特集 2025年8月8日

地元にあったはずの城がストリートビューだとまったく見えないので、現存するのか確認した

故郷にあった城が、現在どこからも確認できなくなっており、はたして存在しているのか、してないのか。確かめに行った……という記事です。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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小学校高学年の頃、田内城という城ができて狂喜乱舞した

ちょっと長くなるんですが、前置きの話をさせてほしい。

筆者である私は、鳥取県の倉吉市というしがねえ町で生まれて育った。

小学校高学年の頃に突然「お城」にめちゃくちゃハマったことがあり、友達が600円のミニ四駆を買い集めるなか、小遣いがたまるたびに童友社の600円の城プラモを狂ったように買っていた時期があった。

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城にハマっていた頃の私。米子城趾をバックに撮った写真があった。覇気のない顔で棒立ちしてるのが筆者です。ポーズをとってるのは弟。現在ダンス教室を経営しています

そんななか、家から歩いて40分ぐらいのちょっとした崖の上に、田内(たうち)城という室町時代の城跡に天守閣が建設されたということを知り合いのおじさんから教えてもらった。

当時、鳥取県内に天守のような建物が存在している城は東郷池の近くにある羽衣石(うえし)城ぐらいしかなく、狂ったように城プラモを集めているにも関わらず、ぼくは城の天守閣というものをじっくり見たことがなかった。

そんなわけで、たった2層(2階建て)の模擬天守(天守閣を模した建築物)とはいえ、お城が家の近所にできたという事実に、頭が爆発しそうなほど大興奮した。

あまりにも嬉しかったため、友達の渋谷くんを誘って休みの日の朝早くから歩いて田内城に行き「これが! 天守閣というものか!」と大感動し、そのことをクラス文集に書いたほどだった。

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城がない 

ところで、子供の頃に行った田内城って、今どうなってんのかな〜と思い、軽い気持ちでストリートビューで見てみたところ、なんと! 城が! ない! どの角度から見ても城が見当たらない。  

あれ? 子供の頃(40年ぐらい前)は、この位置からじゅうぶん城が見えたはずなのに、と思ってグリグリ動かしても、城がまったく見えない。

空からも見えないだろうかと探してみるもまったく見えず、2017年ごろの航空写真を見ても城があるような気配はない。

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田内城が消えている(地理院地図)

田内城がふもとから見えていた当時の写真、どっかにねえかなとネット上を探すも存在せず、もしかして田内城の記憶は幻だったのではという気にもなってきた。

とはいえ、グーグルマップのクチコミを見てみると、天守の建物写真をアップしている人がいるので、天守が存在していたことはわかるのだが、地点名は田内城「跡」となっており、天守が解体されていたとしても不思議ではない書きぶりとなっている。

いや、昔は確かにここに2層の模擬天守があって、ふもとの巌城(いわき)橋からもよく見えたんだけどな……と思い、倉吉市立図書館で資料を調べてみたところ『うわなだ子ども風土記』という本にとっても小さい写真が載っていた。

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『うわなだ子ども風土記』より

まじでゴミカスみたいに小さいのでもっと大きく引き伸ばしてみてみる。

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丘の上に城がみえる。こんな感じで見えてたんですよ!

この本の発行は平成4年となっていたので、1992年ごろまではこんな感じだったことがわかる。
たしかに僕が倉吉にいたころはこんな感じで、田内城は倉吉のシンボルだと僕が勝手に思っていたほどだったけれど、でも、それから30年以上経った今はごらんの通り。

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ほぼ同じ位置から撮影した、現在の田内城

田内城の田の字も見えないほどに何も見えないわけです。
いくら木が繁茂したとしても、こんなに近づいても天守のかけらさえも見えないというのは、もしや最悪、撤去されてしまっている可能性も考えないといけない。

ちなみに、倉吉市在住の弟に「最近、田内城が見えないけど、なくなったの?」と、聞いてみたところ「さぁ? どがなだらあか。なあなっちゃったでないかえ(さぁ、どうだろう、なくなっちゃったんじゃないの?)」とのこと、僕が聞くまで田内城のことを気にかけたことはなかったようだ。

まあ、城に思い入れのない人は普通こうだろう。

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地元の人も「無くなった」という田内城の安否は? 

これは自分の目で田内城の存在の有無を確かめるしかない。というわけで、田内城のふもとにやってきた。 

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案内は新しくて立派

天守は、田内城登山口とあるこの場所からけっこう急な坂を10分ぐらい登るとある。

ふもとにある集会所に、蚊取り線香を焚いていたおじさんがいたので「田内城って今でもありますよね?」と聞いてみたところ「いやー、もうないでないかえ?(もう無いんじゃいの?)」と言い出す。

平日昼間に集会所に蚊取り線香を焚きに来るぐらい地元の人でも、存在しているのかしてないのか、安否がわからない城。田内城。一体どうなってんだ。

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こういう山道を10分ほど登ります
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なかなかの急坂ですな
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いー、もうしんどい

10分ほどといっても、山道はしんどい。(登山が苦手)山道をヒィヒィ言いながらしばらく進むと……。

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どわー! あるじゃないか!

坂の上の木の隙間から天守閣の軒がチラリと見えた。「ほらー! あるじゃん!」と、思わず声を上げてしまう。誰に言ってんだ。

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田内城、生存確認しました
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とりあえず、記念写真撮っとくか

昔は崖の上にきれいに見えていた田内城だが、おそらく崖の部分の木や竹がかなりデカく育って視界を遮ってしまっている。ふもとからまったく確認できなかったのはそのせいだろう。

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竹や木が野放図に生えちらかしており、天守を隠してしまっている

渋谷くんと二人でここにきた40年前は、上の写真の位置から打吹山が見えていたような気がするが、今はそんな眺望はない。

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瓦屋根が落ちていた

当時、この入口の階段に腰掛けて、魔法瓶のお湯でカップヌードルを作って食べていた渋谷くんを見て「えぇ! 魔法瓶のお湯でカップヌードル作れるんだ!」と、しょーもない感動をしたことを思い出した。

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外壁も落ちている

田内城をよく観察してみると、瓦屋根が落ちていたり、外壁が崩れ、壁にでかい穴が開いているような状態だ。おそらく、2016年の倉吉大震災(と、ぼく一人が勝手にそう呼称している「鳥取県中部地震」のこと)で崩れたものだろう。

昔は中に入ることができて、格子窓の隙間から倉吉市街を眺めることができたが、今この状態の城の中に入る勇気はなかった。

実はこの田内城の崖のすぐ下にも、岩阿弥陀釈迦堂という小さい懸造り(かけづくり・清水寺のような感じのやつ)のなかなか渋い建物があったのだが、そちらは地震の落石で全壊してしまい、そのまま再建されずという状況だ。

田内城も岩阿弥陀釈迦堂も、そこまで復旧復興の手がなかなかまわっていないと思われる。

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