食べてみると、しっとりとした食感の中に確かに甘みがしっかりと感じられて、目隠しされて「ハーゲンダッツ、リアルさつまいも味新発売!」と言われたらそうかもな、と思わなくもない感じだった。いや、それは言い過ぎか。これは甘みの強い冷えた焼き芋だ。夏の盛りだったらこっちかもしれないけれど、これからの季節、やっぱり僕はあつあつの焼き芋が食べたいかな、と思いました。
糖分を補給したところで、次もでかいものをもう一つご紹介です。
みなさんは日本各地に伝わる巨人伝説をご存じだろうか。
そいえば水戸に住んでいた頃、車で走っているとたまに視線を感じたことがあるのだ。その正体は、そう、巨人である。このあたりにかつて住んでいたというダイダラボウだ。
この建物も茨城県に住んでいた頃には来たことがなかった。こういう地元の歴史を説明してくれる施設って各地にあるけれど、小学校の遠足くらいでしか行かないだろう。ぜひ大人になってからあらためて行ってみてほしい。かなり面白いし、歴史を知ることで地元の見え方が変わってくるから。
そしてダイダラボウである。でかいので外にいます。
園内を歩きながら、上の方から視線を感じたらそれがダイダラボウである。
いたでしょう。
ダイダラボウは当時このあたりに住んでいて、片手で海から貝を拾っては食べていたと言われている。このあたりで見つかった貝塚はそのとき彼が捨てた殻が積もったやつということだ。
ダイダラボウの座っている土台の部分には鏡の部屋があり、入るとセンサーで土偶がビカビカ光ったりして、なかなかサイケデリックな空間なのでこれもぜひ体験してもらいたい。
ダイダラボウには登ることもできる。牛久の大仏、はに丸タワー、ダイダラボウ、そして後から出てくるが石岡の巨大獅子頭。茨城に現存する巨大なものはだいたい中から登ることができるので覚えておきたい。
階段を登るとダイダラボウの手の上あたりに出られる。
頭の上ではなく手の上に出られるというのはいい設計だと思う。手の上に出ることで後ろから迫るダイダラボウの視線を感じながら、いわば巨人と一緒に町を見下ろすことができるのだ。ダイダラボウをひとつの人格として認めているといえる設計である。みはらす先には平地が広がっているぞ。
次はカニピラフです。
その存在は認識していたけれど、住んでいた頃は行かなかったレストラン、それがメヒコ。メヒコは茨城・福島を中心にチェーン展開していて、中でも「フラミンゴ館」「水族館」など、レストランとは思えない名前がついていたりする。ちょっとお高いイメージがあったので行ったことなかったのだけれど、実際のところどうなのだろう。
名前のとおり、ドアを開けるとすぐにフラミンゴがいる。
フラミンゴは中庭的な場所に生息していて、これを囲むように客席が配置されているのでフラミンゴたちを眺めながら食事することができる。
フラミンゴはざっと数えて30羽以上いて、時間帯によってはお客の数よりも多い。どの世界でも数の多い生き物が強いだろう。つまりこのお店で主権を握っているのはフラミンゴなのだ。
フラミンゴは後ろを向いて頭を体に乗っけて寝るようだが、寝てると思って油断しているとたまに起きて目が合う。
鳥は目に感情が宿らないので、目が合うと「すみません!」という気分になる。
そしてフラミンゴたちは仲がいいのか、一羽が騒ぎ出すと、そのテンションがすぐ全体に伝わってお店中が祭みたいな騒ぎになる。
もちろんフラミンゴたちは完全にガラスで仕切られた場所にいるため、騒がれても衛生上なんの問題もないわけだけれど、たとえばこれがシマウマとかイノシシとかだとちょっと話が変わってくると思うのだ。フラミンゴには清潔感があり、食事をしながら眺めても大丈夫な動物としてすごく考え抜かれた結果なのだと思う。
ほどなくして注文していた「伝統のカニピラフ」が運ばれてきた。
カニピラフはカニの出汁で炊いてあって本当に美味しい。シャキッとしたピーマンの苦みがアクセントになっている。
夢中になってカニの身をほぐしていると、すぐ近くで「ドン!」という大きな音がした。フラミンゴが後ろ足でガラスを蹴ったのだ。
僕はまた「すみません!」って思った。
ここでひとつ、せっかく投稿いただいたのに空振りに終わった場所を紹介しておきたい。
日立市にあるウミウの捕獲場である。
ウミウというのは木曽川なんかで行われている鵜飼で漁を手伝ってくれる鳥である。そのウミウを捕まえてもいい場所は日本で唯一ここだけなのだとか。
ウミウ捕まえてるかなー、と期待してやってきたのだけれど
