シンプルなクレープを注文してみたい
ライター月餅さんはよく「シンプルなクレープを注文してみたい」と言っていた。
「今日こそシンプルなクレープを注文するぞと決めてクレープ屋さんに行くんですけど、直前でうわーって悩んで、いつも通りクリーム盛り盛りのやつを注文しちゃうんです」と。
シンプルなやつが買いたければ買えばいいじゃないか、と思うだろう。僕も思った。なんならクリーム盛り盛りのやつを食べた後にでもシンプルなクレープを再度注文したらいいんじゃないかと。
月餅「なに言ってんですか、そういうことじゃないんですって」
これは思ったほど簡単な話ではないかもしれない。一人では不安だったので、一緒に話を聞いてくれそうなライター與座さんにも来てもらい、上野にやってきた。
ここまでの話を総合するとこういうことだ。
ライター月餅さんはクレープが好きである。クレープ屋さんに行くとクリーム盛り盛りのやつを頼むんだけど、そのときいつも(ツナの入ったクレープとか、シュガーバターとかって、誰が買うのこれ)と思っていたらしい。
そんな月餅さんは、ある日思った。「でももしかして、あのシンプルなクレープをさらっと注文できたら、わたしかっこいいんじゃないの」と。
シンプルなクレープを注文してみたい、でも私はクリームが好き。そんな葛藤を抱きつつ暮らしてきました幾年月。いよいよ今日を迎えたというわけである。
上野マリオンクレープにて
今日こそはシンプルなクレープを注文するぞ、と決意してやってきた月餅さんだが、クレープ屋さんに着いたとたんに動きが怪しくなった。裏からボタンを押すとへにょって崩れる馬のおもちゃみたいである。
月餅「匂いが。いや、ちょっと、これは、ダメだ、ダメかもしれないです」
さっきまでの決意がぐらんぐらんに揺らいでいる。
並みいるド派手なクレープたちに混じって確かにシンプルなやつがいた。シュガーバターである。
これは月餅さんでなくても「誰が頼むの」と思うだろう。この並びからシュガーバターを選ぶのってかなりの上級者だと思う。
でも月餅さん、今日はあなたがその椅子に座る番ですよ。
月餅さんを見ると完全に腰が抜けていた。よほどシュガーバター以外が食べたいんだろう。ちなみに企画じゃなかったら今日はどれ食べたいですか?
一番すごいの指してきた。しかも指でガラス割りそうな勢いである。じゃあいいですよもう、それ食べても。
おかずクレープの美味しさ
月餅さんの背中を押すつもりだったのだろうか、一緒に来た與座さんが「じゃあわたしこのおかずクレープ買ってみますね」と先陣を切った。
だめだどうしてもクリームが目に入って買えない、ともがいている月餅さんを尻目に、少しも躊躇せずにシンプルなおかずクレープを買ってきた與座さんは確かにカッコよかった。なるほど、月餅さんが憧れる気持ちもわかる。
與座さんの注文したシンプルなおかずクレープは、ちょっともらったけどホットサンドみたいな美味しさだった。これは一度注文したら次も食べてみようかな、と思うかもしれない。
しかし最初の一歩が難しいのもわかる。クレープ屋さんに来てホットサンド食べようと思わないもの。
でもそういうものみたいですよ!月餅さん。シュガーバターも一歩踏み出しちゃえば美味しいのかも!
だけどそういう企画で今日集まったわけだし。ダメだったら改めてクリームの食べればいいじゃないですか、とか、さっき買ったチョコあげますから、とか、僕と與座さんとで月餅さんが潰れない程度にプレッシャーをかけながら奮い立たせた。
月餅「わかりました行きます。行きますよ。ああもう緊張してきた。胃が痛い」
月餅さんは中腰でその場で一回転半くらいした後、クレープ屋さんの列に並びに行った。
そんな月餅さんだったが、さすがである。順番が回ってきた頃には覚悟を決めたのか「シュガーバターを」とかすれた声で店員さんへと告げた。
偉い。横で見ていたわれわれも思わず手を叩いた。単にクレープを注文するだけなのに、なにこのエンタメ。
注文してきた月餅さんはまだ納得がいかない様子で、前の人が注文したクリーム盛り盛りのクレープにいちゃもんをつけていた。