なんと捕獲場の公開は10月からということで、取材日の9月26日はぎりぎりまだだった。先に調べてから来いよ、と思われるだろう。調べたのだ。調べたのに来て、やっていなかったのだ。
このトンネルの中がどうなってるのか知りたい人は、期間中の海のおだやかな日に見に行くか(海が荒れると公開中止)こちらをご覧ください。
それでは茨城でかいもの探訪にもどります。こちらは石岡市にある常陸風土記の丘。ここに巨大獅子頭があると聞いてやってきた。
この公園では古民家がそのまま展示されたりしている。
ものすごい広い公園を歩いていくと、途中からなんとなくひっかかる風景に出くわす。気にしなければ気にならない程度の違和感なのだけれど、進むにつれ、見て見ぬふりができなくなる。
そう、これが石岡の巨大獅子頭である。
巨大であるがゆえに遠くからでも見える。視界にスケール感の狂った獅子頭が入ってくると脳が「なにかおかしい」と電気信号を発するのだ。想像してほしい、あなたの生活の中で、埴輪や巨人、獅子頭が視界にちらつく環境があるだろうか。
そしてこれまでの傾向と対策からいくと、これも中に入ることができるはずである。横にまわると案の定ドアがあった。
巨大獅子頭は口の中に入って外を見ることができた。さほど高さはないのだけれど、獅子頭の口のなかなのでなんともめでたい気分になる。
石岡市では江戸の昔から守護神として獅子頭を祭で使ってきた歴史があるのだという。だから日本一でかいのを作ってみました、という流れらしい。とにかくでかくしろ、という文化は茨城に確実にあると思う。嫌いではない。いや、むしろ好きだ。
でかいものを見すぎておなかがすいたでしょう。最後はこちら、茨城の土地のものを。
美よしさんのお店には獅子頭を見に行った後、お昼をだいぶ過ぎた時間に着いたので休憩中だったらどうしようと心配したのだけれど、のれんをくぐると大音響で昼ドラの放送が流れていてバリバリ営業中だった。
メニューを見ると一見普通の食堂なのだけれど、右端にいたずら書きみたいなメニューが加えられているのに気づく。
投稿を頼りに迷わずザリガニを注文するも、お店のおばちゃんは「ザリガニはそろそろシーズン終わるからね」と言っていた。たしかにザリガニを見るのはだいたい夏である。
でもちょっと待ってほしい。季節ものということは、輸入とかじゃなくてこの辺りで捕獲しているのだろうか。
ザリガニはこの辺の田んぼの用水路で捕まえてくるのだとか。
「5月くらいからザリガニ食べさせろって騒ぎ出す人がいるんだけど、食べられる大きさになるのは6月から10月くらいまでなのよ。60歳より上の人にとっては懐かしい味みたいですよ。」
もうほんと世の中知らないことだらけである。
おばちゃんはエビのように簡単にむいていたが、ザリガニの殻の硬さはカニのそれに近い。バリバリと殻を割っていくとプリッとした身が出てくるのだが、予想していたよりもずっと食べられる部分が少ない。
おばちゃんは、川のものだから匂いがあるよ、といっていたがどうだろう。醤油でいただきます。
見たまんまだが、味はほぼエビである。塩ゆでされた塩味の後ろにほんのりと甘みを感じる。そしておばちゃんが言うほどではないが、その後ろにかすかに土の香りがまざる。
スーパーへ行けばエビとかカニが簡単に手に入る時代である。わざわざ用水路でザリガニを捕まえてきて、指を痛めながら小さな身をほじくって食べる人は減ってきているのかもしれない。だけど季節や土地を感じるには、そこでその時期にとれた食べ物をいただくのが一番だとも思う。5月くらいになるとザリガニ食べさせろと騒ぐ人たちの気持ちもわからんではないのだ。
美よしのおばちゃんは
「ザリガニはこの前とってきてもらったやつがあと少しあるから今日はまだ出せるけど、10月に入ったらもうおしまいですね。」
と言っていた。どうしてもザリガニが食べたい人は来年の夏を待ってもらいたい。ザリガニは逃げない。うそ、逃げるけど美よしさんに捕まる。
今回の旅を通して感じたことは、5年も住んでいたのに行ってない場所ばかりだ、ということである。住んでいるといつでも行けるのでわざわざ行かない、ということなのかもしれない。
二日間の取材中ずっと天気が悪く、帰り際にようやく雨があがったと思ったら空がきれいなピンク色に染まった。そういえば10年前も茨城は空がきれいな場所だったな、と思い出しました。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |